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むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

chiok khiong-pou--e ! マラッカの側溝に狂暴そうな目つきのオオトカゲ発見!

2009-05-07 01:20:37 | マレー世界
マラッカの街を歩いていたら、側溝で何かごそごそ音がした。ねずみかと思いきや、これまで見たことがなかったオオトカゲ。体長50センチはあろうか。しかも狂暴そうな目つきで舌を出して睥睨している。これは驚いた。熱帯は恐いのお。

マラッカのマレー・イスラーム世界博物館

2009-05-07 01:20:02 | マレー世界
ちょっと日付は飛んで、先に14日に訪れたマレーシアのマラッカのことを書きたいので書いておこう。
マラッカはいろんなテーマの博物館があって、その一つがその名も Muzium Dunia Melayu Dunia Islam, The Malay and Islamic World Museum。
マレー語はまだ本格的に勉強していないが、これはアラビア語起源のduniaという単語があるから、よくわかる。

マレーおよびイスラーム好きの私としては、たまらないテーマである!

入り口↓



館章(ラテン文字マレー語、ジャーウィー、英語で書かれている。そういえば、展示を見てわかったんだが、第二次大戦以前マレー系文書の多くは、ジャーウィーで書かれていたんだよね)↓



こういう組み合わせのテーマを考えられるところが、マレーシアのすばらしい所以である。
入り口は、イスラーム圏の公共施設に多い、「靴をお脱ぎください」になっていて、脱いで裸足ではいる(今回のインドネシア、マレーシア行きでは、サンダルだった)。
入ったところに、マレー世界の広がりを示す大きな地図。当然台湾も入っている↓



しかし残念ながら、展示内容には、マレー世界の歴史的英雄としてホセ・リサールらフィリピンの事物はあるが、モーナ・ルーダオや花岡一郎ら台湾の事物はない。
台湾で民進党政権が続いていたなら、この博物館と台湾の史前博物館の姉妹提携などを提案するところだが、国民党政権だからね!残念、手遅れだった!
マレーシアとインドネシアがいいところだっただけに、もっと早く来ておくべきだったと後悔する場面は多かったが、これもその一つだ。

親日国家インドネシア、ジャカルタの独立記念塔にあった独立宣言文には確かに皇紀が使われていた!

2009-05-07 01:19:17 | マレー世界
ジャカルタの中心部?(ってどこが中心部なのか、いまいち判然としないのだが)にある公園に聳え立つ独立記念塔モナス。そこの2階に独立宣言文が納められていて、衛兵に頼むと格納庫を開けて見せてくれる。
噂では皇紀2605年を意味する05年と書かれているということなので、確かめてみた。確かに tahun 05 となっていた。
しかも衛兵が、うれしそうに、「これ日本の暦なんだぜ!」みたいに語ってくれた。

独立記念塔には、地下入り口を入ったところに、時系列でインドネシアの歴史を解説する張りぼての陳列棚がある。
そこでは日本軍の侵入と戦後の独立運動も言及されている。
日本軍が侵入してきた場面では、日本軍兵士がインドネシア人に罵倒調で命令している張りぼてがあり、「日本軍が入ってきて、インドネシア人を強制労働させた」と批判的な解説がある(おそらくNHKに文句いっているウヨクだったら、これを反日的だと文句いうのかもw)。
しかしインドネシアの親日感情の元となる解説もすぐ横にある。それは戦後オランダがまた再植民地化するためやってきたとき、日本軍の残留兵士もインドネシア人と一緒に戦ってくれた、というものだ(これは日本の自虐サヨクや韓国人や中国人が抗議するんだろうか?w)。
さらに、面白かったのが、その横にあった、カトリックがインドネシアの国家一体化に貢献した、としてカトリックの役割を賞賛している解説だ。イスラームを基本としながらも、カトリックの役割も評価し、実際、ジャカルタで一番大きなモスクの隣に、カトリックのカテドラルもあるように、この国におけるカトリックの地位を示すものだといえる。

NHK語楽紀行に出ていたユリアティの実家の民宿に泊まった、妹のビダニかわいかったお

2009-05-07 01:16:20 | マレー世界
インドネシアは国会議員選挙に合わせて行ったのだが、選挙休暇などの関係で、会いたい人物に会えなかったという意味では、収穫はいまいち。
ただ、初めての南半球、マレー社会の本場体験ということでは、面白かった。今後の本のネタに使えそうな題材も見つかった。

