羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ハーキマー・ダイヤモンド

2012年06月02日 07時56分34秒 | Weblog
 ここ数年、東京国際ミネラルフェアで、「ハーキマー・ダイヤモンド」を探していた。
 なかなか見つけられなくて、残念に思っていた。それが昨日は、あっという間に見つかった。
 いちばん小さい粒は、1グラム300円。次の段階が1グラム500円だった。
 迷わず手に入れた。で、母岩付きも、手に入った。ラベルをみると「東京サイエンス」さんのブースだったことが判明。まだまだ母岩付きのいい物があった。これだけたくさん揃っていることは稀なことで、今年、ぜひ手に入れておくことをおすすめしたい。
 
 前回のブログにも書いたが、これはれっきとした水晶である。Rock Crystal(SiO2)。New Yorkの鉱山で産出する。
 実は、小瓶にいれた小粒のものと母岩付きは、一組は持っているのだが、しまい込んで出てこない状況に陥っている。とにかくこうした時に、揃えておけば、無駄にはならない。

 昨日の初日は、ものすごい人数で盛況だったことにほっとした。
 毎年、通って、25年!感慨深いものがあります!!
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第25回東京国際ミネラルフェア

2012年05月31日 07時48分16秒 | Weblog
「第25回東京国際ミネラルフェア」が、明日6月1日(金)〜5日(火)まで、新宿スペースセブンイベント会場(ハイアットリージェンシー東京+第一生命ビル)で開催されます。
 特別展示は「水晶の文化と科学」です。
 石の趣味は、「瑪瑙から始まり瑪瑙に終わる」と言われていますが、石英の結晶体(玉随)で、色も透明度も文様も多様な瑪瑙と同様に、水晶もまた地球上のあらゆる所から産出される、ある意味でありふれた鉱物です。
 無色透明で六角柱状の結晶形に代表される水晶ですが、「水精」とも書かれ「水玉」という別称もあります。
 
 占いに使われる傷がなくどこまでの透明な水晶の玉は、まさしく水晶のうちの水晶かもしれませんが、「山入り水晶」「草入り水晶」「針入り水晶」と名付けられた、水晶の中に水晶が畳み込まれるようにあるもの、ルチルなど多の鉱物が入り込んで味わい深いものも見逃せなません。
 
 野口三千三先生からいただいた透明でグレーの「煙水晶」のネックレースは、今の時期に必ず身につけて出かけます。それよりももっと色の濃い「黒水晶」や、昔はアメジストと呼ばれ最近では「アメシスト」と濁らない発音に変わった「紫水晶」など、透明白色ばかりが水晶の楽しさではありません。
 とりわけ初夏から夏の装飾品に、水晶は欠かせない鉱物といえるでしょう。
 
 逸品は、「ハーキマー・ダイヤ」と呼ばれる、小粒の両剣水晶が何十粒も瓶に入ってみせてくれる輝きと煌めきは、一度見たらとりこになること間違いありません。水晶なのにダイヤと呼ばれるだけのことはあります。

 そうした自然が生み出す多様性に呼応するかのように、それぞれの民族文化が、水晶との関わりを深め、物語を紡いでいる姿を見るのも興味津々です。
 
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哀悼

2012年05月29日 04時51分10秒 | Weblog
 フィッシャー・ディスカウ、吉田秀和、畑中良輔、あいついで旅立たれた。
 音楽に目覚め、音楽に浸り、音楽に満たされた日々に、この方々が常にいました。
 人は、いつか召されるのだけれど、訃報に接して鬱々とした気分は拭えない。
 こうして時代が移り、文化が変容していく。何かががらがらと崩れていく。
 この寂しさをしばらく胸に抱えていたい。
 
 しかし、感動の記憶がよみがえって、祈り、そして、ありがとう。
「記録は消える、記憶は残る」とは五木寛之さんの言葉だ。
 感動の記憶は、語り継がれ、伝えられていく。
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瑠璃も玻璃も照らせば光る

2012年05月27日 07時56分18秒 | Weblog
 昨日の朝日カルチャー「野口体操」では、このテーマで話をすすめた。
 先週から“ミネラルフェア週間”として、第25回「東京国際ミネラルフェア」の事前準備を始めている。
 いよいよ今週、6月1日から始まる。

「瑠璃も玻璃も照らせば光る」
 その意味を広辞苑にたずねれば《つまらぬ物の中に混じっていても、素質のすぐれたものは光を当てれば輝いてすぐ分る》とある。
「瑠璃」とはラピスラズリで「玻璃」とは水晶のこと。
 因みに、「水晶」、石英(quartz)、二酸化ケイ素(SiO2)が結晶してできた鉱物。六角柱状の綺麗な自然結晶。無色のものを水晶(rock crystal)と呼ぶ。石英は地殻を構成する非常に一般的な造岩鉱物で、火成岩・変成岩堆積岩のいずれにもしばしば含まれる。水晶としては花崗岩質ペグマタイト・熱水鉱床などに産出する。石英はモース高度7。ガラス光沢。条痕白色。比重2・7。蛍光なし。
 
