夜明け前からの〜、まるまる

エージングやったり物つくったりからの〜、絵描いたりしてます。

芸術は孤独からしか生まれない

2024-07-07 00:47:50 | Narld
ストリートの人間がギャラリーに行くのはダサいことっていうのと同じように
デザインやるならmacじゃないとダメみたいなのはむかしの話
はじめて触ったmacで髪の毛一本一本photoshop使って選択して背景消して選挙ポスターつくったのが一番最初


最近いろいろ触ってて、adobi入れてまではって感じでなんかいいのないかなぁって漁ってるんだけど、その流れでAIなんかもどんなことができるんだろ的な感じでちょっと触ってみたり
しばらくとまってた僕からすると、最近のとかChatGPTとかその辺いじったりするとここまでできる時代なのかっていう驚きと戸惑いばかり
 

デジタルの世界の変化っていうのは恐ろしくはやく、自分の分身つくってなんてのはもう常識のように物書きは記事書かせたり村上さんなんかは画像生成AIでパターン出しみたいな使い方してる
記事なんかもいろいろ読んでみたりしたけど曲も歌声もストーリーも作れるみたいだし、使いこなせればひとりで例えば映画なんか作れるなんてことはもうすぐのような
こう、時代が大きく変わる時にそれをどう使おうかって考えられる位置にいる人たちにとっては最高のツールだと思うけど、止まってしまってた自分や受け入れられない人たちには戸惑いとかのが大きいんじゃないかな
 

「人類に残された領域は創造だけなんだ」って前に書いたことあったけど
もうそういうこと言ってる段階じゃなくなっちゃってるし、ダサいとかこうじゃないとダメとか言ってるとあっという間に置いていかれる
だって敵わない
すごいと思う、そういうとこまできてる
 

そういう時代で、これからの世界で
じゃあ自分みたいなのがこれからやれることとか可能性とか考えると、正直もうあんまりないんじゃないのかなって思ってしまってる部分があって


一から創造した人間なんてのは存在しない
だけどやってきた人とかこの流れに違和感ある人って
否定して、苦しんで、自分のスタイルってのを信じてつくってきた人たちで
誰に似てるとか、誰かの真似だとか言われることもあるけれど
そこに至る背景と物語があって
そうして色をつくってきたわけで
技術も当然必要だけど、伝わりやすく書くと感情みたいなのがあるかとか
そこも含めてだったと思う
 

どこのレベルでの話なんだってのもあるけれど
でも、そういうのはもう
今までもそうだったんだろうけど、如実にわかりやすいやったもん勝ちの世界がくる
さわらないってのは避けられないと思う
日常レベルでもこの仕組みに組み込まれているってのが前提、常識になるから
 
 
 
 
先月だったかスマホを落としてバキバキんなって壊れる、電源が入らない
予約とかタイミング合わずでお店に行けず1週間ほどスマホをさわれない生活
 仕事とかもいろんなことがあったりとかして、なんかこのままでもいいかなぁーとか思ってみたり
そうはいかないんだけど笑
ちょっと、キツかったりしてて
 
やっとこ新しくできたけどデータが引き継ぎできず、アプリ再取得したりあちこちログイン試みたりして復活できたりできなかったり
夜に友人から他愛もない連絡が来てまず1件連絡先を入れて、仕事関連も連絡きた人から徐々に入れてまず謝ったり笑
またはじめていかないといけないんだなぁっていう
なんだろう、なんて書くのがいいんだか
はじまっていくんだなぁっていう
 



  
「芸術は孤独からしか生まれない」


若いころによく聴いてたひとの言葉
ずーっと考えてた言葉
これを題にしたのは、これに対してだけではないんだけどようやくいろいろと自分の中でまとめることができたのがあって

 
近いかもうか、これからの◯◯には価値がなくなりただそれが正しいのかどうかっていうまわりと答え合わせをするだけのような時代がくるっておもってるんですね
そういう世界で、自分なんかはどうしてったらいいのかなぁって悩んだりとかずーっとあって
2、3周しちゃって
シンプルなんですけどね、孤独ってワードが強すぎちゃって
僕は頼るなとか、責任とか、考えるなとか、自分をみるとか
なんにしても、そうなんですけどね、

今は呼吸を整えることを常々意識してて
やるってことに対して、ずーっと緊張してて
なんなんだか

 
口数は減っていくかもしれないです
書いてないではやくやれよって書いてて思うし、
一体何に引っかかってんだってそこは自分でも

もともとここは年1か2ぐらいなんで変わんないかもですが
インスタとかだとばーって書いてポチですけど、節目だとか本音だとかはやっぱりこっちでゆっくりになるようで
何書いてるんだかわからなくなりますけどね大体



たゆたえども沈まず

来月だっけ、この地



進めるさ、スイマーだし自分だって

もう少しだけ足掻いてみる

3.17

2023-03-17 21:40:00 | Narld

3月11日

12年前のその時は部屋で漫画を描いていました

仕事辞めてね、とある雑誌の編集さんとFAXでやり取りしながら頑張りましょうなんて寝れない日々で

それが起こった時は短編のラスト34P目をペン入れしてて、、酷くなっちゃって茶の間で動けなくなってる母を引きずりながら外へ
玄関から少し離れたとこで基礎が4、5センチ右に左に動くのをボーっと、空は花粉が飛び散り黄色くなっているのをただ呆然と


ライフラインが全滅だったので家族で親戚の家へ何日だったか
家に戻って墨が揺れでこぼれて真っ黒くなってしまった数枚とをガチャガチャに散らかってしまった部屋から
1年くらいかかった、これが通らなかったらもう終わりにしないとなって思ってはいたから
そうなってしまった時のために昼は学校でwebデザインの勉強を、いろいろ活かせるかなーっては一応、保険というか

夕方からは終電までバイト、夜中に漫画やって寝るのは電車の中、narldやってる時と同じような生活を1年くらい


1年、
ここまで何年かかったか
やっと声をかけてもらえて
自分の色を理解してもらえる人に出会えて
仕上がりがもうすぐだったのに


折れてしまったり汚れたり、他人に見せられるものではない有様で何を頑張ってきたのかなって

落ち着いてからというか、どうだったか手をつけられなくなってて一度出版社行ってこっちも大変でしたよなんて話をして
当時吹き抜けの20何階だっかを1階から見上げてたそうで、うねるように揺れているのをただ見上げてたって話がリアルで
見てもいないのに自分が体験したような感じになってしまってこの人説明するの上手だなーって
人に伝えるって僕は下手なんだよなーとか
帰ってから編集さんになんて連絡したんだか全く覚えてないんだけど、きっかけっていうかなんというか
ごめんなさいを

