羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

柘植伊佐夫さんの力量みたり! 崇徳上皇

2012年07月30日 09時21分12秒 | Weblog
 昨晩のこと、大河ドラマは「平家納経」ということなので、ぜひ見たかった。
 ずっと待った。
 待つ間に他局のドラマを見たり、柔道を見たり、競泳を見たり、……。
「平清盛」は、2時間遅れでやっと放送された。
 
 源氏の頭領義朝の最期もよかったが、崇徳上皇の人物デザインに柘植伊佐夫さんの力量みたり!柘植さんがドラマを掘り下げていく力の奥には、日本人には珍しいことだが、哲学観と宗教観を個人としてしっかりお持ちの方だ、と得心した。でなければ単なるグロテスクで終わってしまう。今回は、「平家納経」が生まれた一つの答えを出してくれた、と思う。

 とにかく「生霊の形相」は凄かった。怨霊となってさまよう魂の表現は、この物語のメインテーマだ、ということを気づかせてくれた。怨霊の能面は生身の人間の深層を抉りとったものだった。
 映画館ではなく、家庭のテレビ画面に映し出されるという条件のなかで、半端を排除し、徹底的に描ききった。
 しかし、そこで終われば深さはない。上皇が息を引き取る前に一瞬感見せた穏やかな顔が、地上に許しをもたらし、上皇が成仏したことを暗示し、カタルシスを見るものに与える。
 ギリシャ悲劇しかり、受難劇しかり。
 
 つまり、大きく歴史をかえるエネルギーは、個々人のおぞましい心の濁流が、一所に集まって起こることであると知ったシーンだった。井浦新という俳優が、脱皮したシーンでもあったろう。
 圧巻でした。
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夜の海とf分の一の風

2012年07月29日 08時51分11秒 | Weblog
 懐中電灯の灯りをたよりに海辺を歩く。
 遠くに灯台があるようだ。海面を照らす一条の光は、岬の位置を知らせている。
 昼間は青い海と大空の碧さが、水平線で溶け合っていく様を見ていた。
 薄らぐ覚醒感のなかでも「人は何処から来て何処にいくのだろう」などと思う気持ちが誘い出される。それは不安であり、神秘でもある。しかし、夏の太陽の下では、そうした不安も神秘もあっという間にかき消されて、波に身を任せゆらゆらと漂い、砂に腹這いになってジリジリと焼ける背中に「生」を実感するのだった。

 なのに夜の海は何も見えない。
 岬の灯台。離れた町の灯火。ここにいる自分には全く関係がない光のように思える。
 そこに海が迫っていると知らされるのは、磯の匂いと寄せてはかえす波の音だけ。視覚は失っている。聴覚と嗅覚だけが頼りで、砂浜を歩き続けた。

 その音を聞きながら、微睡みはいつしか熟睡となっていった。

 真夜中に目が覚めた。
「真っ暗闇のなか波打ち際を歩いていたんじゃなかったの!」
 
 夏はかならず海に行った。それがいつしか出かけることもなくなって久しい。久しいなんて言葉では表せないほど、長い時間、海に佇むことは失われていった。
 なのにこの夢を見た。
 思い当たる節がある。

 昨年、扇風機が壊れて、新しいものに換えたが、今年になって本格的に使い始めた。
 就寝前に、まず冷房で部屋の温度を下げ、床につく時には冷房を切って、枕元から三メーター弱離れたところにおいた扇風機をかけて寝付くようになった。もちろん“切”のタイマーをセットして安心して寝りにつく。

 使いはじめて数日たって、気づいたことがある。
「この扇風機のモーター音はとても静かだ」
「左右に首を振って、送られる風がランダムだ」
「なぜ?」
 風の吹き具合に強弱があって、その都度、空気を切る音に変化が起きている。

。。。。。。。。あたしは、波の音をきいているの?。。。。。。。。。

 まさか、モーター音? いや 風の音かしら

。。。。。。。。そんなことはどっちでもいい。。。。。。。。。。。。

 しげしげと扇風機を見た。というより書かれている文字を読んだ。
“f分の一”の文字を見つけた。
 なるほど。
 昔に流行った「f分に一のゆらぎ」設定だったことに気づく。
 その音が海の波の心地よい記憶を甦らせてくれていたのだ。
「脳って騙されやすい」と思った。しかし、不快ではなかった。
 
 夜中に背中から首にかけての暑さで目覚めると、扇風機をかける習慣がついてしまった。
 寄せてはかえす波を音を聞きながら、再び、眠りにつく気持ちよさは格別と思えるのは、私って日本人かな!?
 どうやら“マイナスイオン”設定もついている。
 ここにも日本のガラパゴスを発見した。
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国民年金手帳