 さて、レジュメを
※『野口体操 自然直伝 野口三千三語録』柏樹社 参照
 *「生命を遡り 石と語る」
  『無数の巨大隕石の衝突によって、原初の地球は誕生した。その後も、絶えず隕石などの宇宙物質が注ぎ込まれて地球は成長し、その地球の初期には、生命体はなかった。つまり、岩石・鉱物などの無生物から生命は生まれた。岩石・鉱物は地球型(炭素系)生命体の母であり先祖である。岩石・鉱物は地球の歴史の証人であり、化石は、地球生命の血統・系図を示している。そこで「生命を遡り石と語る」が朔る。からだは、地球物質の循環の一断面であり、岩石・鉱物もまた同じ。この物質のそれぞれは、地球四十六億年の歴史の創造に参加し、今もその創造は続いている。』野口三千三
 
 *『石 戦終わりて無為の日のみつづく。 
   石の眠りは深くして、 花落つれども、ただ、しづか、石の眠りは昏くして、雨ぬらせども、ただ沈黙(しじま)。  
   摩(さす)りつおもふ、石の夢、ほのむらさきの土の底、三檣舟(さんしゅうせん)のゆくありて みどりの波も咽(むせ)ぶらむ。  
   老鶯(おいうぐいす)の鳴く庭に、石としたしむ、ひぐれどき、生と無生のへだたりに こころ音なく沈むとき。
   石の眠りは深くして、花落つれども、ただ、しづか、石の眠りは昏くして雨ぬらせども、ただ沈黙。』
    西条八十 注:檣(ショウ・ジョウ ほばしら 帆柱)
 
 *野口体操が目指す「生命体操」の発想は、無生物と生物の間に区切りをもうけるものではない。生あるものにだけに価値をおくのではない。時間・空間を遡り、森羅万象全てが等しく関わりをもち、相互に関係を保ちながら、自然に内在する地球の息吹きを感じ取ろうとする営み。
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麦秋と石

2012年05月26日 09時07分44秒 | Weblog
 麦が色づき、日差しを受けた畑は黄金色に輝く季節。
「麦秋」と書いて、バクシュウ、むぎあきと読む。
 なぜか理由はわからないが、陰暦四月の異称だというこの言葉が、以前から好きだった。たとえば手紙の封印に「〆」ではなく「封」でもなく、季節の植物の名を記すことがあるが、とりわけこの文字「麦秋」を記すときは、気分が違う。無理矢理に野暮な理屈をつければ、「一年も半分まで過ぎてしまった。無為に過ごしたわけではないが、なんとわなしの甘い後悔の念からくる“振り返る心持ち”につく溜息がいい」のだ。
 
 九州地方はすでに麦秋の時を迎えている。梅雨に入る直前の5月下旬から6月にかけて、季節の変動が大きいときでもある。
 麦の穂が風に吹かれて、うねるように波立つ初夏の風景は、詩心をそそられる人も多かろう。
 いやいや、不調法な私は、この言葉が好きというだけで、一句も詠むことができないだけなく、麦酒の美味しさも嗜めないなんて、なんとも哀しいが。
 それはおいても、暖房も冷房もいらない季節の心地よさを、今朝から満喫している。
 
 さて、午後からの朝日カルチャーセンター「野口体操」のテーマは『瑠璃も玻璃も照らせば光る」のことわざにある「玻璃」つまり「水晶」である。
 ミネラルフェア週間は、すでに先週から始まっている。日本にも石のコレクション趣味は定着したのだろうか。
 石というと「水石」や「盆石」が最初に浮かぶ国だが。
 東京国際ミネラルフェアも今年は25回だ。野口三千三先生に導かれて、足を踏み入れた「石の世界」。
 会場のそこここに、先生の思い出が残されている。理屈なく楽しかった。

 麦秋と石。普通には何も関係はない。しかし、私の中では二つが密着して、心が揺れ遊ぶ季節である。
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金環日食と木漏れ日

2012年05月21日 18時50分48秒 | Weblog
 今朝は、なんとなくそわそわ感があった。とはいえテレビをつけたまま、朝の片付けをこなしながら、東京の金環日食の情報に耳をそばだてていた。
 はじめのうちは曇り空だったが、次第に晴れ間もみられるようだった。
 ふと見ると万年塀に、影と光が見えてきた。隣家の木の枝が我が家にかかってきて、その木漏れ日が映っているのだ。太陽が食べられていく。ちょっと欠けた状態の太陽が、何枚もの木の葉の間で揺れている。木の葉の数だけ太陽の光が形を見せてくれている。
 はじめは、信じられなかった。短い時間をおいて、万年塀を見に行った。欠け具合が微妙に変化していく。
「間違いない。金環日食の影だ」
 枝が風に揺れると、いくつもの太陽が音楽を奏でるように、右へ左へ、斜め方向へと、微妙に移ろう。
 僅かな時間だが、魂が抜かれように、その様を見ていた。
 
