長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

信仰への招き  9.キリストの死

2019-09-28 14:35:46 | 信仰への招き
イエスの教えと奇跡のみわざとはユダヤの人々の注目を受け、人々の間では「メシアではないのか」との問いかけが口にされるようになりました(ヨハネ7:41)。ところが、よく知られるように、その生涯の終わりは、当時のローマ帝国内で極刑として知られた十字架刑に処せられることになります。一体どうしてそのような悲劇が起こったのでしょうか。
 
4つの福音書が示唆するところでは、ユダヤ人の宗教的指導者たちのねたみが背後にあったことが伺えます。律法の解釈適用において権威ある者とみなされていたパリサイ人や律法学者たちは、イエスの教えを聞いた人々が彼を「権威ある者」とみなし始めたとき、心穏やかでなかったでしょう(マタイ7:29)。時には、パリサイ人たちの言葉に反して安息日に人を癒したり(マタイ12:14)、時には彼らを「偽善者」と呼ぶイエスに対して(マタイ15:7、23:13等)、彼らは次第にイエスに対する憎しみを募らせ、イエスを死に至らせる方法を探り始めます。
 
最終的に、イエスへの十字架刑を決定するに至ったのは、ユダヤ人内部での議会における裁判と、ローマ総督ピラトのもとでの裁判によってで、この二つの裁判が夜から夜明けにかけて行われました。
 
ユダヤ人の議会での裁判での訴えは、当初、多数の証言者によってなされましたが、それらは互いに合わないものでした(マルコ14:56、59)。最終的にイエスを死に至らせるべきであると決定づけたのは、「あなたは神の子キリストか」という問いに対して、イエスが肯定的に答えたことによってでした(マタイ26:63-66)。
 
夜が明けたのち、ユダヤ人たちが総督ピラトに十字架刑を要求しました。これは、当時ユダヤはローマの統治下にあり、人を死刑にする権限を持たないからでした(ヨハネ18:31)。このときも、求刑の根拠はかなり不明瞭であり、あえて言えば「自分こそ王なるキリストだ」と主張していて、それはローマ皇帝カイザルの王権に対する挑戦であるという示唆でした(ルカ23:2)。ピラトはイエスの主張がカイザルへの挑戦とは異質のものと気づいたようですが(ヨハネ18:36)、ユダヤ人たちは「十字架につけよ」という要求を声高に繰り返しました。ピラトが不本意ながらイエスの十字架刑を認めたのは、その要求があまりに強く、暴動になりそうであるのを見て、事を治めるためであったようです(マタイ27:24-26)。
 
これらの経緯を見るならば、イエスの死は冤罪によるものであり、人々のねたみや付和雷同、そしてピラトの自己保身といったものの結果だったと言えます。このような見方は、確かに四つの福音書から支持されるものであり、全く正しいものですが、同時に一面的とも言えます。もしイエスの死をこのような面だけから見るならば、私たちは以下のように感じることでしょう。「かわいそう」、「痛ましい事だ」、「人間の残酷さを感じる」等々。しかし、決してこのことが自分に関係があるとは思わないのではないでしょうか。しかし、イエスの死のもう一つの側面に目を向けていくと、その感じ方が変わり始めます。それは、罪の中に生きている私たちに対する神のご計画の一環としてこれを見る見方です。
 
まず、上のような経緯が徐々に進行していく一方で、イエスご自身がそのことをどう考えておられたかを見てみましょう。
 
最初に注目すべきことは、イエスにとって、十字架での死は早くから予期されていたことでした。先にも見たように、ペテロがイエスに対してキリストであるとの告白をしたとき、イエスは弟子たちに死を予告し始められます。「この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示し始められた。」(マタイ16:21)そして、その後も同様のことをイエスは繰り返し口にされます(マタイ18:22、23、20:17-19)。
 
更に、その死は、他に強いられたものであるだけでなく、神のご計画の一部としてイエス自ら引き受けるものでもあると語られます。「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである。」(ヨハネ10:18)
 
裁判の直前になると、イエスはその死がどのような意味を持つのか、弟子たちに明らかにされます。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(ヨハネ12:24)とは、暗示的な言葉ですが、十字架の死が何らかの意味で豊かな実りをもたらすものであることを示唆しています。
 
より明確な言葉としては、いわゆる最後の晩餐の席上の「新しい契約」に関わるものがあります。その晩餐は、イスラエルがエジプトを脱出した際の出来事をもとに祝われた「過ぎ越しの祭」の食事会として行われました。しかし、そこでは、パンを取って弟子たちに与えながら、「取って食べよ、これはわたしのからだである」と言われます。また、ぶどう酒の入った杯を取り、彼らに与えながら、「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である」と言われます(マタイ26:26-27)。別の福音書では、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である」とも記録されます(ルカ22:20)。これは明らかにエレミヤ31:31-34で語られた「新しい契約」がご自身の十字架の死によって打ち立てられることになることを語られたものと言えます。
 
イスラエルの民がシナイ契約を守ることができず、滅びようとする中で、メシア到来の預言がなされ、新しい契約についても預言されました。イエスの十字架の死は、これらの預言が成就するためのものであったと言えます。
 
