福島ズボラーヌ

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大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

西善寺

2013-01-14 | ・福島:風景・建築・史跡
蜆川(曽根崎川)の跡を巡る(3)

堂浜ビルの斜め向かい、川の北岸(福島側)に西善寺という寺院があります。
以前の記事「中の天神跡」で書いた林伊織(林重次郎・早瀬伊織)のお墓があるところです。



「大阪福島ライオンズクラブ:西善寺

正式名称は「松樹山 西善寺」というのかな?
境内には古いお墓があり、その傍らに「林伊織之舊跡」と書かれた石碑がありました。
写真後ろ側に見えるのが林伊織の墓の台座部分です。
(私が見たところ、お寺の入り口付近にはそういう表示は無かったように思う。
 だから近所の人も知らないかもしれない…)



私は歌舞伎など古典芸能にはうといので
「天下茶屋仇討」「敵討天下茶屋聚」等の戯曲を全然知らなかったのですが
神社に祭られているくらいだから、かつて林伊織さんは誰もが知る有名人であり
かなり人気のある演目だったのではないでしょうか。
戦前には映画化されているし、今でも歌舞伎で上演されています。
上演前に歌舞伎役者さんがお参りに来たりするのかな?

福島天満宮に勘三郎さんや勘九郎さんが来られたのはテレビで見ましたけど。
あれは平成中村座の「夏祭浪花鑑」の時に福島天満宮の地車講社中が公演に協力したことが
きっかけでご縁が出来たと言っていたような。
(ニューヨーク公演にも参加されたんでしたっけ)
中の天神は上の天神こと福島天満宮に合祀されたので
林神社(祭神 林伊織命)も今は福島天満宮の末社になっています。
たぶん、勘三郎さん達は神社からその説明を受けていると思う。
ついでにお墓参りはしなかったのかしら。

この後もあちこち蜆川跡地周辺を散歩しましたが、
たくさんの古典芸能の舞台の地があります。
堂島と言えば、江戸時代の日本経済の中心地であり、
遊興の地として有名な堂島新地・曾根崎新地がありました。
福島区域は中之島や船場からもすぐ近く。
その昔は今の中央卸売市場付近にも芝居小屋があり
他にも小規模な遊所があったらしいので
近郊の漁村・農村と言ってもそこそこ賑やかだったのではないでしょうか。

昔の人は現代で言う映画やドラマのロケ地めぐりのように
福島のお寺や神社に参詣していたのかもしれません。



近くに古い煉瓦塀がありました。

蜆川が埋め立てられたのはキタの大火(明治42年)で発生した大量の瓦礫処理のためです。
北区空心町で火災が発生、火は西に燃え広がり、
福島区にも大きな被害をもたらしました。
手元に「古地図で大阪を歩く」(大阪人vol.66)という雑誌がありますが
それに掲載されている「大阪大火比較一覧図」を見ると、
堂島はほとんどの部分が燃えてしまったようです。
福島駅の南側の被害もひどく、火は紡績工場(今の下福島公園)の防火壁でなんとかとどまったようですが
中の天神は焼失。
逆櫓の松は明治の初めに枯れてしまい、根元だけが残っていましたが
それもこの大火で焼けてしまいました。

この火災をきっかけに煉瓦塀の防火能力があらためて認識され
市内各地に普及した、という文章を読んだことがあります。
福島区内のあちらこちらにこういう煉瓦塀が残されていますが
おそらく被害甚大だったキタの大火の教訓から作られたものでは
ないでしょうか。

西善寺
住所:大阪市福島区福島3-4-4

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※追記 2014 
昨年、お寺のホームページが出来たようです→「西善寺
お寺の歴史や『天下茶屋の仇討ち』についての詳しいお話が書かれています。
砂町(上砂町・下砂町)の記事で触れた本願寺御座船「不退丸」についても触れられています。
残念ながら、砂村新左衛門との関連については書かれていません。

※「福島区の風景・街並み

堂浜ビル(2)

2013-01-13 | ・福島:風景・建築・史跡
蜆川(曽根崎川)の跡を巡る(2)

昨秋に前を通りかかった堂浜ビルも蜆川跡沿いに建っています。
いつできた建物なのか不明ですが、たぶんこのビルが出来た頃には
すでに川は埋め立てられた後だったのではないでしょうか。