選択、決断、、
なんだろうね、もう描けないって思いました
ずーっと、難しかったのは理解してました
僕が描くもののは30人いたとして、一人いるかな?共感してくれるのはって思っていたし
だからこそ大衆紙でやらなくちゃいけない、無茶な、でも押し通してでも、基準は僕で
若かったから

終わりはあっけない
声があるかないか
なかったから

学校卒業してバイトも辞めてデザイナー募集してるとこ探してたらweb関係から建築に壁画も造形もやってて、、エージングってなんだろう?みたいな感じでアートワークなんでも屋みたいな職場見つけて楽しそうだなって
デザインやる為に入ったんだけど、現場から女性ばっかだから男手欲しいって言われてせっかくデスクつくってもらったのに、、なんて
でもそれで出会えた人もいるし、今の自分にとっては巾が広がったし、良かったんじゃないかなで、そこは今はもう決めとくしかないんだけど

なんやかんやいろいろあって時が経ち
今は大工
小さい頃から身近だったけど、正直一番やりたくなかった職業
見てたからね、親方を
いまだにね、仮設トイレに入るのが嫌で


ダラダラと、毎度だけど自分のことを書いたのはひとつ返事をしたから
何をっていうのは今はまだだけど

やってはダメでやってはダメで
何回目なんだろ
継ぎ接ぎだらけなんです僕は 
運がないというか縁がなかったのかなとか、転職するたびに会社潰れちゃったり

いろいろ経験させられてるんだって思うようにはしてるけど
何の為に?って冷静に考えるとね



インスタ見て下さってれば気づいてる人はいると思うけどもう僕はって、
親もいるし食べていくために
表現するっていう楽しみと時間は
もうそういうモノを作っている余裕はない

休みもない、なのに何故か金もない
ないないばかりについてないことばかり
端から見ればとりあえず笑うしかないような

それでもやっぱりね

 

陰鬱とした霧の中でただ立ち尽くす
触れ得ない冷気を手のひらで探る
揺らぎをみつけ、それが存在と知る
感覚は外へ、外を求める
見えない、でも確実な、触れるべく


獣の鳴き声、土の匂い
見え隠れするそびえる造形、得体
やがて己とは?纏っているものは何なのか?自分とは?、芯を求め内へ内へと
光は内にこそと知るまでの数枚をそっとめくる

誰も知り得ない、僕だけの、そう、魂と、幼き日、約束
知れば霧もそれはただの表皮
泣く落ち葉も見えぬ知れた空もその先にあるであろう漆黒の世界もすぐそこにある
声はここから出ている だから大きく吸って、吐く、細胞が鳴いているから

僕だと、
僕であると
この光こそ


いずれ世界に投げる、ほら、って

継ぎ接ぎだらけだけど、ここまで紡いだんだから
それがなんなのかって

産まれてきた意味と

 

 

本業はしっかりやる
こうだっていうもう少しのとこまできてるから
あとは体力と

そこに少し自分の本能とを
ただ来年もこんなこと書いてたらいい加減全部辞めるけどね笑


narld

2022-01-31 18:26:08 | Narld

 

寝れなくてYOUTUBEをだらだら観てたら出てきたのがこの「perfume」の「ポリリズム」

昔NHKで環境PRだかなんか、番組の間にこの映像よく流れてたんですよね

フルのほうは検索してもでてこなかったんですけど、、

懐かしいなぁ。って

「ダフトパンクだー!!!」って、最初観た時になんか興奮したのを覚えています

 

 

 

僕が若いころに衝撃を受けた人の一人に「ミシェル・ゴンドリー」という人がいます

映像つくる人です

「the chemical brothers」のMVで有名かも?こちらも大好きなんですが

 

この人を知るきっかけになったのが

「DAFT PUNK」の「AROUND THE WORLD」という曲のMVで、

学生時代にVHSに録画して何度も何度も観てました

 

上にある「Perfume」の映像は「ミシェル・ゴンドリー」へのオマージュの様なものなんでしょうけど

「ミシェル・ゴンドリー」が「「DAFT PUNK–AROUND THE WORLD」でやっているのは機械的で数字があって

ミクロの世界で起こってる細胞レベルとも果て無い宇宙とも

時計のパーツ群や自動化された工場の生産ライン

信号、物流、日常

規律化された世界の中で

出てくるのが人間ていう危うさがあって

進化という生産がずっとループされていくんだけど核心はじゃあなんなのかっていう

 

ずっと何度も観ていると誰かが転けるんじゃないかとかね

違うのが混ざってくるんじゃないかとか一人いなくなってんじゃないかとかそういう変化をみようとしたり

そこに僕?人間の?本質があるのかなぁって思ってみたりして

 

キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」

あそこでは人類初の+AI初の殺人が描かれていたけれど

じゃあきっかけはなんなんだろうかと

僕らはどう何の為に進化していくのかと

 

4分01秒でそこまで話を持っていってもいいんじゃないかって作品

一度でいいから観てみてと思うMV

 

 

 

 

 

 

 

 

約1年ぶりに書いてます

制作を休止してる状態で何を書いたらというのが本音ですが

作業場の問題が未だにうまく運ばなくて、場所は確保したけど簡単にいうと電気が使えないかもという

あと200v、動力ですね

これを使えないと、もう5,6年ずっとこんなことをグダグダと

なんなのか

運がないのかなんなのか、ほんとなんなのか

少しだけ時間ができたけど離れすぎてリハビリというかnarldってどういうものだったかなぁという段階

離れると、なんていうかそういうのが思うようにいきません

何かをやりながら何かをやるというのは僕は難しいです

 

変わらずある安定にしがみ付くのも変化を追い求め続けるのも肯定も否定もしないです

ただベースにあるもののひとつに秩序があって

それは持つ、つくる、ではなく

その前の、知ることから始まるんだって思ってます

 

体系からの変化には意味があります

そこにあるのは意思です

それはヒトであるからできるのです

目的がある筈なんです

 

僕はよく無駄なことをします、してます

ただやってると出てくるんですよね

本音みたいなのが

ひねくれてるし、たぶん天邪鬼だし、やっぱりどこかズレてる部分とかあると思うんです

だからっていうのも違うのかもですが笑、やろうと思ってやっても上手くできないんですよね

でもこれじゃない、あれじゃないやってると出てくるんですよね

要らないものが省かれる

僕がよくリハビリ言うのはそう言うことで、ブログもその時本当に書きたいのはたぶん三行もあれば十分できそうなんだけど

 

