むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

「マンガ嫌韓流の真実!」も(第1章以外は)お粗末

2005-12-21 03:18:08 | 韓流
 「マンガ嫌韓流」と同時に買った「別冊宝島 マンガ嫌韓流の真実!」(以下「真実!」)だが、これも第1章の4本の文章ではいずれももっともな指摘がなされているものの、だい2章以下の検証部分はかなりお粗末である。
第1章の、実際に韓国での反応や在日の反応を取材した部分については、かなり面白い。たとえば、「真実!」p24で韓国人の話として紹介されているように、「韓国人観については反論のしようがありません。だって空手や寿司やソメイヨシノが韓国に起源があるだなんて、そんなこと言う韓国人はいませんよ」、また同書p27で在日韓国人の話として「在日については現状認識が甘いと思った」「日本人の高校に通っていて、ああいう主張をする松本君みたいな在日はいないんですよ」。
 だが、第2章以下の検証部分は、韓国語もわからない素人が、断片的で偏った知識や情報だけであれこれいっているものが多く、きわめてお粗末である。
 
具体的に述べると、「真実!」p48で創氏改名について「苦痛だったか」どうかの議論に熱中していて、そもそも氏と姓の別すらわかっていないのはどういうものだろうか?それこそ韓国側のずれた歴史認識と同じ土俵に乗っていることになる。
創氏改名は、創氏というように、日本人式の氏を新たに「創る」ということで、朝鮮人伝来の姓はそのまま残されたのが建前なのである。だから、「朝鮮名のまま」中将や国会議員になった人は、朝鮮の姓として洪姓や朴姓が日本名の洪氏や朴氏となったというだけのことなのだ。もちろん日本の意図としては「朝鮮姓」を公式には使えなくして最終的には廃止、朝鮮人を同化させることを目論んだことは事実だが、批判するにしても弁護するにしても、当時の制度の建前や仕組みについてちゃんと理解しないでは話にならない。
 
P53「両班の怨念」でも、「この層からすれば化外の地である日本の野蛮人どもに支配され、そのときに近代化が行われ、人々がこれを受け入れていたことなど、絶対に認められないのである」と書いているが、それをいえば、ソ連支配下のバルト三国、英仏植民地下の中東イスラム世界についても同じことが言えるのであって、近代化と文化伝統との相克というのはそういうものなのである。バルト三国だって「昔は遅れていた露助に支配されて、工業化がされた」ことへの鬱屈した屈辱感がある。だからといって、「両班の怨念」を書いている荒木和博氏は、バルト三国のソ連への抵抗をいちがいに「怨念」と切って捨てるのだろうか?
荒木氏は韓国語もわかる韓国研究者だが、逆に日本人で韓国しか見ていない人にありがちな過ちに陥っている。つまり、日本にあまりないが韓国にはある部分を見ると短絡的に「これは韓国の特殊性だ」と決め付ける議論である。それは荒木氏の視野が狭いだけである。世界は日本と韓国だけではないのだ。
 
同様にP66-68の「海賊版・パクリ文化」は、別に韓国だけの病理とはいえない。そもそもパクリといえば日本がどれだけ米国や英国やドイツのものをぱくって経済発展させてきたか。現在でも日本のテレビ番組のほとんどはパクリである。また、日本のアニメをそれと気づかされずに放映されていたことについても、それだけで、なぜ「マジンガーZ」や「キャンディキャンディ」など「バタ臭い」キャラのものばかりで、たたみが出てくる「ドラえもん」「サザエさん」がないのかの論考がないのは片手落ちである。それは、台湾でもかつて反日国民党独裁時代に同様のことがあったのだが、それは日本アニメといっても、キャラや背景や物語に「日本を感じさせないもの」だけが選別されたのである。その部分を指摘すべきではないのか?
 
P71-72の「天皇を在日認定」についても、「もし天皇が朝鮮半島由来だというなら、天皇主権の明治国家が朝鮮を植民地にしたことは、侵略ではなくて、復国である」くらいの切り返しがほしかった。これは徐福伝説を史実として教えていた中華人民共和国と国民党が「日本の侵略」を指摘した場合にも使える理屈ではあるのだが。ただし、私は韓国人と違って、「民族の悠久の歴史」など信じていないし、アジアでは民族だの国家だのは、たかだか100年の歴史もないわけだから、近現代史に限って日本の侵略があったことは反省する立場であるけども。ただ、韓国人の論理構造を使えば、そういう切り返しができるということであるわけだ。
 
