ゴールドベルグ日誌 Var.5-8

2011-02-25 | 音楽
Var. 5
ここまでの変奏は全て1段鍵盤だったがここで初めて2段鍵盤が登場する。とはいっても但し書きに1段又は2段鍵盤とある。2段鍵盤の変奏はこの後も出てくるが概して華麗でゴージャスなテクニックを披露する変奏曲が多い。その第一番は少し控えめだ。多分実際の演奏を考えて少しずつ難易度を上げてゆこうという意図ではなかろうか。

二段鍵盤変奏曲は左右の手が交差する。それぞれの手がかなり広い音域をカバーするように書かれている。その見た目の効果を出すことは弦楽トリオに編曲する場合ほとんど無理であるが何か工夫をしたいところ。

急速に動く16分音符の音形はC dur無伴奏ヴァイオリンソナタのフィナーレを思い起こさせる。一応無難な書き方で書いてみたが、ちょっと思い切った楽器配分も考えられる。書き直しの余地大いにあり。

Var.6
Canone alla seconda 2度のカノン。
1度のカノンと同様に完全な3声の完全なカノン。最低音の関係で中声はヴィオラ。この変奏もそのまま何も手を加えず。

Var. 7
一段又は2段鍵盤。ジーグのテンポでとの但し書き。跳躍リズムのフランス風ジーグ。
初めから終わりまでなぜか2声。ヴァイオリンとチェロでそのまま弾ける。
ためしにヴィオラのパートを付け加えてみた。ただし弾くかどうかは保留。
バッハが必要と思ったら書いたであろう声部であるから書かなかったということは不要ということだ。確かに和声がはっきりするようにかなり周到に書かれているので、間に入れられる音の選択肢はかなり少ない。

Var.8
二段鍵盤。ここで初めてはっきりと2段と指定した変奏曲があらわれる。両手がかなり複雑に絡み合う箇所が多い。例えば20小節目では同じDisが2回同時に出てくる。ピアノで弾くにはどちらかの手は弾かなくてすむ音だが、反対によく両手が絡まってしまわないものだとピアニストに感嘆してしまう。
ここでも喜遊曲的というかディヴェルティメント風というか、遊びの楽しさを聞く人に味わってもらいたい。遊ぶにはまず音を弾けていなければならないことは確かだが、バッハはこういうところで音楽の楽しさを教えてくれる。

ゴールドベルグ日誌 アリア-Var4

2011-02-23 | 音楽
アリア。
この間はオブリヴィオンの事を書いたけれど、この主題も本当に美しい。
アンナ・マグダレーナの音楽帳にもバッハが入れたくらいだから気に入っていたと思う。
この主題を変奏すれば誰が書いてもそれなりに美しい音楽が出来るはずだ。

4分の3のサラバンドの様式を踏襲しているので2拍目に強拍が来る小節が多い。たとえはM3、M12のように。サラバンド、、、やっぱりラテン音楽だ。スペイン起源で元来は粗野で卑猥ですらあった民衆のダンスと歌の音楽。そう、歌なんですね、サラバンドは。

弦楽三重奏の編曲はこれといった問題はない。 付点二分音符の伴奏形をソステヌートで弾かないために何か工夫しようと思ったが止めた。
沢山ある装飾音は奏法を記譜しようと思う。
ヘンレー版ではグルペット(というのかな)が5種類ある。その他に8分と16分の前打音。
これらを間違いなく正しい方法で弾いてもらいたい。
終わりの方で指を残す奏法が出てくる。ピアノのペダル効果のように、チェンバロ独特の響きを作る奏法だが、少しだけ手を加えた。

第一変奏曲
バッハらしい愉快な音楽だ。うきうき、はつらつ。眠るにしてもまずこのヴァリエーションではまだ起きていられるでしょう。もともと弦楽器的動きなのでトリオにはもってこいの音楽だ。
テンポの歯切れが悪くならない限り結構早いほうがいい。四分=120くらいまでが限界だろうか。