 気がついて、朝の仕事に戻るため、家に入った。が、間髪を置かずに、にわかに辺りが暗くなってきた。
 外が騒がしい。
 あわてて階下に降り、木戸の鍵を開けて道路に出た。
 少し離れたところで、ご近所の旦那衆が代わる代わる眼鏡をかざして、東の空を見上げている。
 
 さっと近づくと、無言で眼鏡を渡してくれた。雲が晴れて金環日食が、まさに、この時のタイミングだった。なんと運がいいのだろう!
 先ほどの木漏れ日が描く絵といい、リングの輝きといい、思いがけず見ることができたのだった。
 五分はかなり長い。次々、通りかかる知らない人にも、眼鏡を差し出し、その度に歓声があがっていた。

 新聞で読んだことだが、天文の知識がなかった庶民や兵士は、不吉な現象として恐れた。ところが宮廷に近いところにいた平家方は日食の知識を得ていたために戦いに勝つことができた、という話もあながち作り話ではなさそうだ、ということが納得がいく。

 次回、見られる保証はない。
 しばし、浮き世の憂さを忘れて、太陽が食べられる呪術といいたい現象に、時を過ごした。
 その後、大学の二限の授業が始まる前には、学生たちと「金環日食」で、話が弾んだ。
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「扁」「遍」「偏」「変」……「へん」なミーティング

2012年05月15日 09時11分27秒 | Weblog
 5月13日(日)、羽鳥の自宅で「野口体操のこれから」を考える始めてのミーティングを行った。
 参加者は、この日に暇だった私をいれて6名。
 3時間半はあっという間。入り口に立ったところで時間となった。それでも一歩前進することができたのだ。
 進行役のAさんは、自由な発言を引き出す名手で、参加された方々は教室とはひと味違った素顔(?)というか、味のある人柄がそのまま顕われて、忌憚のない意見や感想や思い入れが伝わってきた。

 誰が書いたかわからないのが原則。3分間ほどでポストイットにメモを何枚も書き、模造紙にランダムにはりつけ、大まかな範疇(分類とは異なるゆるやかな範と疇に分ける)を試みた。
 そこに漢字を当ててみた。
 内容については略すが、三つの範疇は次のようにまとまった。

1、【効ーからだ 効ーこころ、交と學】
2、【礎ー人生・仕事・生命と生活】いちばん多いメモが残された。さすが野口体操ゆえの言葉だった。
3、【扁ー「遍」と「偏」、「変」】それぞれの愚痴っぽい内容がメモされた。
 とりわけ「これからどうする?どうしたらいいのか?何ができるのか?どうにもならない!」といった羽鳥の愚痴から始まっただけに、3番目の漢字群は、出るべくして出てきたことばであった。
 この結果を受けて、漢字がもつ意味の深さに感服しつつ、ニンマリしているところだ。
 
 藤堂明保編『漢和大字典』学研によると次のような意味が連なってくる。
「扁」は、うすくたいらな名札。門口にはりつける戸籍票。戸+冊。
「遍」は、まんべんなく広がる。全体にいきわたる。
「偏」は、平にのびれば行き渡る(遍)。周辺に行き渡ると周辺は中央から離れるの意を派生する。中心から離れてかたよった意をあらわす。
「変」は、「變」で「糸」+「言」の会意文字。乱れた糸を解こうとしても解けないさま。変にもつれた意を含み、乱と同系のことば。「變」は、「戀(心を抜いた文字。パソコンにありませんでした。もつれる)」+「攴(動詞記号、積極的な行動をあらわす)」の会意文字で、不安定にもつれてかわりやすいこと。
 
 実に、肝が据わってくるよね!

 さて、最後におこなった「アイスブレーキングゲーム」。7項目設定された「自己紹介」に書きつけた紙を、別の人が読み上げながら、話を膨らませたり、突っ込みに答えたりすることで、爆笑の中にも本質が浮き上がってきた。
 とりわけKさんとOさんの名演技。見事に他人になりすまし、そのなかに本人の本音が顔をだす。失礼ながら「あなたって、そんなことを思っていたのね!」と非常に面白かった。
 というわけで、ミーティングは有意義だった。
 今回のキーワードは、「へん(變・扁・遍・偏)」とあいなりました。
(出席者以外には、わかりにくい今日のブログ内容となったこと、お許しを)
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ゲームもかわった、音楽鑑賞もかわる、その中で……

