津留崎直紀 Violoncelliste

フランス在住34年のチェリスト

ローランギャロス 又はテニス全仏オープン

2011-06-01 | フランス リヨン 
昨日までとはうって変わって今日は日中でも15度あったかどうか。今は12度。冬の気温並み。今日は一日中冷たい雨がしとしと降る天気。干ばつで家畜飼料が不足し始めたフランスには恵みの雨といいたいところだがこれではまだまだ足りないでしょう。
いまパリのローランギャロスではテニスの全仏オープンの真っ盛り。先週までの暑さはうそのような寒さで、テレビで見ていたら観客席はオーバーや毛布が目立つ。17度との事。

テニスはあまり盛んでは無い日本だが世界の4大大会のひとつの全仏オープンは毎年フランス恒例の一大イベントのひとつ。どうしてもテレビを沢山見てしまう時期なのです。

今日はフェデラー対フランス人の希望の星ガエル モンフィスの準々決勝だった。モンフィスには悪いがなんとしてもフェデラーに勝ってもらいたかった。期待通りフェデラーのストレート勝ち。

どうしてかというとひょんなことから娘の友達から日曜の決勝のチケットが手に入ったのです。日曜は11時のTGVもさっそく予約した。日曜の決勝はたとえ相手は誰でもフェデラーを見たい。あの天才的テニスをこの目でぜひ見たい。準決勝は悪い事に今シーズン負け無しのジョーコヴッチとの対戦になってしまった。どうせだったらこの準決勝も見に行きたいががそうも行かぬ。フェデラーの健闘を祈るばかり。

今大会のフェデラーはかつて向かうところ敵が無かった頃のフェデラーを思い起こされるような、試合振りなのでひょっとしてと希望的に観測している。ジョーコヴィチは今年2回もフェデラーを圧倒的に破っているんだけど。

日曜はニコンをもってパリに乗り込むぞ!
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パリの中華惣菜屋さん

2011-01-06 | フランス リヨン 

旅行中一番困るのが食事。

普段温野菜をたくさん食べているのでこれを調達するのが旅行中の最大の課題。

最近パリには中国人がすごく増えたが、むかしは惣菜屋さんが下町のどこにでもあったものだが、
その惣菜屋さんの多くが中華になっている。
ガラスケースに肉、魚、餃子、チャーハンなんでもそろっているが
野菜を茹でただけの物があってこれは嬉しい。
しかも、一時は安い中華レストランは化学調味料の味が凄かったが、
何故か惣菜屋さんのはまったく入っていないのか
少量なのか、あの独特のいやな味がしないので二重に嬉しい。

とはいっても、昔ながらのフランス料理の惣菜屋さんが中華に取って
代わられるのも少し複雑な気分だ。

中国人進出のもうひとつの特徴は街角のカフェ。
繁華街にある大きいところではなくて、カルチェの小さいカフェが
どんどん中国人経営に変わっている。
その昔は何故かオーヴェルニュから身ひとつで上京して来た
貧しい人たちの経営が多かったと聞いたが、時代は変わって
今は中国から来るのだ。

その他Sushiはもう眼を覆いたくなるくらいどこにでもある。
いまや押すに押されぬファーストフードと化したが、プラスチックケース
入りワンセットが10ユーロ前後、ひどい味、栄養的バランスは最悪。
高くてまずくて、健康に悪くて。。。
アレはほんとに詐欺に近い。

わはは、、、、
それをなぜだかフランス人は日本食=健康といいたがる人が多いのが不思議だ。

因みにホテルのそばの中華惣菜屋さんでは8ユーロくらいで、チャーハン、煮た野菜、
肉か魚の炒め物が店で座って食べられる。

 

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新年の雑感

2011-01-02 | フランス リヨン 

2011年になった。今年も皆様にとって良い一年でありますようお祈りいたします。

友人からの年賀メールが届いた。
新しく入ったオケのメンバーの父親は自分より若いと知って
ちょっとショック?だったようだ。
うん、よく分かる。オケという所はそういうところだ。

