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むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

228事件59周年を前に

2006-02-27 21:35:49 | 台湾政治
今日2月27日は、228事件の発端となったタバコ売り女性殴打事件から59年目にあたる。
このときのタバコ売りの女性・林江邁について台湾人記者がまとめた文章を私が2年前に、日本語に訳して、台湾系のサイトにいくつか転載された。ここで改めて再掲したい。

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228事件の発端となった人物、林江邁の物語

 228事件の発端は、1947年2月27日夕刻、ヤミタバコを売っていた寡婦・林江邁(リムカン・マイ、姓は江姓に夫の林姓をつけているいわゆる冠姓で、邁が名前、以下邁とする)が外省人ヤミタバコ取締員によって殴打されたことで民衆が激怒し、翌日から台湾全土に蜂起が広がったものだ。
 歴史書はしばしば無名の小市民を無視する癖がある。邁についても多くの書物は「殴打された」と記述されているだけで、彼女が事件で殺されたのか、あるいは生き延びたがその後どうなったのかを記すことはあまりない。
 台湾の元新聞記者で文化建設委員会に勤務する陳銘城氏は数年前に、邁の娘を探しあて、邁の不幸な身の上を取材した。
 台湾の歴史的事件の陰では、名もない多くの民衆の涙と汗と血が流れている。邁もその一人である。彼女のことを取り上げることで、228事件をはじめ国民党外来ファッシ ョ政権により犠牲になった人達の弔いとなるであろう。
 以下、陳銘城氏が書いた文章をもとに、邁の「その後」について説明してみたい。
 228事件発生当時、邁は41歳であり、娘の林明珠は10歳だった。明珠は母・邁の夫だった林阿清が亡くなって7ヶ月してから生まれた。明珠と彼女の三番目の兄・林文山は母とともに台北市延平路に住んでいた。ほかに一番目の兄と二番目の兄がいたが、いずれも桃園県亀山郷龍寿村の林家に住んでいた。邁の実家も亀山郷の旧路坑にあり、呉姓であった。邁は江姓の家に養女として出されたために江姓となったが、邁は結婚前には実家の呉家に住んでいた。
 夫の死亡後、邁は林家の人との折り合いが悪かったうえ、しゅうとめが台北市延平北路にお茶の販売店をやっていたので、幼い子供たちを台北に連れて行き、しゅうとめの家事の手伝いをした。終戦後、しゅうとの林枝が茶販売店をやめたため、邁は延平北路でタバコ販売を始めた。しかし邁はたばこ販売の免許を持っていない、いわば闇販売業者 だった。
 事件のあった1947年2月27日夕刻(午後5時ごろ)、当時「天馬茶房(テンマー・テーパン)」という喫茶店があった、現在の延平北路と南京西路交差点の南京西路側で、闇タバコを売っていた邁は、専売局取締員らに闇タバコ販売を見つかり、たばこを没収される際、頭を強く殴打され、付近の外科病院に担ぎ込まれた。しかしこの経過については当時幼かった明珠ははっきり覚えていないという。明珠は母親の負傷後、亀山旧路坑の外祖母宅に連れて行かれ、13-14歳のころ外祖母がなくなるまで、そこで過ごし、その後台北の邁のところに戻った。その間、邁と一緒に住んでいたのは、明珠の三番目の兄・文山だけだった。邁の弟、呉萬有は邁負傷の消息を聞いて、連夜亀山から台北の病院まで通って見舞いをした。しかし萬有は最近亡くなっている。明珠は母方のおじの萬有が面倒を見てくれたことに対して感謝の念に堪えないという。
 228事件後、足腰がしっかりしている邁は、台北円環付近でたばこを売り、自分で自分の身を立てていた。そのたばこ屋台は遠東劇場の斜向かいにあり、太原路から路地に入ったところの小さな家に住んでいた。働きものだった邁は、商売がよくないときは、太原路で地面や排水溝の日雇い清掃員をやって日銭を稼いで家計を補ったりした。しかし228事件で殴られて入院もした邁は、このころから喘息を患うようになっていたため、夜になると咳が止まらず眠れない日が続いていた。
 228事件の引き金となった邁だが、その娘の明珠は228事件において群衆が憎悪の対象としたエスニックグループである外省人と結婚した。それは邁と林枝がアレンジしたもので、結婚した相手は外省人警察官の曽徳順である。
 曽は、228事件の翌年に18歳という年齢で台湾にきた。1949年に総統府に入り、 陳誠、厳家カン(サンズイに金)、謝東ビン(門がまえに文)といった歴代副総統の護衛を勤め、儀容のある人だった。彼の属する部隊は、現在228記念館がある場所の向 かい側にある台北賓館であったが、もう一つの部隊管轄場所にもしばしば派遣された。
 それが遠東劇場の側にある部隊であり、よく邁の屋台からタバコを買っており、しかも痩身の寡婦の身で屋台を引いて歩く姿を見かけたことで、親近感を抱いた曽は、邁のこ とを母親のように感じるようになった。
 明珠が20歳になった年、邁は娘を外省人の曾警官に嫁がせようと思うかどうかと、林枝の意見を聞いた。というのも、最初邁は、自分が外省人警官に殴られたために228事件がおきたことから、自分の一人娘を外省人警官に嫁がせるとなると、他人に罵倒されはしないかと心配したのであった。しかし、林枝は言った。曾の上司である陳誠は台湾人には悪くはないから、その部下も悪くはないだろう。本省人にだって悪いやつはいるのだから、と。
 明珠にはボーイフレンドがいたが、母親のお膳立てで、曾徳順と交際し、結婚した。結婚後、夫婦と邁は同居したが、娘夫妻が五常街公務員宿舎に引っ越すときに、円環付近に住み続けたいといって、一人暮らしをした。邁は1969年ごろ63歳で喘息のためマカイ病院で死去した。亀山龍寿村林家の墓地に葬られた。邁は生前、娘に228事件のことを語ろうとしなかった。引っ張られることをおそれたようだ。だが、曾徳順には228事件について言及したことはあるという。
 陳銘城が明珠を取材中に、ちょうどその息子の曾人文が帰宅した。人文は徴兵入隊のとき、軍の政治教材に外祖母の邁の名前を見つけて、自分の外祖母がそんなに有名人だっ たのかと驚いて両親に語ったことがあるという昔話を持ち出した。この話を聞いたとき 明珠は即座に「あなたの祖母は可哀想な人なのであって、有名なんかじゃない」と答えた。
-------------------------------(再掲終わり)

この林江邁殴打事件の発生場所となった南京西路と延平北路交差点など228事件関連の場所を歩き、事件をしのぶデモが明日28日午後零時から1時半まで行われる。「手護台灣大聯盟」および「228事件紀念基金會」主催で、活動の名称は「228事件歴史回顧 萬人巡禮」。
集合場所は南京西路と承路角にある日新國小で、そこから南京西路、延平北路、鄭州路、中山北路、中山南路、青島西路、公園路と歩いて、最後に228和平公園に到着。1時半から同公園で「228事件紀念基金會」と台北市政府の共催で開かれる記念式典に参加する。
1時半からの記念式典は、馬英九も市長として参加するらしい。事件遺族や緑系が多い参加者からは、国民党の責任追及の声が上げられて、罵声も浴びせられるだろう。