インドネシアでは、ジャカルタ以外にも行こうと思っていた。事前にジョグジャカルタかバリ(ウブド)で迷っていたのだが、NHK語楽紀行のバリ編に出ていたユリアティがかわいかったことを思い出して、バリのウブドに2泊した。ガイドブックを見ていると、ユリアティの名前を冠したロスメンもあったので、そこに予約した。電話に出たのは、ユリアティの妹のビダニだった。

いろいろ調べたところ、ユリアティは昨年結婚したらしい。
しかもユリアティの家って、貴族であるウェイシャに属する家系らしくて、結婚相手が平民のシュードラだったことから、「駆け落ち婚」だったらしい
しかし待てよ、インドではウェイシャの元となるヴァイシャが平民で、スードラは下人じゃないのか?これはどうもヒンズー教がバリに受容された際に、クシャトリアが王族だけを意味して、ヴァイシャが貴族を意味するようになったようだ。
でも、わりと小さい島で貴族?ってようわからん。そもそもインドほど階級は厳しくないようだけど。
まあ、娘3人、息子1人いて、いずれも大学に通わせているから、インドネシアでは確かにわりと上流になるんだろうね。

5日と6日に泊まった。5日夜についたときは、彼女らの父親がいた。英語がけっこう達者。ビダニは翌日帰ってくるという。6日夕方ビダニが帰ってきたが、帰ったときには入れ違いだったので、彼女は昼寝していた。
起きてくるのを待って話しかけた。さすが貴族の娘?だけあって、けっこう上品な子だった。医学部5年生で、今年から実習に入るとか。医学部生だから、インドネシア人には珍しく英語もそこそこできる。医学部といえば、レバノンで会ったハーシム家の元王女も医学部出身だったが、医者って上流な仕事ということに国際的になっているのか。
ビダニがいうには、子沢山のインドネシアでは不足気味の小児科医になりたいらしい。感じからすると、非常にむいているだろう。
ビダニは一家全員が、バリ島によくあるように、きわめて敬虔なヒンズー教徒で、ビダニも一日3回神々に祈るらしい。
そういえばウブドでは、道にたくさんヒンズー教の祈り用の小さな紙箱が置かれていた。
これは良いことだ。

台湾が現在方向性を見失っている原因の一つには、シナ由来の現世利益のいかがわしい「宗教」があって、本当の意味でのマトモな信仰がないためだろう。その分、信仰は青と緑の政治闘争にしかなく、不毛な争いになってしまっている。
インドネシアとマレーシアで安らぎを感じるのは、人々がイスラームなりヒンズーなりと、人智を超えるものに対して畏れを抱き、そして敬虔に信仰している姿だ。

そういえば驚いたことに、インドネシアでは医学部も含めて大学はすべてインドネシア語で教えられているらしい(医学部ではテキストは英語だが)。これは発展途上国ではきわめて珍しいというか、驚愕すべきことだ。
確かに街を見渡すと、インドネシア人で英語ができる比率は、オランダの植民地だったというハンデを考慮しても、マレーシアよりもはるかに少なかった(マレーシアは上手下手はあるが、ほぼ全員が英語ができる感じだ)。そこらへんにいる一般人は地域言語とインドネシア語しかできない。ジャカルタはインドネシア語の単一言語地域になっている。

ベネディクト・アンダーソンのナショナリズム研究の経典本「想像の共同体」は、インドネシアをモデルにしているが、言語に注目しているのは、インドネシアの国の成り立ちがインドネシア語という民族言語に力を入れたことを反映している。私は以前、これにはまって、90年代に台頭していた台湾語ナショナリズムに投影して論じてきたが、今ではやっぱり違っていると思う。それはアンダーソンが、インドネシアという特殊事情を基盤にしているからだろう。

ビダニはたまたま月曜に戻ってきたが、普通は金曜日に恒例のレゴンダンスに出るときしか、ロスメンのある実家に戻ってこないらしい。ユリアティもそうらしい。今回は金曜日はインドネシアに滞在しないので、ユリアティには会えなかった、残念!

