長田家の明石便り

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物語の神学(前半)

2015-01-12 21:01:27 | 神学

近年、福音的な神学者の発言や文章の中に「物語の神学」という表現を見聞きすることが多くなりました。その表現の用いられ方や使われる頻度からすると、現在の福音派神学界にかなりの影響を与えているもののように思われます。しかしながら、この神学に対する福音派の神学者による解説が日本語のものとしてはわずかであるため、どう受け止めてよいか迷うのも事実です。今回、英語のものも含め、ネット上の情報を中心に調べてみました。今後も、関連情報に注目していきたいと思いますが、中間報告的にまとめておきたいと思います。

1.歴史的発端

この神学の発端としては、イェール大学神学部に求められるようです。ハンス・フライ、ジョージ・リンドベック、スタンリー・ハワーワスといった人々の名が挙げられます。主要な著作物としては、ハンス・フライ『聖書物語の蝕』(The Eclipse of Biblical Narrative, Yale University Press, 1974)が最も初期のものとして挙げられます。続いて、ジョージ・リンドベック『教理の本質―ポストリベラル時代の宗教と神学』(ヨルダン社、2003年)(The Nature of Doctrine: Religion and Theology in a Postliberal Age、Westminster John Knox Pr、1984)が挙げられます。

他方、このようなイェール大学の神学者たち((新)イェール学派と呼ばれる)に対して、同じく「物語の神学」を掲げつつ、もう一つの流れを産み出したのが「シカゴ学派」と呼ばれる人々です。P・リクール、D・トレイシーといった人々が挙げられます。

このような「物語の神学」の起源としては、カール・バルトやH・リチャード・ニーバーが挙げられることもあります(注1)。彼らは共に神の啓示についての神学を深めた人々と言えますが、その過程において啓示の表現としての物語、あるいは神の物語としての聖書に注目したという指摘がなされるようです。

2.イェール学派の主張点・強調点

イェール学派の人々の間でも主張や強調点の違いはあるようですが、特に取り組んでいた神学的課題の領域には違いがあるようです。

まず、この学派の人々の中で先頭に立ったハンス・フライは、主に聖書解釈の課題に取り組んだと言えそうです。彼は、聖書解釈において聖書諸文書が持つ物語(ナラティブ)としての性質を優先的に重要視すべきことを主張しました。これは、18世紀以降の啓蒙主義的傾向の中でなされてきた批判的聖書学のあり方に疑問を投げかけるものでした。そして、聖書に描かれている物語が哲学概念や象徴的な意味へと置き換えられることなく、そのまま受け止められるべきことを強調しました。

次に、リンドベックは、神学の類型化、また宗教間対話に関心を持ち、取り組みました。彼は、神学や宗教のモデルを三つに類型化しました。神学をある客観的な対象について知識を与える命題とみなす「認知・命題」モデル(保守的神学)、宗教を何らかの宗教的経験の象徴的な表出とみなす「体験・表出」モデル(シュライエルマッハ―等)に対し、第三のモデルとして宗教を言語やそれに対応する生活形式に類似するものとして理解しようとする「言語・文化」モデルを提示し、これこそが今日の世界において求められる神学の形だと言いました。これに基づき、教理の規則理論、テキスト内在性(intratextual method)の概念、アドホックな護教論(基礎付け主義的な護教論に反対して)を展開しました。

更に、ハワーワスは、このような流れを受けて、キリスト教倫理の面で取り組みをしました。彼は、福音書の物語がキリスト教徒に適切な行動様式を提示している主張しました。

その他の人々を含め、イェール学派の人々の間には、取り組んだ領域の違いはありましたが、共通した主張点・強調点を見出すことができます。言語の役割を他の者の役割の上におくこと、抽象的なものでなく具体性を強調すること、キリスト教真理のユニーク性の強調などです。

3.シカゴ学派の主張点・強調点

これに対して、リクールに代表されるシカゴ学派は、イェール学派とは異なった主張点・強調点を持っています。イェール学派が物語が世界を吸収するという方向性を強調するのに対して、リクールは、ストーリーからメタストーリー、メタストーリーからストーリーの相互循環を分析したり、「物語」以外の聖書ジャンルの多様性を尊重したりと、イェール学派が強調した視点を取り入れつつ、より広い視野から神学や宗教を分析しようとする傾向があるようです。そういう意味合いからでしょうか、両学派は、「純粋主義」(イェール学派)と「非純粋主義」(シカゴ各派)として区分されることもあるようです。

4.ポストリベラリズム

このように、イェール学派、シカゴ学派から広がった神学的運動は、ポストリベラリズムと表現されるようになります。この運動は、自由主義的世界観の信憑性に対して疑問を投げかけ、神学の物語的アプローチを大切にします。マクグラスによるポストリベラリズムの解説においては、ハンス・フライやリンドベックの名前と共に、哲学者アラスデア・マッキンタイアの名前が挙げられ、彼の主張点が比較的詳しく紹介されています(注2)。

5.ポストリベラリズムとポストモダニズム

ポストリベラリズムについては、ポストモダニズムとの親和性を指摘されることがよくあります。

ポストモダニズムとは、モダニズム(近代主義)の価値観が崩れた後に登場した思想的傾向の総称と言えます。モダニズムが人類共通の理念や絶対的価値観に信頼を置こうとするのに対して、二つの世界大戦を経、そのような価値観への疑問が出される中から、多元主義や多様性を尊重する価値観が強調されるようになりました。このようなポストモダニズムは、特定の思想的流れと言うよりは時代的な趨勢と言ってもよいようなものかと思います。

このような傾向の中で、リベラリズムの持っていた啓蒙主義的、モダニズム的傾向に反対するポストリベラリズムの主張が好意的に受け止められたという見方も可能なようです。(「・・・イズム」が沢山並んで頭が痛くなりそうですが、リベラリズム、ポストリベラリズムはキリスト教神学内の流れを表わし、モダニズム、ポストモダニズムは、広くキリスト教神学外の思想的潮流を表わすと考えたら分かりやすいかと思います。)

後半は、このような物語の神学が福音主義神学において、どのように評価され、広がっていったかをまとめてみたいと思います。

注1 マクグラス『キリスト教神学入門』(教文館、233頁)
注2 マクグラス前掲書(171頁)

ネット上の参考ページ

「屋根裏部屋の思考」―「神学の二つのモデル」
http://okegawax.cocolog-nifty.com/blog/cat8535834/index.html

長谷川琢哉「宗教間対話とポストリベラル神学を巡って」『宗教学研究室紀要 第3号』(京都大学文学研究科宗教学専修)(2006年、28-41頁)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/57733

堀江宗正「「物語と宗教」研究序説―リクール「物語神学を目指して」を読む」『東京大学宗教学年報』XV(1998年、61-78頁)
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/26083

David K. Clark(Bethel Teological Seminary) 'Narrative Theology and Apologetics'"Journal of the Evangelical Society Vol.36"(1993,p499-515)
http://www.etsjets.org/JETS/36-4

Robert Weston Siscoe'Postmodern Development in Evagelical Theology'(2011)
http://digitalcommons.olivet.edu/honr_proj/

Gerald R. Mcdermott Ph.D.'The Emerging Divide in Evangelical Theology'(2013)
http://www.virtueonline.org/emerging-divide-evangelical-theology

 

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