ところで、
馬英九は「当時の政府の問題であって、国民党全体の問題でも、まして外省人の問題でもない」と言い逃れに懸命だが、それをいったら、自分自身が日本の戦争責任を追及できなくなってしまう矛盾に気付いていないのだろうか?
もちろん私は日本の戦争責任を追及すべきであると思うが、国民党と外省人の権力層の虐殺責任も追及されるべきだと思う。ところが、日本の右翼は、中国人のチベット侵略や台湾占領を非難する一方で日本の責任は頬かむりするか矮小化するし、国民党も日本の責任追及を声高に叫ぶ一方で自らの責任回避に懸命だ。日本の右翼と中華右翼の国民党は実は瓜二つで双子の兄弟のようだ。このことからわかることは問題は日本人や中国人の民族性よりも、ショービニズムの問題だということがわかるだろう。

最後に、228事件59周年にあたって、台湾の悲劇の歴史に対する思いを新たにするとともに、犠牲者の霊魂が安らかになるよう祈りたい。

近くにハラール料理店発見

2006-02-26 20:33:40 | 台湾その他の話題
今住んでいるところから歩いて5分のところに、ハラール料理の店を発見した。
表の看板に「清真(イスラーム)雲泰回族料理」、中のメニュー表の上部には
المطعم
الإسلامى
(イスラームレストラン)とアラビア語でも書いてあった。
ただ置いてあるのは、この辺によくある普通のタイ式や雲南式料理であって、中東料理ではない(当たり前か)。福建の回族の店でみかけるホブズもない。ただ、主力は鶏肉で牛肉が少しで、豚肉は当然ない。
料理つくっている人は、親が雲南大理出身、タイ・チェンマイに移住した回族で、20数年前に台湾に来たという。両親は大理の漢族とペー族らしい。
アラビア語はできないみたいで、母語は雲南官話らしい。ただ、今年初めのハッジ(中国語では朝聖)には行ってきたと嬉しそうにいっていた。それはいいことだ。
それにしても、この人の属性は、きわめて重層的でマージナルだなあ。
雲南のペー族との混血でしかもムスリムという時点で中国でもマージナル。さらにタイでマージナルなチェンマイで、さらに台湾に来たらいわば外省人で回族だからこれまたマージナル。
それでも時々ホーロー人の客も来ているし、こういうのが何気に存在できるところが台湾のいいところだろうな。まあ、台湾も重層的でマージナルだからだけど。


馬英九の発言のブレを彼のお仲間雑誌が痛烈に批判

2006-02-26 17:39:52 | 台湾政治
国民党守旧派・中華右派系(つまり馬英九のお仲間)週刊誌「新新聞」最新号第990期(2月23日―3月1日)は、馬英九が最近統一・独立問題で発言が一日ごとにぶれている問題を指摘、「あわてふためく馬英九は、陳水扁を助けるだけだ」と題したカバーストーリーで「馬英九のアドバンテージは発言がぶれなかったことだが、最近ぶれまくっている。だとしたら、馬英九はアドバンテージがなくなり、青と緑の支持基盤は(これまでの青優勢から)50:50になる可能性がある」と、国民党を助ける立場から「警告」を発している。
同じ指摘は緑系の自由時報がさんざんやっているが、今回は馬英九に近いとみられた守旧派系雑誌の指摘だけに深刻だ。
同号46ページには馬英九が「発言が一貫している」ことを誇ってきたことは、現在の発言からみて、どうか?という設問で、これも国民党守旧派系年代テレビによる世論調査を転載、「いまでも一貫している」8・8%、「一貫しているほう」25・6%に対して、「あまり一貫していない」22・9%、「非常に一貫していない」13・7%、「わからない」29%となっている。これまで馬英九のボロを徹底して弁護し糊塗してきた「身内」の調査ですらこれである。もっと公正で客観的な調査であれば、馬英九の一貫性の有無についての評価はもっと厳しいものとなるだろう。

馬英九の発言のぶれについて、同号48ページに一覧を載せている。そのうち最近のものだけでも(各発言の横につけた 統一、独立、中間は私がつけたもの)、
昨年12月14日 インタビューで「最終的な目標は統一」(統一)
12月25日 松山空港と香港マカオ直行便を作るべきだ(統一)
12月28日 両岸で「中期的平和協定」を締結し、貿易を拡大すべきだ(統一)
1月30日 陳総統に「統一綱領廃止」論の撤回を求める(統一)
2月7日 両岸の将来は統一でも独立でもなく、現状維持である(中間)
2月9日 中国の民衆が国民党に入党するのを排除しない(統一)
2月10日 台湾人民にはいろんな選択肢があるが、まずは現状維持で条件が熟すれば統一すべきだ(統一寄り)
2月11日 中国がミサイルを撤去しなければ話し合いもしない(独立寄り)
2月13日 対立、和解、協力の3C2P原則から両岸関係を新たに定義づけたい(統一寄り)
2月14日 自由時報に「台湾の現実的な道」と題する意見広告掲載、国民党としてはじめて台湾独立を選択肢に挙げる(独立寄り)
2月16日 台湾独立は人民の選択肢であって国民党のものではない(統一寄り)

と、「最終的目標は統一」という失言を、民進党陣営から猛攻撃されるようになってから、毎日のように発言のスタンスがぶれている始末。民進党のある議員が、「発言がコロコロ変わるといわれている陳水扁が5年間で変わった回数と幅を馬英九は1週間でやってのけた」と皮肉ったくらいだ。

馬英九が発言を二転三転させている原因としては、「最終目標は統一」という発言が、明らかに台湾の現在の民意から遊離しており、失言だったからである。「統一派」というレッテルで見られると08年総統選挙では絶対に勝てない。だから修正してみたが、話せば話すほど、矛盾と綻びが拡大する悪循環になっているわけだ。
しかも彼には有能のブレーンもおらず、かつて強力な相談相手として機能してきた特務上がりの父親も昨年他界している。
馬英九はもともと頭は非常に悪い。それが何とかやってこられたのは、「目上の言うことは素直に従う」遊泳術だけだった。その最も支えになった父親がいない以上、自分で考えるしかない。ところがもともと中身など何もない頭だから、考えれば考えるほど、前後不一致という綻びが出てくるのだ。

馬英九の弱点はずばり頭の悪いところである。しゃべればしゃべるほどボロが出る。
だから、どんどんしゃべらせたほうがいい。かといって黙ればいいかというと、党主席であり、次期総統候補である以上、常にメディアに露出してしゃべらないと忘れられる。だから、しゃべらないではいられない。ところが、もともと阿呆だから、しゃべるとまさに「馬脚」が露わになって、反対陣営はもちろん支持層からも不信の目で見られるようになる。自滅への道である。