僕のいるリヨンオペラ座は83年に創設された。
J,Eガーディナーは当時確か42歳。もともとの性格も闘争的挑戦的な人だが、
今考えれば42歳という若さでその性格も今よりもっと強かった。
僕は当時29歳。
全て新規に採用された若いミュージシャンばかりで、一番若かったバシストはまだ
16歳なので、給料を振り込む口座を開設できず、両親の講座が振込先だった。

そして月日は流れ21世紀に突入してからもう11年目になった。

若かったあの頃のミュージシャンたちも一昨年オケ始まって以来の定年退職者が一人でて、
今後次から次になだれ現象的に定年退職者が出てくることになる。

去年はヴァイオリンで二人新しく入団した。一人は24、5歳かな。
もう一人も同じかちょっと上。自分の子供の年より若い!
どちらもまじめな好青年である。いや、今の若者皆まじめだ。
一年間の研修期間中は特に。

家内に言わせるといいじゃないの。当たり前じゃない。ということになる。
そう。そのとおりだが、、、なんとなく上に書いた友人の気分なのだ。
どういう気分といって、どういう気分だろう。
なぜだろう。自己分析すると、多分兵隊はきついなという考えなのだろうと思う。
今年は出来れば兵隊家業から少しずつ足を洗って行きたい。

HPで別の雑感もあります。 こちらから お読みください。


 

 

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10月最後の週末

2010-10-29 | フランス リヨン 
早いものでもう10月も終わろうとしている。

年のせいかこの時期がだんだん嫌いになってきた。
秋になると日差しがぐっと低くなる。当たり前だけど。

低いと言うより水平線に対する軌道の角度が極端に小さくなる。
だから低い位置にいる時間が長い。

ヨーロッパは緯度が高いので、このリヨンですら稚内よりずっと北の、北緯45,7度。
南仏マルセイユが札幌と同じ緯度なのだ。
以前稚内のノサップ岬に行ったときにそこにある標識に
世界の同じ緯度の場所が書いてあって、フランスはグルノーブルだと知った。


朝夕の通勤時は晴れているとまぶしくてしょうがない。
まあそんな日はあまりないけれど昨日はそうだった。

さよう、「斜陽」なのです。
だからなんだかうら寂しくてどうも憂鬱な気分になりやすい。
中高年は特にこの時期ノイローゼになりやすいと聞いたが、そうだと思う。


いっそのこと冬眠できたらいいのにな。クマのように。
来年の3月ごろまで。

お互いに気をつけましょう。


今日から終末、じゃなくて週末と言うのに空は真っ暗で雨模様。

明日からやっと冬時間になる。
冬時間になっても何も得はしないのだが、朝1時間遅く起きられる。
知らずに起きると得をした気分になるが、それも2、3日でちゃんと元の時間になってしまうのが不思議だ。




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年金制度改革 の お話

2010-10-17 | フランス リヨン 
後8年足らずで定年退職を迎えるはずだったのが、
どうもそうも行かなくなってきたようだ。

現行では、41年働けば「満額」の年金を受け取れることになっている。
今回の改革はこの部分には変わりないのだが、
退職の最低年齢が60歳から62歳に引き上げられ、
それに伴いいわゆる「定年」が65歳から67歳になる。

フランスの年金制度は日本のそれと大体同じ制度だと思う。
就労者が支払っている掛金で定年退職者をまかなう分配方式だ。
高齢化と若年労働者の減少で台所事情が悪いのは日本と同じ。
そこで誰でも考え付くのは、上に書いたような掛け金の年数を増やして、
少しでも就労者に多く負担してもらおうと言うわけで、
原理としては仕方ないと認める人も多い。

ところがどっこい、原理原則は別で、いざ自分のこととなると話が違ぞ、
と言う人が多いのは洋の東西同じようだ。

上に書いた「法定退職最低年齢」だがこれは僕にも
ちょっとわかりにくかったし、多分説明がいると思う。

日本では「定年」まで勤め上げるのが普通一般的で、
それ以前にやめると言うことはあまりないようだが、
フランス人は年金が満額になればさっさとやめてしまう人が多い。
たとえばここに19歳から仕事を始めた人がいるとして、
この人は60歳で年金が満額になる。
あと残り定年の65歳まで働いても、
年金額はもう満額なのでこれ以上増えないが、掛け金は取られる。

