手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

詩吟という芸能

2020-05-08 19:25:56 | 詩吟関係

「詩吟を学ぶ」というと何か学問のように感じる。「詩吟をたしなむ」といえば、趣味として詩吟をやっていますという感じになる。
 「詩吟」という言葉を辞書で引くと、「漢詩に節をつけて歌うこと」と出てくる。大雑把な言い方をすればその通りなのだけれど、もう少しわかりやすく言い換えれば「漢詩の訓読文に節調をつけた、日本独自の音楽芸能」なのです。訓読文を元に戻すと漢詩になります。このあたりで、「漢詩に節をつける」のだから、まず漢詩の勉強から入らなければいけない、という考えも出てくるし、民謡などと対比し、詩吟は格調が高いものと決め、詩吟は「礼に始まり礼に終わる」とまず礼節を重んじることを重視する指導が生まれる。

 しかし、今、詩吟は漢詩の訓読文が中心であることに変わりはないけれど、和歌や現代詩、俳句までもが教材なっていて、「漢詩」と断定できないのです。まして、まず漢文の学習からということになると、余興=趣味の段階を超える。すると教える先生も大変だけれど習うものも今更漢文の勉強など結構です、ということになる。

 今や詩吟は庶民の生活から離れ、保護芸能になりかねない状況だ。そんな中で詩吟をもう少し生活の中に溶け込ませ、その存在感を示せるよなるのには、指導者はそれくらいの素養を見につける必要があるけれど、習うお弟子さんたちには、もっと身近な、親しみの持てるものとして受け取らせる指導法が要求される。ただ、今や新しい漢詩人が出てきていない。題材に新しい息吹を感じさせるものがない。それでも全国的にみればまだ結構な詩吟愛好者がいるのです。そんな愛好家を大切にしながら、楽しい詩吟を育てていかなければならない。

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