リヨン国立管弦楽団定期演奏会を聞く

2006-03-27 | 音楽
先週の土曜日、リヨン国立管弦楽団の定期演奏会を聞きました。指揮は今シーズンから音楽監督に就任した、N響等で日本にもなじみのユン・メルクル。ピアノがいまや世界的になったリヨン出身のジャン-イヴ・チボーデ。
曲目はリストの交響詩「ハムレット」と「死の舞踏」後半がシュトラウスで「ビュルレスク」と「英雄の生涯」。プログラムが長くて、聞き終わってかなり草臥れました。1曲多すぎるのではないかとは、僕だけの感想ではなかったようです。
1曲目の「ハムレット」は初めて聴く曲。存在すらも知りませんでしたが、正直な感想は何と言う駄作。それとも聞く耳が悪いのか、演奏が悪いのか?2曲目のTotentantz は例の「怒りの日」のヴァリエーションです。こちらもそれほどの名曲とも思えないけれど、チボーデのダイナミックかつ繊細な演奏で聞き応えがあり、会場の大喝采。超絶技巧的なカデンツァあり、同音連打あり、フーガありで名人芸を余す所なく発揮する、まさに19世紀の(あだ)華的音楽です。それにしても、特に前半の「怒りの日」が臆面もなく陳腐な和声付けで出てくるあたりは、かなり辟易しました。
 後半はチボーデが疲れを知らず再登場しての「ビュルレスク」(ドイツ語風だとブルレスケ?)。クリヴィーヌとB・エンゲレールでユーモアとイロニー、「ティル」を思い起こさせる軽妙さ等を余す所なく発揮した数年前の名演を覚えていたせいか、軽妙さに欠ける物足りない演奏でした。オケが終止重たい響きだったことに原因があるようです。ティンパニのソロも前回と同じS・C君でしたが、前回はティンパニとピアノ掛け合いが見事で唸らされた思い出がありましたが、今回は彼とも思えない印象の少ないソロでした。
 演奏会はこれだけでも既に結構聞き応えがあったのにこの後さらに「英雄の生涯」です。前日は160キロ離れたエヴィアンで同じプロを弾き、バスで往復して午前2時にに帰ってきてミュージシャンも疲れていたのでしょうが、少し緊張感に欠け、所々アンサンブルや音程のミスもある雑な演奏でした。ヴァイオリンのジョヴァンニ・ラディヴォのソロが際立っていました。僕はこの曲は昔からあまり好きになれないのですが、そもそも交響詩の種が尽きて考え付いたのがこの曲で、プログラムの解説によれば、ハンス・フォン・ビューローに「自分はナポレオンやアレクサンダー大王と同じくらい興味深い題材だ」と言ったとの事で、ナルシシスムと言うのか誇大妄想というのかちょっと気分的についていけません。調性がEs-durなのも同解説によればベートヴェンの「エロイカ」からだそうです。(きっとそうでしょう)
 それなのにあえて聴いてみたのはいつも自分を置いている現場を離れて、より客観的になろうという試みなのですが、見事に失敗に終わりました。シュトラウスは若い頃の「ティル」や「ドン・ホアン」のように生気と軽妙さのみなぎった曲の方が、エクリチュールの名人芸と相まって(しかも簡潔で)良かったんじゃないでしょうか。交響詩を止めてオペラに専念したのはそういった行き詰まりもあったような気がします。何しろオペラは題材は自分で考えなくても、ホフマンスタールやツヴァイクと言ったその道の大家がやってくれるわけだから。



Croix Rousse / クロワ・ルス

2006-03-23 | フランス リヨン 

アルルの女の上演の間少し時間ができたので、
ソーヌ川沿いからクロワ・ルスの丘の写真を撮りました。
ここからの眺めは季節、時間によって変化があって、
リヨンの中でも気に入っている所ですが、
なかなか思ったように撮れません。

ここからの眺めは西側に面しているので、
夕方日没前特に冬の晴れた日のが素晴らしいのですが、
いつもチャンスを逃しています。
この写真は先週の日中なので、少しべたっとした写真になりました。
このあたりのソーヌ川沿いはフィレンツェの川沿いの街並みを思い起こさせます。
イタリアと親密な交易のあったリヨンは、
イタリアの建築様式の影響をずいぶん受けているようです。

「アルルの女」の上演

2006-03-18 | 音楽

4日間にわたる「アルルの女」の上演が終了しました。
子供のために5回一般公開3回の公演でしたが、
子供たちはあらかじめ学校単位でオペラ座が用意した
教育プログラムで準備してきていて、熱心に見入っていました。
演奏の後演奏者、語りのピエールと私を交えて子供たちの質問に
答える時間を設けたのですが、なかなか鋭い質問が出てきて
とても活気がありました。
特に子供たちが気に入ったのは、プレリュードのはじめに出てくるあの
有名な旋律(プロヴァンス民謡)をカノンで歌うことでした。

現代の子供は音楽離れが激しいとか言われて久しいですが、
ここの子供たちに限ればそんな風には感じられませんでした。

もしも、子供も大人も含めて現代人の音楽離れがあるとすれば、
きっと我々職業音楽家の、こういった聴衆の中に入っていく姿勢の
足りなさも反省すべきことではないかと思います。

Dusapin Faustus フランス初演

2006-03-08 | 音楽
今日はパスカル・デュサパン作曲の《Faustus, the last night》のフランス初演の日ですが、公務員のゼネストで中止になり、初演はあさっての木曜日になりました。この公演はリヨンで行われている現代音楽のビエンナーレ《Musique en scene》の一環でもあり、今日からリヨンのあちこちで現代作曲家たちの作品が演奏されます。
Faustus は日曜日にゲネプロがありました。原作は1588年のマルロゥ作。デュサパン自身の台本(英語)。演出はザルツブルグでブゾーニの「ファウスト」を手がけたペーター・ムスバッハで、ベルリン・シュターツオパーの総監督でもあります。指揮は若手のジョナサン・ストックハム。彼は上手に日本語を話します。

以下は若干の紹介と感想ですが、何しろ多数の打楽器の大音響のオケピットからの感想なので客観的な耳である自信は有りません。
曲は全体にわたって、短2度の音程が基調になっているようで、和声的にも旋律的にも使われています。この音程関係を倒置した長7度、オクターブ広げた短9度も歌のパートにもオケにも良く出てきます。コントラバスがグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の3音からなる持続音の上に、ヴァイオリンがこの短2度を使った音程関係で、高音域で持続音が出て来る部分がありますが、中間音域が全くなくほぼ2声のみのなかなかいい響きです。オペラの終わりもこの形で終わります。ヴァイオリンはかなり高音域で大変そうですが。
ただ、こういった短2度を基調とした響きが1時間20分の間続くと、耳はだんだん慣れてきて少し単調な感じがするのも否めません。ゲネプロを聞いた人も感想もそのようなことを言っておりました。現代音楽にも一種の定型のようなものが出来てきたかなといった気もします。

HP更新

2006-03-06 | Weblog
ホームページに今までブログに書た音楽関係の記事を写真なども追加しながら、掲載を始めました。文章もホームページ掲載に伴い整理、書き直しをしました。
楽譜を文中に上手く取り込むことに手間取っていますが、上手く出来るようになれば音楽関係の説明文もより充実したページが出来るかなとか思っています。