旅限無(りょげむ)

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園田直を知っていますか? その弐

2005-04-15 09:03:04 | 外交・情勢(アジア)
■戦後、1954年7月にスウェーデンで開催された「世界平和集会」に出席の帰路、中国に立ち寄った園田さんは生涯を日中国交回復と日中友好に献げる決意をして政界に入ったそうですが、この頃のチャイナはソ連の援助を受けて「第一次五ヵ年計画」を前年に開始して「中華人民共和国憲法」が公布されました。まだ、「大躍進運動」から始まる権力闘争も起こっていませんでした。
その18年後の1972年に国交正常化に踏み切るのですが、この期間は今も真相が良く分からない大事件が続発した激動期でした。原水爆を所有し、国際連合の常任理事国の座も手に入れた中国は、米国の対ソ封じ込め戦略を存分に利用して新しい時代を迎えます。何がどうなっているのか分からないまま、日本はニクソン米大統領の訪中に腰を抜かして慌てて動き始めました。昔のシナと、当時の中華人民共和国の区別も付いていなかったと思われます。何故なら、今も昔話と現実を混同している政治家や知識人がうようよしているからです。露骨な宣伝情報しか出てこない「社会主義国」は、理想国家だと信じ込んでいる人と、戦場を歩き回ってシナの貧しさと悲惨を目撃した経験を持つ人は、日中国交正常化に関しては意見の対立は有りませんでした。

■しかし、当時のシナの貧しさは清朝崩壊以来の動乱と、軍閥同士の内紛が大きな原因でした。日本軍が点と線を結んでうろうろしていたからシナが貧しくなったのではありません。それは辛亥革命を起こした孫文があちこちで演説し、著書にも書き残していますから確かでしょう。それが、いつの間にか、中華五千年の文明を「日本だけ」が破壊して迷惑を掛けた事になっています。シナの人々が逃げ回ったのは、軍閥同士の内戦と国民党と共産党の殺し合いに巻き込まれないためでした。確かに満洲を出て南下してしまった日本軍は、明確な戦略目標も無く場当たり的に大陸をうろうろして、毛沢東を大喜びさせたのですが、同士討ちの混乱の中で起こった全ての災厄の責任を押し付けられる謂(いわ)れは有りません。チャイナの「正しい歴史認識」は、日本軍対チャイナの民という便利な構図を基盤にしています。台湾に逃れた蒋介石は、何度も大陸侵攻を企てては米国に邪魔されたり制止されたりしてイライラしておりました。当時の北京と台湾との間で投げ付けあった悪口雑言は、いつの間にか消え去って、「台湾は中国のもの」「悪いのは日本だけ」という暗黙の了解が出来上がってしまいました。それは国交正常化後の話です。

■更に6年後の1978年8月12日に園田さんは、外務大臣として日中平和友好条約に署名、調印する役回りになりました。「日中平和友好条約の締結が出来なければ生きて帰らぬ」という悲壮な決意で日本を出発したそうですが、園田さんが東アジア戦略を持っていたのかどうか、はなはだ心元無い状態だったのではないでしょうか?個人的な思い込みで外交を進めては行けませんが、自民党内の派閥争いが外交に影響を与えるのは、もっと行けませんなあ。当時の園田さんは、福田派の議員でしたが、大親分の岸信介(安倍晋三さんの祖父)さんは、無邪気な中国好きの園田さんを「園田は隠れ共産党員だ」と非難していたのに、福田内閣(1976.12~1978.12)の官房長官に就任するのを認めていました。しかし、途中から娘婿の安倍晋太郎を幹事長にしろ!と駄々を捏(こ)ね始めます。福田派の中に跡目争いが勃発すると、福田総理大臣は「妥協策」として園田さんを外務大臣にしたのでした。適性も能力もまったく関係が無い役割配分ですなあ。

■そんな、「取り合えず」人事の結果で外務大臣になった園田さんは意地になって、田中内閣以来の懸案だった「日中平和友好条約」の締結に走り出します。自民党の派閥というのは実に奇妙な集団で、親分の福田さんは、総理なのに外相の園田さんに功名を挙げられるのを嫌って、北京に行かせまいと裏で懸命に邪魔していたそうです。策士・園田さんは、福田さんの宿敵・田中角栄さんと裏で手を結んで、条約締結・調印を果たしてしまいます。何だか、意地の張り合いの結果、どさくさに紛れて調印されてしまったような印象が強いですなあ。では、その内容はどんなものだったのか、重要な部分を抜粋してみましょう。最初は前文です。

●日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約

昭和53(1978)年10月23日 条約第19号
昭和53(1978)年8月12日 北京で署名。10月18日 国会承認。10月23日 批准書交換・発効。(外務省告示296)

日本国と中華人民共和国は、千九百七十二年九月二十九日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が共同声明を発出して以来、両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し、前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、国際連合憲章の原則が十分に遵守されるべきことを確認し、アジア及び世界の平和及び安定に寄与することを希望し、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。
日本国     外務大臣 園田 直
中華人民共和国 外交部長 黄  華

 これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。


外交文書ですから、美辞麗句が並んでいますが「国連憲章」やら「アジア及び世界の平和及び安定」やら、今は昔の感慨が湧きますね。

その参に続きます。
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2 コメント

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TBありがとうございます。 (super_x)
2005-04-15 17:34:04
このブログ読むまで、園田氏のことは、興味なかったので、続きを期待してます。

でわ
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super xさんへ (旅限無)
2005-04-15 18:41:16
ほとんどの日本人がすっかり忘れていると思います。日中友好はパンダ騒ぎで終わってしまい。後は100円ショップの仕入先、そして中国脅威論。NHKがわざとらしくシルクロード・ブームを起こそうとしてますが、折角の観光誘致策も暴動でこのゴールデン・ウィークは駄目でしょうなあ。
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