それは中庸みたいなもんだって勝手に思ってることなんですが

探る作業と確認みたいなもので

冒頭、

「AROUND THE WORLD」のことを書いたのは

さぁ再開に向けてって時に「narld」ってここからの影響が強いんだなぁって久しぶりに観て思ったので

書いたことや他人に言ったことがあるか記憶にないんだけど

 

narldっていうのは

n→「ん」→終わり

a→「あ」→始まり

そこに「world」をくっつけたものが「narld」なんです

世界はループしてるから

これを名乗ってこの世界と

この世界における自分というものを知りたかった

表現を通して、簡単に書くとです

 

 

金魚は餌を与えられ糞は微生物によって分解されひとつの環境ができる

鉢は交換された水で清潔が保たれる

死ねば廃棄され似たような生き物が新しく投入される

彼らは外界を知ることができない

手段がないから

そこは管理された世界

 

基準は人でない

僕らは小さい箱の中にいる

僕はそんな世界で見たかったんです

ビッグバンから見た数え切れない終わりと始まりを経て

終わり、そしてまた始まるまでのそのほんの間にある一瞬

全てが凝縮された刹那にある真実

 

全体として?見れば終わりイコール次の始まりなんだって思ってた時もあったけどそれは違うのかなと

学びという1グラムが、積み重ねが容器をいつか満たす

拡大と縮小を繰り返してはそうして進化してきた世界の意味がその刹那に詰まってる

それは「選択」だって思ってた時もあるけど「判断」なんじゃないかと思ってる

僕らの、でなく金魚でいう外の世界の

 

「選択」はまだ人類にはできないんじゃないかなと思う

「判断」が覗くんです、その刹那

僕はただ目を合わせてみたいんです、表現て方法を使いながら

 

初まりからの行き着く先にあるもの

そこにあるものがなんなのか

 

 

全然関係のないようなものも結構つくってますけどね笑

 

 

ただそういうところが「narld」の出発点だから、単純に作業場がーとかそういうのもあるんだけれど

うまくできなかったりどうやってやったらいいのかなっていうのがあって、ちょっとだけでいいので理解してもらえたらなって思います

 

 

コロナや世界の情勢がどうなるのか不安に想うことばかりです

最近「硫黄島からの手紙」と「父親達の星条旗」を続けて観ました

自分もあの時代に生まれていたら、遠い離れた土地で息絶えていたでしょう

あの戦いにおいて一兵士をまた諸々公平に描いたイーストウッド監督には敬服しました

護りたかったのは国でなくつまり人だ

 

繋ぐこと

いつか誰かが答えを出す為に

 

 

名前を変えようかなとか思ったり

ここの更新が次はまた1年後になるかもしれないし

先のことはなんとも、ただやれるように書くことででも繋いでいけたら

毎度訳わかんないこと書いてますけど、引き続きお付き合いをして下さる方がいれば有り難いです

今後もよろしくお願いいたします

頑張ります


無題

2021-01-03 03:17:52 | Narld

一つのことに集中すると限界までご飯も食べないし寝ないしお風呂も入らない

簡単に言うと他のことを何もしなくなる

 

年末はただただ寝てました

都合よくいうと身体を休めることに集中したというか

 

 

仕事というものが大嫌いな僕が最近は手取りも貯金もほぼ工具類に使い休みもなく働いている

世界がどうかしてるからか、僕もなんだかおかしくなったようで

おかげで年内の片付けも用事も終わらずいいから早く仕事に行って納めたいとかほんと頭がおかしくなってしまったようだ

そういうものかな?なんだかなぁ、とも思う

 

二十代の終わりの頃、僕は仕事を辞めて昼間WEB関連勉強したくて学校に行きながら夜居酒屋でバイトをしてました

終電で帰ってきてから漫画のプロットをひたすら作って夜中に電話とFAXで編集さんに相手してもらってひたすらダメ出しをもらうという

今考えるとなんかの苦行みたいな

 

今は自分を発信できる機会も機材も沢山あるし、チャンスが山程ある

こういう時代に体力がないというのはなんとも

今なんでだか漫画を描きたい

今どんなことが描けるのか

雪山に行きたくて登山ザックを買いに行った時たまたまヨドバシでペンタブを見たんだけど、今は液晶とか良いのが随分安く手に入るようで

僕のはもう古くて

帰ってきてからそういう昔の道具やなんやら見てて

描きたいことがあったんだよなぁ

そんなことをじーっと見ながら思い出した

 

表現ていうのは余裕のある人はやっちゃいけないと僕は思ってる

上手いとか下手とか、そんなのはどうでもよくて

ギリギリのところから、そういうところから血が沸き立つような感覚を血肉を削いで仕上げてくる

そういうものに惹かれる

アートという言葉がなんか苦手で

でもたぶん僕はそういうことをやりたいんだと思う 

 

本当は一つのことができればいいんだけれど

受け入れていかなくちゃいけないものもあるしね

とか書いておいて

でも僕は懲りないというか来年も再来年もおんなじようなこと思って

こうして書いてるんじゃないかなぁとも思う

 

とりあえずあと3日も行けば今の現場が納まる

次もその次も決まっているので4月中にはなんとか納めたい

理想は夏なんだけど、春の陶器市

ここを頭にできることからやるしかないですね

 

絵もそうなんだけど

漫画もし出来たら、来年かな、ここかどこかまた違うカタチで発表出来たら

 

そういうこととか

一番は自分がなんですが、面白いことをしたいです

今年もよろしくお願い致します


舞台

2020-04-21 03:57:23 | Narld

深淵の入り口で生きていた

 

ずっと底に焦点を合わせ

見上げるそのヒトの目に有る無を見てた

 

足もとで抜け落ちるようにコロコロと石が落ちていく様は

外界に疲弊した皮膚が剥がれ落ちていくようで

 

このただの事象に

輪廻だとか、贖罪だとか

そんな意味合いを重ねては

浅ましく

どこにも到達しない己と臓器の重さを知る

 

 

僕が入り口の周りをただ歩いていた頃履いていた

底が片方だけ不格好に減った靴を両手でぎゅっと抱えながら

そのヒトは見上げる

 

 

もう?

まだ?

彼が何を想うのか

僕は知らない

 

 

 

 

深淵の出口で生きていた

 

ずっと宙に焦点を合わせ

見下ろすそのヒトの目にない無を見てた

 

足もとで抜け落ちるようにコロコロと石が落ちていく様は

己に溜まりし不都合が消化されるようで

 

このただの事象に

輪廻だとか、贖罪だとか

そんな意味合いを重ねては

浅ましく

どこにも到達しない己と足裏の感覚を知る

 

 

僕が出口の周りをただ歩いていた頃履いていた

底が片方だけ不格好に減った靴を両手でそっと拾いながら

そのヒトは見下ろす

 

 

もう?