たしかに、昨年末の地方選挙でポスト上は大勝した(ただし得票率は伸びていない)ことで、馬英九の声望は一見すると高いように見える。民進党も例によって頼りなくごたごたしがちだから、国民党のような組織政党、トップダウン政党は余計目だって頼もしく見えるだろう。
だからこそ馬英九は「統一」をいってもダイジョウブだと勘違いしたのだろう。これが命取りになった。地方選挙で選挙民が国民党を支持したのは、単に地方派閥による集票システムが機能しただけのことで、国民党中央の外省人が考えている「統一」が支持されたからでは決してない。国民党だって中南部の地方レベルでは、本土化していて、統一など望んでいない。台湾人社会でもまれた経験がない温室育ちの馬英九にはそれがわからない。
だから、いい気になって「統一」を叫んだ。そしたら、国民党内部からもそっぽを向かれ、民進党から格好の攻撃対象になった。
気がつくと、自分への人気が落ちているようだ。そこで必死になってそれを糊塗してみた。「独立も選択肢だ」と心にもないことを打ち出してみた。すると、今度は外省人の仲間からは「変節」だと見られた。誰からも好かれて、いい子でいたい馬にはそれは屈辱である。そこで、また統一寄りに路線修正してみた。そうしたら国民党本土派・地方派閥や、民進党からは「やっぱり統一派なんだ」と白い目で見られた。そこでまた「独立寄り」に修正する。そうすると、また「仲間」が騒ぐ。その繰り返しである。

台北市長でとどまっていれば、馬英九のボロは目立たなかった。しょせんは地方の行政の首長だからだ。政治性は少ない。陳水扁市長時代に立派なレールが敷かれたので、それにのって、なんとなくソツなくこなすことは可能だからだ。
国民党主席となると違う。政治そのものであり、言動は注目され、思想や立場が問われる。誰にも嫌われたくないいい子ちゃんでいたい彼には最も向いていないポストなのだ。それに最も適任だった王金平を低劣に貶めてまで手に入れた。主席選挙で中南部の本省人地方派閥の面子をつぶしたツケは徐々に払うことになるだろう。

馬英九はこれからも発言がふらふらして、徐々に国民党内、とくに外省人仲間からですら信頼も失うだろう。ただ、あまり早く自滅すると、今度は王金平か宋楚瑜が出てくる。そうすると民進党は戦いにくいだろう。そういう点では、馬英九には当分は踏ん張ってもらいたい(笑)。

これはオモロイ!『エジプトがすきだから』

2006-02-26 16:47:58 | 中東
中東紀行関連でついでにk.m.p.『エジプトがすきだから』(角川文庫、2003年)を読んだ。これがオモロイ!最近読んだ本で、これほど「うんうん、そうだよなあ」と声に出して、笑いこけながら読んでものはない。もとは1996年にJTBから出た単行本だが、安い文庫のほうを買った。ただ字を縮小しているから読みにくいが。
著者は女性漫画家?「なかがわ みどり」と「ムラマツ エリコ」の二人組だ。
エジプトで安宿に泊まり、庶民にもみくちゃにされて、よく怒鳴ったり切れたりしながら、それでもエジプトの面白さと魅力を漫画付きで描いている。
ところで、「そうだよなあ」と書いたが、私自身はまだエジプトに行ったことはない。だが、ここに描かれているエジプトの、日本人から見ての不条理さ、のんびり、むかつく部分は、台湾にも(今はずいぶん少なくなったといえ)、レバノンにも、その他いわゆる「先進国ではないが、飢餓でもない」世界の多くの地域に共通しているものだといえるからである。

たとえば24ページに「人をひきそういになって大爆笑する家族」が漫画とともに描かれている。25ページには「全然知り合いでもなんでもないのに乗ったとたんポケットの豆をあげる。そのあとは、おりるまでずーっと旧知の友のようにおしゃべり」するタクシードライバーと客。26ページ、街を歩く人の服の観察では、「カラフルな人、まっ黒な人、顔隠してる人、キマってる人、やぶけてる人、寝間着みたいな人」。
アザーンではある日、「でも今日のアザーンは、何だか変だ。おじさん、のどの調子が悪いのか、途中で咳き込んではゼーゼーしてる。タンを吐く音がスピーカーを通して町中に響く」(33ページ)。
アレキサンドリアの水族館(52ページ)では4コマ漫画で最初は「水がのごってみえない」、2コマ目「あ、死んでる」。3コマ目に「死んでる。苦しんでる。くさってる」。4コマ目の解説で「どう見ても何もいない水槽。苦しそうにあえぐ魚たち。水流でぐるぐる回りつづける死がい。こんな悲しい気持ちになる水族館ははじめて。魚が苦しんで死んでいく様子を観察するには、オススメの水族館です」。
同じページに道端で野糞する女性が、「あっ、ヤバーニー、ハロー、ハロー」と挨拶してくる場面。
60-61ページで「しつこいこども」に、「子供がまとわりついて、まともに歩けない・・・・ムシすると石投げたり、ずーっとやってる。胸ぐらつかんでブンブンふり回したら逃げていったが、子供にこんなことをしたのは、はじめてだ」とあって、悪がきに切れるのは25ページや112-113ページにも出てくる。確かにあれじゃむかつくだろうな。
63ページでは「両替するだけなのに40分」として、窓口の職員が冗談をいって同僚を笑って仕事を進めない場面。
114ぺージで、いろんなペテン師の話で「登場の基本」として、「日本語で話しかけてくるやつは99%あやしい」として「あやしいもんじゃないよ」とのせりふに「あやしいもんがよく使うセリフ」と突っ込みを入れている。
140ページ。エジプトで「おしん」が人気があったころ、日本人と見ると、みんなで取り囲んで指をさして「おしーん」。「ある日数えてみたら、1日107回」。
ほかにも、「うん、うん、これはあるね」みたいな爆笑話が盛りだくさん。
まあ、日本が特殊というかあまりにも近代化しすぎて、こうした「怒ったり笑ったりが激しくて、今何考えてるのかすぐわかっちゃう、人間臭い人たち」(25ページ)を失っただけなのだろう。それを著者たちも伝えようとしている。