2012年05月09日 08時33分46秒 | Weblog
 DeNAやグリーに対して、消費者庁が警告を出したニュースが流れている。
 IT相手のゲームは、ゲーム会社が個人のデータを詳細に掴む仕組みになってしまった。一度ゲームにはまり込むと、あおられた射幸心は増大する。コントロールはゲーム会社に握られてしまうのだ。
 一回は僅少な金額だが、繰り返すうちに止められなくなって、気がつくと大枚をはたいているハメに陥る。
 ゲームに限らずクラウドやSNSは便利でそれを使い始めると、自分の脳の中に潜在している落とし穴に落ちるのだ。
 おそらく、対人間、人間を介して行われる何かならば、落ちる前に落とし穴に気づくこともあるだろうし、丸ごとの身体運動を伴う行為には、身体の奥から発せられる声を聞き取ることもできる。しかし脳がフル回転し指先一つの打鍵で全てが行われる行為は、危険から身をかわす身体的な制御がロックされてしまう。
 想像するに、競馬ならば、馬の美しい走りを見るだろうし、競輪ならば人間の筋肉の極限を賛美する気持ちが起こるだろうし、競艇なら水上を高速で走る際におこる水しぶきの軌跡を網膜に焼き付けることができるだろう。
 言いたいことは、まるごとの身体感覚の生な実感が呼び覚まされるなかで、射幸心が浮遊している状態になるのではないか。
 しかし、PCやスマホ等々の高機能端末の画面では、生な世界がそぎ落とされ、虚構のなかに埋没する射幸心だけが牙を剥くのだろう。(ごめんなさい。賭け事はやったことがなく、ゲーム体験もなく発言してます)

 一方、音楽の聞き方もこれからますます変化を遂げるニュースが報道された。
 英国の音楽配信会社スポッティファイが、クラウド音楽配信を日本でも近々に始めるらしい。
 1600万曲が聞き放題のサービスで、すでに始まっている米国では、月額4・99ドル、プレミアムだと9・99ドルだそうだ。日本円にして、昨日今日の為替レート79円で計算すると394・21円と789・21円になる。因みに、利用しているDropBox は約76円時に99ドルで契約したので、7500円ほどの支払いで済んだ。単純に喜べない日本経済なのに、その時のお得感はありましたね。
 それはさておき、音楽業界はこの会社の参入で危うくなり、配信業界は競争が激化する。
 
 なんともはや、手元の簡単な操作ひとつで、音楽も文学本も自然科学本も人文科学本も、世界の美術館巡りも、賭け事も、etc. お手軽に安価で楽しみ味わうことが出来る「FAST CULTURE」の時代はすでに始まってしまった。しかし、手軽さや安価さというのは、案外にくせ者なのだ。

 思い巡らせば、「初ミクだって歌姫」だが、生オーケストラバックにコンサートがひらかれ、熱狂的なファンがそこに集まり、からだを寄せあって揺れて、かけ声をかける現象は、「デジタル機器の中だけの触れ合いでは本当の触れ合いではない」、と満たされない人間最後の身体的欲求がなせることだろう。

 で、飛躍をお許しいただこう。
 この変革時、まるごとの身体に直接働きかける身体文化は、これからが真価をあらわすべき正念場にさしかかっている、と思う。
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「私が原子力に反対するわけ」小出氏のインタビュー

2012年05月07日 07時41分53秒 | Weblog
 野口三千三先生がご存命のころ、歌人で爬虫類研究家の故高田栄一さんから、月刊誌『原子力文化』が西巣鴨のご自宅に送られていた。『自然の詩』という扉のエッセーを、高田さんが連載されていたからだった。
 野口没後、替わって私の手元に届くようになって、そのまま継続されている。
 
 ところで、2012年5月号[通巻511]特別インタビューには、とうとう原発反対の小出裕章氏が登場された。内容は、他の媒体で主張されていることなので、ここに転記することはしないでおこう。

 ただ、『「トイレのないマンション」などには人はすめません。自分が生み出す核分裂生成物を無毒化できないかぎり、原子力を使うべきではありません』小出氏の言葉は重い。
「将来、無害な核分裂反応が利用できれば、原子力を使ってもいい?」のインタビュアーの質問に、こう答える。
『……すでに私たちがつくってしまった毒物が厖大にありますし、それを将来の世代に少しでも負担にならないようにしたいです。そのための専門家、研究組織は残したいと願います』
 長期にわたってやり続けなければならない重大な問題が横たわっている。
 今あるものを、どうするのか。
 一日もはやく研究者の海外流出を止めて、ちゃんと動く組織を作って、予算をつけ、処理問題研究を継続させていかなければ、島国・日本には住めなくなるのは必定。それどころか生存そのものが脅かされる。
 