前に行った時は休日だったため、入り口シャッターが下りていました。
「もしかしたら廃墟になったのでは…」と心配しておりましたが
平日におうかがいしたところ、灯りが付いていて
人の出入りもありました。
以前の印象とは全然違い、まるでビルが生き返ったように見えました。



年末だったので、入り口にしめ縄が付いていました。
写真には取りませんでしたが、1階受付がレトロで素敵でした。



裏から見るとこんな感じです。

これからも末永く頑張ってほしいな。

「堂浜ビル」
住所:大阪市福島区福島3-1-54

※「福島区の風景・街並み

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2013.09「堂浜ビル(3)

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2014.05

昨年、解体されました。跡地にはマンションが建設中。

堂島小橋跡

2013-01-12 | ・福島:風景・建築・史跡
蜆川(曽根崎川)の跡を巡る(1)

「wikipedia:曽根崎川

蜆川はかつて堂島川に沿うように流れていた小さな河川です。
小さいけれど、「曾根崎心中」や「心中天の網島」などに登場、
古典の世界では有名な川です。

北区にある大江橋と水晶橋の間あたりから堂島川から分流し、
堂島大橋の下流でまた合流。
地図を見ると合流地点は上船津橋北詰付近のようです。
蜆川の埋立が完了したのは大正13年。
上船津橋の架橋は昭和11年、当時すでに蜆川は埋め立てられて無くなっています。

「大阪市:橋の紹介 堂島大橋
「大阪市:橋の紹介 船津橋
「大阪市:橋の紹介 上船津橋

蜆川にも橋がかけられていましたが、川の埋立と同時に姿を消しました。

蜆川の一番下流にあった橋は「堂島小橋」。
その名前の通り、堂島大橋を渡ったところにあったと思われます。
近くをうろうろしましたが、石碑などの印はありませんでした。



堂島大橋北詰、下福島公園出入り口付近。
たぶん、この辺にあったのだと思う。
大阪市HPの説明だと、大橋よりも小橋の方が先にあったということだろうか。
確かに手持ちの古地図複製(文久3年、1863年)を見ると
中之島に架けられた橋は玉江橋の下流にある橋は船津橋(舟津橋)だけです。
そして「堂島小橋」(堂嶋小バシ)は存在しています。



写真右手のベージュ色の建物は「メリヤス会館」。

そのお向かいに手島病院があります。
この病院のお隣、今は駐車場になっていますが
昔はここにも格好いい古い建物がありました。
BMWが入居していて、丸窓がアクセントになったモダンなビルだったような…。
(BMWは福島七丁目に移転しました)

メリヤス会館と手島病院の間の道が蜆川跡です。



大正13年「大阪市パノラマ地図」。
まだ蜆川が残っています。

※「福島区の風景・街並み

追記:

「大阪市HP:曽根崎川(そねざきがわ)跡碑

曽根崎川の石碑は北区曽根崎新地にあります。
大阪市のホームページの記載によると、曽根崎川の別名として
梅田川、福島川が上げられてます。
上福島村~下福島村にかけての流域では、福島川と呼ばれていたと思われます。

福島三丁目(3)

2012-12-11 | ・福島:風景・建築・史跡
メリヤス会館、堂浜ビルからさらに東へ行くと、ぽつんと小さな家が残っています。



たぶん両側に同じような建物が続いていて、3軒長屋になってたんでしょうね。

昔はこの並びにイカリソースの本社がありました。
白い四角い建物で、壁にはイカリソースのトレードマークが付いていました。
通りに面した部分は窓が少なくて閉鎖的な雰囲気でした。
元々は全館オフィスとして利用していましたが、改装し
1階で「イカリダイニング」というレストランをオープン。
入り口にかがり火を焚いていたのを覚えています。
こちらにも行くことがないままでした。
イカリソースと言えば、
日本で初めてウスターソースを製造販売したメーカーだそうですが
このレストランもソース料理のお店だったんだろうか。

色々あって、イカリソース本社は福島区内の別のビルに移転、
跡地は売却され、タワーマンションが建設されました。

写真に写っている横断歩道を渡り、本偶寺の前を通りすぎます。
この道はかつての蜆川(曾根崎川)の跡で、
お寺の前には汐津橋(塩津橋とも)という橋がかかっていたそうです。