何も無理して働かなくても後は死ぬまで働かずして年金が入るし、
これ以上はどうあがいても年金は増えない。
と言うわけでみなに祝福され円満退職。
あまり仕事場に未練を感じたりしない人が多い。
趣味人が多いのもその傾向を強くしている。
定年退職後世界中を旅行したり、砂漠に歩きに行ったり、
絵を描いたりと実に独創的な人が多い。

他にも、色々便宜やうまい手ずるを使ってさらに早い退職をする人もいる。

とはいえ、オケでは意外や意外いつも不平不満を並べていたような人が、
定年が近づくとだんだんいうことも態度も変わってきて、
最後はホントに名残惜しそうにやめてゆく人もいる。

今回の改革で一番割を食うのは若いときから働き出した人たち。
たとえば18歳でオケに入った人で現在58歳のひと。
来年には満額の年金額に達し再来年には退職できるはずだったのが、
4年後になってしまう。
ゴール目前でゴール地点を数キロ先に動かされたマラソンランナー
の心境だろう。
お気の毒だ。

特に大学、高校に行かず若いときから働き始めた職人さんたちは、
かなり割を食う。
我々世代の音楽家もコンセールバトワールのみに通い
他に高等教育を受けず、若いうちから働く人が多かったので
似たようなケースになる。

まあ、そういう人たちより今回の大規模なストとデモは
主に、強力な組合を擁するSNCF(国営鉄道)、電力会社、
そういったところが中心になって動いているのだが。
そこに最近になってフランスの伝統とでも呼べる、学生、特に高校生が
デモに参加して昨日はけが人まで出たとかで大きなニュースになっている。

さて、僕の場合はと言うと、、、
25歳から働いているので現行の65歳では丁度40年で、
掛金年数が1年足りなかった。
(現行法施行以前は実は初め39年で、それが40年、
41年とどんどん伸びた。)
今度は67まで働けるので良かったのかもしれないが、
あと8年と思っていたのが2年伸びるのはなんとなくしんどいわ。





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散歩

2010-10-07 | フランス リヨン 
来年夏にボージョレ地方の街で例年開かれている、
イベントの音楽の作編曲を頼まれて、昨日今日は一日中地下の
アトリエにこもりっ放しだった。

イベントとは、ボージョレ地方の民話を題材にした演劇で、
シャルネーという村のお城の前にある大きな庭で行われる。
来年はこれで2回目らしく、前回音楽を担当した方が、都合で降りてしまって、
人伝にぼくの名前があがったようだ。
こういうイベントには必ず中心になる才人がいるが、
こちらもその例に漏れず、その才人は台本を書くのはもちろん、
演出も担当しギター片手に作詞作曲、までやってしまう。

彼は、定年後ボージョレに腰を落ち着けて、
地元の埋もれたこういう文化を復興することに、
多大な情熱と行動力を注いでいるわけだ。
羨ましい限りの充実した定年後を送っていおられる。

ところがどっこい、この作詞家件作曲家はすばらしい歌を書くのだが、
おたまじゃくしはまったく読めない。
ギターで弾き語ってCDに吹き込んだ歌を編曲してくれとのたまわれた。
CDに録音して持ってきてくれた歌を聴かされたときには、
ちょっと自分の領域ではないかなと思ったけれど、
なんというか、こういう熱意に僕は弱い。
結局引き受けてしまった。

ブラサンスと言ったら知っている人もいるかもしれないが、
ちょっとあんなふうな感じの歌だ。
その、おぼつかない(失礼)感じの音をCd プレーヤーを何度も聞きなおして
まず、音譜に起こす作業からはじめたのがこの夏。
これが結構思ったよりしんどかった。
蓄音機を持って村々を回ったコダーイとバルトークの苦労ほどではないだろうが。


