即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

人間に残されたもの

2014年07月31日 18時49分20秒 | 将棋
もうおしまいとか言いながら飽きずに電王戦関連の記事をかなり書いてきました。

先日も将棋電王戦リベンジマッチ」菅井竜也五段vs習甦 7月19日(土)13時~将棋界初の夜通し対局が行われたみたいですが、結果は若手強豪の菅井五段のリベンジは果たせなかったようですね。

さて、今日は風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観るというブログの記事、《本当に人間に残る仕事は何だろう/アルゴリズムが全て呑み込む未来》について書こうと思います。

電王戦の記事のその7でも触れたこの本の話も出てきます。

機械との競争
クリエーター情報なし
日経BP社


先日の《羽生さんとコンピュータ将棋》の中でも「ホワイトカラーの職場はロボットに奪われる」という月刊文藝春秋の記事を取り上げていますが、どんどんコンピュータ、ロボット、人工知能が進化している今、一体我々人間がやるべきことではどんな仕事が残っていくのでしょうか。
最後まで浸食されない、機械では手におえない、人間しかできないこととは一体何なのでしょうか?
最近そのことをずっと考えています。

部分的に引用させてもらいます。
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これからの20年で、現在のアメリカの雇用の半分は、コンピューターに取って変わられる可能性が高いという。このレポートによれば、『物流、営業、事務及び秘書業務、サービス業、製造業』などは、コンピューターによって代替される可能性が高く、一方、『経営、財務、エンジニア、教育、芸術、ヘルスケア業務』などはコンピューターによる影響は少ないという。
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しかし以前はこのように言われていましたが、どうもそれほどのんびりした話ではないようです。

進化のスピードはどんどん速まって、結局は、医療分野も経営も、そして創造性までもがどんどん浸食されているようです。

(再び引用)*****************************************
アルゴリズムはすでにベートーベンも顔負けの交響曲を作曲し、辣腕弁護士かと思うほどの法律用語を詳しく調べ、医師よりも高い精度で患者の病気を診断し、ベテラン記者のようにすらすらと記事を書き、高速道路で人間よりも上手に運転するということをやってのけている。
※『アルゴリズムが世界を支配する』より

<中略>

では、最終的に人間に残る仕事は何だろう。本書から引き出せる結論は、『アルゴリズムを作り出す仕事』ということになる。すなわち、未来社会の価値の源泉は、『アルゴリズム』にあるということだ。土地、労働、資本・・時代によって最も価値を生み出す源泉は推移してきた。そして、今、『アルゴリズム』が王座につこうとしているというのが、この本の主意といっていい。これは、シュムペーターが『イノベーション』、ドラッカーが『情報』といったのと、コンセプトは被るが、より『能動的』かつ『具体的』だ。要は、未来の富の源泉は、『アルゴリズムを構築する創造性』『より創造的なアルゴリズムを構築する能力』というべきなのだろう。

■生まれ来る新しい社会

この話題は、『これから仕事が機械に奪われるとすると、人間は何を仕事としてやっていけばよいのか』という観点で主として語られて来たし、それはますます深刻なのだが、それ以上に、組織、会社、社会、国家等、従来の概念を根本から覆し、まったく新しい社会が生まれようとしていることそれ自体にもっと目を向ける必要がある。そして、その流れを止めることは誰にも出来そうにない。どう向き合って行くのかを真剣に考えるしかないように思える。
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いや、大変な世の中になってきました。
何でもかんでもコンピュータや人工知能でできるようになってきました。
人間のやることはどんどん狭められてきています。

弁護士も医者も経営者も芸術家も、人間なしでも遜色ないことができるようになっているようです。
人間の感覚や直観や経験値のような部分までかなり置き換えられるようになっているようです。

人間は何をして人生過ごせばいいのでしょうか?
何を仕事にして、何で稼いで、何を生き甲斐にすればいいのでしょう?

優れたコンピュータやロボットを作る技術者やエンジニアの側に立てばいろいろなチャレンジができると思います。アルゴリズムを構築する創造性という分野で考えたらとてつもない可能性が秘められていると思います。

しかし、そういう方面は全く訳わからない文化系の人間としては、何でも人間以上のスキルを持つようになったコンピュータとどう向き合って、どう付き合っていくのかを考えていくしかないようです。

流れを食い止めるのは難しいのはわかっているけど、人類の幸せな未来のために、不要なものは何なのか、積極的に必要なものは何なのか、考えていく必要があるのだと思います。

コンピュータ将棋はあと数年も経てばきっと羽生さんよりもずっと強くなるのは間違いないです。
プロ棋士とどっちが強いのか?タイトル保持者なら勝てるのか?今なら拮抗してるからいい勝負だ、と周りがけしかけて騒ぎ立てるのはあまりにも哀しいことです。空しいことです。
あと1年早ければ勝てたのに、とか、そんなことを言っても誰も喜ばないし救われない。
単に強さを競う、世界チャンピオンになる、という視点ではなく、別の視点での付き合い方が必要になるのではと思います。

コンピュータと人間とどっちが経営がうまいのか?
どっちが人間が感動できる音楽を作れるのか?
と勝負していって、どっちが勝った負けたとやっても仕方ないはずです。

羽生さんみたいに強い棋士になりたい、という少年少女がいっぱいるいと思います。
そういう子供たちが、将来プロ棋士になりたいと思うよりも、強いコンピュータソフトの開発をして、世界一強いソフトを作りたい、という夢を持ってしまうのかもしれないです。

その流れは変えられないかもしれないけど、ますます人間の生きる意味について考えさせられる毎日です。

ルポ 電王戦―人間 vs. コンピュータの真実 (NHK出版新書 436)
クリエーター情報なし
NHK出版


この本も最近読みました。
覚悟とか、悲壮感とか、連盟始まって以来のピンチとか、人間とコンピュータが勝負をつけると言う前提でこんな言葉が躍っています。
もしこれで終わりにしてしまったら、それでファンが納得するだろうか、という不安の声もあるようです。
ファンの声も大事には違いないと思うけど、ここはしっかり社会における将棋や棋士の存在意義について考え尽くした上で、後悔しない最善手を選択していただければと願っています。
コメント (8)
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