後に、使徒パウロは、イエス・キリストの十字架の死を、罪人が義とされ、永遠の命に至るための「あがないの供え物」として示しました(ローマ3:25)。使徒ヨハネは、「わたしたちの罪のため」の「あがないの供え物」であり、「ここに愛がある」、すなわち、御子イエスの十字架の死において神の愛がこの上なく明瞭に示されたと指摘しました(第一ヨハネ4:9-10)。へブル人への手紙の著者は、永遠の大祭司キリストがエレミヤ31:31-34で言われた「新しい契約」の仲保者となられたのであり、それは「キリストが…それ(ご自身の血)によって永遠のあがないを全うされた」ことに基づいていると指摘しました(へブル9:12)。
 
残酷な十字架上でのイエスの死…それは、二千年前の悲劇的な出来事であるだけではありません。イスラエルの民同様、罪の中に生き、その罪のために滅びようとする私たちのために、神がご計画されたものでした。当時の人々の残酷な罪が無実のお方を死に追いやっただけではありません。私たちの神を愛さず、隣人を愛さない的の外れた生き方が、神の御心を傷つけました。そして、痛みつつもなお私たちを救おうとする神の御心が、罪なき神の御子を十字架の死に至らせました。イエス・キリストはそのような神の御心を引き受け、十字架の死に向かって歩まれました。イエス・キリストの十字架上での死は、私たちと無関係にあるのではない…聖書を読むとき、私たちはこの事実に直面させられます。
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協力教会で野外礼拝

2019-09-23 16:16:19 | 教会便り

今日は協力教会(神戸生田教会、灘教会、神戸大石教会)で、

しあわせの村にて野外礼拝。

もともと神戸生田教会で祝日に行われていたものに、

協力教会にあたる2教会も合流させていただいたもの。

台風のため、開始時間を1時間遅らせての開催。

午前は、室内での開会礼拝、交流ゲーム、戸外での賛美(写真)、

昼食後は、ローンボウルズ、散策、トリム園地に分かれて過ごしました。

午後には青空も広がり、天候も守られ、幸いなひと時でした。

 

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瞳誕生日

2019-09-20 20:35:37 | 瞳便り

瞳、17歳の誕生日。

受験期も近づきますが、本人はもうしばらくは

ゆったりと過ごしたがっているようです。

 

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瞳体育祭

2019-09-19 17:53:00 | 瞳便り

今日は瞳の高校で体育祭。

「来るな、来るな」と言われつつ、家内がこっそり

見てきました。

比較的涼しかったとは思いますが、一日、日差しを浴びて、

真っ黒になって帰ってきました。

写真は、障害物競走で、「〇〇を持っている方、お願いします」みたいな

ことを言っているところ。

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教区牧師会

2019-09-19 17:49:33 | 教会便り

一昨日は教区の牧師会が御影福音教会で行われました。

教区の将来像を巡り、真剣な協議がなされました。

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信仰への招き  8.イエス・キリスト

2019-09-18 21:25:36 | 信仰への招き
新約聖書の中心は、イエス・キリストです。
 
「イエス」とはユダヤ人によくある名前で、「神は救い」という意味です。「キリスト」とはメシアをギリシア語で表現する言葉です。すなわち、「イエスはメシアである」という信仰が背景となって、半ば固有名詞のように用いられたのがイエス・キリストという表現です。
 
イエス・キリストの生涯を描く福音書は四つあります。いずれも、イエスがキリスト(メシア)であることを証ししています。ナザレの大工の息子として育ちましたが、マタイとルカの福音書はヨセフの婚約者であった処女マリヤから聖霊によって生まれたと言い、それにまつわる驚くべきエピソードをいくつか記しています。
 
年およそ30歳の頃、ユダヤ人の間で宣教活動を始め、人々の注目を集めます。その教えは、当時の聖書の教師たちとは色々な点で異なっていました。また、奇跡のみわざが顕著であり、病の人々を癒したり、悪い霊につかれた人々から霊を追い出したりされました。次第に彼の周りには、彼に従う弟子たちが集まり出します。このような中で、イエスは人々の注目の的となります。そして、「イエスは誰であるのか」ということが人々の話題となります。
 
そのような中、ある時イエスが弟子たちに尋ねます。「あなたがたはわたしをだれと言うか」。これに対する弟子のひとりペテロの答えは「あなたこそキリストです」というものでした(マルコ8:29)。これに対して「イエスは、自分のことをだれにも言ってはいけないと、彼らを戒められた」と言います。
 
当時、ユダヤ人の間にメシア到来への待望があったことは確実です。もちろん、そのメシア観には幅がありました。しかし、多くのユダヤ人が期待したのは、「ダビデの子としての王なるメシア」であって、ローマの支配下にあった彼らを独立させるために神から遣わされるメシアでした。
 
ペテロをはじめ、弟子たちはイエスがキリスト(メシア)であると信じました。しかし、それは多くのユダヤ人が期待していたメシアであり、「ダビデの子としての王なるメシアでした。」但し、単なる人間を越えた、天的なお方、「神の子」と呼ばれるお方であるとの信仰も抱いていました。先ほどご紹介したペテロの信仰告白が、マタイによる福音書では「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と記録されているのは、彼らのメシア観を表現したものと考えられます。
 