Var,2(以下こう省略)
一見6度のカノンかと思うがカノンではないカノン風変奏。
四分音符=80から90くらいか

Var,3
Canone all'Unisuono 1度のカノン。
ヴィオラにはちょっと不自然な高い音域なので、ヴィオラをヴァイオリンに持ち替えで弾いてみてはと思っているがまだ少し迷っている。前後に持ち帰る時間はあるが、現実的にはヴィオラ奏者が嫌がるかもしれない。
カノンは言うまでもなく一字一句として異ならない。バス声部の対応が見事。編曲の必要は全くない丸写し。

Var,4
8分の3。 リズミックなモチーフの4声のイミテーション変奏。
第一の難関。木管3重奏では省略するしかないが弦楽器は重音を使えるので何とかクリアした。
問題は伸ばしている音の間にリズミックなモチーフを入れざるを得ない場合。繋留音は途切れると無様になるので、結構工夫がいる。
声部の違いがはっきりわかるように書く。一部チェロとヴィオラに振り分けられた声部もある。
実施に弾いてみるまでは少し不安の残るヴァリエーション。

ゴールドベルグ変奏曲

2011-02-19 | 音楽
昔から暖めてあったゴールドベルグの弦楽三重奏用編曲をまた始めた。
4月に演奏できるかもしれない予定が入ったからだ。

これも指を痛めたおかげでずいぶんはかどった。
ロシア人の何とかという人がすでにやっているのでちょっとなんだが、自分が書いてみようと思ったきっかけは僕のウエブサイトにも書いたように、この編曲にいくつか疑問があったからだ。
こちら

自分なりに書いてみたいという衝動である。
書いていて本当に楽しい楽譜である。ただ丸写しにするだけでも楽しいと思う。

どっちにしても、例えば二段鍵盤に書かれているヴァリエーションの効果は所詮出せない。
最低音がチェロより低いという音域の問題もある。(こちらはそれほどの問題ではないが)
あとは4声で書かれたヴァリエーションをどお処理するか。問題は多いけれどちょっとかっこつけて言えば、知的作業として大変刺激的だ。

ご存知の方も多いでしょうが、この30曲のヴァリエーションは1度から9度までのカノン9変奏曲の間に、一段鍵盤用、二段鍵盤用の時には技巧的、時には作曲技法的に技巧的なディヴェルトメント変奏を挟んで巧みな調的、音楽的構成で出来ている。
一説によるとゴールドベルグさんが不眠症で、眠りに付く為に云々だそうだが、これを聞きながら僕は少なくとも眠ることは出来ない。

ベートーヴェンが「ディアべリ変奏曲」を書いた時この曲を知らなかったとは思えないけれど、このふたつの変奏曲集はとても似ていて、全く違う。なんともこの2曲は凄いとしか言いようがない。

実は「ディアベリ」も弦楽四に無理かも知れないが、書いてみようとひそかに思っている。

この編曲で一番の問題は鍵盤楽器独特のエクリチュールをどうするかだ。
一番簡単な例は平均率 I のNr1のプレリュード、ドミソドミソドミを弦楽トリオで弾いてみることをお考えいただければ充分だろう。これは考えたって仕方がない。何とかするしか。

もうひとつは4声の曲をどお処理するか。こちらも難しい。

それで今日書きたかったのはカノンの話である。
カノンは一度ひとつの声部を書いたらその次点でもうひとつの声部は確定してしまう。自分が書くから好きに書いていいだろうというのはいけない。やれば出来るけどそれはもうカノンとは言わない。まあ結論的にカノンを書くのはそこをクリアすればそれほど難しいものではなくて、誰でも出来る退屈な作曲理論です。

だけど、それを厳格に守って、しかも(かなり厳格に)主題の変奏になっていて、しかも美しい音楽であるということはほとんど神業に等しい。

ここまでは僕もバッハの凄さを知っていたつもりだった。
ところが編曲中ピアノで時々弾いてみて今度は全く新しいことに気づいた。

それは人間の手である。
バッハは多分片手で9度以上の幅は書いていないと思うが、(違っていたらお知らせください)カノンの場合、そこも考慮しなければいけないのだ。
だから言いたいのはカノンのテーマをまずたとえは中声で書き始めたとする。ううん、いいぞ、これはとか思って書いていたら上声が指が届かなくなってしまったなどということが充分起こりうる。