その東にあったのが浄正橋。
交差点の「浄正橋」は実際の橋の位置よりも北にありますが
橋が架かっていた場所は「上天神南」交差点のあたり。
旧ピコ福島(福島公設市場)の前に石碑があります。

住宅街の中の細い道に入ると、蔵がありました。



なまこ壁と言うのかなぁ、外壁の下部分に斜め格子の模様が入っています。
福島区内に蔵はたくさんありますが、ほとんどが白い壁で
なまこ壁は珍しいように思います。

※「福島区の風景・街並み

堂浜ビル

2012-12-10 | ・福島:風景・建築・史跡
メリヤス会館の前の道(蜆川跡)を東に行くと古いビルが現れます。



「堂浜ビル」。
私が行った時はシャッターが下りていました。
かなり老朽化していますが、今も現役なんでしょうか。
5年位前は現役のオフィスビルだったように思うのですが。
今は「駐車場の奥に何やら古い建物が残ってる」状態なのかな。

オンボロではありますが、かわいいし、壊してしまうのは勿体ない。
ただ、福島区内特に堂島川付近は人気エリアなので
そのうち、売却→解体→跡地にタワーマンションが建ちそう…

この建物、南側の窓からは堂島川がきれいに見えると思うんですよ。
きれいに修復すれば、テナント入りそうですけどね。

「堂浜ビル」
住所:大阪市福島区福島3-1-54

※「福島区の風景・街並み

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追記 2013.01

堂浜ビル(2)
年末年始に前を通った所、1階玄関口が開いており
人の出入りがありました。
今なお、現役のオフィスビルとして活躍しているようです。
よかった、よかった。

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追記
2013年秋頃より解体工事が開始されました。
私が見た最後の堂浜ビルの姿→「堂浜ビル(3)

莫大小會舘(5)

2012-12-09 | ・福島:風景・建築・史跡
現在のメリヤス会館は地上4階、横長の建物になっています。
しかし、竣工(1929年)当時は今の建物の西側部分のみ、3階建てでした。
戦前戦後にわたる数回の増築工事を経て、今のような複雑な形になりました。



上記写真の黄色線で囲まれた部分がオリジナル。
こじんまりしてたんですね。
私は今の姿の方が好きです。
外壁はもともとは何色やったんかなぁ。

昭和10年(1935年)に平屋部分に2・3階を増築。
中央階段は途中で上方向と東方向へと分岐しますが(莫大小會舘(2)一番下の写真参照
その改築も同時に行われました。
でないとせっかく増築した所に上がれないもんね。



西側部分だけを撮ってみました。
写真右側のシャッターが下りている玄関が、西玄関。
「莫大小會舘」の古風なプレートが架けられています。
ここからは4階には上がれません。
左側にある中央玄関からは4階に上がれる。
東側(写真左側)には塔屋があるので、
そっちの階段は元から3階より上に通じていたのでしょう。



緑色のテントはメリヤス鍼灸整骨院。
メリヤス会館社長の御子息が経営する鍼灸院です。
写真左側、鍼灸院店舗のすぐ隣に西館・東館の境目があります。
東館は竣工後に増築されたもの。



シャッターが下りている右側のお店は「「Slow Cafe」。
以前は、「OLDMAN COFFEE」というアメリカンダイナー風の喫茶店でした。
さらにその前は「六花」という喫茶店だったように思います。

その左側はイタリア料理店の「Cutina Italiana La Strada」。
以前は「ニコラス」というワインショップでした。
アンティーク家具店が入居してたこともあったなぁ、
ファイヤーキングの食器を取り扱っていました。

東端(写真左)の緑テントは東玄関です。
そこから地下に降りる階段が続いています。



タイルが貼られていて、他の階段とは雰囲気が違います。
地下には今は、「blue over」というスニーカー屋さんが入居しています。
昔は「堂島地下食堂」という見るからにレトロな食堂でした。
玄関入ってすぐの所にお品書きが貼ってあって、
かなり安い値段だったと覚えています。
どんな内装になっているのか興味深深でしたが、結局行かずじまい。