 何でも、地球上に原子力の燃料となるウランはせいぜい500万トンしかなく、そのなかで核分裂するのは0・7%。石炭に比べると数十分の一の資源しかないのが現実らしい。資源を巡る争いも起こってくるだろうし、そのような資源にエネルギー依存すること自体が、はじめから無理だし未来を託すなど間違いだ、ということがインタビューから読み取れた。
 
 このような冊子で、小出氏のインタビューを掲載することの意味を、今一度深掘りしてみよう。
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肥満度チェック BMI

2012年05月06日 09時30分48秒 | Weblog
 テレビ東京の朝の情報番組に出演したことがあった。
 大きなくくりで言ってしまうと、映像に映るアナウンサーやキャスターの女性は痩せ過ぎ傾向で、映像に移らないスタッフの皆さんは太り気味傾向にあった。
 テレビは二割増、と言われように、実際よりもふくよかに映るので、痩せ気味をキープしようと努力する。その努力を怠ると、おそらく想像だが干されるのではないだろうか。

 さて、十代後半からの若者が集う大学に目を転じると、太めの学生もいれば、痩せ過ぎの学生もいる。
 女子学生に限れば、データをとったことはないが、どちらかといえば痩せ過ぎとまではいかないが、痩せている傾向がある印象を持っている。
 たとえば、授業中に、ダイエットしたい人に手を上げてもらうと、ほとんどが挙手する。同時に体を柔らかくしたい人に手を上げてもらうと同様な結果が出て来る。
 どうやら今の若い女性の一つの理想は、ほっそりとしたやせ型であってもからだは柔らかくありたい、と望んでいる傾向がみられる。
 大学で正課体育のなかで野口体操を教えるようになって10年が過ぎたが、この間にこの傾向は変わっていない。
 痩せたい願望を持つ学生を見ると、それほど肥満ではない。
 一方のからだの柔らかさを関節の稼働域が広いことだけにしぼると、まちまちの結果がでてくる。なかには本当に硬い、と言える学生もいるが、全体的には20年〜30年前の女子学生に比べたら、相当に柔らかくなっている。

 本日の朝日新聞「GLOBE」の特集は「肥満」だった。
《人類は太り続けている。10年前、14億人だった地球の「太り過ぎ」人口は、19億人に膨らんだ》
 1位ナウル、24位アメリカ、47位イギリス/ロシア、83位ドイツ、108位イタリア、120位フランスと続き日本は166位とスマートな日本という結果を出している。

 この数字をみると、遺伝子レベルで太らない体質か、あるいは健康シンドロームにかかっている人が増えて、運動をするようになっているからだろうか?真偽のほどはわからない。

 米国では貧困層ほどファストフードを食べ肥満になっている、とも聞く。
 日本でも米国のファストフード店がない町がない。ただし、日本の場合には、立ち食いそば・回転寿し・立ち食いどんぶり等々、安くて速くてお手軽な店も多く出店されている。厳密にはファーストフード店として括ることいができないとしても、和食系の選択肢も豊富にある。そもそも江戸時代の屋台などは、日本版ファストフードだ。
 
 ところで学生も気にかけるBMI(Body Mass Index)を簡単に調べられるフィトネスサイトがある。自己診断プログラムだが、懇切丁寧に教えてくれる。
 体重÷身長(m)の二乗
 打ち込んで試してみたが、なんと理想の体重に近い数字が出た。もう少し体重が増えてもよいと教えてくれた。ごくごく少しですよ!
 自分の日常を振り返ってみる。
 特別に健康に関して気にかけた暮らしはしていない。
 思い当たる節は、殆ど外食をしない暮らしを続けているからかもしれない。実は、この肥満の記事を読む前に「ファストフード」について調べていた。店一覧表を見つけて目を通したが、なんと、驚くなかれ、一軒も入店したことがなかった。
 いやー、変人か? 一般的日本人としてはかなり特殊な部類に入る、と思った次第。
 
 若い女子学生に話をするために、「肥満」、「健康」、「ダイエット」のためのフィットネス常識を検索した。思うに、痩せてる人を太らせる方が難しいじゃないのかな。
 それはさておき、ここからが野口体操の出番である。
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「おませ」と「おしゃま」、違いわかります?