また、おかしなことに、宮島理氏という人は、P74-75の「ウリナラマンセー主義」ではハングル専用化、漢字の事実上の廃止について、「偏った民族主義」と非難する一方で、その次のページでは「小中華思想」として韓国には民族主義がないかのような矛盾した指摘をしているのである。
 もちろん人間は矛盾だらけの存在だし、韓国人も偏狭な民族排外主義と中華事大主義が混在していることは事実である。
 しかし、宮島氏は、おそらく朝鮮語も読めないのだろう。「ハングル専用化は同音異義語に対応できない」「言葉の広がりを犠牲にしている」などといっているのは、あまりにも浅墓な議論だ。
そもそも朝鮮語は日本語と比べて音素にして倍、音節は40倍は多いので、同音異義語の問題はあまり発生しない。「日本語から漢字を取り去ったら、わからなくなる。それと朝鮮語も一緒に違いない」という認識なのだろうが、それこそが自民族のものさしで他人をはかっているだけである。
同音異義語が問題になるのは、漢字を使っているからであって、「漢字を使わないと同音異義語が区別できない」というのは、因果関係を転倒させた議論である。漢字語をほとんど入れていないモンゴル語では同音異義語の問題はあまりおきない。
 どういうわけか日本では右寄りの人にかぎって、漢字崇拝が強く、戦後朝鮮の脱漢字志向を非難しがちだが、漢字はそもそも中国の文字であって、日本や朝鮮の固有の文字ではないことを忘れているのだろうか?また、漢字廃止を問題にするなら、ベトナムだって戦後漢字を廃止してローマ字専用にした。ベトナム語のほうが朝鮮語よりも漢字起源の語彙が多いにもかかわらずである。台湾でもかつて漢字を使わないで全部ローマ字で台湾語を表記した聖書が広く使われたことがある。別にそれによって「言葉の広がりは犠牲」になってなど、いない。
しかも、宮島氏は、韓国ではハングル専用化が進められた70年代を境に、韓国語の文体そのものが変わってきていることも知らないようだ。韓国では、ハングル専用化することで、文体そのものが口語調の滑らかなものに変化しているのである。
 日本でも、ラジオ放送用の原稿や盲人用の点字図書は、同音異義語を避け、なめられかな文体に工夫されている。ラジオや盲人が漢字という視覚に頼るわけにはいかないからだ。韓国のハングル専用化もそれと同じことだ。視覚に頼った表意文字漢字こそ用途の広がりという点で問題をはらんでいることを、宮島氏はわかっていないのだろうか?
だいいち、言葉は環境に適用する。漢字を廃止すれば、漢字を使わなくても理解できるような方向で言葉が広がるだけのことである。
 漢字があるほうが言葉が広がるなどと思っている宮島氏は、点字やラジオ原稿に頭がいかない。それこそ頭の固い中華主義者というべきだろう。
 P79で黄文雄氏は朝鮮で世界的な文明が生まれなかったことをこき下ろしているが、そもそも「世界的な文明を生まなければならない」という強迫観念こそが異常だし、黄氏の母国の台湾だって世界的な文明は何も生んでいないから、別に韓国人を哂う資格などないことになる。

 P81「火病」についてだが、交通マナーの悪さによる事故死多発についての議論は、あまりにも短絡的で、それこそ韓国人の議論態度に近い。
そもそも交通のマナーが良いのは世界でも米国と日本(とくに東京で、大阪や名古屋はその限りではない)など数える国しかいない。私は韓国の交通マナーが世界的にひどいレベルだとはまったく思わない。韓国程度でびっくりしていたのでは、レバノンやエジプトにはいけないだろう。

P82でも韓国人が自分の英語力の低さについて自己認識ができず、うぬぼれていることを指摘しているが、その調査統計で、アジアで英語能力に不安を持たない人の割合が多い国の1位がシンガポールで、2位が香港になっていて、彼らの自信過剰について指摘しないのはナンセンスである。シンガポール人と香港人のどこが英語が「うまい」と言えるのか?日本人よりはぺらぺら話せるというだけで、実際の中身はほとんどないし、文法・表現はお粗末なのだから。英語を話せるというのは、英語の根底にある西欧文化への理解と教養なしには「話せる」といってはいけない。本をろくに読まないようなシンガポール人や香港人が表面的にぺらぺら話しているからといって、そこに疑問を投げかけないで、韓国人ばかり非難するのはフェアとはいえないだろう。

P92-94の総連と民団に関する記述で、法務省の統計として、「北朝鮮籍約14万5千人」などとしているが、日本政府は北朝鮮を国籍として認めていないので、これは完全な誤りである。日本には国籍としての韓国籍と、「旧外地で戦後日本の手を離れた」朝鮮という地域の籍があるだけで、北朝鮮籍など存在しない。北朝鮮の在外公民は日本ではたいていは朝鮮籍であるが、すべての朝鮮籍が北朝鮮支持者だとは限らない。朝鮮籍は北朝鮮籍にとっての必要条件とはいえても十分条件ではないのである。こんな基本的なこともわかっていないで議論しても仕方がない。

また、P95で韓国民団が外国人参政権を要求していることに批判的な論調を掲げているが、たしかに日本で生まれ育って、しかも3世や4世になっている在日韓国・朝鮮人についていえば、「帰化すればよい」という議論はなりたつが、そうではない外国人配偶者が増えていて、彼ら彼女らが簡単に日本国籍を取れるわけではないということを無視している。
あたかも外国人参政権問題は、在日韓国人だけの話だという決め付けはおかしい。
しかもこの本で批判している韓国が最近外国人の地方参政権を認めたり、北欧をはじめ先進国では地方レベルでの外国人参政権は普遍的になっている。というのも、外国人といえども税金を払い、ゴミ問題など地域的な問題への発言権はあるからである。
それも「帰化すればよい」とはいえない。帰化したくなくても、地域的な行政や政治にかかわるケースはいくらでもある。

P113で西村幸祐氏は、韓国語がまったくわからないで、ネット翻訳にかけていることがばれている。「日帝強点下民族差別用語行為者処罰法案」と書いている。この「点」は正しくは「占」である。韓国語では同じ音점になるから、翻訳エンジンが間違えたのだろうが、間違いにさえ気づかないのはお粗末である。
また、P122-23で、ノムヒョン大統領を人権派弁護士出身である点から「曲者」だとして、国家人権委員会を「北朝鮮による工作が関与している」などというでたらめなことを書いている。国家人権委員会は、タイやインドネシアなどアジアで民主化したところでは広がっている制度で、北朝鮮とは何の関係もない。また、人権派弁護士というなら、台湾の陳水扁以下、今の民進党政権の重鎮はほとんどそうなのであって、それこそ新興民主諸国の特色でもある。それを「曲者」だの「左翼」だの「北朝鮮の工作」などと結びつける西村氏は、北朝鮮がそんなに強い工作力をもったすばらしい国家だと過大評価し、民主化というものを過小評価しているだけではないのか?


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