そういう点で、これは「エジプト」だけを描いたものではない。近代化が進む以前の都市文化、人間関係を普遍的に描いたものだといえる。だからこそ面白いのだ。

香港人ジャーナリストによる中東ルポ 張翠容『中東現場』

2006-02-26 16:47:17 | 中東
レバノン紀行本を書こうと思って、11月以降はレバノンを中心とした中東の歴史・政治・文化の本を読みまくっている。主に日本語の本だが、英語やフランス語のも読む。台湾では中東関係でめぼしい本が出ていないが、最近、張翠容『中東現場』(馬可孛羅)というのが出た。これは割と読むに値する。マルコポーロというのは香港リーカーシングループの城邦出版集団傘下の出版社、奥付には出版は2006年1月16日とあるから、いわば出たばかりだ。
著者は香港人で、英国で高校・大学教育を受け、香港で修士を取り、カナダに移民して、ニューヨークにも住んだ、いかにも香港のインテリ層らしい経歴。
中文は香港人にしては達意で、かなり読みやすい、いい文体だ。
エジプトからはじまって、イスラエル・パレスチナ、レバノン、シリア、イラク、それからアラブ人の文学と政治、米国と中東の関係と描いて、最後に「中東の平和運動」で終わっている。
パレスチナでは存命だったころの晩年期のアラファト議長のほか、ハマスのスポークスマン、ザハル氏、レバノンではヒズボラのベイルート事務所広報部長ハイダル・ドクマ氏など、欧米から「テロリスト」と敵視されている人たちにも会っている。文学の部分ではマハムード・ダーウィシュやアドニスら、米国ではシオニストネオコン系研究者ダニエル・パイプスとそれと反対のサイード講座主任教授ハリーディーらにも会っている。
どれもインタビューでは情報を引き出すというより、人柄に焦点を置き、背景説明も付け加えることで、中東の政治に関係する人々の人となりを描いている。つまり、「新たな情報」はないものの、それはそれで面白い。
またインタビューの姿勢も、英国仕込みなのか、わざと挑発的な質問をして食い下がっている。そのせいで、ハマスのザハル氏は怒らせているが、ヒズボラはそれでも冷静に説明し続けたとしてヒズボラにはかなり好意的な評価を加えている。
こういうインタビューは日本人の記者はあまりやらないが、こうしたほうが確かに相手の人間性が浮き彫りになって面白い。
著者の立場は、基本的にはイラク戦争などの米国の中東戦略には批判的で、中東には親近感を持ちつつ、平和運動に期待するものである。ただ、それに入れ込むこともなく、冷静に突き放して記述している。それは日本で出ているパレスチナ関係についての本で、パレスチナへの思い入れで前につんのめったものが多すぎるのとは対照的ではある。
それは、彼女自身がアラビア語の転写や記述はけっこういい加減であることに見られるように、アラブ文化への入り込み方と理解があまり深くはないためもあるかも知れないが、ジャーナリストというか物書きとしてはこれくらいが適当だろう。
ところで、目を引いたのが、350ページでイラクの「人間の盾」運動にアジアでは日本人の姿が目立つことを「彼らは勇敢にもアンマンからバグダッドにやって来た。それは武士道の何者をも恐れない精神を見せたものとして、人々に強い印象を与えた」と記述しているところ。平和運動における武士道、実は矛盾しているが、的確な指摘かもしれない。「日本人の武士道」をこういう形で肯定的に描くのも香港人(というか南方中国から東南アジアに共通)ならではのことだろう。そういえば、著者は中東では行く先々で「日本人か」と聞かれているが、あまり否定していない。かとって中国人であることも肯定している。

原住民テレビ、民族語で世界のニュース

2006-02-26 16:46:33 | 台湾言語・族群
原住民テレビでは、6つの民族語でニュースを行っていることはすでに伝えた。ただ、それは原住民に関係するニュースだけを報道しているだけだった。
ところが最近見ていると、フィリピンの崖崩れのような、世界ニュースも伝えていた時もあった(20日)。ところが、その後あまり見かけないので、例によってその日の気分と都合だけでやっているのか(^^;)。
まあ、何語でニュースを放送するかというのも、各言語のアナウンサーが台北に上京してくる都合でやっているようだし、マレー系の気まぐれな特徴が最大限に発揮されているといえる(ホーローや客家も血統的にはマレー系が強いし、文化的にもマレー系を残しているので、気まぐれだが、それが原住民だと最大限になる)。

高砂義勇隊祈念碑問題にみる大中国派と大日本派の身勝手

2006-02-26 16:45:42 | 台湾言語・族群
台北県烏来郷(ウライ、タイヤル語で温泉の意味)に建設されている高砂義勇隊祈念碑の碑文(複数)が「軍国主義賛美」のものが多く、日の丸がでかでかと掲げられているとして、大中国主義右派系紙「中国時報」が2月17日朝刊で一面トップはじめ大々的な批判キャンペーンを行って問題化、国民党県政に交代したばかりの台北県政府が18日、「1週間以内に自主撤去しなければ県が強制撤去する」としていた問題で、台北県政府は24日、8つの碑文を撤去、最も大きい碑文は隠す措置を取った。
これに対して、台湾先住民のためのテレビチャンネル「原住民電視台」は25日の族語新聞(民族語ニュース、私が見たのは26日午前2時から、アミス語とパイワン語)は撤去に反対する原住民諸団体や学者の声を主に紹介する形で、台北県政府の横暴な措置を批判的に伝えた。

私自身の立場を書いておこう。
碑文の内容は確かに問題がある。もともとこの碑文は日本の右翼系団体や2ちゃんねるの右より投稿者が一部親日台湾人(原住民とは限らない)団体と一緒に募金を集めて建てたもので、碑文内容など建立過程では日本の右翼が主導していたという経緯がある。
しかし碑文を含めたあの現場の設計の仕方は、きわめて大きな問題がある。あまりにも「大日本」を押しだしすぎで、台湾で反日傾向がある外省人はもちろんのこと、もはや日本は外国の一つに過ぎないと考える多くの台湾人(本省人)にも不快感を与えるものであった。
日本の右翼は「台湾は親日である」と思い込んでいるのだろう。たしかに台湾は親日的だといえる。だが、それは日本人や日本の右翼が期待する形や内容や方向性における「親日」ではない。台湾人の親日の中身といえば、戦後の中国人支配よりはマシだというだけに過ぎない。評価するのは、あくまでも戦後の平和憲法の下、平和で民主的で繁栄した日本あるいは、戦前でも法治主義など近代的な部分のみを評価しているのであって、決して碑文の多くにみられるような神社参拝・天皇崇拝・戦争賛美などといった反動的・反文明的なものに親近感を持っているわけではない。それは台湾人全体に見られる実用主義・現実主義がそうさせているといえる。つまり日本統治や日本が台湾人にとって「便利なもの」である限りは、それを評価し摂取するのであって、決して日本の前近代的な天皇制・神社参拝・軍国主義の部分を評価しない、というか、そんな部分は切り捨てて忘れてしまうのである。
まして、現在の台湾は戦後中国人が持ち込んだ「中華民国」体制下にあり、人口の13%を外省人が占めている。外省人がすべて反日的ではないが、かといって日本を知らないから親日的でもない。たしかに外省人が台湾に入植した原因は、侵略以外の何者でもないとはいえ、それでも実際に台湾に住んでいるのは事実である。彼らをいたずらに挑発し茂樹するような「大日本」の碑文を作る必要はまったくない。
おそらくあれだけ刺激的な表現にした意味としては、日本の右翼と、台湾人親日派の一部が、わざと外省人に一泡吹かせて悦に入ろうとしたのではないか?だとしたら動機は不純である。
これに対して、例によって「反日行動ばかりしゃかりきになって出てくる」目立ちたがりの似非原住民(実際は外省人)立法委員高金素梅氏が騒ぎ、外省人系の中国時報も騒ぎ、それを受けて外省人が県政を牛耳る台北県政府も撤去するに至ったわけだ。これを日本の右翼の代弁に成り下がっているメルマガ「台湾の声」は「外省人勢力が、中国におもねって反日感情だけで情緒的に行った」と批判しているが、これは7分は的外れである。そもそも外省人の一部の反日は、中国におもねっているのではなくて、それ自身として反日主義があるのであり、しかも、今回彼らが情緒的に反発したのは、現場の設計や表現そのものが遣りすぎだったからである。
というのも、反日外省人といえども、日本時代のすべての遺産、顕彰する碑文に対してケチをつけているわけではないからである。たとえば芝山にある「六氏先生」の碑文はまったく問題になっていない。また、日本ではないが、淡水にある英国系の史跡は碑文や英国国旗も含めて問題にならない。
これらは韓国や中国北方なら「外国帝国主義勢力の残滓」などといって、大問題になっただろうが、台湾では問題にならない。
台湾の外省人といえども、台湾に住んでいる以上はある程度台湾化していて、韓国人や中国人と違って反日原理主義を持ち出すわけではないのである。
今回、反日勢力が大騒ぎした理由は、明らかに碑文その他が「日本以外に建てるものとして」は、あまりにも現地のさまざまな種類の住民感情に対する配慮を欠いたためである。
碑文が1つ2つだけで、内容が単に戦没者追悼をするもので、しかもあんなににぎやかにせず、ひっそりとしたものであれば、高金氏といえども目くじらは立てられないだろう。立てたらむしろ外省人仲間から白い目で見られるし、世論から完全に総すかんを食らうだけだからだ。
大体、戦没者追悼というのに、あんなに賑々しくするのはおかしい。あの部分はおそらくホーロー人の意思が介入しているのではないか。そういう意味で、あの祈念碑は原住民そのものの意思ではなくて、碑文内容は日本の右翼、そして賑々しさはホーロー人が介入したものだといえる。そういう点では、「台湾の声」などが「碑文を問題にするのは原住民の意思を踏みにじるもの」というのはおわらいである。先に原住民の意思を踏みにじって、自らの感性を強制してあんな内容にしたのは、誰か?

