むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

「マンガ嫌韓流」は内容が薄すぎ

2005-12-21 03:17:21 | 韓流
 先月日本に帰ったとき、話題の「マンガ嫌韓流」を大阪で買った。ずっと売り切れが続いて増刷が出たばかりで山積みだった。
神戸三宮に出かけて京都までの新快速の中で一気に読んだが、第一、マンガとして面白くない。言っていることも、2ちゃんねるのハングル板のカキコの寄せ集めという感じで薄っぺら。韓国・朝鮮に昔から接している私から見たらとうの昔から周知のことばかりで新味とパンチがない。しかも右翼的挑発本という巷の評判から「期待(?)」していたよりも「穏健」な内容だったので、一気に脱力してしまった。私だったらもっと辛辣な批判ができるくらいだ。
 これが日本の「右」の言説レベルなのか。古本屋にでも売り飛ばすか友人に上げよう(笑)。

中身は、ほとんどが「戦後左翼進歩派」の「自虐史観」を「論破」する、というものに終始していた。これでは、タイトルから想像される「韓国の欠点をえぐる」というには程遠く、ほとんど詐欺商法に近い。表紙とタイトルだけは面白そうで、買ってビニールをあけてみたら、実はつまらないエロマンガというのがよくあるが、その類である。そもそも、著者が生身の韓国人とあまり付き合っていないらしく、宙に浮いた批判を投げかけている。2ちゃんねるのハングル板や極東ニュース板が元ネタらしく、たとえば韓国の欠点をえぐった鄭大均氏らの本すら参考にしていなさそうだ。
だからこそ、皮相的だったり、的外れだったり、むしろ突っ込みが甘すぎるところが目立つ。「挑発本」としても挑発にすらなっていない。韓国の世論が激怒しないのも当然だろう。
ただ、奇妙なのは、「良識」的だと自負しているマスコミがこの本をあまり正面切って取り上げようとしないどころか、半ばタブーにしているところである。韓国・朝鮮と接していれば初歩の初歩ともいえる問題意識を衝撃的で挑発的と受け止めたのか?それもそれであまりにもお粗末である。戦後マスコミを支配した「進歩派」論壇は、韓国・朝鮮を神のように美化しすぎて、欠点や悪い面をまったく見ようとしてこなかったことが暴露されている。
あらゆる国や民族や集団には、善もあれば悪もある。というか、そもそも善悪で論じられないのが人間である。この本を見て「民族差別だ」と決め付けてタブー視する進歩派の側もお粗末なら、この程度の本で「韓国人はだから馬鹿なんだ」といって悦にいっている右翼の側も、この本ではじめて韓国のお粗末な論理も知ったという30万以上の読者たちも、いずれもお粗末というしかない。いずれも人間を0か1かのデジタル思考で解析しているだけだからだ。
そこには、実際に生活している生身の韓国人なり在日韓国人という存在がないからだ。これならこの本がいうように「韓流はマスコミが捏造した」などと批判する資格はないだろう。なぜなら韓流ファンのほうが韓国語も勉強して韓国にも足を運んで、それなりに生身の韓国人と接点があるからである。

 的外れといえば、空手や寿司やソメイヨシノが韓国に起源があるという、一部のキワモノ本、ゾッキ本で流通している話、独島など領土主権問題など一部の政治家や活動家だけが大騒ぎしている問題を、あたかも韓国人全体がそうであるかのように敷衍拡大して批判したり、在日の松本君が日本の歴史を糾弾するなど「マスコミで一部活躍しているよくいる在日知識人像」がさも在日全体がそうであるかのように描かれている部分である。
的外れな虚像を勝手にこしらえて「韓国人」を批判したつもりになっても、風車を巨人と勘違いして戦いを挑んだドンキホーテのようなもので、滑稽なだけである。まあ、マンガだからデフォルメや滑稽さはつき物だといえばそうだが、ところが、このマンガの場合、マンガとしての滑稽さもない。つまらない滑稽さでしかない。
独島・竹島問題でも、韓国で騒いでいるのは、戦後民族主義教育のはしりの中年世代の一部で、若者はそもそも独島には関心がない。そういう点で、日本でも「竹島主権決議」だの「領土主権」にやたらといきり立っている一部の右翼とのサルの喧嘩の類といえる。
 