イベントは結構思ったより大掛かりで、ボージョレ地方を愛してやまない、
近隣の村の人たちが集まって一年がかりで大道具、小道具、衣装、ほとんどが手作り。
毎月送られてくる回報に盛り上がっている様子が良く伺える。


ある日ボージョレの村にロバに乗って聖者サン・マルタンが村人ズーゼの前に顕れる。
ズーゼは聖者と名乗るマルタンをてんから信用しない。
挙句には話をしているうちにロバが大事なブドウの葉をむしゃむしゃ食べてしまって
カンカンに怒ってしまう。

村ではズーゼの息子ジュリアンと旅のサーカス団の娘との恋物語、
落雷で割れて使えなくなった村の教会の鐘の修理費を出す奇特な伯爵夫人、
ズーゼの突然の死、といろいろなことが起こるが、
秋になり収穫の時になると、聖マルタンのロバが食べたズーゼの畑だけが
大きなブドウがたわわに実っていることに気付き、
村人は剪定が肝心と気付くというお話。

今月中に7曲ある編曲を終わらせ、その後今度は3分ほどのヴィデオ映像の音楽を
3曲書かなければならない。
今日はフィナーレを何とか終わらせねばと朝からこもりっぱなし。
曲は他愛のないマーチだが、それだけで終わらせたくないので
いろいろ工夫も、と欲が出るのでその分時間がかかる。

ベートーヴェンだたらこういう時堂々と「単純、明快」に書くんだろうけど、
何しろ俗物、体裁よく作りたくなる。

それで散歩に出た次第。
1時間半も歩いてしまった。

ベートーヴェンとは違い何にもいい案は浮かばなかったけど。

まあいいか。
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モンタンヴェールの鉄道

2010-09-01 | フランス リヨン 
こちらは1908年開通当時のモンタンヴェール鉄道の機関車。
シャモニーの駅に着いたら展示してあった。
クレマイエール式とこのあいだ書いたが、調べてみたらラック式というそうな。
(むかしクレマイエールって、言ってなかったけかな??? 
フランクフルトのNくん?)

ラック式とはスイスで発達した方法で、2本のレールの間にもう一本ギザギザ
のレールを設置して、それに歯車を噛み合わせて急勾配を滑らずに
昇り降りする方法だ。こちら
ちなみにそうじゃない普通のは「粘着式」というそうだ。
日本では碓氷峠が有名だ、と書こうと思っていたらもうないのですね。

クレマイエールとは囲炉裏と言うかこちらでは暖炉だけど、
鍋や釜を上から吊るすための鉤を引っ掛けるギザギザの付いた金具。
これで火から鍋の高さを調節するわけだ。
囲炉裏にもそういう道具があったと思う。
フランスでは新築の家に引っ越しの後、初めてお客さんを呼んで
パーティーをするのを、「クレマイエール」と呼ぶ。
「かまどの火入れ」みたいな感じににている。

話を鉄道に戻すと、機関車の前に説明書きがあってそれによると、
1908年にスイスのウインタートゥールで製造されて、
平均22パーセントの坂を250馬力、53分かけて
モンタンヴェールまで登り、
一回の走行で400キロの石炭を消費してだそうだ。
当時は、密閉車両でコンパーティメント式、ビロード張りの椅子
がある1等車と、開放式で木のベンチの2等車があったそうだ。

現在はもちろん電車で、すべて木のベンチ。
1、2等はありません。
ちなみに片道12ユーロ。約20分で降りてきた。
登りはもう少し時間がかかるだろう。


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モンタンヴェールの氷河

2010-08-31 | フランス リヨン 
写真はLe Signalから見た氷河。

この地点はどこかの頂上というわけではないのだけれど、
氷河が丁度よい具合に見える。
土砂に覆われている部分が多いのでどこが氷河かな?
と思うが、土砂の下は分厚い氷だ。
写真では見えないが、よく見るとところどころクレバスがあり、
真っ白で深い氷が見える。
温暖化のせいかどうか、この数十年気温が上がって氷は
だいぶ減ったと聞いた。