2012年07月26日 18時44分34秒 | Weblog
 60歳で国民年金の払い込みが終わるとおもっていたら、3年分が足らなかった。そこで任意加入して63歳まで払い込んでいた。
 今年5月に「加入期間終了」と「加入月数」の通知を受け取っていた。
 ところが「年金手帳」がないことに、一昨日になって気づき、慌てて年金事務所に電話を入れた。
 答えは、その通知と身分証明になるものとキャッシュカードを持参すれば、すぐにも再発行できる、ということだった。
 我が家から15分ほどの所にその事務所はある。さっそく出かけていって、あっという間に「年金手帳」を手に入れることができた。

 いくら思い出しても、見覚えがないものだった。
 平成9年1月1日付けの「基礎年金番号通知書」は、大事に保管してあった。
 なのに「年金手帳」がない筈がなかった。???????というわけだ。

 正直なところ今年から払い込む必要がなくなった、と思うと何となくホッとした。
 ただし「国民年金基金」の方は、60歳までしかかけられないのいで、既に終了している。

 後は65歳になるまで待てばよい。
 いつの間にか、この歳まで生きてきた感慨にも同時に浸っている。
 一日、一日を大事に生きたいものという月並みな感想しかないが、それってもしかすると凄く大変なことかもしれない。
 おかげさまで、4クラスの成績も提出し、ちくま文庫に入る『マッサージから始める野口体操』の一回目のゲラ校正も終わった。シェークスピア劇の稽古につきあう日程も決まってきた。
 その合間に、秋の仕事や授業の打ち合わせをこなしている。
 こんなに充実した60代を過ごせるとは予想だにしていなかった。
 ありがたいことです。
 
 ピッカピカの「年金手帳」を金庫にしまった。
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Webのセキュリティーの進歩と……

2012年07月22日 18時52分52秒 | Weblog
 今年から一つの大学では、成績提出をWeb上でするようになった。
 それだけでなく、履修者名簿もWebから取り寄せる。
 それだけではなく、シラバスはWeb上で書くようになって、すでに数年が経過している。

 本日、二重の鍵がかかっている成績管理サイトまで入って、無事に提出できた。
 やらないうちは紙に戻してほしいと思っていたが、何のことはない、済ませてみればこちらの方が比較にならないくらいに楽だった。
 
 思えば本一冊分の原稿をメール添付で送信するようになって、すでに10年近い歳月が流れた。
 大学から紙が消えても不思議はない。セキュリティーがようやく整って本格始動したということだ。

 そんな折に午後になってある企業から、重要な書類がメール添付ファイルで送られてきた。
 こちらはPDFなのだけれど、鍵がしっかりかかっていて、セキュリティーが守られている。
 PCに保存するとプリントが出来る仕掛けになっていた。
 この書類も開くたびにIDとパスワードを入力する、という点では大学の名簿・成績管理と同様な仕組みになっているようだ。
 
 郵便物が極めて少なくなって、何年になるだろう。
 世の中変わった。私も変わった。
 昨年の正月から春にかけて一気にMac化したことで、乗り遅れずにいられるようだ。
 いやはやこれでいいのかなぁ~?

 野口体操の資料はデジタル化しているが、電子書籍にはまだ馴染めなくて、本を手にしているのが現状だ。
 大切な手紙はPCで打ったものを手書きにして差し上げている。

 というわけで多様な在り方に何とかついていっている昨今である。
 そうだ、もう一つPCがらみのことがあった。
 実は、昨日のこと朝日カルチャーにいく前に、Mac用の「リモートポイント・ナビゲーター」、つまりリモコンでKeyNoteの画面を送ったり戻したりするプレゼンテーション用のリモコンをヨドバシカメラで購入した。
 今朝方、頭が冴えているうちに付属のUSBで初期設定を行い、こちらも無事に使用できるようになった。

 その都度、はじめはドキドキものである。それでも上手くいくとちょっと嬉しい、と感じるから捨てたものではなさそうだ。
 何時までついていけるやら? 将来を案じてもはじまらない。
 先のことは考えず、今日を生きるしかない、と得心した。

 とにもかくにも、何事も必要に迫られなければやらない性質の「自分ハッケン」の連続である。
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「梅ちゃん先生」

2012年07月21日 08時16分51秒 | Weblog
「カーネション」が終わって、4月からの朝の連続小説は見ないことにしていた。
 しかし、ごく最近になってときどき見るようになっていた。
「学芸会だ!」と悪口をいいながら。
 
 今日は、その学芸会を超えてよい内容だった。
 なんだか9月まで見てしまうような予感がしている、あぁ~あ。
「貶(けな)すは野暮」とは、よく言ったものだ。(反省)
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ブラボー