見ての通り、素晴らしいレトロ建築であり、
また当地が古くは繊維産業が盛んな土地であったことを示す
産業遺産でもあります。
維持はとても大変だと思いますが、末永く残ってほしいなぁ。

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「wikipedia:莫大小会館(めりやすかいかん)

「莫大小會舘(メリヤス会館)」
住所:大阪市福島区福島3−1−39

※「福島区の風景・街並み

莫大小會舘(4)

2012-12-08 | ・福島:風景・建築・史跡
莫大小會舘は、外側だけでなく内部もレトロで素敵です。
廊下の窓はデザイン違いで色々ありましたが、室内側の窓はどれも大きめ。
木枠なので、優しい雰囲気です。







外側に面している窓は細長く、クラシカルな感じ。





2010年発行の雑誌「大阪人」は「福島福袋」と題して福島区特集でした。
その時の表紙がこの莫大小會舘。
薄暗い階段から「アンティーク・ファブリック・ピンクス」のドアが見えているという構図。
誌面では「80年の祝祭」というタイトルでメリヤス会館の特集が掲載されました。

メリヤス会館は昭和4年(1929年)に竣工、当初は3階建てでした。
設計は宗兵蔵が所長を務める宗建築事務所。
代表作は生駒ビルヂングやライオン橋こと難波橋、
柴島浄水場の水道記念館(廃止後はどないなるんでしょうね…)など。
大正13年にすぐ側の堂島大橋が新しく架け替えられ、
すぐ側にこの莫大小會舘。
とてもモダンな眺めにだっただろうと思います。

大阪は繊維産業が盛んで、明治後期にはメリヤス製品の74%が大阪で生産されていました。
大正15年に大阪輸出莫大小工業組合が設立。
その事務所として建てられたのが莫大小會舘です。
しかし戦災により多くのメリヤス業者が廃業、
組合の継続が困難になったため、株式会社を設立し、テナントビルになりました。

都心に近いことから、古く不便な建物を維持することは非常に困難で
今まで何度も売却話が持ちかけられているそうです。
この雑誌が発行された頃は入居率は100%。
レトロな雰囲気を愛する人が入居しているのでしょう。
雑誌の記事からはオーナーの建物への愛情が伝わってきますが
代が変わったらどうなるか…。
先日の渡辺邸(淀川区)のこともあるし、将来が非常に心配です。

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「wikipedia:莫大小会館(めりやすかいかん)

「莫大小會舘(メリヤス会館)」
住所:大阪市福島区福島3−1−39

※「福島区の風景・街並み

莫大小會舘(3)

2012-12-07 | ・福島:風景・建築・史跡


階段の幅はあまり広くなく、まわり階段になっているので
面白いけど、最上階まで上がるのはちょっとしんどいです。





廊下と階段の境目。
とんがりアーチ形に成形されていてエキゾチックな雰囲気。
フロアによってアーチの形は少しずつ違っていたように思います。
(丸くなっている所もある)
奥の方にちらっと見える可愛いドアは
Antique Fablic Pinks」。

「アンティーク・ファブリック・ピンクス」は以前は福島2丁目にありました。
跡地はカフェになり、さらに入れ替わって
今は美味しいカレーのお店「亜州食堂チョウク」になっています。
前はピンクを基調としたラブリーな色彩でした。
あまりの可愛さに恥ずかしくてよう入りませんでした…。
チョウクになってから入り口の部分は改装して変わりましたが、
なんとなく雰囲気は残っています。

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「wikipedia:莫大小会館(めりやすかいかん)

「莫大小會舘(メリヤス会館)」
住所:大阪市福島区福島3−1−39

※「福島区の風景・街並み

莫大小會舘(2)

2012-12-06 | ・福島:風景・建築・史跡
堂島大橋のたもとにあるレトロ建築「メリヤス会館」。





この建物は何度か増改築をしているそうです。
素人目に見ても、4階は後から足したのだな、と分かります。

1階の入り口は3か所。
入ってすぐのところに階段がありますが、それぞれ行ける場所が違うので
お目当ての部屋に向かう場合は要注意です。



「莫大小會舘」のプレートが付いた西側の玄関はこの日は閉鎖されていました。
例えば、ここの階段から昇って行っても、
4階にあるギャラリー「趣佳」には行けません。
このお店に行くには、真ん中にある入り口から入る必要があります。
(西玄関は3階までしか行けなかったような…)