ここからモンタンヴェールの駅までは下りになる。
1908年に開通したクレマイエール式の小さい電車が、
シャモニーの街から登ってくる。
開通当時は蒸気機関車。
駅の近くには氷河まで降りて行けるケーブルカーもある。
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スィニャルを通ってモンタンヴェールへ

2010-08-28 | フランス リヨン 
前にも書いたようにここからは深い谷の等高線上を歩く道のりなので、
らくな道である。
小さい子供をつれた家族連れやお年寄りもかなり多い。

とはいえ、かなり急斜面の崖の中腹に幅2mくらいに作った道なので、
うっかりつまづいて転倒したりして谷側に落ちればかなりの確率で
大事故になりかねない場所もたくさんある。

時々すれ違う若い娘さんたちがとてもきれいに見える。
さながら高原に咲いた満開の華。
目の保養になる。(おっと。 高山植物もきれいです)

少し歩き出したら困ったことが起きた!
登山靴の靴底がはがれてきたのだ。
そういえばもう相当古い。
こういうことは時々気をつけておかねばならないと知るがもう遅い。
初めのうちぺたぺた言うくらいだったのがもうごまかしようがなくなって、
はがしてみたらどうなるか見てみると、スポンジで出来た底があり、
触ってみるとさらにおくに硬い材質のもので出来ていることが分かった。
さいわい、中敷きも入れてあるので後残り2時間くらいは何とかなるだろうと、
思い切って剥がしてしまう。
もう片方も、じきに同じことが起きたが、取ってしまった。
岩の上とかで滑りやすくなるのではと心配だったが、
さほどでもない。

1時間半ほど平坦な道のりを歩いた後、いよいよスィニャル(Signal2198m)
に向けて登りになる。標高差100メートルちょっと。
ここに着くといよいよモンタンヴェールの氷河が見えるはずだ。

写真の道を登りきったところがSignal。真向かいに見える峰は多分
Les Drus(レ・ドゥリュー)だと思う。

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エギュイ デュ ミディ

2010-08-28 | フランス リヨン 
ケーブルカーでエギュイ デュ ミディに登るのをあきらめたので、
少し時間に余裕が出来た。
エギュイ デュ ミディは目の前に手を伸ばせば届きそうに聳えている。
確かに登山マニアでなくても、登ってみたくなる。
命が三つくらいあったら試してみたいが、今のところどうやら
ひとつしかないようなので、とりあえずは見るだけで通り過ぎる事にした。
初登頂した人たちがどうやって登ったかを絵入りで解説してある
看板があったが、朝の2時に山小屋を出て到着は確か16時たった。


エギュイ デュ ミディとは直訳すれば、正午の針。
12時の時計の針?みたいだが、針とは針のようにとがった山頂の事。
この他にも「エギュイ ヴェールト」(緑の針)というのがある。
実際にはちっとも緑じゃなく、三角形のとがった峰で、北側は万年雪。
時間帯や光の加減で緑に見えるのだろうか。

ミディ(Midi)には正午の意味もあるが、真南の意味もあるので、
「真南の針」なのかもしれない。
どこから見て真南なのか今度は問題になるが、シャモニーの街から見ると
そうなりそうな気もするけれど、どちらかといえば南東方向になる。

こういう山岳地帯の地名や山の名前は独特のものがある。

持参のサンドイッチを食べながら景色をしばらく堪能したあと、
「青い湖」まで行ってみる。
そこまで往復30分。
その後いよいよモンタンヴェールの氷河に向けて歩き出す。
抜けるような青空で、日差しが強い。
クリームを忘れたのが悔やまれる。
8月下旬なので標高2000Mではもう涼しいかと思っていたが、
かなりな暑さ。
日陰で休む人も多かった。

モンタンヴェールまでは約5Km。
大半が等高線上を歩く楽な道のりだ。

写真を入れ替えました。
手前にとがって見えるのがエギュイ(3842m)
右側のひときわ白い峰が欧州最高峰のモンブラン(4810m)
モンブランは連峰の奥のほうにあるのでたいてい低く見える。
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モンブラン 続き