2012年07月20日 08時23分50秒 | Weblog
 音楽は「音を楽しむ」もの。哲学的な意味はあるのかも知れないけれどピアノを壊す表現をする前衛音楽家よりも、私はこのメンバーの発想の方が好きだ。
 
 あらゆるところで階層的に組織化された「いじめ問題」が報道されているけれど、「ものへの愛情」「人への愛情」「想像・創造への愛情」、それも限りないユーモアと、限りないまじめさと、限りないあたたかさがあって、楽しむこと!こうした人間の文化をもっと日常的に楽しめたらちがってくるだろうな~。
 そうすればすべて解決するとは思わないけれど、何人かは変わってくれるかも?
 世の中、そんなに甘いもんじゃない、と言われそうだけど、信じたいね。
 ピアノにかぎらずいろいろな表現のなかにこうした質の楽しさがある筈。
 これも一つの「なぜ人は芸術表現を求めるのか」の答えではないだろうか。

 Facebookで見つけました。聞きました。ブラボー!

 
 
 
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サイエンス・スクエア

2012年07月19日 09時05分39秒 | Weblog
 定年退職した隣家のご主人は、国立科学博物館のボランティアをしている。
 昨日、防犯パトロールでご一緒した際に、夏休みの行事一覧表をもらった。
『サイエンス・スクエア 2012科学と遊ぶ夏休み!』
7月24日(火)~8月19日(日)国立科学博物館 日本館1階・企画展示室/日本館2階・講堂

 全部で65種類の体験をしながら楽しむセッションが企画されている。
 たとえば「瑠璃色の石 ラピスラズリを磨いてブローチを造る」「いろいろな砂」「ガリレオ温度計をつくろう」等々、ちょっとひろっただけでも目を引くものがある。

 なかでも「いろいろな砂」は、東京国際ミネラルフェア「野口三千三記念コーナー」で、私たちが企画・提供して大好評を博した。小学生はじめ大人までコーナーをぐるっと取り巻いて、一番多い時には5日間の間に千人の人が楽しみ、なかでも科学博物館のボランティアをまとめておられた神戸先生はいたく感動されて、科学博物館でもやってみようということになった経緯がある。かれこれ十数年の時が過ぎた。今年は二つの楽しみを提供するらしい。
(1)砂の標本作りーいろいろな場所の砂を観察して標本を作ろう!
(2)砂絵作りーフタバスズキリュウやアンモナイトの砂絵を作ろう!

 当方、元祖(?)としては、いまだに続いて子どもたちに楽しみを分け与えてもらえることはとても嬉しい。
 双眼実体顕微鏡で「砂」を観ると、誰でもが世界の砂の多様性に驚き、それがそのまま地球の岩石・鉱物の豊かさを見せてくれる感動に誰でもがむせび泣く!(?)のである。

 とにかく科学を楽しく体験できる企画は、夏休みの自由研究の宝庫である。
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「吸うは易し吐くは難し」呼吸もバランスが大切

2012年07月17日 08時31分10秒 | Weblog
 昨日は「海の日」だったが、月曜日の授業は休みにはならなかった。
 さすがに往復の電車には、親御さんに手を引かれた幼児から小学生たち、いつもは乗り合わせない子どもたちに出会った。

 さて、演劇学専攻で芝居に携わっている学生が8割のクラスで、「呼吸」について話してほしいという希望があったので、テスト前の1コマをそれに当てた。
 もちろん「三木成夫比較形態学」も話に織り込ませていただいた。
 朝日カルチャー土曜日クラスの「浮沈子づくり」以来、ずっと追っている話が中心だ。
 先週の土曜日クラスはなぜか収拾がつかない状態で、板書したことも扱えずに終わってしまった。
 しかし、それぞれの自由な発言と行動で、いくつかの大切なことを引き出すことができた。

 そのことも含めて、実技から入って日常的な問題を掘り起こし、三木比較形態学で話をまとめることができた。
 授業では箇条書きのレジュメといくつかのイラストを添えて手渡してきた。
 図の1は「サメの鰓の内臓筋が陸上の動物(ヒト)では咀嚼・表情・嚥下・発声の筋肉に変身している」
 図の2は「脊椎動物の上陸にともなって胸郭が出来上がっていく。魚類(古生代)から哺乳類(新生代)までの進化」
 図の3は「ヒトの吸入筋+呼出筋」+「横隔膜と首の前壁、その神経支配の新和性」
 等々であった。
 この一連の図を見せながら説明をしていくと大変話しやすいことに気づかされた。