まだ?

彼が何を想うのか僕は知らない

 

 

日々に対して思うのは

とにかく今はあんまり他人を見たくないなぁってこと

それは自分という人間が嫌になりそうで

今は誰にとっても転換期なんじゃないかと思います

ここで何をするべきか、見つめるべきは僕の場合はまずは自分

試されているんだという感覚は本能と欲動とが情報と感情と入り混じって混沌と

これを丁寧に消化しながら明けたときのことを考えています

僕はどんな顔をしているのかなぁって

 

 

向い風という名脇役の登場だ

土は水は背景としての基礎を固め

同時に生き物という偉大な観客を育む

風土が味と匂いを土産に全体の指針を示し

空が時を作り

鳥が報せ

主役は中央に歩を進める

 

さあ

 

 

コロコロと石が落ちる

足音が聞こえやしないか?

登って行ったのか?

降って行ったのか?

それは知らない

ただいずれにしろこの音には想いがあるから

それは何よりも尊いんじゃないかなと僕は思う


抗う

2019-12-29 00:07:57 | Narld

もう限界かなぁって思うことがいろいろと沢山あって

今年は特にきつかったです

 

 

「今を超えるには通用しないことがあるからやり方を変えないといけない」

 

 

僕は何を犠牲にするのか、ずっとずっとそればっかりを考えてきてたので 

随分と取り返しのつかないことをやってきたんだなぁといろいろと見て

見せられたのか見てしまったのか、そんなことを考えることがあって

恐いことをやっているんだなって思ったらある意味で終わりが近いのかなぁって感じてしまいました

 
 

少し遊ぼうかなとか休んだらまた何か違うかなとか

視野が随分と固定されたのかしたのか

それが自分にとって良いのか悪いのかわからないというか考えもしないんだけれど、良い流れでないとは感じていて

 

普通で良いし、普通に

そうだと思ってたりもするけれど、あんまり良くない意味でそうではないんだろうなって思ってみたり

それぞれだけど、自分は随分とややこしく生きてるようで

簡単でいいしシンプルでいい

つくるものもさ、わかりやすいものでいい

そうだったら少し違うとこ歩いてきたんだろうなって思ってみたり

 

まだ若いって言われるけれど、もう若くはないんだし

 

 

 

終われないんだけど

ただ疲れたって、愚痴かなこれは笑

 

いつも逆から見てる 

けれど違う終わりが見えたのはたぶん単純に今限界だからで

僕は特に何も要らないというのが本音のようで

そうしてきた恐い人間が自分なんだって思うといずれは自分さえも必要としなくなるんだろうな

 

「今を超えるには通用しないことがあるからやり方を変えないといけない」

 

そう思う部分があることが望みというか、

それも違うのは違う

ただ今は少しの間だけ人でありたいようで

 

 

 

その時の感情でただ書き始めるので時間が経つと自分でも読み返してみて意味がよくわからないことが多いです

ここの訪問者さんがもう少しで3万人になります

今回のは特に他人も読むところに書く内容ではないような

 

ただ書いておきたいのは、こんなんでも付き合ってくれている方がいるので感謝していますということ

 

 

来年、夏までイベント参加は年明けの東武さん含めて3つお世話になります

いくつかお声がけ頂き本当にありがとうございました

ご協力出来ない皆様、申し訳ありません

応募での参加したいイベントもあるのですが夏までにやらなければいけないことがあるので3つでいきます

 

 

 

 

 

抗う

そうしてきたのが僕です

スターリングブリッジ

とある前世でも

今は何にでしょうね

それは書かないけれど

 

よくわからないことを書いたけど

暗いところって不安になるじゃないですか

たぶんもっと潜らないといけないから余計に

でも見ているものはいつだって光だから

 

どこの部分で何見てつくるかってのは僕の核

いろいろつくっているけれどなんだっていいわけじゃあない

やっているのはずっーと同じこと

 

 

今年一年お世話になりました皆さんありがとうございました

また火をつけて下さいました方々にもお礼を

 

自分にしか出来ないであろうものをまた来年も


夢際のラストボーイ

2019-08-28 06:01:48 | Narld

 ペコもスマイルも好きだけど僕はアクマが好き

 

 

 

「少し、泣く」

くさいけどここの場面が僕にとってのこの作品の全て

 

一握りの才能ある人と、そうじゃない人のお話

その他大勢じゃなくて+そうじゃない人のお話

 

描くって

こういうことかなぁ、、とか

 

 

 

 

 

「シルク・ドゥ・ボタニカ〜真夏の植物園」

皆様ありがとうございました

絵がね、出ていきました

「トコノマ」も好評で「ランマ」とか時間できたら

 

 

使えるお金と時間をどう使うかでこの先のnarldさんは決まる

 

土砂降りの雨の音と土のにおいとぼんやりと見える信号と街頭と車のヘッドライト

そういえばこの景色は何度も何度も見ているなぁ、、とか

ぼーっと帰りのコンビニで一服したのが1ヶ月前でしょうか

 

また同じ景色をそのうち見るだろうから

それまでの道程を

  

 

そう

 

昼に見た景色にはひとつひとつに意識が確かにあって

それを生み出しているのはそこにいる人たちの想いであって

優しくて真っ直ぐで

ただただ正確な空気と人が心地よく「うん」と言ってくれてるようで 

ここに居るということの意味を僕は持ち帰らせて頂きました

 

このまま行こうと

 

 

 

 

 

字の書けない殺し屋の友達を失った彼女には鉢から観葉植物を出したあとにもその後の物語があるんだよね

英軍中尉は毎年クリスマスを迎える度にジャワ島で出会った人のことを思い出すのだろう

ニューオーリンズに流れ着いたであろう小さな左足はきっと志のある研究者によって拾い上げられた筈だ

校庭を二人乗りでぐるぐると回った自転車はそのあとどこに向かったんだろうな

海辺にあるちょっと変わった老人ホームには自己愛とそれに寄り添うものの愛に今日も満ちあふれている

 

 

物語には続きが必ずあって

それはまたはじまりであって

物質でもそうでなくともそれは想いというものがもつ使命であって

託されてきたものをただ、ただでいいから繋いでいくってことに気付いてはじめて

自分がいて

 

向き合う姿はそれぞれかな

答えは次の世界が出すから

 

それでも削いで、紡いで

ただの一滴でいい

次に次に繋げられた時

終えるという結果を残せる

 

 

また終わり

またはじまる

世界です

narldっていうのはそういう意味

 

 

 

今どこにいますか?

