即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

複雑さの単純化

2009年02月03日 23時14分04秒 | 雑感
おなじみの田坂広志さんのメルマガから。引用させてもらいます。
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「複雑系」の逆説

 かつて、「複雑系」についての講演の場で、
 聴衆の方から、ある質問を受けました。

  企業や市場や社会が「複雑」になっていくとき、
  それらをマネジメントするための技法は、
  やはり、高度で「複雑」なものになるのでしょうか。

 たしかに、「複雑系」というものを考えるとき、
 この問いは、誰の心にも浮かぶ、素朴な問いです。

 しかし、現代科学の最先端で
 「複雑系」の研究が見出したのは、
 不思議なことに、
 東洋思想に語られる、一つの「逆説」でした。

 「単純化」

 それが、「複雑系」をマネジメントするために求められる
 最も有効な技法であることを、見出したのです。

 例えば、「ツボ」や「コツ」
 例えば、「急所」や「要諦」

 複雑なシステムをマネジメントするとき、
 そのシステムの中の最も効果的な部分を発見し、
 そこに力を集中して、働きかける。

 その「単純化」こそが、
 「複雑系」のマネジメントの技法であることを、
 見出したのです。

 しかし、同時に、
 この「複雑系」の研究は、
 東洋思想における、もう一つの「逆説」を、知りました。

 「単純化」とは、最も高度な技法である。
 そのことを、知ったのです。
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今、どんどん複雑化する社会。
ビジネスやマーケティングもいろいろな要素が絡み合い、そんな単純なソリューションは見出せなくなっている。

スパーっと、一刀両断、ひとつやふたつの決め手では済まなくなっている。

なんだかんだ言っても、空手チョップさえ出れば、追い詰められていてもあっという間にフォール勝ち。
やられていても、バックドロップが出たら、後頭部をしこたま打って悶絶、気絶。

一気に片がついてしまう。

将棋でもそうだ。
昔は結構たった一手の絶妙手を繰り出せば、そこでほとんど勝負あった、ということもあった。
しかし、今は、去年の羽生・森内の名人戦のように、複雑に絡み合った指し手の積み重ねで、しつこく、しぶとく、ビミョーに少しずつ勝ちに向かっていく、という将棋が多くなった。

「深遠感、難解感、晦渋感、重苦しい感、駆け引き感、繊細感、哲学感、手細工の工芸品感、緻密感」
あの方名文を思い出します。

話は戻って、以前辞退の事態という記事書きましたが、またあの人の話です。

江川紹子さんの昨年11月の記事、『田母神発言・その単純明快さが危ない』
部分的に引用させてもらいます。
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 航空幕僚長を解任され、自衛隊を定年退職となった田母神俊雄氏が吠えている。
 月刊誌『WiLL』で21ページにわたって「独占手記」を寄せ、「私はもはや民間人である。遠慮はいらないだろう」と本音をぶちまけている。
 
      <中略>

 その単細胞ぶりは、国会での証言の時にも感じた。
 田母神氏は、こう述べた。
「日本には今、日本の国が悪かったという論が多すぎるというふうに思います。(中略)私も今回びっくりしてますのは、日本の国はいい国だったと言ったら、解任をされたと。そしてまた、責任の追及も、いい国だと言ったような人間をなぜ任命したんだといわれる」「変だなあというのが私の感想です。日本の国が悪い国だという人をつけなさいということですから」
 「手記」の中でも、彼はこう書いている。
<私は端的に言って「日本はいい国だった」と言ったのだ。すると日本がいい国だったとは何事だ、政府見解では悪い国になっているんだ、ということで航空幕僚長を解任されてしまった。
 なんという、強引な単純化だろう。 

       <中略> 

 しかし、そもそも歴史の問題を考えるのに、こういう風に「いい国」「悪い国」と二元論的に評価する発想はなじまない。たとえば、日本は長い歴史と豊かな文化を持っている。昭和の初期に他国に対して多大なる迷惑をかけたことがあったと認めたからといって、その長い歴史や豊かな文化のすべてを否定して、日本は「悪い国」とレッテルを貼り付るようなことができるはずがない。