 呼吸にとってもバランスが大事という話には、なるほど!と感じ入っていただけに、学生に話す言葉にも熱が入った、と自分自身で感じている。
 その中の典型的な話を一つここに書いておきたい。
 仕事に追われ忙しい日々を暮らすうちに呼吸が浅くなったり、息はしているが弱すぎてむしろ息をすることを放棄してしまったような状態まで追い込まれている人の呼吸は、慢性呼吸不全つまり酸欠状態が静かに進行していることになる、という話。
 
 一方ではともかく息はしているが吐く息と吸う息のバランスがまったくとれていない状態まで“息詰まり”に追い込まれている人の呼吸がある。呼と吸のリズムのいびつさが要因となっている。
 吸ってばかりで吐くことを忘れてしまい肺には次第に空気がパンパンに詰まってくる。すると息は詰まって最後は大きな溜息をつくしかない状態に追い込まれる。文字通り「息抜き」をする必要がある。
 三木先生曰く「どんなに好きで始めた仕事でも、ひとたびこの息切れ、息詰まりの方向をとりだすと、それはもう辛い苦しい労働となり、これが慢性化すれば、もはや“息つく暇もない”毎日が続くことになる」

 実は横隔膜は新生代の哺乳類から獲得された「吸う専門の筋肉」で、首の前壁から筋をはがして肺の底まで引くずりおろされた膜状の筋肉(骨格筋)で随意筋である、という。パラシュートのような形という表現が非常にイメージを豊かに膨らませてくれる。
 で、パラシュートの傘は、胸郭部の底をびしっとふさぐことになった。横隔膜の神経はその出自の関係から「鵜匠の操る綱」(三木)のように、筋肉にくっついたまま胸腔の中を下っていった、という。
 何事かことを構え肩肘張った時には首の筋肉といっしょに横隔膜も収縮する。これで酸素を容易く手に入れることができるメカニズムになっている。しかし、これが息詰まりの状態をつくりだしてしまう原因となる。つまり息が入ってくるばかりで吐くことが難しくなっていく方向をたどる。
 
 ここで考えてみると、空気をたくさん吸い込めることはいいことだ、という誤解をしていないだろうか。腹式呼吸をして腹がぶーっと大きく膨らむこととそれだけ吸う力があってたくさん仕事ができる、と考えているのでないだろうか。間違ってはいない。しかし、もう一つ大事なことは、徹底的に息が吐けることが出来ないとバランスが悪いのである。
「吸うは易し吐くは難し」
 横隔膜は吸うこと専門の筋肉である。しかし、私たちは吐くこと専門の筋肉を持っていない。そこで吐く時に兼用されるのが「腹筋群」である。
 休養以外に息を吐くことは出来なくなっている、と考えることも出来る。従って仕事をしたら息抜きの「レジャー(昔はやりました)」が大事という考え方だ。これも間違ってはない。
 しかし、野口三千三先生がおっしゃった。
「仕事の中に遊び(息抜き)があり、遊びの中に仕事がある」
 この言葉の裏付けは、この横隔膜呼吸の宿命と対峙するという深い意味があったのだ!
 いや、実に面白い。
 
 それで思い出すのは、坐禅を行う禅僧の腹筋が強かったことだ。坐禅はもちろん腹式呼吸(横隔膜式呼吸)を行っている。何となくのイメージとして横隔膜に意識が向かう。しかし、息を吐き切ることも吸うことど同じ比重で大事なのだ。とりわけ「すっと一瞬にして吸って、あとは細く長く吐き続けられること」が求められる。息を保ちつつゆっくり丁寧に“時”に身を任せて、静かに吐き続けるのが坐禅だ、といってもよいかもしれない。

 専業の筋肉(横隔膜筋)を伴う吸気が呼気にまさるため、吐くことをもっと大切にしなければバランスがとれないのが実体なのだ。そのことに気づかない場合が多い。
 緊張後の「溜息」、「息をのむ行為」は、このことと密接な関係があった。

 腹式呼吸についてまとめると「吸う息(横隔膜筋)」と「吐く息(腹筋)」の働き方のバランスのよさを求めることこそ「呼吸の極意」に到達する道なのだということを、今回、ある方の呼吸の仕方と体の在り方を丁寧にみせていただき気づかせてもらった。

 息は吐き切って、あとは緩めればいい。この緩められてすっと入ってくる息の気持ちよさが、生きる快感の基本感覚だとつくづく思った。
 そばにいる人を驚かすほど大きくつく溜息は本人にとっては大事だが、そこまで「息詰まり」を起こさない生き方(息方)って、ないんだろうか?
「原初生命体としての呼吸」は、そんな境地を求めているのに違いない。
 因みに、読んだだけでは伝えきれない、実技が伴ってはじめて一歩踏み出せる、とうことを感じています。
 