どこを歩いてますか?

そこではどんな

音楽が流れてますか?

 

 

 

アクマにも続きがある

ただ僕はまだ泣かない

 

今は汚れた作業着で

次の駅までの外の景色をじっと眺めています

 

 

 

9月 

数奇展

日時:17日(火)〜22日(日)

会場:銀座幸伸ギャラリー1階

東京都中央区銀座7-7-1 銀座幸伸ビル

 

58ロハスマルシェ

日時:28日(土)29(日)

会場:栃木県矢板市安沢2180

 

 

10月 

クラモノ。 

日時:19日(土)20(日)

会場:栃木市嘉右衛門町

 

 SUN LEAF MARKET

日時:26日(土)27日(日)

会場:(公財)鹿沼市花木センター公社
〒322-0026 
栃木県鹿沼市茂呂2086-1
TEL 0289-76-2310  

 

 

11

益子陶器市

日時:1日(金)〜 5日(火)

会場:栃木県芳賀郡益子町各所

 

 

 


距離

2019-05-21 22:27:00 | Narld

僕の現状もモノもいろいろと

そのお二人は簡単に見抜いて帰っていかれた

 

 

 

昔から年配の方とよくご縁がある

引き上げてもらい、可愛がってもらい

沢山吸収させてもらう

 

そうして僕は、離れていく

吸収するだけ吸収して離れていく

僕は昔からそうでそうして転々として

あれがダメだこれがダメだと何もかも知った様な口をきいては持ってないパーツを埋めるようにまたご縁をもらい

引き上げてもらい、可愛がってもらい

沢山吸収させてもらう

 

ずーっと空をみてきた、今も

贅沢にもほどがある

 

 

 

はじめてお会いしたその日に鉢を作りたいんだと相談した

いくらでも教えてやるとそう言ってくださり

僕はすぐに陶房に通うようになった

 

 

我が強いからか人間関係はどうなんだか

それ以外は割となんでもそつなくこなしてきたと思う

少しでも簡単にできてしまうと全て理解したと錯覚して知った様な口をきく

なんでも要は同じじゃないかと記憶を辿る

方法として良いのか悪いのかそうしてきた

 

 

やれば、カタチだけならそのうちできるようになると思う

でもこの道はなかなか次の足を出せずにいる

この一歩に

そして次の一歩に僕は何を込めるつもりなんだ?と

 

 

 

その人の目を見ると特別な感情が涌く

人類に残された領域は創造だけなんだってその経過をまるでずっと見てきたような

 

「昔はね、日本橋の百貨店で毎年個展をやってたんだよ」

そう僕に言う

「土を無駄にしないで大したもんだ」

そう褒めてくださり

「本当はね、こういうものをつくりたいんだ」

そう僕に言う

 

  

僕と連絡をとるのに奥さんはLINEに慣れた

イベントが終わっての翌日

「あなたはただもったいない。」とメッセージをくださった

  

幾らになったんだか知らないけれど

「紹介してくれてありがとうございます」と30以上も下の人間に頭を下げ

「いつでも来なさい」とそう僕に言う

 

 
 
 
 
最近思うのは
 
このお二人に出会ったのは陶芸をやるためじゃないんじゃないかと
 
見なさいと
この二人をただ見なさいと後ろの人が引き合わせてくれたんだと
 
あの目を、あの手を
50年やってきた人間の色気とその舌を
 

 

 

領域を失くした奴らを嫌悪し憎いとすら思う

同時に残された領域で生きている人たちを愛おしいとも思う

 

これが削いできた結果であるならばいずれ人という存在はいなくなる

これは戦いだ

 

何も知らないのにぺらぺらと書いてはまた自分が恥ずかしくなる

でももうかまわないんだ

 

 

 

夜空を見ては、何光年も向こうからやってくる光に見上げるという行為で意思を表示する

「お疲れ様でした」

僕の網膜は終わりを刹那刹那丁重に迎えては

繋いできたものは自己の為だと理解する

 

 

これは事実であり 

やがて生み出す物は光か闇か

慢心と謙虚を同居させつつ

今度は微粒子を掻き分け意識は瞬時に膨張する宇宙の彼方で僕は薄皮一枚向こうの宇宙に会釈する

「ダークマターが何だって?」

「あれは梱包材の様なものさ」

 

計算式は奏で、未だ見たこともない物質と概念の上で心地よく

さらにゆらぎがまた僕の中で起きやしないかと期待をする

 

僕の中で 

 

 

 

現実は粉塵まみれで汗をダラダラたらしながら石膏ボードと角材相手に奮闘する毎日だ

そうしてあれを作ってやる、これを描いてやると頭を巡らせながら終業と休日を待つんだ

それが現実

 

帰ってきてクタクタになりながらも作業机にへばりつき、泥の様に眠る

それでもやりたいんだから僕はやるんだ

 

親方の傷だらけで厚皮の手も菊池さんの手もやってきた人の手だ

昔話はいつの時代の話だ?

そうやってやってきたから僕にもその血が流れてる

やったらいいんだ

薄皮だけど汚したものは沢山ある

戻れないし必要もない

証明する

 

 

 

秋までにもう一段上る

そうしたら

 

 

 

また少しだけ空が近くなる

 

 

 

 

 

6月

フェルムドフェス

 

7月

真夏の植物園

 

10月

クラモノ。

 

11月

益子陶器市


水をあげたのは誰か?

2019-05-14 23:39:37 | Narld

イベントが終わって

テント畳んで車に片付けた荷物積み込みして最後に箒で掃いてはみたものの

アスファルトの上をどうキレイにしたらいいのかわからなくて、僕は早々とビス落ちてないかに切り替える

 

それでもじっと丁寧に掃き続ける姿を見ては

その人に沢山の人が魅かれていく理由がそこにはあった

 

キレイにするのはもちろんなんだけど

それは所作

取り組むときもそうなんだろう

作品に乗り移ってくるんだよね、姿勢、芯として

だから出てくる

僕はそれをキラキラって呼んでいる

 

今までいろんなイベントに出たりお客さんとして足を運んだりして沢山の人のブースを見ては来たけれど

作品ひとつひとつからあんなにキラキラが沢山出てるブースを見たのははじめてだった

 

 

だから言った

「はい、是非一緒にやりたいです」と

 

 

本当に何年ぶりだろうかね

この人とやる為に絵を描いた

絵しかないと思った

絵と植物

この組み合わせは絶対に面白いものになると思った

 

何年も前に散々苦労して

そして絵を描くのをやめた

 

嫌いになるのが嫌だったから

 

ずっと子供の頃から描いてきた

だからここだけはどうしたって負けたくない

気概で僕の皮は出来ていた

 

そんな日々から随分経って

何も描かれていない紙を前に緊張した

もう描かないんだって、描けないんだって本当に思っていたから

 

だけどペンをおろすと自然と指が動いた

イヤホンのむこうで歌う彼女は月を舞台にした

血液がペン先から流れはじめて赤血球はじっと体育座りをしていた

細胞は僕の呼吸を聞いていた

 

あんなに苦労してたのに

こんなにもスラスラ描いたことってあったかなって

完成した絵を見ながらコーヒーを一杯飲んで、高揚と満足と、そしてなによりホッとしたのを覚えてる

 

そして

楽しいと思った

 

僕は僕に追われ、鉛筆を削るように尖ろうとしていた日々があった

大体いつから自分のことを僕なんて言うようになったんだろう?