ただし、だからといって、外省人の一部大中国勢力がこれを自らの価値観にたって排斥し、さらに県政府が公権力を使って撤去するという行為は、許されるものではない。これは行政法でいう「比例原則」違反である。撤去は越権違法行為である。
碑文が台湾住民のある部分の感情を傷つけ、不適切だという指摘はわかる。しかしそれなら、土地所有管理者としての県は、これを建てた団体と話し合いをして、「内容が不適切だから、改善してほしい」と要望を伝え、期間も1週間などという短期間でなく、1年くらいの猶予を与えて、さらに改善のための費用も出すなどして、徐々に改善していくべきだった。
ところが、外省人の周錫叙コ県長が、碑文を見て反日大中華意識を全開させ、「歴史認識が間違っている。1週間内に撤去しろ」と命令した。さすが父親が軍閥の下っ端で、台湾で長年老賊(万年議員)を務めた外省人保守派権力集団の出自だけのことはある。発想が軍閥と同じで、横暴である。
しかも、碑文内容のすべてが問題ではない。碑文のある部分は原住民の一部の歴史的な記憶として尊重されるべきものである。それを外省人県長は自分の歴史認識こそが正しいといわんばかりに、他人の感情を無視して撤去を命じる。それこそ原住民を抑圧する帝国主義者の発想である。

これに対して、民進党族群事務部(エスニック局)は声明を発表し、「台湾にはエスニックによって異なる歴史観がある。それを互いに尊重すべきであって、一方的に他者の歴史観を否定して、公権力を使って撤去するという横暴こそが、特定エスニックの感情による他者否定である」と非難。当事者であるタイヤル族による団体・タイヤル民族議会も県政府の横暴を非難し、撤去を実力で阻止することを宣言していた。
民進党もタイヤル民族議会も、碑文の内容の当否には触れていない。というか、個人レベルでは、碑文の一部が日本の右翼によるもので、不快感を持っていることは確かであった。しかし、それはそれである。だからといって強制撤去という権力手段を使うことのほうが問題だからだ。
そういう意味で、大中国派は愚かだと思う。さすが中国人の浅知恵というべきか。
碑文の一部内容が軍国主義だという点だけを問題にして、徐々に世論を盛り上げていけば、民進党やタイヤル民族議会も、まさか軍国主義を擁護するわけがないから、碑文の修正に賛成するほうが多数になり、大中国派は大日本派に一本取れたはずである。
ところが、みすみすここで公権力を持ち出したものだから、問題の焦点は「公権力行使の是非」に摩り替わり、碑文の問題は打ち消されてしまったからである。大中国派は自分で問題を自分に不利な方向にすり替えてしまったのである。あまりにも愚かである。

しかし、そうした錯誤がなぜ起こったかというと、大中国派の眼中に「台湾人」とくに原住民の存在と立場がないということである。これは大日本派にもいえる。お互いに、台湾の元支配者として、台湾を我が物顔に勘違いして、自分たちの価値観がすべてだとして、台湾人に押し付ける。
台湾は多様で多元的な社会である。そのなかにあっては、たしかに大中国派も大日本派も大米国派も台湾主体派もそれぞれ台湾社会の重要なアクターとしてそれぞれ一角を占めていることは事実である。しかし、実はどのアクターもそれだけで過半数を占めるほどの勢力はない。
どのアクターもすべてが活発に動いていて、その勢力均衡の上に現在の台湾がある。それが現在の奇妙な形での事実上独立した台湾の姿なのである。
ところが、大中国派も大日本派も大米国派も、自分たちの背後に大国があることから、いずれも「台湾を動かしている、動かせる、動かすべきなのは自分たちのほうだ。だから、相手はすべて出て行け」式に発想しがちである。それこそが、勘違いであり錯誤なのである。台湾主体派は大国の背景はないが、やはり自分たちがすべてだと勘違いしている点では同じである。
実は台湾において、いずれの勢力も単独では20-30%程度の力と勢力しかない。しかもどの勢力に属すかは単一帰属ではなく、複数帰属であり、重層的であり、しかも個々人はその時々で属する勢力を変えたりする(李登輝がその典型。彼は同時に大中国派、大日本派、大米国派、台湾主体派のいずれもに属しつつ、実はいずれにも属していないのだが、しかしその時々の気分である属性を強調し、使い分けたりする)。
ところが、台湾人のポジションが重層的で曖昧であるため、各勢力の中核にいる人は「われわれこそが主流で台湾を支配している」というある種の錯覚を持つことになる。
今回の騒動は、そのうち大中国派と大日本派がいずれも自分たちが台湾を支配し勝手にできると勘違いした結果起こり、結果的には両者とも共倒れに近い形になったというべきだろう。
台湾は多元重層的であり、どの勢力も単独では支配する実力はないし、しかしいろんな勢力が重層的に角逐・収縮したりする中で、奇妙な均衡が生まれて、それが現在の台湾の事実上の独立という形を作っている。

これは現在の国民国家モデルから見れば曖昧な姿だといえるが、ところが、この曖昧さこそが、台湾人の利益と嗜好に合致しているのではないか?中東やアフリカの紛争を見れば、国民国家モデルが普遍的に最適のモデルではないことは明らかである。台湾も国民国家モデルではない、別の形の「国家」(それが国家と呼べるかどうかはともかく)として存在し、未来も重層的で可変的な帰属意識を使い分けつつ、それ自体としての存在感を示し続けるだろう。

自由時報が台湾語の投稿をよく掲載するようになった

2006-02-23 22:56:12 | 台湾言語・族群
台湾本土派でやや右よりの論調で知られる自由時報。ほんの1-2年前までは「自由広場」という投書面で、台湾語による投書はあまり載せなかった。ところが、最近はどういう風の吹き回しか、とくに2月に入ってからは、台湾語による投書もわりと載せるようになった。