 推敲せずにアップします。
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「呼吸」を理解するために

2012年07月15日 09時02分54秒 | Weblog
 このところ朝日カルチャーセンター「野口体操講座」では、芸大の三木成夫先生の「比較形態学」から、「呼吸の来歴」部分を抽出して、すすめさせて戴いている。
 ただ、この話を理解していただくためには、一つは「地学古生物学」の基礎知識が前提となっている。
 そして参考資料として『生物学的文系論』本川達雄著 新潮新書423を昨日は取り上げた。第五章「生物の形と意味」96~116㌻。そこを読むと野口のことばが意味するところが深いことに気づく。
「存在の基本形は球である」
「一枚の革袋のなかに液体がいっぱい。その中に筋肉も骨も内臓も脳も浮かんでいる」というイメージから「寝にょろ」を味わう野口体操の基本感覚の大切さを再認識しているところだ。

 板書できなかった分も含めてここに貼付けます。

2012年7月14日(土)朝日カルチャー 球から円柱へ 

※生きものの形について『生物学的文明論』本川達雄著より覚え書き
■「小さくすればするほど大きくなる。からだの中身を小さく細かく分ければ分けるほど表面積・接触面は大きくなり、つながり方は多くなる。そして働きが盛んになり反応が促進され、動きが肌理細かく自由多様になり活性化する。」野口三千三

※存在の基本形は「球」である。
※膜(界面)に包まれた単細胞生物が海の中に出現した。それから生ものは「円柱形(円筒形)」を獲得する進化を遂げた。

以下、106~114㌻抜き書き

*多細胞生物に進化していく過程で初期の多細胞生物は、細胞が寄り集まった小さな塊(球形)をしていた。そこを出発点としてだんだんに大きな体を持ったものが生まれてきた。
*新機能を獲得していく過程で、新たなタンパク質や新たな種類の細胞が必要となる。それを容れるスペースが必要となる。
球体は一番強い形だがそのままでは不都合が生じる。1、表面面積と体積の関係がかかわってくる。大きさは違うが同じ形をしたものを比較してみる。小さい方に比べて表面積が4倍、体積は8倍になる。面積は長さの二乗、体積は長さの三乗。大きいものほど相対的に表面積は小さくなり、体積あたりの表面積に比べれば、長さが二倍の表面積は、半分しかない。
*体積は生物の組織量に対応する。体が大きくなればなるほど、組織量に比べて表面積が小さくなる。
*内部には生きた組織がたくさん詰まっているのに、それを養うための食物や酸素の入るべき表面が小さくなることが問題。
*つまり生きものにとって表面積を確保することは死活問題に関わってくる。
*サイズの増大に伴う表面積の割合の低下をいかに抑えるのか、が大問題となった。
*より速く泳ぐためには、動物には体を平たくして表面積の問題を解決するのは良いやり方ではない。そこで球から変形して、強さを保ちながら表面積を確保するには、丸い断面のまま細長くなること、つまり「円柱形(円筒形)だった。先を細くし後ろも細くすれば流線型になって水の抵抗を小さくできる。体をくねらせて波のように泳ぐ。速く泳ぐために筋肉や神経を配置する。
*前面は未知の環境に接するところ。したがって前方に感覚器官を持って来くる。小さな情報を処理するには脳の場所も決まって来る。
*光は上から入り、重力は下方に働くことから、腹と背の区別が生じる。
*前を入り口、後ろを出口にしてやる。
*無脊椎動物は体の中央の体腔に水を詰め込んで背骨の代わりにしている。
*さらに速く泳ぐためには、体をしっかり支え、より強力に水を押すために、体の中心に背骨が出来た。脊椎動物の始まりである。
*海から陸に生活の場を移すと、ひれではなく足を持つようになる。その足は長い方がよい。ただ長いだけでは折れやすいので、ここでも円柱形であることで強さを確保する。断面が丸いと飛んだりはねたりして、どの方向から力が加わっても曲がらずひしゃげず、しっかりと硬く変形しにくい。中を中空にすれば軽くて強い構造を持つ。
*体壁という革袋の中に水を詰め込んだものが動物の体だ。内部から水圧がかかっている風船のようなもの。角があると角の部分に余計な力が加わって破裂する可能性が高くなるからだ。
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故三木成夫講演会音声記録

2012年07月11日 14時16分40秒 | Weblog
 このところ読み返している三木先生の声を聞くことができた。
 一昨日のこと、その知らせはサジさんからメールでもたらされた。
 1986年の講演会の記録で、音声のみである。
 しかし、「胎児の世界と生命記憶」の話が、臨場感をもって伝わって来る。途中からスライドを見せながら話をすすめているようだが、これは『胎児の世界』中公新書の「胎児の世界」107~121㌻である程度補うことができる。
 