しかし、ユリアティもビダニも、すごい上品でかわいいよね!
しかもインドネシア人がいいところは、わりと小柄なところ。圧迫感を感じずに接することができるのも良い。私は女性は気が強くてもいいが、大柄なのは苦手だから。

本当はビダニと一緒に撮った写真もあるが、勝手に載せるのも何なので、ユリアティハウスに掛かっていた一家の写真を載せておく。



気分が良かったインドネシアとマレーシア行

2009-05-07 01:00:55 | マレー世界
NHK番組事件にかまけて、4月4日から16日のインドネシア、マレーシア旅行の感想をうpしていなかった。
最近、雰囲気が急速に悪化、中国化の一途を歩んでいる台湾と比べて、マレー社会の本家、インドネシアとマレーシアは、まだまだ民進党政権時代のような明るくてほんわかした雰囲気に包まれていた。
インドネシアも民主化と自由化は着実に進んでおり、今回あったリベラルグループの人たちは「どんどん良くなる傾向にある」と将来を楽観していた。
そう、台湾の李登輝後半から陳水扁第一期のときのような将来を楽観できる雰囲気なのだ。

そして戻ってきた台湾は、やっぱり雰囲気が暗く元気がない。

そういえば、アジアの新興民主主義の多くが、現在、逆行に向かっている。
90年代半ばには明るい展望にあったフィリピン、タイ、モンゴル、韓国、台湾がいずれもおかしくなっている(ただ、韓国だけは、選挙による牽制が可能という点ではまだ市民意識が健全なところはあるが)。

とはいえ、インドネシアとマレーシアは着実に良くなっているのは事実だ。
もちろんだからといって、私の研究対象がそっちに移るとかそっちに移住するとかは考えていない。逆にあまりにのんびりしていて、ある意味でマトモすぎるから、私のこれまでの研究スタンスを変えないといけなくなるから、いまさら無理だ。

ああ、数年前の、あの、すばらしかった台湾はどこに行ってしまったのだろうか(嘆)。

懐かしかったマレー世界の雰囲気 民進党政権時代の台湾もそうだったんだよな

2009-04-19 17:07:54 | マレー世界
2週間弱、インドネシアとマレーシアに行っていた。最近台湾の雰囲気がどんどん暗く、中国化が進行しているので、民進党政権時代に存在したマレー的な穏やかで明るい雰囲気を再び味わいたいと息抜きに出掛けたものだ。

マレーシアは昨年レバノン行きでストップオーバーして以来2回目で、滞在としては初めて、インドネシアは完全に初めて、さらにいえば、ジャワ島が位置する南半球は初体験となった。

インドネシアではジャカルタとバリのウブド(ウブッ)、マレーシアではKLとペナン、マラッカに行った。
インドネシアは国会議員選挙があったので、それにあわせて行った。それからマレーシアでは以前から知り合いだった華人を中心に、マレー系にもいろんな知り合いができた。
ペナンとマラッカでは福建語が多用されていた。プラナカン、ババ・ニョニャにも接触した。

現在、台湾だけにいても閉塞感が強い。次の次に(現在進行中のものを出し終わった後に)書く本のネタが思いつかない。どうみても台湾は破局に向かっているし、日本人の台湾への関心も大幅に減退している。

今後マレー世界における中華とマレーの融合、中華思想の減退という観点から、マレーシアの華人社会というのも、一つの研究テーマにできると知れないと思った。実際、現在日本で出ているマレーシア華人に関する記述は、学術的なものですら、福建語など地域言語の知識が欠如しているために、いい加減なものが多い。ましてビジネス書にいたっては、ありもしない「華僑ネットワーク」「中国との結びつき」なる幻影を振りまいているからだ。

また4月という時期を選んだもう一つの理由は、ちょうどいまが見ごろを迎えた南十字星(南十字座と呼ぶのが正しいが)およびケンタウルスのα、β星も見ることだった。
ただ、宵のうちに見えるはずの大マゼラン雲は、月齢が10前後だったので見えなかった。
これは10-12月(今年とは限らない)という時期を選んで再訪することにしよう。

いずれにしても、マレー世界の中心地、インドネシアとマレーシアは良かった。礼儀正しいし、和む(台湾も民進党政権時代はそうだったのだが)。何度も行きたい。
今回の旅の感想は、追って報告していきたい。