そういえば、描いてて楽しいって思ったことなんてあったのかな?

 

冷静になってくると

やっぱり「まだまだだな」とか出てきたけれど

やれるんじゃないかと思った

というよりやらなくちゃとか、やるべきだとか

いろいろ作ったりしてきたけれど

僕はやっぱりここなんだろうなって思った

次の日作業机に座ると、迷わずペンを探したから

あんたはやっぱり絵だね、家族にもそう言われた

そうでしょうね、これで散々迷惑かけたけど

これなんでしょうね

 

 

思うのは、僕に絵を描かせた彼女は凄いってこと

本来というか昔から僕を知っている人にしかわからないことだけど

まあ、描かないよね

スタンプはまあ絵だけどあれはただの欲笑

でもつくってる時は楽しいって思ったよ

逸れたけど、人を動かすって大きなこと

 

 

 

今いろんなお話を頂いている

展示?個展?いくつか

絵を描く前からイベントじゃダメだって沢山の人に言われ続けて言われ続けて

実現出来るかどうかはまだわからないんだけれど、僕は作品で応える

 

対峙した白紙一枚一枚に僕は僕を垂らして

あんたらの角膜に僕を描いて爪で切り込みを入れて僕って言う脳みそのしわを一つ増やしてやる

髪を結いつけ、皮膚を貼り付け、コップ一杯の血液を毎朝朝食と共に用意してやる

意識しなくてたって、影だけははいつも僕のほうを向かせてやるからな

恐いな笑

 

もっともっと描く、まだ出せてない

絵だけはね

指が僕に予定を聞いてくる

こっちはけっこう本気のやつ

 

秋は決まった

子供のころからずっとお客さんだったけれど、次はそこでテント出すことになりそうだ

葉の音さんと

本格的にがっちりやるというのは大変なんだろうな笑

だけど今から楽しみ

そしてこの人にはさ

今までと変わらず作って描いてそして挑む

 

 

また描けるってことが

何より嬉しいんです

 

 

 

僕を動かしてくれてありがとうございます

 

 


独り言

2019-02-26 21:06:49 | Narld

バンクシーがワイドショーで取り上げられるような時代がきたんだ笑

 

日本にもバンクシーが来たって、ステンシル主体の人たちはかわいそうな気もするんだけれど

TVでやれば本物だろうか?って近所に住んでる爺さんや子連れの主婦がぞろぞろ集まってくる

 

凄いよ、本当に

そんな時代がきたんだ

 

20年近く前、だれもこんな未来は想像できてなかったと思う

たぶん誰も

 

 

 

 

 

混沌とした時代だったって思ってる

バブルがはじけて何年経ってたんだろ?

僕ら就職氷河期、何勉強してたんだって時代

上からただ力という力で押さえつけられてた世代

いろんな嘘がバレるちょっと前

新聞とかテレビが全てだった時代

知らなかった時代、世代

 

90年代後半

 

ぐちゃぐちゃに散らかった雑踏とガラス片が散らばったぬかるんだ道を裸足で歩かされた世代

指標も基準も共有もない、それぞれが、それぞれを教え込まれた世代

みんなイライラしてた、わからないから

わからないということをわかりはじめたのは少し下の世代

僕らはただ何が正しいのかがわからなくてイライラしてただけ

 

 

 

 

同じクラスにパンチパーマのヤンキーと坊主頭のいわゆるBボーイがいた時代

でっかいピアスの穴、安全ピンをめっちゃチェックに刺してたパンク

裏原系、並ぶ、贔屓のブランドのビニール袋がボロボロになっても田舎じゃ大事に背負って使ってたんだぜ

ロン毛に日焼け、アメカジ、みんな茨城弁をしゃべってた笑

TVでエヴァンゲリオンがはじまって、何も持ってないって自分で思ってた連中だって、

俺達だって!俺達だって!!って時代

 

いろんなのがいた、

本当にいろんなのが

みんな自分たちが信じたスタイルを持っていた

 

 

 

雨が沢山降っていて、風が強かった

定まらない流れは惑わす様に淀んでいるようで底はきちんと強かった

ガラス片が足を切る

腰まできてて、浸かりながら同じ色の服を探してた

 

何かを持たなきゃいけない時代

そうじゃなければ立っていられなかった

僕らはそう感じてた

 

それぞれがそれぞれの音楽を聴きながら21世紀に挑んでいったんだよね、俺ら若いのは

 

 

 

 

2002 LONDON

 

20年近く前、アメリカやヨーロッパの名の知れたライターがギャラもらって沢山日本に来てた

日本にだって都内、横浜、広島

仙台にもカッコイイ人たちは沢山いた

 

同時にいろいろと独自のものが発信されていった時代

カルチャーが東京をTOKYOにしていった時代

 

バンクシーは日本には来なかった

BOSSは札幌で東京をディスってた

彼らは正しかったと思う

 

トレインスポッティングのポスターとドンキで買ったよくわからない安酒と3ミリ青ラベルのLucky Strike

みんなで鍋をつつく

 

カノジョにNasを教えてもらった

元カレは毎日親にもらってた昼飯代を貯めてターンテーブルを買ったんだってよくネタにしてた

彼らも正しかったとは思う

 

 

時代が変化してた

 
 
 

僕はペンに持ち替えてた

IKKIが創刊された

新時代

田舎のTUTAYAでめちゃくちゃに山積みになった創刊号を見て本当に驚いた

隔月販売の月刊誌がこのメンツでこんなに売れるわけないじゃんって 

「コミックは未だ黎明期である」

爆発しなかったのは編集のズレ

未だ覚えてる、何回も読み返したから

面白くてさ、凄いメンツだった

 