その中央玄関を入ると、左手に階段があります。



この階段の造りも複雑です。
踊り場が建物のつなぎ目になっているのかなぁ。

「wikipedia:莫大小会館(めりやすかいかん)



廊下から中央玄関を見下ろすとこんな感じ。
階段とは反対側(入ってすぐ右側)には「ラッズギャラリー」があります。

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「莫大小會舘(メリヤス会館)」
住所:大阪市福島区福島3−1−39

※「福島区の風景・街並み

中の天神跡

2012-12-05 | ・福島:風景・建築・史跡
下福島公園の煉瓦塀の外側には、かつて中の天神がありました。



福島には3つの天神社があり、福島天満宮は上の天神。
この名称は交差点に残っています。
下の天神は玉川1丁目にある天神社。
下福島中学校のすぐ近くにあります。
中の天神は第二次大戦の戦災で焼失、福島天満宮に合祀されました。
今は跡地に石碑と説明板が設置されてます。



説明板の前には石が敷かれ、参道のようになっています。
15年くらい前は、ここに会社があったような。
敷地の隅っこに細長い古い石材がまとめて置いてあったのを覚えています。
その時は中の天神のことを知らなかったのですが
神社のものだというのだけは見ただけで分かりました。



説明板によると、中の天神は公園との境界にある煉瓦塀以外、一切を戦災で焼失。
地元住民は神社の復興を願いましたが、
氏子さん達も戦争で大きなダメージを受けたため
再興はかなわなかった、と書かれています。

9月に文楽鑑賞した際、プログラムの付録に大阪の古地図が付いていました。
船場が中心に書かれた地図ですが、福島区もちょびっと載っていて
堂島川と蜆川の合流地点近くに「中ノ天神」と書かれています。
(見つけた時はすごい嬉しかった!)



その隣に「林濱二郎古跡」の文字。
誰やそれ?
インターネットで検索してもよく分からず。

福島天満宮のHPを拝見したところ、御祭神のページに
「林神社」とあります。
「元 中の天神末社 戯曲『天下茶屋仇討』で名高い林伊織を祀る。」

wikipedia:天下茶屋仇討
歌舞伎美人:敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢゃやむら)

「敵討天下茶屋聚」は非業の死を遂げた父の敵を討つ兄弟のお話。
実話をもとに作られました。
二人は家老の息子で、兄の名前が早瀬伊織、弟が源次郎。
伊織達は落ちぶれ、福島天神の森に住みつつ
仇討のチャンスを狙っていましたが、
色々あって兄の伊織は中の天神で殺害されてしまう。
のちに弟が天下茶屋で父と兄の敵を取る。
林伊織のお墓は中の天神の近く、西善寺にあるそうです。
西善寺も文楽の地図に掲載されていました。

福島ライオンズクラブ:西善寺(福島3丁目)
「福島ズボラーヌ:西善寺

でも、wikipediaを見ると、実話での名前は林重次郎と源三郎となっていて
濱二郎じゃないしなぁ。

もうひとつ、手元にある古地図は「大阪人」に掲載されていた文久3年(1868年)のもの。
読みづらいけど、私には「林源二郎」に見える…



もし「林濱二郎」が誰なのか、ご存じの方がいらっしゃれば教えて頂きたいです。

誤読なのか誤植なのかは分かりませんが、もし林濱二郎=林伊織だとすると
中の天神は「敵討天下茶屋聚」に出てくる早瀬伊織終焉の地として
江戸時代はそこそこ有名だったのではないでしょうか。

福島天満宮

wikipedia:福島天満宮」上の天神

wikipedia:天神社(福島区)」下の天神

「中の天神跡」
住所:大阪市福島区福島4-1
備考:厚生年金病院近く、あみだ池筋に面しています。


※「福島区の風景・街並み

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追記 2013.01

敷地内のマンションの玄関には「梅」のマークが。
家紋で言う「星梅鉢」かな?
天神さんの印です。
「中の天神」の跡地であることを意識しているのでしょうか。