       <中略>
 
   「いい国」「悪い国」という二極化、単純化は、歴史を見る時にも、今の社会を考える時にも、断じて慎むべきだ。

       <中略>

 田母神氏は、航空自衛隊の制服組のトップであり、幹部を教育する統合幕僚学校長をしていたこともある。考え方があまりに単純で、複雑な事柄も二元論的な見方をする彼の発想が、自衛隊の幹部に浸透しているのだろうか。
 彼は、今後テレビに出たり、講演会なども予定されているという。彼に共鳴している人も少なくないようだ。ただでさえ、威勢がよく、シンプルな物言いが受けるご時世。彼の単純明快さは、受ける要素があるのかもしれない。
 威勢のいい発言は、聞いていて気分が高揚し、心地がいい。単純すれば、難しい国際情勢も複雑な歴史もたやすく分かったような気になれる。だから、ついついそういう発言に惹きつけられる心理は分からないではない。
 しかし単純明快に語れば語るほど、威勢のいい言動を重ねれば重ねるほど、歴史の真相からも国際社会の現実からも遠のいていく。このことは、よくよく肝に銘じておきたい。「単純明快」は悪魔の誘惑でさえあると思う。
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「単純明快」は悪魔の誘惑、と江川さんは書いています。

「単純化」とは、最も高度な技法である。、と田坂さんは書いています。

思い出しますよね、小泉郵政選挙での自民党圧勝。
これほどわかりやすいものはない。
一つのことだけを争点にして、全員白か黒か旗を揚げよ、と。
他のことは問わない、一つのこと以外は関係ない、と。

基地問題、拉致問題、派遣などの雇用問題、教育問題、毎日新聞などで取り上げられているすべての問題は、そんなに簡単に白黒言えることは少ない。

賛成でも反対でも、自分の意見には、いろいろな条件とかついてしまうし、単純明快な結論を言い放って済んでしまうことはあまりない。

とはいえ、難しいものは、整理して、まとめなおして、できるだけわかりやすいようにするべきとは思う。
単純化に向けての地道な作業はするべきであろう。

しかし、そうしていくためには、田坂さんの言うように、
「ツボ」や「コツ」、「急所」や「要諦」のようなものを身に付けた上でないと、本質をついた単純化は難しい。

大人である事。バランス感覚を持つ事。修羅場も含め、様々な体験をしていること。

いわゆるプロのスキル無しに単純化をすることの危険性。
いろんな要素をどんどん見切ってしまうことの怖さ。

とはいえ、選挙であるとか、多数決であるとか、書類にサインをするかしないか、とか、
時間も限られた中で、丁半の判断を迫られる事は日常生活の中で多々あること。

まあ、気楽に、かつ、真剣に、
複雑極まりないことをうまく単純化できるように、
努力して行きたいと思っています。
コメント (3)
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快感ウォーキング

2009年02月03日 00時38分01秒 | スポーツ
最近、誰かさんと同じで、忙しくて全然スポーツクラブに行けてない。

カラダが重い。

なので、昨日はとっても行きたかったのだけど、叔母が入院したりもあり、結局行けずじまい。

ということで、昔、nanaと毎日のように散歩していた近くのショッピングセンターの周りの道を夕方1時間もウォーキング。

一周約1kmの道を五周半。

4周目くらいから、額、その他にうっすら汗ばんでくる。

手袋をしてない指先も冷たくない。

熟年の夫婦やメタボってるおじさんが一生懸命歩いている。
いかにも、「歩くぞ!」というカッコしてるのがおかしい。

ジョギングの人もいるし、もちろん犬の散歩も多い。

反対周りだと、何度も同じ人にすれ違う。

「まだやめないのか、しつこいなあ。」と多分お互いに。

結構早足で黙々と歩いていると、だんだんハイになってくる。

腕を振ったり、回したり、肩をやわらかくしたり、いろいろ動かしながら歩く。

面倒なのでゆっくりジョギングしたい気分にもなったけど、我慢して同じ速さで歩き続ける。

この前「スポルト」かなにかでやっていた、競歩の歩き方、を思い出し、やってみる。

腕を大きく振り、その勢いで腰を振る感じにすると、どんどん前進する。

恥ずかしいけど、極限状態まで速く歩いてみる。

えっ、こんなに速い!って感じで、景色がどんどん後ろに流れていく。

歩いているはずなのに、その景色のスピード感がとっても違和感を感じる。

うーん、ずっと同じ姿勢で、スポーツクラブの中でバイクを漕いでいるよりも、これは楽しいかもしれないな、と思ったり。

これだから、どこのスポーツクラブでも会員が減って大変なんだなあ、と実感。

また、ウォーキング、やってみよ、っと。
コメント (2)
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