2010-08-27 | フランス リヨン 
こちらは標高約2100mの プラン デギュイのケーブルカーの到着駅。

エギュイ デュ ミディ まではここからさらに乗り換えて行く。
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モンブラン

2010-08-27 | フランス リヨン 
昨日久しぶりにシャモニーに行って一日歩いてきた。

前回行ったときちょっとしくじって遊歩道を外れて、
一時は救助を頼もうかと思ったくらいの思いをしたので、
今回は地図をしっかり見て簡単なトレッキング道を外れないように歩いた。

まず、シャモニーの街に着いたらものすごい人出。
八月最後の週だからもう少しは静まっているだろうと思ったら予想が外れた。

エギュイ デュ ミディ行きのケーブルカーのキップ売り場は長蛇の列。
買うまでに30分。買ってから乗るまでに2時間待ちだと知る。
こんなに国際的に有名な観光地シャモニーでも、
フランスはいつもこういう情報はその辺にいる人から聞くひと伝が頼り。
せめて掲示板に出すくらいのことをして欲しい、というか相変わらず
こういうところは不親切。

それで、ついでに行こうと思っていた、3800Mの 
エギュイ行きはあきらめ、
予定通り、その下にある2300m のプラン デギュイで降りて
モンタンヴェールの駅まで歩くことにする。
これだと2時間待たずにすぐ乗れる。それでも1時間近く待ったけれど。

やれやれ。
昔来た時とは大違いだ。

それでも、プランに着いたらやっぱり絶景。目の前にエギュイや
モンブランの頂上が目白押し。
その昔アルピニストたちはここを拠点にしてエギュイに登たのだと、
すぐそばにある、山小屋に書いてあった。

今はこうやって下から5分でたどり着けるので、かつての避難所は
ホテルになっている。

写真はシャモニーに車で着く直前のパーキングから撮ったもの。
モンブランがよく見える。


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8月のリヨン

2010-08-11 | フランス リヨン 
話が少し飛ぶようだが、プロ野球選手のコメントを読むと
いつも気になることがある。
大体こんな感じの文章をよく見かける。

阿部選手「今日は絶対勝ちたかったので、あの場面で打てて、
本当によかったです」

ラミレス選手 「今日は絶対勝ちたかったので、
あの場面で打ててホントによかったよ。とってもいい気分だよ。」

阿部はきちんとした社会人でそれなりの人、
ラミレスはどことなくアウトサイダーな感じがしないだろうか

ラミレスは助っ人外人(これはもう差別用語?)で
精神年齢が中学生くらいな発言能力しかないような扱いにされている
、、、様な気がする。

外国で暮らすということはこういうことなのだと思う。
ラミレスがどのくらい日本語を操れるのか知らないが、
彼は彼なりによく分からない「ジャパニーズハビット」も含めて、
日本語や日本に一生懸命同化しようと涙ぐましい努力を
しているような気がする。

やっぱりどこの国のどこの言葉もきっと同じなんだなと思う。

我々フランスに長く住んでいる日本人も考えてみると同じだなと思う。

自分で言うのもなんだが、始めの10年くらいは別にして、
僕は出来るだけ間違いを避けた、きっちりとしたフランス語で
話すように心がけている。
話し方によって、人はその人格をすら評価してしまうのは洋の東西を問わぬ。

そのために新聞、雑誌、本を出来るだけたくさん読むようにしているし、
フランス語で書く手紙もそれなりに書けるようになった。
精神年齢12歳におもわれたくないからだ。
フランス人に侮られたくないからだ。

侮る?

多分彼らの多くも侮っているとは思っていないだろう。
でも、彼らの耳に
「今日はトテモダイジなコンサートなので、シカリレンシュシマシタァ〜」
みたいには聞こえてほしくないのだ。

補足ながら、だから国際会議や国連で日本人の政治家や経済人が、
「流暢」な「英語」で話す必要はないのだ。
それは、ある意味、相手国(英語圏の)の立場にへりくだっている、
もっといえば、相手国におもねっている様にしかとられないからだ。