まずは2月10日には2本同時に載せた:
http://www.libertytimes.com.tw/2006/new/feb/10/today-o4.htm
政治真情 林仙龍
全漢字だが、台湾語特有語彙には末尾に註で注釈、教会ローマ字(声調は数字)する方式。
例「國民黨若欲歡喜,一暝就有夠矣,這是舊年十二月初的代誌。」「註:1.率(chhoa7):帶領。2.若幾(goa7-che7):多少。3.仝款(kang5-khoan2):和他們相同。4.焉爾(an1-ni1):這樣。」

http://www.libertytimes.com.tw/2006/new/feb/10/today-o5.htm
向望正常國家 林美雪
漢羅式。ただローマ字部分は、teh , e など。
「今仔日無意中看著電視teh演「挪亞方舟」,看了後心裡有一寡感受。上帝因為看著人所做e攏是歹事、敗壞e行為,所以欲將地上e一切毀滅。」

さらに翌日11日にも1本
http://www.libertytimes.com.tw/2006/new/feb/11/today-o12.htm
想起邱妹仔 林沈默
詩 全漢字だが、末尾に註で台湾語特有語彙を解説、ただし音標は注音、アホかね)
例:「別人是爹地的掌上珠」「註 邱妹(台音ㄇㄟˊ,本詩妹字皆同音)仔,指邱小妹。爹地、媽咪,以英語發音。金含(ㄍㄢ)仔糖,含在嘴巴的糖果,形容寶貝孩子。耍(ㄕㄥˋ),遊戲。欲(ㄇㄧㄝ)睏,想睡。換伊換伊,諧音如救護車急促的叫響聲。海口庄,指收留邱小妹的台中梧棲童綜合醫院。來轉(ㄉㄥˋ),回家,喻魂魄歸西。舊岫(ㄒㄧㄨ),舊巢。」

次は16日
http://www.libertytimes.com.tw/2006/new/feb/16/today-o7.htm
伊鐵齒 會氣死 林仙龍
全漢字だが、末尾に註で台湾語特有語彙を解説、発音表記は教会ローマ字。
例;「近來火星文燒沸沸,予我遑遑想到一個問題:「若用火星文的講法,ETC是啥麼意思?」我粗淺想,上少也有兩個意思,第一是「伊鐵齒」,第二是「會氣死」。這,我絕對無烏白講。」
「註:1 訕(soan7):罵。2 咄(chhoh4):用惡語罵人。3 在按(teh4-hoaN7):在掌理。」

その次は17日
http://www.libertytimes.com.tw/2006/new/feb/17/today-o5.htm
世界母語日 張復聚
これは台湾語運動で有名で、台湾ローマ字協会初代理事長でもあった張医師によるもの。
漢羅方式だが、ローマ字はeなどの部分。
例:「咱民主文明閣現代e台灣著閣等外久才會有台灣母語日?」

連続して18日には台湾語文1本と客家語の詩1本というサービス(?)
http://www.libertytimes.com.tw/2006/new/feb/18/today-o4.htm
電火球拚王仔 廖鴻業
全漢字だが、台湾語特有語彙には語彙ごとに教会ローマ字(声調なし)で音の注記。
例:「這回NCC釋憲案竟然公開向行政院放調(pang-tiau)威脅,講若無在立法院開議前任命NCC委員,立法院就要加伊(蘇揆)杯葛,無愛乎伊上台(chiuN-tai)報告。」

http://www.libertytimes.com.tw/2006/new/feb/18/today-o7.htm
人民意志 陳寧貴
客家語による詩。客家語の詩は2年近く前から時々掲載されている。
表記は全漢字で、客家語特有語彙については、末尾に註で北京語による意味を付する。
「註 息把:稍微 麼儕:誰 煞猛:努力 恩:我們 弓狠:繃緊 愐:想 跈:跟 恁樣正毋會:這樣才不會 仰般:如何」

そして、26日台湾語文1本
http://www.libertytimes.com.tw/2006/new/feb/23/today-o8.htm
膨風水雞 屠無肉 廖鴻業
全漢字で台湾語特有語彙には漢字のあとに丸括弧でローマ字(擬似教会ローマ字)を付す方式。
例:民進黨欲(beh)徵召甚麼人,攏是他們家(in-tau)的代誌。


客家テレビの客家語オリジナルドラマ

2006-02-23 22:55:32 | 台湾言語・族群
客家テレビでは今年1月に平日プライムタイムの連続ドラマとして、吹き替えでなく、客家語で制作したオリジナルの現代ドラマ「魔法咖啡廳」をやっていた(すでに終了)。
客家語オリジナルドラマとしては3作目か4作目だったという(未確認)。
客家テレビのHP番組表(http://www.hakkatv.com.tw/hakkatvguide.php)で検索していったところ、初回は昨年12月28日で、最終回は1月24日のようだ。
午後8時半から9時半まで放送。午前0時、午前9時、午後3時にそれぞれ再放送したようだ。
ただ、何回か一部だけ見たが、話は、あまり面白くはなかった。
客家テレビの内部者に聞いたところでは、ベテラン俳優の場合演技はそこそこいいが、長年客家語を使っていないし、若手の場合演技はこれからで客家語もいまいち、という状態だったらしい。
しかも私が見た限りでは、台湾ドラマの例によって、脚本もいまいちというか、思いつきで脈絡のないストーリー展開。とはいえ「客家語で作ったドラマ」という点では意義はあったかもしれないし、そうやって経験を積み上げることが重要だと思う。
同作終了後は、北京語ドラマの吹き替えを放映している。次回のオリジナルドラマはいつになるか。

台湾・原住民テレビでカナダ制作のアニメ

2006-02-23 22:54:36 | 台湾言語・族群
台湾原住民テレビで伊努(Inuk)なる題名のカナダアニメをやっているのを2月12日午前1時に発見した。吹き替えは北京語。
カナダの公式HP(http://www.inuksite.com )。
ここで英語のページはなぜか空白で、フランス語を選択すると簡単な解説が出てくる。それによると、3-5歳の幼児向けのアニメで、イヌーク人の子供を主人公に、白熊やハスキー犬らが登場し、カナダ極北先住民の生活と自然を描いたもの。2001年にカナダ放送協会(CBC)が放映し、現在までに35カ国に輸出されているという。
制作はTube Nunavut Inc.というところでモントリオールに本社があるPopという会社の極北地域の子会社らしい。(http://www.pop6.net/en/inuk.htm
ただ、アニメのキャラは、白熊以外は、あまりかわいくない(笑)。カナダ人にとってはかわいいのかもしれないが。
放映時間だが、相変わらず原住民テレビのHP(http://www.ch16.com.tw/)では番組表が見れないので http://www.hytv.com.tw/htm/list/tvlist1.htm で検索すると出てくる「愛斯基摩家族(普)」のことだと思われるが、その番組表によると、土・日の1400-1500と再放送が日・月の0100-0200にやっているらしい。