 

うちは週刊誌だからって、天下の大衆誌なんだって何度も言われた

そういうことじゃない

うちは規制甘いのよ、ドリルでぶっ刺す描写も通るんだから

そういうことじゃない

だからうちでヤンキー漫画描いてよって、今までにない乾いたやつ

そういうことじゃない

 

この人はなんもわかってないんだって思った

紅の豚のCMつくった広告屋と同じ

もう少し我慢して、いろんなことがもう少しうまい方にズレていたらって

僕はどうなってたかなって、未だに思う時がある

 

自分で髪を切るようになった

塚本晋也とアロノフスキーをまだ観てた

キューブリックにはまってた

life is beautifulを観てこれが映画なんだと思った

片っ端からTUTAYAで借りて観てた

黒澤映画にはじめて触れて、ひたすら雑踏で人を観察してた

どう面白い話を作ろうかをひたすら考えてた

本当に壊してやろうと思ってた

井上3太が大嫌いだった

彼の従兄弟の漫画は好きでよく読んだ

ヒマがあれば図書館にいた

三島が好きでキレイな日本語に触れていたかった、でも女性が描けなくてよく山田詠美を読んでいた

弐瓶勉が盛大に評価される様な時代になればいいなって思ってた

細分と統合が同時に起こり始めた時代、なんか焦ってた

むちゃくちゃだったけれど良いなって思うものはなんでも受け入れた

大学に行かなくなってた

トランス聴いてひゅーひゅー言ってた

中古のツートンのクラウンにいつもぎゅーぎゅーに乗りこんでいた

 

浦沢直樹

「20世紀少年」の1ページ目

放送室

 

21世紀

変化していったのは僕

電車にゆられてただ家と職場を往復してた 

 

 

 

昔の連中に会ったあとね、ひとりになると涙が出そうになる時がある

がんばってるなって笑、がんばってきたなって

竹中直人のあれは何が面白いのかわからない、なによりリアルじゃないし気持ちが悪い

人は笑いながら泣くんだよ笑

 

連中はちょっともの悲しい、寂しい顔した奴が多いような気がする

気のせいだろうか笑

 

 

某メーカーのヘアスプレーのノズルはラインつくるのに良いんだぜって

「何に使うの?」ってよく聞かれて、母親に「取っといて」って

ガスが充満しちゃって感知器がなっちゃってみんなで逃げたねって

明け方早起きの婆さんにキレイな絵だねって褒められたねって

そんなことあったねって

 

そんなくだらない話を、またしよう

まともな酒だって飲めるようになったね

今やってる仕事の話をまたしよう 

家族の話をまた聞かせてくれ

 

 

去年サンリーフマーケットでお客さんから聞いた

KAZZROCKがデザインした服がしまむらで売られてるんだって

あのKAZZROCKですよ?って

 

何をか言わないけれど、見に行ってきたよ

僕も

本当なんだろうかって

みんながバンクシーを見るように

 

 

どっちがとか意味はない

でも実際はそこにこだわってきてた

だからあえてわからない態で書いておく

いろんなことから離れて僕はこっち側にいる

というか一度だってそっちには行っていない、僕はずっとこっち側の人間だ

 
 
 
バンクシーがワイドショーで取り上げられるような時代がきたんだって最初に書いたけれど
正確には、彼がそういう時代をつくったんだ
 
 
 
人生でチャンスが一度でもあればそれは恵まれてる方だと思う
 
どれだけの時間を使ってきたんだ?
どれだけの努力をしてきたんだ?
まだまだ書けないことだって山ほどあるでしょ?
終われないんだろ?
 
このペンはまだまだ置けない
ずっと続いてるから
ずっと、ずっと
 
 
 
集約するんだ
 
そして開放しよう
 
 
 
20年近く前、今の自分を全く想像もしてなかった 
もし会えるなら山ほど言いたいことこがあるんだけれど
 
ただ、早くしないといつか言われたようにヒマラヤの麓でお坊さんになっちゃうかもよ、とだけ言いたい

12月15日

2018-12-15 20:54:09 | Narld

あぁ、こうやって感情てのはなくなっていくんだなぁ、、、と

仕事帰り、運転しながらはじめて思った

 

誰が悪い訳でもなく、ちょっとしたすれ違いだったり

それぞれだから

 

誰が悪い訳ではない

 

 

 

旋盤のモーターがやけてしまい、何も手につかず久々にブログを開く

いろいろ作ってきたんだなーと、ただ

 

 

人が生まれて死んでいく様に

僕がつくるものにはひとつひとつにストーリーがある

特別なものではなく、奇をてらうものでもなく

この世界にありふれた、普通のお話

 

手にとった人がどう読むかはそれぞれだけど

ただ僕にとっては特別な、大切なお話ばかり

 

 

20代の頃いつも一緒にいたヒトは、「希望なんかもつもんじゃない」ってよく言ってた、「がっかりするだけだから」って

彼女が諦めたものはごくごく普通のものだったけれど

そう、世の中には叶わないものが沢山あったりする

 

 

「Porco Rosso」

最近よく聴く

 

宮崎駿はなんであの映画を作ったんだろうてよく思う

そうすれば、久石壌はこんな曲つくらなかったのにって

 

諦めた訳じゃないんだよね

強く、強く生きようとしたんだと、今は思う

 

 

人が生まれて死んでいく様に

僕のはひとつひとつにストーリーがある

特別なものではなく、奇をてらうものでもなく

この世界にありふれた、普通のお話

 

手にとった人がどう読むかはそれぞれだけど

ただ僕にとっては特別な、大切なお話ばかり

 

 

世の中には、叶わないことが沢山あったりする

でも僕は、今を薄めることなく生きようと思う 

強く

 

 

 

 

まだ半月ほどありますが今年一年ありがとうございました

現在進行形ですが忙しい一年でした

来年は少し露出を増やしたいと考えています

何日とれるかわかりませんが正月休みにイベント一年分の物を作ろうとずっと気をためています笑

早くしないといけない理由もできました

素敵な出会いもありました

いろいろと思うこともありました、だからメインに作る物は変わります、仕方のないことだと思います、ネガティブな変化ではないです

本来の、原点ですね

ここからまたはじめようと思います、繋げて

 

生きたいという物が沢山待っています

だから

色あせない様に、早く、でも焦らずに、雑にならないように、丁寧に、早く、早く、沢山、

学んで、学んで、考えて、閃き、研いで、込めて、磨いて、

込めて、込めて、粘って、粘って、粘って、我慢して、開放して、

沢山感謝して、謙虚に、

素直に、形にする

 

そして、一目でも見てもらって何か感じてもらえるものがあれば嬉しいですね

 

 

「惰性で生きてる訳じゃないからー♪」って10何年経っても耳の横に置いています

燃えているので熱いです笑

このまま年を跨いで年号の変わり目も跨いで行こうと思います

 

今年一年皆様ありがとうございました

来年度もどうぞ宜しくお願い致します!