2012年05月03日 05時16分23秒 | Weblog
「……とにかく、言葉って、面白いですよ」
 Y先生は顔を紅潮させて、一気に話し終えた。
「『舟を編む』ですね」
「そうそう、恋の話も上手く書けてるしね」
 某大学、4限授業前の短い休み時間に交わされた話だ。
 場所は体育館の講師控え室。
 この教授、体育の先生だが、身体と身体運動と言葉の三つ巴関係を探るうちに、“ことわざ研究”の道に入られた。
 朝の通勤電車の中で読み終えた熱気が、午後になっても覚めやらず、そのまま伝わってくる。すっかり本屋大賞第一位のこの本に、ご自身を重ねている声の調子だ。

 翌日、熱をもらった私は、雨が降り始める前に済まそうと出かけた買い物ついでに、近くの書店で手に取った。
『舟を編む』三浦しをん著 光文社刊
 手から離せなくなった。
「言海」に漕ぎだす小舟を、執念と情熱で作り上げていく物語だということは書評で知っていた。が、こんなに面白かったのか。
 言葉もイキイキ、登場人物もイキイキ。
 深刻に、重々しく、高尚に、書き上げようと思えばできる。しかし、あえてその道を捨てて、軽妙洒脱に筆をすすめていく。だからといって、言葉が貶められるわけではない。読むうちにリアルになる。読むうちに言葉への愛が芽生える。読むうちに『大渡海』辞書編集部全員、そしてその関係者にエールを送っている自分がいる。
 
 十五年かけて一冊の辞書を作る。言葉によって人が育ち、育てられた人が言葉をさらに育てていく過程を楽しく読ませてもらった。

 いやいやいや、野口三千三先生が「甲骨病だ」とおっしゃりながら、漢字の字源とやまとことばの語源の海に漕ぎだした小舟に、、、、、もしやあれは筏だったかも、、、、、とにかく二十数年の間、落ちることもなく同乗させてもらっていた時のことが甦る。
「言葉があったから、体操音痴の私でも、野口体操が続けられた。楽しかったよなぁー。」
 声を張り上げて叫びたい衝動に駆られる。

 そうだ、今、整理中の資料とその解説を本にする時は、「玄武書房」の馬締(まじめ)さんに編集をお願いしたくなったのよ〜。
 あれあれ、すっかり虚実がわからなくなってしもうた!?
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レベルを落とさずつづけることの難しさ

2012年04月27日 09時10分59秒 | Weblog
 日曜日の夜になると「龍馬伝」を思い出し、月曜日の朝になると「カーネション」を思い出す。
 そのシリーズのなかでよいものを見ると、もっともっと超えた作品を見たくなる。
 一度、ある感覚がひらかれると次には新しい感覚の扉をひらいてほしくなる。
 その点、「相棒」は、相棒が変わっても今のところ、上手くいっている。
 何かの批評で読んだが、「水戸黄門は、黄門様が変わっても継続が可能だ。しかし相棒は、水谷豊でなければならい」
 そこを逆手に取って、相棒を替えていく。やるね!

 さて、そうしたことは他人事ではない。
 授業やレッスンで内容の質を落とさず、長年参加してくれる方々に、少しでも違う感覚をひらくことで、何時も同じ動きを新鮮に見直してもらう。その種を自分のなかに植えておくことが肝心だが、そこが継続できるか出来ないかの分水嶺となる。
 楽しみ?苦しみ?気苦労?いや、ピタッとはまった時は、快感をともなう楽しみ、である。

「使命感・悲壮感のない遺言としての授業」と自ら掲げた野口先生の晩年は、ある意味でお幸せだったに違いない。私たちはいい授業に出会うことができた。
 この授業、消えていくところに面白さがあった。毎回がスリリングだったのだ。

 いずれにしても、継続とは力なり。
 幸せな時も、楽しい時も、苦しい時も、困惑の時も、そのことにひたって続けていく、ただそれだけ!と得心した。
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時は命なり……時計遺伝子の発見から

2012年04月24日 08時28分00秒 | Weblog
 昨晩、7時30分からのNHK「クローズアップ・現代」で放送された内容は、本川達雄『生物学的文明論』とリンクするものだった。
 人間のからだをつくる60兆の細胞、ひとつ一つに「時間遺伝子」が存在することが発見された。そこから「リウマチ」「癌」「メタボリックシンドローム」等々の治療に、画期的な効果が得られるというリポートだった。

 それは「時間治療」と呼ばれるもので、たとえば抗がん剤を投与する時間を深夜に行うと、驚くほどの効果が現れた。
 また、「リウマチ」の薬の服用時間を、就寝前の21時に設定する、昼間に服用した場合とは雲泥の差ほどの効果が得られた、という。

 細胞の中では、それぞれに異なるリズムが刻まれ、各々の時間遺伝子を上手く利用することで、薬が有効に働くことが実証されつつある。アメリカやフランスはもとより、すでに国内でも臨床で応用されているらしい。
 体内で作られるステロイドホルモンや、白血球に対して有効に働き、免疫力を高めることが可能ということだった。

 肝臓癌の治療に、この方法をとって手術不可能な大きな癌を小さくし、手術に踏み切ることができた日本人男性の元気な姿とインタビューが印象的だった。
 突き詰めれば、どの癌にも効果があるわけではなさそうだ。どんな病気にも効く万能薬でもなさそうだ。しかし、効果が明らかにある病もある。