 そして驚いたことがあった。その話の中で、取り上げられている本を、かつて読んだことがあったからだ。
 誰にもすすめられることなく、書店の棚で見つけて求めてきた本だった。
 読書傾向というのか、一つの方向で関心を持つと、同じの文脈のなかにあることには自然に関心が開かれる、ということらしい。

 一冊は『生命の起源 地球が書いたシナリオ』中沢弘基著 新日本出版社 無機界と有機界を繋ぐ粘土鉱物の話。生命は地下で誕生したー新しい地球観に基づく探求。(その時、それまで見向きもしなかった粘土鉱物を求めて手に入れた)

 他は『人は海辺で進化した』エレイン・モーガン著 望月弘子役 どうぶつ社 人類進化の新理論
   『人類の期限論争』  同上

 これらは異端の書として扱われている。しかし、三木先生の話を聞くと、必ずしも「異端」の一言で片付けられない信憑性が伝わる。千歩譲って、物語として読んでも面白い。

*******

 講演会の記録は2時間弱ありますが、時間がある時にぜひ聞いてみてください。
 今となっては非常に貴重な記録です。
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演劇と身体

2012年07月10日 09時29分41秒 | Weblog
 毎年11月に、明治大学ではシェークスピア作品を学生が上演している。
 以前にも、この公演についてブログに書いたことがある。
 学生たちが、翻訳、プロデュース、演出、俳優、全てのことを行うが、プロの劇団にも実際の公演の際には関わってもらう。
 公演が近づいたら、詳しい情報を書きたいと思っている。

 さて、文学部の体育・野口体操授業には、このプロジェクトに関わる学生が多く履修している。今年で五年目なのだが、この8月から始まる稽古には野口体操を組み入れてやってみたい、という申し出を受けた。
 というわけで、夏休み返上で指導に行く約束をして、日程を組むことになった。一日おきくらいの割合になりそうだ。
 実は、明大の演劇学の先生方にとっては、話には聞いているが幻の野口体操だったらしい。
 先日も担当の教授と面談をして、正式にお引き受けした。
 
 もともと野口三千三が新劇界に登場したのは、「ぶどうの会」と「民芸」の演出家だった故岡倉士朗氏の要請によると伺っている。
 岡倉氏とは、非常に気があって、野口も一時は「演劇と身体」について熟考し一つのジャンルを確立する意欲を持ったことがあるという。しかし、惜しいことに亡くなるのがはやすぎたのであった。
「僕の中から、演劇に関わっていく意欲が、みるみる失われてしまった。自由な感性の持ち主だった岡倉さんが亡くなった知らせを受けたときの衝撃。駆けつけて溢れる涙を止めることは出来なかった。号泣といってもいい。それ以来、泣くことはないし、誰の葬式も失礼するようになったんだ。岡倉さんのはやすぎる死がなければ、もっと深く演劇界と関わっていた、とおもうよ。人には縁というものがあるわけで……」
 その後も劇団との関係は続いたが、それまでの関わり方とは、違うあり方になっていったと伺った。
 そして1970年代後半には、演劇界からはすっかり身を引かれてしまった。
 久しぶりに、こうした経緯を思い出した。

 今年の夏は、一つのご縁として、演劇に燃える学生たちとしっかり向かい合いたいと思っている。

 
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三木成夫資料

2012年07月09日 13時52分30秒 | Weblog
 探してみると見つかるものである。
 三木資料が、数は少ないが一くくりになっていた。
 没後に出版された『現代思想』ー特集「三木成夫の世界」1994年vol.22-3によると、野口先生と真逆な身体の持ち主だったことがわかった。
 三木先生は天才的な書画の才能を少年時代にはすでに顕していたが、からだは弱く「筋骨薄弱者」として戦時中昭和18年に造られた「国民修練所」に入所させられた、という記録があった。
 ここは、徴兵検査第2乙、第3乙に属する者が、軍隊式の生活を通じて身体を鍛え兵士としての即戦力を養うための施設らしい。国民体力法によって厚生省人口局が「国民修練設置法」に基づいて、全国1300箇所に設置した。

 実は、年齢も一つ違いの手塚治虫も同様の施設に入居させられたとある。二人とも還暦を境に亡くなっていることも偶然の一致とはいえない縁を感じる。戦況の悪化が、当時、青年期を過ごした両者に、身体的にも心理的にも非常に大きな負の遺産を残したことは、想像にくしくない。しかし、それが異常なまでの生命への執着とその表現となったことも共通している。
 昭和に生まれ昭和に死んだ二人に、日本人の一つの典型を見る思いがしている。