記録 ミニチュア

2018-10-07 17:30:20 | Narld

テーブルと椅子

写真のはW104mm.H64mm.D82mm

3枚目は外で約2年使用したもの

 

 

 

アンティーク家具風の木箱

底穴開いています

ベースになっている木箱は外寸W71mm.H51mm.D61mm

またはW94mm.H38mm.D52mm

脚部含めるといずれもH90~100mm

強度の問題により脚は芯材入りのレジンで作ってます

希望されれば木材でも可能

 

 

 

 

女の子

レジン製

乗っている鉢は1.5号鉢

底になる部分はレジンで


無題

2018-05-26 23:53:14 | Narld

子供の頃

僕は感情というものがなんだかよくわからなかった

 

どういう時が楽しくて何が悲しいのかがわからなくて

 

だから同年代の子達がきゃーきゃー楽しく遊んでいるのを端で見ていて

それがどういうものなのかホントによくわからなかった

 

最近そんな話を人にしたらなんかかわいそうな子だったんだねと言われたけれど

わからないものはわからないんだから

そういう子でした

 

今はわかりますよ、だいたい笑

 

 

この子にはモデルがいる

僕は子供がどういうものなのかよくわからないけれど

僕の子供の頃とは違って感情を全力で表現できる子

端からみればわがままに映る場合もあるけれど真っ直ぐな子

生き辛いことがあっても自分と親を信じている子

 

 

全力でぶつかってくるから30近く離れた子供とよく喧嘩もしたけれど

僕もそんなんだからダメなんだけど笑

彼女との思い出は楽しいものばかりだ

 

夢から離れて会社から離れて子供の時の様に毎日感情がなくなっていた日々に

あぁ、こうやってまた生きなくちゃと彼女に教えてもらった

 

 

那須を拠点に活躍されているTHE DEAREST ONEさんが植えてくれたもの

 

自分にはうまく表現出来ていなかったので

姿もですがお花の色と紫と深い緑が持つ意味が自分にはどんぴしゃでした

凄いです

素敵です 

この写真本当に感謝しています

 

 

 

これを書いている間だけ彼女をちょっと思って、また頑張ろうと思う

そして

貴女がこんな色を纏える様な

素敵な女性になっていくことを願っています

 

 

 

  

 

両日参加予定です

よろしくお願いいたします 


無題

2018-03-24 23:57:27 | Narld

記憶違いなのか、廃番になったとずっと思っていた筆を画材屋で見つける。

 

とりあえず、ざっくり買っちゃったんだけど

なんだかなー。今ですか?

手は動くんだろか

 

 

筆入れせずに途中の引っ張り出してきたけど

カビ臭い

見れば、それは仕上げたい、、、

新しい世界

 

 

 

 

僕は票が取れなかったんだよね

 

「選ばれる人は、芯にあるのが普遍だから」

表現においての普遍ていうのは感情なのかなー 

 

僕は下手くそだっただけ

 

 

10年近くなります

寝てました

読み返して、でも

やっぱりどれもこれも良いと思います笑 

大事にしないとね

 

 

 

Narldさんは本業に押されて苦しい様です笑

レディーバードさんのイベント出ます

現場で端材で棚を、サワラとMDFで何個か隠れてこそこそ作ってます

大きめの木箱も出来たらなーとは思いますが間に合わないでしょう!

棚は写真ないけど満足してます

 

鉢は良いと思ったの出来たら持っていって見てもらいたいです、まだ作ってもないですが。

ミニチュアは椅子と他にも用意したい、あれもこれもで恥ずかしいんですけどごちゃごちゃと持って行きたいです。

 

 

 

間・に・合・え・ば

 

 

 

 

 

 

あと、絵をね

せっかく再会したんで

そういう時期なんでしょう

 

宜しくお願いします。


目的地にはならないこの街で。

2018-03-01 15:17:34 | Narld

僕の住む街には国道があって、駅があって新幹線が走ってて高速道路のICがある

それらは半径1キロ以内に収まってて

だから小学校の先生は、この街は東北と関東における交通の要所だから、広島、長崎の次にこの街に3個目が落ちる予定だったと得意げに社会の時間に話してたのを覚えてる。

実際には新潟だったって知ったのは暫く経ってからだけど、子供の頃はなんかすごい街なんだってただなんとなく思ってた。

 

通学路にそれらを一望できる場所があって学校帰りにただなんとなく振り返って見てたのを覚えてる。

なんとなく。

 

ICの近くに新幹線の駅ができるって話があったけど。

違う街にできて、この街には有力者がいなかったんだろうな。とか

あの企業がとか、あの国会議員がとか。

知らないところでこの街の未来は決まってて

それらをなんとなく目にしたり、耳にしたり。

 

なかなか目的地にはならないこの街で

 積もった感情や感覚は、日常であっていつかは歴史になって。

 

刹那が詰まった様なこの街で

作ったもの描いたもの。

出たり戻ったりだけど僕はずいぶん形成されてきたんだなと思う。 

 

何もない街はない。

 

 

ウォールナットを大まかに

糸鋸が焼けたのでドリルをトリマー要領で。

 

ルーター、刃物で整形。

1ミリの彫刻刀が仲間入りしたので細工

スタンドルーペが欲しい

 

こちらはクルミ

脚を裏から

 

前脚は留めからのカーブ

 

こんな感じ

 

からの背もたれつけてクッションつけて完成

 

ウォールナットのほうはこんな感じになりました

クッションはボロボロのを試しに

 

先々週?the dearest oneさんとこで

多肉植物や陶器等何枚かステキな写真を撮らせてもらったので、後日インスタに

 

あーしたいこーしたい、ここがダメ。まだまだあるけどこれはこれで

また10個も作れば課題はまた出てきてくれる

 

久々だからか昨日から書いているんだけど、何を書いているのか自分でもよくわからない。

 

 

なかなか目的地にはならないこの街で。

 

ただ書きたかったのは

ここから、いくらだってどこにだって僕は行けると言うこと。

書いてないけど笑

 

仕事が忙しく、何も作れてないけれど、今年の最初のイベントは5月に鹿沼のレディバードさんのイベントになりそうです。

もっと出たいんだけど持って行くものがないので。

 

今日は風が強いけど暖かいです。