 他には、夜勤などの不規則な時間帯で仕事を行う人々に対して、体内時計を大きく狂わせないために、深夜に二時間ほどの仮眠を取ってもらことで、体内時計の微調整を行うことも有効に働くらしいことも報告されていた。

 最後に、「体内時計を正常に近く保つにはどうしたらいいのでしょう」という質問に「しっかり朝食をとって、光を見ること」と、話の内容の重さにしては、思わず肩の力が抜けてしまうような答えが返ってきた。
 しかし、この当たり前のことがいちばん大事だ。それが出来ないのが現状だ。忙しく不規則な生活を強いられる現代人の現実が浮き彫りになった。

 外部環境には、自然環境・人工環境があり、身体の内部環境にはこの体内時計の働きが深く関わる。
「時間遺伝子」の存在が、これから研究対象として、今よりも多く脚光を浴びる機会が増えることは間違いない。
 本川さんは「時間環境」の大切さを説く。
 グローバル化の時代に、生物のリズムと社会のリズムの齟齬をどのように埋めていくのだろう。一生の生き方の価値観を、生活や暮らし方と照らし合わせて、「時間環境」を視野に入れ、覚悟を決めて選択を迫られる時代が、そこまでやって来ている。知らなければ知らないで済んだかもしれないが、ということはもう言えない。
 
 そしてリタイアしたら家庭に社会の時間環境を持ち込むな!とおっしゃるが、この言葉は重すぎる。バランスが上手くとれる閾値をすでに超えてしまった社会を、人間は作り上げてしまっているのだから。
 すでに生きものとして生を全うすることと、社会的存在として生きようとすることと、二者択一の問題ではなくなっていることだけは確かである。

 別件だが、「グローバル化時代に秋入学だ!いや春のままだ」という議論が、虚しく聞こえる。
 これからの若者に安全な生をどのように担保してあげるのか、という根本的な問題を孕んでいることは間違いない。
 60兆の細胞が真っ当に気持ちよく時を刻む生を生きることは、もはや無理な相談なのだろうか。
 文明と文化の違いが失われていく現代だ、と言われるようになって久しい。が、全てが文明に集約されるとしたら、人間の命を蝕む方向へと突き進むことになるのだろう。たとえ文明の中で生きざるを得ないとしても、身の丈にあった地域文化の見直しをすることで、生命としての体内時計のネジをもう一度巻き直すことができる生活の有り様を、本気で考えなければなるまい、と思う。

 とにもかくにも、ファストフード店(ファミレスの聞き違いかもしれませんが)で食事をとっただけで、真夜中無免許で、しかも友達を乗せて、当てもなく車を乗り回す。朝になって襲われる睡魔の瞬間に、人の命を奪う若者の出現は、悔やんでも悔やみきれない。
 そういう社会を作ったのは、私たち大人の世代だということを重く受け止めよう。
 時は金なり、ではなく「時は命なり」。
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割れ窓理論

2012年04月23日 14時32分32秒 | Weblog
 先週末、環状七号線の高円寺陸橋・中央分離帯に位置する橋脚の落書きを消すボランティアを行った。
 仕事の都合で休みがちだが、時々参加している「防犯パトロール」の一環の活動だった。
 午後2時過ぎの時間帯、環七の交通量は、途切れなく自動車が走っていたなかでの作業だ。
 
 集合場所の駅前広場で、警察所長の挨拶やら、防犯課長のお話やら、街の防犯係の挨拶やら、災害時「解けないヒモの結び方講習」等、一連の出発式の内容が終わってから、それそれ班に分かれて活動する。
 私はといえば、いつの間にか「落書き消し隊」の仲間に加えられてお供した。
 現地に到着すると、警察の防犯係の男女が「警視庁」と書かれた赤いジャンパーを身につけて、しっかり用意してあった道具を次々に手渡してくれた。
 使い捨て手袋、マスク、ぼろ切れ、無害と称するシンナー入り液体噴霧ボトル、持ち手のついた金属ヘラである。
 鉄製の橋脚の数本全ての四面に、大きく落書きがされている。
 消し方の手順はこうだ。
 まず液体をかけ、ラップで覆い、しばらく待ってから金属ヘラで擦り取る。
 相当な力を入れてそぎ落とすので、塗料までも剥がすことになった。かなり厚塗り塗料なので、地肌がでるほどではないとしても、消すほどに、絶対に落書きは許さない、という気分になってくる。
 
 さて、そばでは制服を着た防犯課長さんが、笛をふいて交通整理を行いながら私たちの安全を確保してくれている。ひっきりなしの車の騒音のなかでも聞こえる笛だから、その音の鋭さといったらない。音量よりも音の高さが、騒音にかき消されない高いピッチだ。
 そこには横断歩道と信号機もある。場所は狭く、消し隊の人数が多いので、自転車や歩行者の通行の邪魔になる。当然、自動車以外の交通整理もなくてはならない、ということが次第に理解できた。