 その点、短期現役兵として6ヶ月の軍隊体験をした野口先生は、そこは軍隊でないと悪口を言われたとはいえ、頑強な身体を持っていたことは、三木先生との出会いに微妙な心理的齟齬があっても不思議はない、と思うのは下衆勘ぐりにすぎないだろうか。

 戦時中の身体コンプレックスは、三島由紀夫も同様だったが、体力や体格に恵まれない男性の心の奥底に、癒しきれない傷を与えたことだけは間違いない。
 それぞれに質の違う「負」を抱え込んで、戦後、独創的な研究をあるいは表現をなし得たことだけは救いであることは間違いない事実だ。

 いずれにしても三木先生の国民修練所入所は、お気の毒な体験といいようがない。そういう時代だった、と言ってしまうにはあまりにも酷だが、結局のところ「生命の形態学」は、道半ばで筆を止めることになったことを知った。勿体ないことである。誰もあとは続けられまい。三木ワールドの形象は、負の体験も含めて三木ワールドなのだ。
 野口体操も戦後を真摯に生きた野口三千三一代かぎりの野口ワールドではないのか?

 次回、朝日カルチャーに、この雑誌を持っていこうと思っている。
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生命の形態学

2012年07月08日 12時39分52秒 | Weblog
 昨日の朝日カルチャーレッスンは、先週に引き続き、野口体操と「三木成夫」の生命の形態学をテーマに行った。1978年に野口先生から戴いてあった抜き刷りが探し出せたからだ。
「生命の形態学ー人体構造原論」綜合看護:1978年3月号。

[今、NO NUKES2012 USTREAM中継を聞きながら、時々見ながら書いている。
坂本龍一さんが到着して、話しはじめている。この番組は夜まで10時間放送らしい。つけっぱなしで、ながら仕事で午後を過ごそうと思っている。]

2012年7月7日(土)朝日カルチャー  野口三千三と三木成夫

※ 再び『原初生命体としての人間』第二章「原初生命体の発想」―呼吸―について、と三木成夫『海・呼吸・古代形象』。
* 連載『生命の形態学―人体構造原論―『綜合看護』抜き刷り。1978年
* 123㌻図“たまり”の頭進 栄養の“たまり”を河川の」ダムに例える、宗族発生。古生物学の年表との対比図。
* 「個体発生は系統発生を繰り返す(ヘッケル)」

[人間の呼吸]『海・呼吸・古代形象』より

* 古生代の水の中では「個体の運動」すなわち泳ぐことだけに専念してきた体壁の筋肉も、中生代の陸上ではこれが「肺の運動」すなわち「息の役目」を引き受けるようになった。
* 休みのない働きを要求される筋肉は片手までは出来なくなった。→一瞬息をのむ。息を凝らす。呼吸に専念しているときは隙間だらけである。
* つまり「動作」と「呼吸」は両立し得ない。“一息つく”のは、ひとつの動作から次の動作に移るその間に限られている。これを「間(ま)」と呼ぶ。
* 呼吸の流れが随意筋の人工ダムにせき止められ、自然の「間」が人為の「休止」にとって変わって、ついに息もつけない人生がはじまった。
* 「横隔膜」について。喉の筋肉から発生した。したがって肩と頚に連動して緊張しやすい。パラシュートの傘のような形をした膜状の筋肉。胸部の底をビッシリとふさいでいる。
* 両裾が縮むと、頂上が勢いよく沈んで、陰圧となった胸には空気が流れ込み、陽圧の腹は前に突出する。腹式呼吸の「吸気の相」である。
* 横隔膜は、本来、内臓の平滑筋ではなく、体壁をつくる骨格筋の分身である。仕事の時、それらの筋肉が活動すると一緒に収縮してその都度効率よく酸素を取り込み、うちなる燃焼を助けるように働く。吸い込み専用の筋。
* これに対して「呼気の相」では、腹筋群が収縮して腹をへこませる。胸式呼吸が混じると胸筋も加わる。腹と胸の筋肉は、もともと胴体を“くねらせ”て前進させる運動筋で、呼吸の面倒見は副業に過ぎない。「吸ううは易し吐くは難し」
* つまり吸う方には横隔膜があるが、吐く方にはこれに相当する専用筋はない。
* 太古の地殻の大移動による脊椎動物のドラマがあった。鰓呼吸が不能になって、体壁筋がかり出されたのが、この時期だった。横隔膜はやがてこの筋層から造られていく。「クビ」の前壁から筋をはがして肺の底まで引きずりおろす、離れ業。ストレスが続くと、この膜が緊張し通しとなり、休養による以外抜くことができない。
* この吐く息のなかには、横隔膜の吸い込みに打ち勝つだけの力が常にこめられている。丹田呼吸と呼ばれるこの呼吸は、赤ん坊の鳴き声やかけ声のなかに生きている。仕事歌の系譜。ヨーガ、太極拳、カラオケブームが、息抜きの作用。
* 歌う必要はなく「クビ」を正し、肩肘の力を抜いて横隔膜の余分な力をとり、歌の吐く息で手をすすめればよい。仕事に慣れるとは、この呼吸をマスターすること。
※ 学生の体型と呼吸と性格
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ロゴ・マーク