 この本が韓国批判として甘く的外れだと思われるのは、韓国人の欠点の根本となる部分をきちんと指摘できていない点である。
 韓国人の欠点としては、「民族」「韓国」を出発点に考え勝ちであるという点をもっと指摘すべきであろう。
 たとえば、韓国は左翼勢力といえども、民族や国家を第一に考える癖がある。今年3月、竹島問題が起こったとき、民主労働党が韓国旗を掲げて独島に上陸して「韓国主権守護」をうたったり、12月に香港でWTO閣僚会議を批判するデモが起こったときも韓国闘争団が韓国旗を掲げたり、ドラマ「大長今」のテーマソングを歌ったりと、何かと国家、民族ばかり強調する。
 これが右翼だというならわかるが、左翼としては脱線ではないか?もちろん、民族解放闘争などの場面では左翼も反帝国主義の立場から民族自決を主張することは珍しいことではない。しかし、いったん民族国家が形成され、しかも今の韓国のように国家としてはむしろ中心部として第三世界を搾取する側にある強国になっているところの左翼が、いまだに国家や民族を第一義に考えているところが、まずは発想の貧困というしかない。
 まして、英国共産党のイデオローグで国家論理論家でもあるホブズボームは、民族主義なるものは、近代になってブルジョアジーが階級的利益を守るために捏造した幻想と虚構だと指摘している。
 ある意味では古いタイプのマルクス主義の影響が強い民主労働党や民主労総が、民族や国家を振り回している姿は、韓国の思想的貧困と限界を示しているといえるのではないか?

 単なる民族主義なら、それほど害があることではない。誇りを持つことは意味がないとはいえないからだ。
だが、韓国の場合、文化的に画一均質度が高いこともあって、それが排外主義、ショービニズムにも直結し、自己反省もされない点が問題である。
日本も少数民族を抑圧しているとはいえ、それでもアイヌ、ボニン、沖縄、そして戦前以降の移民である朝鮮人、華人などの少数民族が存在し、自己主張もできている。ところが、韓国には華僑以外の少数民族がおらず、しかも華僑ですらひどく迫害されている。外国人労働者がまず最初に覚える韓国語は「殴らないでください」だというほど、外国人労働者への差別と迫害もひどい。日本人で韓国も台湾も長期滞在した人がいっていたことでは「韓国は地獄、台湾は天国」だという。労働者ではない長期滞在者にとっても、韓国は世界で最も住みにくい国とみなされている。
 また、「反日」についてはどんな過激な言論も可能な点では、政府の公式論で統制されている中国よりは、まだ自由度が高いとはいえ、反日を批判したり、親日的だと見なされる言論は社会的に許されないという風潮も、排外主義というしかない。
 若者には醒めた見方が多いとはいえ、かといって積極的に排外主義に異議申し立てするほどの力もない。
 もっとも、こうした韓国の民族主義と排外主義を批判することは、嫌韓流やそれに群がる浅薄な日本の右翼はできない相談なのだろう。それは自分自身にも降りかかってくることだから。だからこそ、歴史問題で「自虐史観を論破する」という体裁をとったのだろう。そういう意味で、あくまでも日本が中心と主体で、議論の主題となっている相手は客体でダシに過ぎないという組み合わせは、小林よしのりの「台湾論」と同じ系譜にあるといってよい。
 韓国人の最大の欠点である民族主義、排外主義を批判できないのは、韓流を嫌っている右翼も同じ病理を持っているからである。その点では、東アジアの「経済大国・政治外交小国」という点では瓜二つの日韓の排外主義者どうしの黄色いサルのいがみ合いでしかない。

(ただ、公平のためにいっておくと、韓国の「反日」も評価できるところがある。それは建前の民族主義とは裏腹に、やはり民主主義国家だけあって、あくまでも「反日」も言論、言説レベルでなされているのであって、反日だからといって何の関係もない日本人の通行人をいきなり殴って憂さを晴らすことはしない。言論による発散の回路が確保されているからである。
 その点では、韓国の反日と中国の反日では質が違う。中国では、西安裸踊り事件の反日暴動、教科書問題などを理由にした今年春のそれにしても、いずれも関係ない日本人が多数殴られたりしている。中国は言論が抑圧されているため、言論による発散の回路がなく、反日が見境のない暴力に短絡的に直結しやすい。それは韓国との違いである。
 その意味で、私は嫌いだが、麻生外相が、持論として「韓国と中国は区別。韓国は同じ民主主義国家で友好を求めるべき」としているのは正しいといえる。)

 この本について批判ばかり述べたが、現実にベストセラーになって、社会的反響と影響力を生んだ以上は、正面切って考えなければならないかもしれない。
 肯定する側面を挙げれば、この本を通じて、韓国の欠点も正視して、韓国のさまざまな側面を理解するきっかけが生まれてほしいと思う。また、実は韓国を批判することは、韓国が日本の猿真似で成り立っている以上は、それは日本を批判的に見直すことにもつながる。日本は世界からみて特殊で非常識なところがたくさんある。それも考えることにつながればいいとは思う。


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