夜明け前からの〜、まるまる

エージングやったり物つくったりからの〜、絵描いたりしてます。

narld

2022-01-31 18:26:08 | Narld

 

寝れなくてYOUTUBEをだらだら観てたら出てきたのがこの「perfume」の「ポリリズム」

昔NHKで環境PRだかなんか、番組の間にこの映像よく流れてたんですよね

フルのほうは検索してもでてこなかったんですけど、、

懐かしいなぁ。って

「ダフトパンクだー!!!」って、最初観た時になんか興奮したのを覚えています

 

 

 

僕が若いころに衝撃を受けた人の一人に「ミシェル・ゴンドリー」という人がいます

映像つくる人です

「the chemical brothers」のMVで有名かも?こちらも大好きなんですが

 

この人を知るきっかけになったのが

「DAFT PUNK」の「AROUND THE WORLD」という曲のMVで、

学生時代にVHSに録画して何度も何度も観てました

 

上にある「Perfume」の映像は「ミシェル・ゴンドリー」へのオマージュの様なものなんでしょうけど

「ミシェル・ゴンドリー」が「「DAFT PUNK–AROUND THE WORLD」でやっているのは機械的で数字があって

ミクロの世界で起こってる細胞レベルとも果て無い宇宙とも

時計のパーツ群や自動化された工場の生産ライン

信号、物流、日常

規律化された世界の中で

出てくるのが人間ていう危うさがあって

進化という生産がずっとループされていくんだけど核心はじゃあなんなのかっていう

 

ずっと何度も観ていると誰かが転けるんじゃないかとかね

違うのが混ざってくるんじゃないかとか一人いなくなってんじゃないかとかそういう変化をみようとしたり

そこに僕?人間の?本質があるのかなぁって思ってみたりして

 

キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」

あそこでは人類初の+AI初の殺人が描かれていたけれど

じゃあきっかけはなんなんだろうかと

僕らはどう何の為に進化していくのかと

 

4分01秒でそこまで話を持っていってもいいんじゃないかって作品

一度でいいから観てみてと思うMV

 

 

 

 

 

 

 

 

約1年ぶりに書いてます

制作を休止してる状態で何を書いたらというのが本音ですが

作業場の問題が未だにうまく運ばなくて、場所は確保したけど簡単にいうと電気が使えないかもという

あと200v、動力ですね

これを使えないと、もう5,6年ずっとこんなことをグダグダと

なんなのか

運がないのかなんなのか、ほんとなんなのか

少しだけ時間ができたけど離れすぎてリハビリというかnarldってどういうものだったかなぁという段階

離れると、なんていうかそういうのが思うようにいきません

何かをやりながら何かをやるというのは僕は難しいです

 

変わらずある安定にしがみ付くのも変化を追い求め続けるのも肯定も否定もしないです

ただベースにあるもののひとつに秩序があって

それは持つ、つくる、ではなく

その前の、知ることから始まるんだって思ってます

 

体系からの変化には意味があります

そこにあるのは意思です

それはヒトであるからできるのです

目的がある筈なんです

 

僕はよく無駄なことをします、してます

ただやってると出てくるんですよね

本音みたいなのが

ひねくれてるし、たぶん天邪鬼だし、やっぱりどこかズレてる部分とかあると思うんです

だからっていうのも違うのかもですが笑、やろうと思ってやっても上手くできないんですよね

でもこれじゃない、あれじゃないやってると出てくるんですよね

要らないものが省かれる

僕がよくリハビリ言うのはそう言うことで、ブログもその時本当に書きたいのはたぶん三行もあれば十分できそうなんだけど

 

それは中庸みたいなもんだって勝手に思ってることなんですが

探る作業と確認みたいなもので

冒頭、

「AROUND THE WORLD」のことを書いたのは

さぁ再開に向けてって時に「narld」ってここからの影響が強いんだなぁって久しぶりに観て思ったので

書いたことや他人に言ったことがあるか記憶にないんだけど

 

narldっていうのは

n→「ん」→終わり

a→「あ」→始まり

そこに「world」をくっつけたものが「narld」なんです

世界はループしてるから

これを名乗ってこの世界と

この世界における自分というものを知りたかった

表現を通して、簡単に書くとです

 

 

金魚は餌を与えられ糞は微生物によって分解されひとつの環境ができる

鉢は交換された水で清潔が保たれる

死ねば廃棄され似たような生き物が新しく投入される

彼らは外界を知ることができない

手段がないから

そこは管理された世界

 

基準は人でない

僕らは小さい箱の中にいる

僕はそんな世界で見たかったんです

ビッグバンから見た数え切れない終わりと始まりを経て

終わり、そしてまた始まるまでのそのほんの間にある一瞬

全てが凝縮された刹那にある真実

 

全体として?見れば終わりイコール次の始まりなんだって思ってた時もあったけどそれは違うのかなと

学びという1グラムが、積み重ねが容器をいつか満たす

拡大と縮小を繰り返してはそうして進化してきた世界の意味がその刹那に詰まってる

それは「選択」だって思ってた時もあるけど「判断」なんじゃないかと思ってる

僕らの、でなく金魚でいう外の世界の

 

「選択」はまだ人類にはできないんじゃないかなと思う

「判断」が覗くんです、その刹那

僕はただ目を合わせてみたいんです、表現て方法を使いながら

 

初まりからの行き着く先にあるもの

そこにあるものがなんなのか

 

 

全然関係のないようなものも結構つくってますけどね笑

 

 

ただそういうところが「narld」の出発点だから、単純に作業場がーとかそういうのもあるんだけれど

うまくできなかったりどうやってやったらいいのかなっていうのがあって、ちょっとだけでいいので理解してもらえたらなって思います

 

 

コロナや世界の情勢がどうなるのか不安に想うことばかりです

最近「硫黄島からの手紙」と「父親達の星条旗」を続けて観ました

自分もあの時代に生まれていたら、遠い離れた土地で息絶えていたでしょう

あの戦いにおいて一兵士をまた諸々公平に描いたイーストウッド監督には敬服しました

護りたかったのは国でなくつまり人だ

 

繋ぐこと

いつか誰かが答えを出す為に

 

 

名前を変えようかなとか思ったり

ここの更新が次はまた1年後になるかもしれないし

先のことはなんとも、ただやれるように書くことででも繋いでいけたら

毎度訳わかんないこと書いてますけど、引き続きお付き合いをして下さる方がいれば有り難いです

今後もよろしくお願いいたします

頑張ります


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