ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

7月29日、第40回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会に参加させていただきました。

2018年08月02日 10時48分48秒 | 相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会
7月29日、第40回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会に参加させていただきました。
1、開式の辞
2、キャンドル点火
3、黙祷
4、実行委員長挨拶
5、疎開児の見た相模湖・ダム
6、追悼の辞(相模原市、神奈川県、中国大使館、横浜韓国総領事館、横浜華僑総会
       民団神奈川、総聯神奈川)
7、来賓紹介 メッセージ含む
8、献花(全員)
9、朗読 (相模湖讃歌)相模原市立北相中学校2年生生徒
10、合唱・映像(相模原市立桂北小学校4、5、6年生児童
11、舞踊「節句の遊び」(ミョンジョル ノリ)神奈川朝鮮中高級学校 中級部 舞踊部
12、独唱 歌 雨宮知子 ピアノ 岡元恵里子
     「夏の思い出」「愛は花、君はその種子」「月の砂漠」
13、フィナーレ 全員で合唱  「折り鶴」
14、閉式のメッセージ

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2018年7月29日(日)13時30分〜
神奈川県立相模湖交流センター

後援 神奈川県

いちばん感動したのは、舞踊でした。写真をたくさん載せます。






























毎年、歌を歌っていただいている、雨宮知子さん



フィナーレは手話で「折り鶴」を会場の皆様と・・








写真を撮っていた私は、手話が覚えられず、まちがえたり・・
思う事は多いけれど、笑って泣ける、美しい追悼会です。
去年もその前も体調不良で参加できませんでしたが、
来年も楽しみにしています。3年ぶりの参加でした。


以下は今までのブログの抜粋です。

2006年に、初めて参加しました。

2006年
https://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/f8074f1e8bf38eed4283c5c8447f14a3

1939年から1945年8月の敗戦までに、相模湖ダム建設の為に連行されてきた朝鮮人の人数は正確にはわかりません。労働者の40%は日本人、60%は朝鮮人といわれ、危ない仕事は朝鮮人にやらせていたと、そのころの日本人が証言しています。

中国人は、ダム工事を担当した熊谷組与瀬作業所に289人連行されたそうです。(1944年4月に)あまりにも過酷な労働に、逃げて捕まり、拷問の末、殺された人、4人という記録があります。

戦後の調査によると、民族別に分けると、朝鮮人17人、中国人28人、日本人38人が犠牲になっています。ただし、朝鮮人は日本名を名乗らされていたので、推定です。日本人の学徒動員で死亡した人は3人です。神奈川県出身、田渕?次18才、神奈川県出身、猪俣シュン扶17才、兵庫県出身、貝出宏19才。3人とも昭和19年死亡。

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相模湖の歴史 熊谷組

https://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/7d9321a27b2cf62bfc11741eebd59338

戦争のために働く人が不足したため、様々な人々が集められました。国内では、貧しくて農業だけでは生活できない、北陸、東北からの出稼ぎ労働者、付近に住む人、大学生、そして、朝鮮から強制的に連行された朝鮮人や以前から日本に住んでいた朝鮮人です。中国人は捕虜になったり、日本軍に捕まったりして強制的に連行された人々です。その多くは八路軍に参加してつかまった捕虜だったそうです。早朝から12時間の重労働で休日もなく、食事は粗末な饅頭で、慢性的な栄養失調で脱走を図っても捕まってひどい目に遭ってしまいました。着るものもなく厳寒期はセメント袋をふとんや衣類の代わりにしていたそうです。

これらのことがわかってきたのは、戦後30年以上が過ぎた1976年に「相模湖・ダムの歴史を記録する会」が発足され、史実をひとつひとつ拾い上げて記録していったからです。熊谷組は賃金を支払っていないので、未払いの賃金を請求しましたが、「書類を焼失したため応じられない」と言われたそうです。

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第30回 

https://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/ce4c7e18de341cba9dbd6a557cad4356

今年初めての出演は、横浜中華学校の校友会国術団舞踊組のみなさんの舞踊です。演目は腰鼓の舞、扇子の舞でした。かわいらしい、元気な舞踊でした。

https://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/1ad2a6e19563f9c71eb1160c72230449

独唱は例年、雨宮知子さん。ピアノは岡元恵里子さん。曲はダニーボーイ、折り鶴、月の砂漠。手話による折り鶴には感動しました。はばたけ折り鶴、マネしてみました。来年も楽しみです。朝5時に、桃の収穫をしてから急いで電車に乗って来たそうです。兼業歌手ですね。澄み切った、透き通るような美しい声でした。

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第31回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会

https://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/80b0d8d361f6a3cfdb4b5f451ebe9823


第33回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会

https://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/cccf85c7daa6f07b53aa10aa9597def2


第35回相模湖ダム建設殉職者合同追悼会

https://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/21ae9f28f951c14f0b44c5ccdc4d0050

閉会のあと、相模湖1周の湖上追悼にも参加させていただきました。
偶然にも、映画の主人公、わんさんに出会い、写真を撮らせていただきました。
当日の資料によると、張翔龍さんですね。ありがとうございました。
映画「飲水思源」は続きを、ぜひ制作してほしいと願っています。



第36回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会

https://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/dc737691fe65d96e7c4c5c9678da0b2c

横浜華僑の女性の「ふ」さんの追悼の言葉の中に、
現在の日本の、あやうい政治状況への批判、
集団的自衛権を行使容認する事への、危惧が伝わってきました。
追悼の辞で拍手が起きたのは、この女性に対してだけでした。
もちろん、私は思い切り拍手しました。

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以上、ブログから抜粋して転載しました。
写真だけでも、ぜひご覧下さい。
相模湖の隠されて来た歴史に、ふれていただきたいと思います。











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