といってみたけれど、バス声部で調節も可能かとも思うが、、、
いずれにしてもこの頭脳と感性と人間の手への思いやりまで、凄い人だ。

Oblivion

2011-02-17 | 音楽
まるまる4日間練習できなかった代わりに音符は沢山かけた。
まずは来週月曜日にあるコンサートで弾くPiazzollaのOblivion。ピアノがないので9人のアンサンブルに直してくれとの事だったが、どうも気が乗らない。
ピアノトリオに編曲してある楽譜をもらったがどうもぴんとこない。

そこでYouTubを見てみることにした。
あったあった。この人がやるとまるで違う。はっきり言えば和声も旋律もこれといった目新しいものではないのだが、なんと言う演奏だろう。何度聞いても胸を揺さぶられるような演奏だ。この曲は特に下手に弾くと安っぽいお涙物になっていやである。Youtubeにもそういうのがどっさりあった。

編曲はこの感じでやろうと決めた。演奏がこう出来るとは到底思えないがせめて真似だけでも。何を真似るかというと微妙なルバートである。
ピアソラのルバートを譜面に書き取った。というより書き取る試みをした。
ジャズでもそうだがこういう音楽は伴奏は絶対に動かない。

オペラを30年もやっていると歌手に合わせるというあのニョロニョロとした骨のないやり方に時にうんざりすることがある。
若い頃はそうやって自在にあわせられることに満足を覚えたが、もうそれも飽きた。

それにオペラといえども全部が全部そうとは限らない。いや本当を言えばほとんどはテンポ通りでいい。プッチーニですらそういうところが結構ある。それなのにどうしてやるか。ひとつは歌手の我がままである。
もうひとつは歌手がそうしか出来ない。この場合は仕方ない。歌手は合わせてあげるとどんどん「のどの都合」が先行して、止め処もなく伸びたりしてしまう。だから指揮者はしっかりとしていなければならないのだ。

しかし実はこれは異常なことだ。
バロックオペラではルバートはしっかりとした伴奏形の中で行うのが常識だ。これを別の言い方でアゴギークという人もいる。チェンバロもそうである。モーツァルトもピアノの演奏法でそれを言っている。右手は自由に、しかし左手はテンポを維持するのが本当のルバートだと。(ということはこの頃すでにそうじゃない演奏があらわれてきたということか)
だからモーツァルトのオペラはオケが動いてはいけない。歌手にニョロニョロ合わせる演奏は良くないのである。(断定してしまった)
演歌もロックも歌謡曲も、皆この原理である。

話がすっかり横道にそれたが、ピアソラも旋律だけが自由に動く。
その動き方がおそらく即興だと思うがなんとも味がある。譜面にすると5連符や面倒なリズムなどを使わないと書けないが、到底自分はあの即興感覚を真似できない。
他の8人とて同じだと思う。クラシックをやっているとこういうことが出来なくなる。


月曜のコンサートはHipHopのダンサーがこれに付けて踊るんだそうだ。リヨンに住んでいる会社経営者のお宅のホームコンサートだが、9人の奏者が入ってダンサーも踊れるくらい広い家である。なんとテレビのニュースが取材に来るという。


左手小指の故障

2011-02-15 | 音楽
もう3週間が過ぎたというのにちょっと引っ掛けただけの小指がまだ痛む。

痛みが直らない原因はチェロを弾くからとわかっていたので、今日はついに仕事を休んだ。
週末は休みだったのでこれで丸3日楽器に指一本触れていない。

この間くるぶしのリハビリに行って(1月に捻挫した)、この小指のことも聞いてみたら小指の内側にはミミズのような筋肉があって「カーテンのひだのように」折りたたんでいるのだそうだ。指を開く時にそれが伸びる。それを必要以上に伸ばしたので、この筋肉に小さい裂け目が出来ているのだそうだ。

なあるほど。

ところが、チェロを弾くにはこの筋肉の収縮のオンパレードだ。
それでも、じき直るだろうとたかをくくってずっと仕事に出ていたのが良くなかった。
今朝(14日)医者に電話を入れて1日のドクターストップを書いてもらう。

明日はまた休みなので合計5日弾かないですむ。それでもダメならさらに休みを伸ばすまでだと、開き直る。

それにしても、長い。
年をとるとはこういうことか。

ラファエル ナダル(テニスです)だったらもう復帰しているのにな。