2012年07月06日 13時05分52秒 | Weblog
 野口三千三先生が亡くなった時、グラフィックデザイナー界の天皇と呼ばれている杉浦康平氏からロゴマークを戴いた。
 そこで、商標登録を行った。それが昨年で10年経過していた。
 てっきり今年の春が継続登録とばかり思い込んでいた。ところが11年目に入っていることに、正月に気づいてあわてて手続きをとることにした。前回は伯父に世話になって、殆ど自分おこなったのだが、今回は弁理士事務所を紹介してもらい。そこにお願いした。
 10年前にはインターネットによる出願制度はまだなかった。したがって承認されるまでに1年もかかった。
 それに比べて最近ではスピーディーに事が運ぶようになったらしい。
 しっかりした事務所だったこともあり、出願して半年で「商標登録証」が届けられた。
 昨日、封書を開いて証書を手にしたところ、前回よりも立派なので驚いてしまった。

 以前は図形だけだったが、今回は「図形+文字」でしっかり承認された。
 今度は平成32年6月15日が切り替え時となった。
 事務所を訪ねた折に聞いた話だが、公式ホームページの表紙に使っていることも決め手の一つになるらしい。
 当然のことに、ホームページの活動内容も調べるのだと言う。
 1998年に野口先生の四十九日に「追悼」として始めたホームページだが、三度目のリフォームを施して、次第に充実した内容になったことで、特許庁の登録原簿に登録される期間も短くなったようだ。

 ここで弁理士事務所を紹介くださった弁護士の近藤早利さん、そして野口体操公式ホームページを制作してくださっている佐治嘉隆さん、野口体操を支えてくださっている皆様お一人おひとりに、ありがとうございます。
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休筆宣言したものの……「原初生命体としての呼吸」について

2012年07月01日 07時30分07秒 | Weblog
 9月までブログ書きを休みます、と書きました。が、書くことが身に付いたらしく、やはり期間をおいても復活いたます。

 日経新聞に『原初生命体としての人間』を片桐はいりさんが取り上げてくださったことで、最近はご無沙汰していた方から新聞の切り抜きと手紙を添えた封書が届きました。
 御年86歳。ある建設会社の参与を続けておられる由。奥様もお元気で、ご夫婦そろって老後をはつらつとエンジョイされていることがわかりました。
 野口先生に指導を受けた方々が高齢化していることは確かですが、元気に人生を謳歌しているたよりは、ご年配になるほど嬉しいことです。

 昨日の朝日カルチャー土曜日クラスでは、芸大の三木成夫先生の著書から比較形態学から見た「呼吸」についての考察と、『原初生命体としての人間』第二章「原初生命体の発想」に照らして、呼吸の三つの在り方を実感していただいた。
 実は、今回の「浮沈子」づくりで、久しぶりに呼吸を見直しました。
 はじめて気づいたこと。それはこの章の44㌻~45㌻(岩波現代文庫版)に「呼吸」について書かれていたことでした。今まで読んでいた筈なのに「読んだつもり」になっていたことに愕然としました。凄いことが書かれていたのです。

 で、三木先生の考察を絡めていくと「原初生命体としての呼吸」という言葉が私の中で生まれました。
*下等動物では個々の細胞がめいめい(呼吸)行っていた。
*生物の体の構造が入り組んでくると一つの秩序を持った動きが必要とされて来る。口から吸い込まれた酸素が、消化管の特定の壁を通して血液に送られ、さらに体の中に運ばれる。
*呼吸法などで取り上げられている「胸郭式呼吸」「腹式呼吸(横隔膜式呼吸)」「片鼻呼吸」「逆腹式呼吸」等々、生きものの呼吸を遡ってイメージ体感をしてみると、さまざまな呼吸がひとつひとつ深い意味を持つことに気づかされます。
 地球の歴史、生命36億年の歴史を、この小さな体で実感する貴重な体験なのだと体が納得するのです。
 生きものは息するもの。呼吸を遡ることは命を遡ること。

 というわけで書かずにはいられませんでした。
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