228事件59周年記念活動

2006-02-19 19:38:40 | 台湾政治
財団法人228事件紀念(記念)基金会(台北市北平西路3号3021室、電話2361-0228)から受け取った228事件59周年記念活動案内から主なものを紹介する。

「228責任歸屬研究報告」新書發表暨座談會(「228事件責任帰属研究報告」発表および座談会
2月19日午後1時半から4時
台北市公務人力発展中心

228事件59週年中樞紀念儀式(228事件59周年中央記念儀式)
2月28日午後1時から3時
台北228和平公園

228事件歷史回顧 萬人巡禮(228事件発生関係地を訪ね歩く)
2月28日午後12時から1時半
日新国小(小学校)集合

228萬人祈福 永恆追思和平音樂會(記念音楽会)
2月28日午後3時から5時
台北228和平公園

ちなみに、
3月1,2日にはそれぞれ台東県、屏東県でも音楽会が開かれるが、国民党県政の台東県でも県文化局との共催らしい。これは地方では国民党も本土派という証拠でもある。そういう意味で、228事件の責任を認めようとしない馬英九指導部は地方国民党と遊離している。

来年は60周年となる。是非とも来年までに、228事件の真相と責任がすべてはっきりし、元凶であるファシスト集団・国民党が解体されるよう。そうして228事件で犠牲になったすべての人たちの霊魂が安らかになることを。

「228事件の元凶は蒋介石」との正式報告に往生際の悪い馬英九

2006-02-19 19:37:57 | 台湾政治
228事件59周年を前に、2月19日、政府系法人「財団法人228事件紀念基金会」(1995年、「228事件処理及補償条例(特別法)」に基づいて設立された)が、政府系研究機関・国史館に委託した研究プロジェクトの報告「228事件政治責任帰属研究報告」が発表された。この中で、政府系の報告としてははじめて228事件の最大の責任、元凶として蒋介石を名指しした。
これを受けて、陳水扁総統も「歴史を当時の支配者の都合と視点ではなく、正しく理解し、これを教訓に台湾へのアイデンティティが確立されることを望む」と指摘した。

これに対して、国民党は馬英九が「はっきりした証拠がない」、蒋介石の孫にあたる蒋孝厳が「動機が不純だ」などとコメントしているが、往生際が悪い。
であれば昨年国民党が盛んに「台湾抗日運動」について顕彰したもののほとんどは証拠もあまりなかったし、動機が不純だったということを暴露しているようなものだし、日本に対する責任追求と自身の問題について、ここまでのダブルスタンダードも見苦しい。

国民党および馬英九は、今日に至るまで、228事件および白色テロについて誠意ある謝罪を行っていない。「誠意」があるかどうかは、謝罪を受ける側に基準があるわけだから、国民党が口先だけ謝罪をしたとしても、被害者遺族や台湾人は永遠に納得しないだろう。
国民党は今後「歴史を持ち出すな」などと言ってくるのだろうが、だったら、自分たちは「抗日」の歴史を持ち出すのはどういうわけかと切り返されるだけだろう。かといって、228事件の責任問題を認めたら、国民党自身の存在意義を否定することになる。

もちろん、228事件は外省人全体の原罪ではない。今の外省人3・4世の若者、および国民党幹部ではなかった外省人の底辺層や庶民層にとっては、台湾こそが故郷であり、歴史を冷静に見ているからである。
だからこそ、馬英九をはじめとする国民党エリート特権層の往生際の悪さは、いまや台湾に愛着をもつ多数の外省人からも孤立するだろう。
国民党は追い込まれつつある。

そういえば、最近、陳水扁・民進党陣営は、「台湾の現状は主権独立国家であり、台湾の前途は台湾人民が決定するべきだ」といった、台湾主権論・住民自決論の踏み絵を、国民党・馬英九に突きつけている。これは昨年末ニューズウィークのインタビューで馬が「国民党の最終目標は統一」と失言を行ったことに対して、もはや統一など支持しない人が圧倒的多数になっている台湾の民意を踏まえて、陳水扁側が逆襲を行っている構図だ。
「統一」を主張して、不利な立場に追い込まれた馬英九は、その後、独立にも歩み寄った振りをしてみたり、そうかといって中国の顔色を気にした発言もするなど、立場が二転三転し、明らかに動揺、混乱が見られる。
馬英九はもともと頭が悪い。こうやってしゃべればしゃべるほど、前後不一致・矛盾などのボロが出てくる。
この分だと馬英九が自滅する日は遠くないだろう。かといって、あまりに早く自滅すると、国民党の総統候補が王金平になって、むしろ民進党はやりにくい。
今後の駆け引きというか、消長は見ものである。


記事はとりあえず速い聯合報のページより。ただし聯合報自体と中央社の記事が混じっている。

報告書と陳総統の発言
http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NAT1/3172132.shtml
228研究報告「蔣介石是首要元凶」

http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NAT1/3172399.shtml
總統:還原228歷史 建立國家認同

http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NAT1/3172270.shtml
陳儀深:蔣介石派兵鎮壓 主導228

国民党側の反応:
http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NAT1/3172451.shtml
蔣介石為228元兇? 馬英九:要有證據

http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NAT1/3172382.shtml
228報告究責蔣介石 蔣孝嚴:動機可議

http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NAT1/3172262.shtml
蔣介石是228元兇? 藍:應真實還原歷史


また鄭東泳かよ 韓国ウリ党新党首選出

2006-02-18 18:55:08 | 韓国・北朝鮮
きょう2月18日は韓国のリベラル与党開かれたウリ党の全党大会。国会議員補選惨敗の余波でごたごたしていた党指導部を新たに選出することになっていたが、KBSニュース速報によれば、以前も議長(党首)を経験した鄭東泳(チョン・ドンヨン)氏が議長に選出された模様。任期は1年。
投票は党大会出席代表によるもので、1人2票連記制で、計9229票中、中道右派の鄭東泳氏が4450票、48.2%を獲得して議長に選出された。
二位は在野派(中道左派)の巨頭金槿泰(キム・グンテ)氏で3847票、42.7%。全部で8人が立候補した。
ウリ党寄りのハンギョレはまだ報道が出ていないので、系派(派閥)の動きなど、詳細がわからないが。

歴代議長は次のとおり
金元起 2003年10月27日から 創党準備委員会臨時議長
鄭東泳 2004年1月11日から
辛基南 2004年5月17日から
李富栄 2004年8月20日から
林采正 2005年1月5日から
文喜相 2005年4月2日から
丁世均 2005年11月から臨時議長
柳在乾 2006年1月6日から臨時議長
ちなみに
歴代院内代表(院内総務)
金槿泰 : 2003年 10月 27日から
千正培: 2004年 5月 11日から
丁世均 : 2005年 1月 24日から
金漢吉 : 2006年 1月 23日から
(↑金漢吉は不正献金疑惑かなんかで一時期おとなしくなっていたけど、いつの間にか復活したんだ!まあ、彼は台湾にも友好的だから復活したのはよいことだ)
http://ko.wikipedia.org/wiki/열린우리당より