 民間人の集まりである「防犯パトロール隊」のメンバーが10名ほど。警察関係者も10名ほど。私たちの行動を見ていた若者が、いつの間にか仲間に加わっていた。
 それぞれが持ち場を決めて、30分〜40分ほどの時間をかけて、排気ガスと騒音のなかで「落書き消し」を行ったわけだ。
 帰りの道々、その気になって街の中を見回せば、あちこちに落書きが残されている。つまり、消しきれないのが実情だ。

 こうした活動は、ジュリアーニ元ニューヨーク市長が始めて有名になった「割れ窓理論」の実践。
 NY市内で多発していた凶悪犯罪を撲滅するために、小さな問題から率先して解決することで犯罪を抑止するというもの。落書き、未成年者の喫煙、万引き、無賃飲食等々を減らしていく。とりわけ街が綺麗になると落書きが減ることがよく知られていることだ。

 因みに、ジュリアーニ市長は次のような仕事で成果を上げた。ウィキペディアから一部を引用してみよう。
《1993年、再び市長選に立候補し、前回敗れた現職のディンキンズを破り当選。治安の回復を目標に掲げ、ニューヨーク市警のトップにウィリアム・ブラットンを据え、割れ窓理論を用いて犯罪率の減少に取り組んだ。RICO法に基づき、マフィアのトップを重点的に取り締まった。検事の時代から、まずイタリアン・マフィアをターゲットにしてトップ達を逮捕、そのあと、その代わりに台頭してきた中国、ベトナム、カンボジア、イラン等のマフィアを各国別に対策を練り、頂上作戦を展開して大きな成果を上げた。警官を大幅に増やし、マフィアの温床となるSEXビジネスの撲滅作戦に乗り出すなど様々な手を打ち、ニューヨークの安全化に務めた。汚職警官を次々と告発、追放するなど、一時はマフィアより汚いと言われていた警官の規律を正した。そのうえで、各辻には警官が立つようになり、さらにハーレムの名物、出店も一掃。風紀を正すため、ところどころで火を噴いていたタクシーは新型車両に交換。実際に犯罪率を半減させ、全国水準より低く抑えることに成功したことから、その目標は一般には達成されたと評価されている。これにより、ニューヨーク市は全米でも最も安全な大都市となったといわれ、ニューヨーク市を浄化した市長として名声を博した。なおギネスブックにおいても「最も多く犯罪率を削減させた市長」としてノミネートされている。》
 読んでみると凄い人だ、ということがわかる。賛否があるらしいが。

 そのような大それた問題解決の一翼を担うわけでは全くない。
 気がついたら「街を綺麗にする!」、短い時間の活動に参加していただけだ。が、しかし、そこから得たことは、犯罪抑止でもなく、内容の質も桁違いの東北被災地でのボランティア活動がいかに大変なことであったのか、頭が下がる思いが沸き上ったことだった。
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日経新聞「路上から」

2012年04月18日 09時28分24秒 | Weblog
 日経新聞朝刊(文化)、4月17日から始まった「路上から 日本の近現代写真 十選 作家 大竹昭子」の第一回目は永井荷風 私家版「おもかげ」(昭和13年刊行)からの一枚だった。
 浅草山谷堀で撮られたらしい。写真手前に電柱があり、そこには「地方橋診療所」と書かれた文字がすぐにも目に入った。文章を読んでみると、選者の方も同様だったことが読み取れた。
 看板の文字は、手書きで、硬くもなく柔らかくもなく、のびのびした迫力ある書体。
 地方橋とは「じかたばし」と読む、とある。踊りの地方さんが多く住んでいたのだろう、と想像しておられる。
 
 夜景のなかに屋台らしきものと男性が一人シルエットとして浮かんでいる。
 荷風らしいなぁ〜、と思わせる一枚である。
 戦争で焼け落ちた麻布・偏奇館には、暗室が設けられていた、というからスケッチだけでなく、写真にも相当なセンスと力量の持ち主だったことがわかる。
 日和下駄の音が聞こえ、気ままに散歩する荷風の後ろ姿が写真のこちら側に見え隠れする。

 一時期だが荷風の妻だった藤蔭静枝に日本舞踊を習った私は、そうした興味から全集を読んだことがある。
 はじめて見たこの写真に、荷風のもう一つの技を思い知った感慨がある。

《路上には貧富の差も職業も関係なく、さまざまな人間が行き交う。……カメラを手にすれば路上に出たくなり、街歩きをすればその手にカメラを握りたくなる。まことに路上と写真は相性がよい》
 そうだろうな。
 あいにくカメラの趣味のない私だが、せめてウォーキング・シューズを履いて東京の街歩きを楽しんでみたい。
 ちょうど良い季節となりました。
 
 
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