先週の土曜日、リヨン国立管弦楽団の定期演奏会を聞きました。指揮は今シーズンから音楽監督に就任した、N響等で日本にもなじみのユン・メルクル。ピアノがいまや世界的になったリヨン出身のジャン-イヴ・チボーデ。
曲目はリストの交響詩「ハムレット」と「死の舞踏」後半がシュトラウスで「ビュルレスク」と「英雄の生涯」。プログラムが長くて、聞き終わってかなり草臥れました。1曲多すぎるのではないかとは、僕だけの感想ではなかったようです。
1曲目の「ハムレット」は初めて聴く曲。存在すらも知りませんでしたが、正直な感想は何と言う駄作。それとも聞く耳が悪いのか、演奏が悪いのか?2曲目のTotentantz は例の「怒りの日」のヴァリエーションです。こちらもそれほどの名曲とも思えないけれど、チボーデのダイナミックかつ繊細な演奏で聞き応えがあり、会場の大喝采。超絶技巧的なカデンツァあり、同音連打あり、フーガありで名人芸を余す所なく発揮する、まさに19世紀の(あだ)華的音楽です。それにしても、特に前半の「怒りの日」が臆面もなく陳腐な和声付けで出てくるあたりは、かなり辟易しました。
後半はチボーデが疲れを知らず再登場しての「ビュルレスク」(ドイツ語風だとブルレスケ?)。クリヴィーヌとB・エンゲレールでユーモアとイロニー、「ティル」を思い起こさせる軽妙さ等を余す所なく発揮した数年前の名演を覚えていたせいか、軽妙さに欠ける物足りない演奏でした。オケが終止重たい響きだったことに原因があるようです。ティンパニのソロも前回と同じS・C君でしたが、前回はティンパニとピアノ掛け合いが見事で唸らされた思い出がありましたが、今回は彼とも思えない印象の少ないソロでした。
演奏会はこれだけでも既に結構聞き応えがあったのにこの後さらに「英雄の生涯」です。前日は160キロ離れたエヴィアンで同じプロを弾き、バスで往復して午前2時にに帰ってきてミュージシャンも疲れていたのでしょうが、少し緊張感に欠け、所々アンサンブルや音程のミスもある雑な演奏でした。ヴァイオリンのジョヴァンニ・ラディヴォのソロが際立っていました。僕はこの曲は昔からあまり好きになれないのですが、そもそも交響詩の種が尽きて考え付いたのがこの曲で、プログラムの解説によれば、ハンス・フォン・ビューローに「自分はナポレオンやアレクサンダー大王と同じくらい興味深い題材だ」と言ったとの事で、ナルシシスムと言うのか誇大妄想というのかちょっと気分的についていけません。調性がEs-durなのも同解説によればベートヴェンの「エロイカ」からだそうです。(きっとそうでしょう)
それなのにあえて聴いてみたのはいつも自分を置いている現場を離れて、より客観的になろうという試みなのですが、見事に失敗に終わりました。シュトラウスは若い頃の「ティル」や「ドン・ホアン」のように生気と軽妙さのみなぎった曲の方が、エクリチュールの名人芸と相まって(しかも簡潔で)良かったんじゃないでしょうか。交響詩を止めてオペラに専念したのはそういった行き詰まりもあったような気がします。何しろオペラは題材は自分で考えなくても、ホフマンスタールやツヴァイクと言ったその道の大家がやってくれるわけだから。
曲目はリストの交響詩「ハムレット」と「死の舞踏」後半がシュトラウスで「ビュルレスク」と「英雄の生涯」。プログラムが長くて、聞き終わってかなり草臥れました。1曲多すぎるのではないかとは、僕だけの感想ではなかったようです。
1曲目の「ハムレット」は初めて聴く曲。存在すらも知りませんでしたが、正直な感想は何と言う駄作。それとも聞く耳が悪いのか、演奏が悪いのか?2曲目のTotentantz は例の「怒りの日」のヴァリエーションです。こちらもそれほどの名曲とも思えないけれど、チボーデのダイナミックかつ繊細な演奏で聞き応えがあり、会場の大喝采。超絶技巧的なカデンツァあり、同音連打あり、フーガありで名人芸を余す所なく発揮する、まさに19世紀の(あだ)華的音楽です。それにしても、特に前半の「怒りの日」が臆面もなく陳腐な和声付けで出てくるあたりは、かなり辟易しました。
後半はチボーデが疲れを知らず再登場しての「ビュルレスク」(ドイツ語風だとブルレスケ?)。クリヴィーヌとB・エンゲレールでユーモアとイロニー、「ティル」を思い起こさせる軽妙さ等を余す所なく発揮した数年前の名演を覚えていたせいか、軽妙さに欠ける物足りない演奏でした。オケが終止重たい響きだったことに原因があるようです。ティンパニのソロも前回と同じS・C君でしたが、前回はティンパニとピアノ掛け合いが見事で唸らされた思い出がありましたが、今回は彼とも思えない印象の少ないソロでした。
演奏会はこれだけでも既に結構聞き応えがあったのにこの後さらに「英雄の生涯」です。前日は160キロ離れたエヴィアンで同じプロを弾き、バスで往復して午前2時にに帰ってきてミュージシャンも疲れていたのでしょうが、少し緊張感に欠け、所々アンサンブルや音程のミスもある雑な演奏でした。ヴァイオリンのジョヴァンニ・ラディヴォのソロが際立っていました。僕はこの曲は昔からあまり好きになれないのですが、そもそも交響詩の種が尽きて考え付いたのがこの曲で、プログラムの解説によれば、ハンス・フォン・ビューローに「自分はナポレオンやアレクサンダー大王と同じくらい興味深い題材だ」と言ったとの事で、ナルシシスムと言うのか誇大妄想というのかちょっと気分的についていけません。調性がEs-durなのも同解説によればベートヴェンの「エロイカ」からだそうです。(きっとそうでしょう)
それなのにあえて聴いてみたのはいつも自分を置いている現場を離れて、より客観的になろうという試みなのですが、見事に失敗に終わりました。シュトラウスは若い頃の「ティル」や「ドン・ホアン」のように生気と軽妙さのみなぎった曲の方が、エクリチュールの名人芸と相まって(しかも簡潔で)良かったんじゃないでしょうか。交響詩を止めてオペラに専念したのはそういった行き詰まりもあったような気がします。何しろオペラは題材は自分で考えなくても、ホフマンスタールやツヴァイクと言ったその道の大家がやってくれるわけだから。