2月23日の日本経済新聞を見ていたら、今度社長になる
西田さんのことが書いてあった。
私は西田さんとは6歳くらい違うのであろう。
でも、東芝にいたとき、何回か会議に同席したことがある。
歯に絹を着せない言い方で、年寄りの部長連中をバッタバッタと斬っていた。
その当時、西田さんは課長。
東芝の中にも、素晴らしい人材がいるものだと拍手を送っていた自分を覚えている。
その当時、ペイペイの私にも、優しく声をかけてくれ、話を聞いてくれた。
その後、彼はヨーロッパにある東芝現地法人の会社の社長で出て行く。
帰国するたびにお会いし、「どうですか?向こうは?」
と聞くと、必ず、笑いながら、
「私のようなものでは、なかなか、良くなりません」、
と謙虚に話してくれた。
自分の成果を鼻にかけない。
自分というものをハッキリ持っていて、
行動力が抜群。当然頭はいい。
その後、とんとん拍子に出世の道を駆け上る。
しかし、やはり、体に負担がかかったのか、
胆石で胆のうを全摘出。
その時、会ってビックリした。
随分やせていた。
その時も、笑いながら、
「いやぁ、胆のうはいらない臓器でしたよ。ははは・・・」
実はその時から、彼の人生は辛い道を走ることになる。
いいときのパソコン事業が駄目になる。
相当苦労をされたことであろう。
私は、その頃会社を退職した。
よって、東芝のことは私の頭から消えていく。
しかし、今回の人事で、私はまたまた、東芝に興味を持つようになってきた。
西田さんは若いときにイランに行き、イランの女性と結婚した。
私は、以前からイランには興味を持っていた。
そのためかどうかは知らないが、私の娘はペルシャ語専攻。
孤立したイランを何とか支援してやりたいと考え、
私は、NPO外国人と一緒に を昨年立ち上げた。
西田さん、傾きかけた東芝を再生できるのは、
あなたを置いて他にない。
良くぞ、西田さんを選んだと不思議に思う。
西田さん、頑張ってくれ。
西田さん、イランに支援の手を。
陰ながら、応援する
西田さんのことが書いてあった。
私は西田さんとは6歳くらい違うのであろう。
でも、東芝にいたとき、何回か会議に同席したことがある。
歯に絹を着せない言い方で、年寄りの部長連中をバッタバッタと斬っていた。
その当時、西田さんは課長。
東芝の中にも、素晴らしい人材がいるものだと拍手を送っていた自分を覚えている。
その当時、ペイペイの私にも、優しく声をかけてくれ、話を聞いてくれた。
その後、彼はヨーロッパにある東芝現地法人の会社の社長で出て行く。
帰国するたびにお会いし、「どうですか?向こうは?」
と聞くと、必ず、笑いながら、
「私のようなものでは、なかなか、良くなりません」、
と謙虚に話してくれた。
自分の成果を鼻にかけない。
自分というものをハッキリ持っていて、
行動力が抜群。当然頭はいい。
その後、とんとん拍子に出世の道を駆け上る。
しかし、やはり、体に負担がかかったのか、
胆石で胆のうを全摘出。
その時、会ってビックリした。
随分やせていた。
その時も、笑いながら、
「いやぁ、胆のうはいらない臓器でしたよ。ははは・・・」
実はその時から、彼の人生は辛い道を走ることになる。
いいときのパソコン事業が駄目になる。
相当苦労をされたことであろう。
私は、その頃会社を退職した。
よって、東芝のことは私の頭から消えていく。
しかし、今回の人事で、私はまたまた、東芝に興味を持つようになってきた。
西田さんは若いときにイランに行き、イランの女性と結婚した。
私は、以前からイランには興味を持っていた。
そのためかどうかは知らないが、私の娘はペルシャ語専攻。
孤立したイランを何とか支援してやりたいと考え、
私は、NPO外国人と一緒に を昨年立ち上げた。
西田さん、傾きかけた東芝を再生できるのは、
あなたを置いて他にない。
良くぞ、西田さんを選んだと不思議に思う。
西田さん、頑張ってくれ。
西田さん、イランに支援の手を。
陰ながら、応援する