日本語を和式便所にしてはいけない。







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8月のリヨン

2010-08-10 | フランス リヨン 
3週間の日本滞在から帰ってきた。
8月のこの時期に自分の家にいるのは珍しい。
気温も程よく、早朝トマトやインゲンに水をやるのは心が落ち着く。
庭の野菜作りが年々上手になってきた。
すこし年寄りじみてきたなとも思うが、実際そうなのだろう。

8月のフランスの街は静かでいい。
みんなどっかに出かけてしまって街はがらがら。
車ですいすい走れる。
混雑しているのはスーパーの大型店くらいだ。
それにしてもフランス人はどうしてこんなにきっぱりと
みんなどこかに出かけてしまうのだろう。
いや、フランス人だけじゃなくてオランダ人も、ドイツ人もそうだ。
多分これは彼らの遺伝子の中にある騎馬民族性というか、
新天地開拓願望というかそういうもので、
農耕民族たるわれら日本人のようにじっと同じところにいるのが
きっと耐えられないのだ。

今朝、こんな記事を読んだ。
この小田島さんという方、なかなかいつも面白くてつい読んでしまう。

記事はyahoo Japan が Googleに全面的に検索機能を譲渡?した事に関してだ。
そんなことは知らなかったが、この記事にも書いてあるようにこれは
たいへんなことなのだろうとは思う。英語の覇権?いやほんとに。

日本語も「和式便所や和文タイプが歩んだ道をたどるのだろうか」
とはちょっとギョッとなる文章ではないですか。

今日はこのことを書きたかったわけではなくて、この文章の中に出てくる
東南アジアのさる熱帯国で英語が公用語のある国(シンガポール?)
から来た「ロナ」さんの話が面白くて少し書いてみたくなった。
さらにはここで書かれてい日本人のご主人の浮気疑惑でもなく、
この小田島さん曰く「自分が英語で話すときは精神年齢が12歳」
という指摘に膝を打った。

外国語を話す暮らしを35年続けているが、考えてみれば毎日がこの
「精神年齢」を向上させる為の戦いだったといってもいい。
大げさとおっしゃりたい方もいるかもしれないが、
よーく考えてみるとそうである。

日本とフランスをこうして行き来した直後は特によく分かる。

とここまで書いて、時間がなくなったので続きは後日。


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日本とフランスの明暗

2010-06-25 | フランス リヨン 
いや、お見事、昨日の日本代表は。
本番中で帰ってからネットで見たが、あの江藤(だったっけ)のフリーキックは奇跡的な長さからの得点だった。
3点目の本多のパスから入れた岡崎のシュートもお見事。
ほとんど一流国と変わらぬ試合ぶりだ。
こちらの報道でも日本の戦いぶりは絶賛されている。
強化試合をひとつも勝てず望んだのは日本もフランスも同じだが、(フランスは直前の試合でなんと中国に負けている!)この結果の違いは明と暗だ。

フランスはゴタゴタ、ドタバタの内紛劇の末惨敗。
大臣がこれは「国家事態だ」などと言い出すし、サルコジまでとやかく言い出すものだからフランス中百家総論になってしまい、連日テレビ、ラジオ、新聞はこの内紛の話して持ちきりだった。
幸い負けてくれたのでかなり静かになってよかった。

ところがまだ話は終わっていない。
フランスは今、年金と、退職年齢引き上げの法案で与党はサッカーどころではない。
かてて加えてロレアルの資産家ベタンクールの資産国外逃亡に現職の労働大臣E・ヴァートが絡んでいたというスキャンダルが持ち上がってしまった。

年金問題で昨日はほとんどの労働組合が参加する大ストライキの只中、あのTh.アンリが大統領に直接面会を求めて会見した。その内容はおまけに一切極秘。
これが多くの労働者の頭にカチンときた。
今朝のラジオはその話で持ちきりになってしまった。さすがにもうサッカーの話は多くないが、今この政治的に大事なときに大統領が自らフランス代表の建て直しに手を焼くことはない。不謹慎だなど、いろんな方面から批判が噴出。

世界中の笑いものになったフランス代表のゴタゴタを、政治的にうまく使って年金問題、資産逃亡問題から目をそらさせようとしているのは明白である。
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