しかし、弟子達のメシア観に決定的に抜け落ちていた要素がありました。ペテロの信仰告白を聞かれたイエスが直ちに弟子たちに語られたことがありました。「それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、しかもあからさまに、この事を話された。」(マルコ8:31、32)苦しみ、捨てられ、殺され、よみがえるメシア…このようなメシア観は弟子たちの中にはありませんでした。ですから、ペテロは「イエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめた」と言います。弟子たちにとって、そのようなことは、メシアにあってはならないことと考えられたのでしょう。しかし、イエスはペテロをしかります。「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(マルコ8:33)。すなわち、弟子たちのメシア観は、人間的な見方であって、人類に対する神のご計画を無視したものであったということです。
 
やがてイエスの予告通り、十字架に死なれ、三日目によみがえられた後、弟子たちのメシア観は新しくされたことでしょう。
 
神殿の門で足の聞かない男をいやした後、ペテロは人々にイエスの復活について語ると同時に、以下のように語りました。「神はあらゆる預言者の口をとおして、キリストの受難を予告しておられたが、それをこのように成就なさったのである。」(使徒3:18)
 
また、弟子のひとりピリポは、エチオピア人の一人がイザヤ書53章を読んでいるとき、彼に近づきます。エチオピア人が「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」と尋ねたとき、ピリポは「この聖句から説き起こして、イエスのことを宣べ伝えた」と言います(使徒行伝8:34-35)。すなわち、イエスの十字架の死と復活後、弟子たちのメシア観は「苦難のしもべ」としてのメシア観を含むものとなったことが伺えます。
 
「彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」(イザヤ53:5)
 
「われわれのとが」「われわれの不義」とは、イスラエルの歴史を通して人類共通の課題として鮮やかに示されたものです。このような有様を見られて、自ら苦しみ、痛まれた神様は、「苦難のしもべ」としてのメシアを遣わされる。彼は、私たちの幸せを破壊し、滅びに至らせる罪の問題をご自分の身に引き受け、傷つけられ、砕かれる。その打たれた傷によって私たちはいやされ、神のもとに回復される。イザヤ書を通してそのように約束されたメシアこそ、イエスである。イエスの十字架の死と復活を見た弟子たちは、そのような信仰に立ちました。「イエス・キリスト」という表現には、彼らのそのような信仰が込められています。
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須磨浦公園

2019-09-16 17:42:22 | 長田家便り

休日、家内と二人で須磨浦公園へ。

長らく神戸に住まいながら、一度も行ったことがなかったので、

行ってみました。

ロープウェイ、それから初めてのカーレーターに乗って展望台へ。

カーレーターは、写真では近代的な乗り物に見えましたが、

実際には炭鉱の乗り物を連想させるような感じで、

何でも乗り心地の悪さで評判だとのこと。

ただ、展望台等からの景色は遠方までくっきり見えて、

良い休日となりました。

 

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体育会

2019-09-14 15:49:51 | 恵便り

さわやかなお天気のもと、恵の中学校で体育会。

熱中症を警戒してか、かなり凝縮したプログラム。

恵の出番は4組中1位となった二人三脚くらいで、

あまり出番はありませんでしたが、

学協(学年協議会)として裏方の働きを

よく担っていました。

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賀川記念館

2019-09-07 17:20:08 | 長田家便り

家内と一緒に、賀川記念館に行ってきました。

すぐ近くにあるのに、初めて。

幼児園や教会と一緒に建物になっていて、

同じフロアには天国屋というカフェも。

展示を見れば、改めて賀川豊彦の働きが日本の歴史に

大きく影響を与えたことを実感すると共に、それがこの

神戸の地で展開されたことを改めて覚えました。

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岩田扶美二牧師告別式

2019-09-04 20:14:24 | 長田家便り

伯父にあたる岩田扶美二牧師が召天され、一昨日、家内と一緒に

埼玉の川越聖書教会で開催された告別式に参加してきました。

司式の岸本紘牧師により、岩田牧師の特徴として、

「歩く」ということ、「深く考える」ということが挙げられ、

本当にそうだと思いました。

徳島の山奥に育ち、信仰を持たれたところから、どんな山奥にも

トラクトを配る使命をもって生涯歩まれた印象が強く残っています。

本題にどう関係するのか分からないところから始まる話術も、

懐かしく思い起こされます。

引退して埼玉に移り住んでからもよく歩き、限界集落と呼ばれる地域まで

時間をかけてでかけ、バスの便の関係でトラクトを配る余裕もなく

帰ってこられたそうです。

「走るべき行程を走り尽くし」た生涯だったと痛感します(第二テモテ4:7)。

「走るべき行程」は具体的には人によって異なるものだと思いますが、

主が備えてくださった自分自身の「走るべき行程」を見極めながら、

走り尽くしたいと思いました。

懐かしい親族ともお会いできたことも、感謝でした。

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