ウリ党って、台湾の民進党と体質や背景が似ているから、党首がころころ変わるんだよね。選挙のたびに変わる以外に、なんだかしょうもない理由で変わったりするところが、民進党よりも、もっとぶっ飛んでいて、アナーキーな感じがして、私は個人的には好き。儒教ドグマが強い韓国の中では、文化論的に見れば、民主労働党なんかよりもウリ党のほうがはるかに伝統離れしていて革新的だといえる。民労党も政策政党という点ではいいのだが、やはり民族主義や固定観念(階級対立というのも一種のドグマだからね)が強すぎるところがマイナス点。



KBS速報の記事
http://news.kbs.co.kr/article/politics/200602/20060218/839834.html
열린우리당 당의장에 정동영 후보
열린우리당 새 당의장에 정동영후보가 선출됐습니다.
정동영후보는 오늘 오후 서울 잠실 올림픽체조경기장에서 열린 전당대회 투표결과 1인2표제 연기명 방식으로 총 9천229표중 4천450표,48.2 % 를 얻어 3천847표,42.7 % 를 얻은 김근태 후보를 제치고 임기 1년의 당의장으로 선출됐습니다.
정동영 신임 당의장은 1953년생으로 전북 순창 출신이며 15,16대 국회의원과 통일부 장관, 열린우리당 중앙위의장 등을 역임했습니다.
또 2위로 선출된 김근태 후보에 이어 3천218표를 얻은 김두관 후보와 2천820표를 얻은 김혁규 후보가 각각 3,4위 득표로 최고위원으로 선출됐습니다.
424표를 얻은 조배숙 후보는 7위에 그쳤지만 당헌에 의해 여성할당 몫의 최고위원으로 선출돼 새 지도부를 구성했습니다.
임종석,김부겸,김영춘 후보는 각각 5,6,8위의 득표율을 얻어 지도부에 선출되지 못했습니다.
오늘 열린우리당 전당대회는 정당사상 처음으로 중앙선관위 관리하에 신강령 통과 당헌 개정 등의 순서를 거쳐 전자투,개표 방식으로 진행됐습니다.
열린우리당은 오늘 정동영 의장을 비롯한 새 지도부를 구성함에 따라 당을 조속히 지방선거 체제로 전환한다는 방침입니다.

[정치] 정은창 기자
입력시간 : 2006.02.18 (17:40) / 수정시간 : 2006.02.18 (17:53)


「将軍様の万寿無彊を祈ります」(ジャンルは「超常現象」)

2006-02-16 21:07:16 | 韓国・北朝鮮
今日は朝鮮民主主義人民共和国(いわゆる北朝鮮)の「敬愛なる指導者同志、将軍さま」の誕生日。

そこで、朝鮮準公式サイト「ウリミンジョッキリ(民族同士)」にある労働新聞のページからめぼしい記事を。
http://www.uriminzokkiri.com/Newspaper/RoDong/index.htm

まず、ロシアのプーチンの祝電と、中国共産党中央委員会からの花束と祝辞だが、中国共産党の祝辞部分はそっけない。
やっぱり朝鮮にとって中国は敬遠したく、ロシアのほうがやはり好ましいのかもしれない。

祝電 偉大なる指導者金正日同志様に対して、ロシア連邦大統領が祝電を送ってきた
3 2006-02-16 축전 위대한 령도자 김정일동지께 로씨야련방 대통령이 축전을 보내여왔다
http://www.uriminzokkiri.com/Newspaper/RoDong/2006/2006-02-16-B02.htm


報道 偉大なる指導者金正日同志様へ中国共産党中央委員会が花束を送ってきた
4 2006-02-16 보도 위대한 령도자 김정일동지께 중국공산당 중앙위원회에서 꽃바구니를 보내여왔다
http://www.uriminzokkiri.com/Newspaper/RoDong/2006/2006-02-16-B03.htm


面白いのが、次の二つ:

「ソウル」にあると称する(まあ、今はあってもおかしくないか)「反帝民族民主戦線中央委員会」の手紙 21世紀の太陽であらせられ民族の偉大な指導者であらせられる金正日将軍様へ
6 2006-02-16 편지 21세기의 태양이시며 민족의 위대한 령도자이신 김정일장군님께
반제민족민주전선 중앙위원회
주체95(2006)년 2월 16일 서 울
http://www.uriminzokkiri.com/Newspaper/RoDong/2006/2006-02-16-B05.htm


続いて在日朝鮮総連からの祝賀文。まだこんなこと書いているんだ・・・。
祝賀文 偉大なる指導者金正日将軍様へ謹んで差し上げる祝賀文
7 2006-02-16 축하문 위대한 령도자 김정일장군님께 삼가 드리는 축하문
http://www.uriminzokkiri.com/Newspaper/RoDong/2006/2006-02-16-B06.htm
재일본조선인총련합회 중앙상임위원회
주체95(2006)년 2월 16일 일본 도꾜

末尾でこう書いている:
「総連中央委員会は、すべての総連職員と在日同胞が尽きることのなくお慕い申し上げ、かつ忠誠を誓うという心を込めて、チュチェ革命の偉業を完成と、祖国の自主的平和統一のために、世界自主化偉業の前進と在日朝鮮人運動の強化発展のために、われわれ人民の偉大なる指導者であらせられ、すべての在日同胞たちの慈愛に満ちたお父様であらせられる敬愛なる金正日将軍様におかれては、ぜひとも玉体を健康であらせられるよう、謹んでお祈り申し上げます」

「玉体」って・・・。総連は天皇制や靖国参拝に反対しているんじゃなかったっけ?


自分たちによる公式の文書は次ぎのとおり:

中央報告大会における朝鮮労働党政治局候補委員・最高人民会議常任委員会副委員長のヤンヒョンソプ同志による慶祝報告
9 2006-02-16 보고 위대한 김정일동지를 높이 모시고 백두에서 개척된 주체혁명위업을 끝까지 완성해나가자 -중앙보고대회에서 한 조선로동당 중앙위원회 정치국 후보위원이며 최고인민회의 상임위원회 부위원장인 양형섭동지의 경축보고
http://www.uriminzokkiri.com/Newspaper/RoDong/2006/2006-02-16-B08.htm

記事「この世において、最後までお仕え、従って参ります!」
10 2006-02-16 기사 이 세상 끝까지 모시고 따르리!
http://www.uriminzokkiri.com/Newspaper/RoDong/2006/2006-02-16-B09.htm
この記事を書いた량순リャンスンという記者は、超「忠実なエリート党員」なんだろうな。いつまでこの世にいられるのか知りませんが。(実は「最後まで」というのは、皮肉だったりして・・・なわけないか)

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ところで、朝鮮の文献を見るといつも思うのだが、年号表記はいちいち「主体95(2006)年」(なんと、中華民国暦と同じ年数なのだ!まあ、世襲といい一党独裁といい、国民党と労働党は似ているのだけど)と、主体暦の後に西暦を括弧して併記しているのだが、どうして主体暦を単独で使わないのだろう?併記するなら、はじめから独自の年号を作った意味がないような気もするが?

また、最近、将軍様もずいぶんおとなしくなって、トルクメニスタンのニヤゾフくんに負けているような気がする。近年カダフィやカストロも以前の勢いと味がなくなりつつあるなか、是非とも将軍様にはがんばってほしい。