虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

柿本人麻呂のかぎろひ(い)

2021年01月26日 | 約束の地
色と光の図鑑なる本を買って来た。
あの山の上の大きなオレンジの楕円形の光のことが知りたくて。
しかしこの本の著者の斎藤さんという人はどうなんだろう?
人麻呂のかぎろひを知らず?武田康男なる人の写真を掲載していたが。
もっともそのかぎろひは人麻呂以外知るはずもないから、
それはそれで仕方のないことかもしれない。
ただ私には思うことがある。

私はかぎろいの写真を調べてみた。
が、私がこうだと思い探しているかぎろいは一枚もなく、それにだいぶ近いものが一枚あるきりだった。
それにしても、あんなに沢山集まっていた写真家達は万葉の丘でああいう朝陽にしか出会わなかったんだろうか?
それがなんとも不思議である。
私は何度か今のかぎろいに出会った。
だからああそうかと、地元の人のいうかぎろいを納得した。
朝早く起きてまで見る気もなかった者に、それはあまりにも幸運な出会いだったのだろうか?

地元の人のいうかぎろいは、服や布の端っこにステッチする、あれである。
つまり、まだ明けやらぬ暗い黒っぽい墨絵のような連山の頂上が、光り輝くオレンジ色のクレヨンで縁取りされたかのようになるのである。
その縁どられたオレンジは、もうそこからは外に光を放たないかのようで、
だから何も考えずに見れば、それは朝陽のせいだとも夕陽のせいだとも思わないのである。本当に子供が絵を描いていて、山の頂上に綺麗にオレンジの縁取りをしたかのように見えるのだ。

人麻呂のかぎろひは古代では陽の炎で、だからそれは全体に山を覆うものではなく、私が見たとそっくりの写真を一枚だけ見つけた。

ま、一つ問題解決。

あの場所は大宇陀だったから、方角的にも私が見たのと同じである。
がも一つの疑問。
一体朝陽はあそことは全く違う場所から昇るのに、あの時間はあそこが輝くような場所にいるということなのか?
いるなんて人間のようだが、すべては神なのだからそのような言い方になる。












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太陽はどこから昇る?

2021年01月20日 | 約束の地
今朝、あれは何時頃だったのか?
五時か、六時か?
あれはどこの山になるんだろうか?
ある一か所だけが真っ赤で、今見ると、そこは随分遠方の山の頂だが・・・
とにかくそこだけが真っ赤で、見渡してもかぎろいの様子もなく。。。
太陽は普通、東から昇る。
つまり位置は少しずつ違っても、私の目の前から昇る。
???
明日また見てみようと思うが、果たしてその時間に目覚めているか?

  




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上善は水の如し

2021年01月17日 | 約束の地
孔子が諸国巡業していたとされる十幾年。
あれは映画にあるように魯国に追放されたのか、自ら出立したものか、大勢の弟子達は皆師に従い、師を敬い。
だが孔子もまた弟子に頭を下げるのだ。

私は突然、死の数年前の健造先生を思い出した。東京から来られていた一番古い会員のご夫婦に、会場に入ってこられて、講義に入られる前、深々と頭を下げられた。先生はその頃、戦争で悪くされた足が相当に悪くなって、もう講義には出ておられなかったらしいが、私はあまり事情は知らず、今日は先生は来られますよね、などと何年ぶりかで来たものだから能天気なことを言っていたが、果たして先生は珍しくも講義に出て来られたのだった。
先生が弟子に畳に頭がつくほどに下げられたのだから、弟子は恐縮して、やっぱり畳に頭がつくほどに礼をされた。
そんな日があった。
思えば、先生は私にも何度かありがとうを言われたのだった。

私は孔子の教えを観ながら、泣けてきた。多くの弟子たちに慕われ、野を往き、あばら家に身を寄せ合い。
ある時期、健造先生に寄り添ったカモさん達も、先生もなんと幸せだったことかと思った。そういうふうに寄り添える師のいる人生をうらやましく思った。

さて孔子は本当に老子に教えを仰いだか?
老子の生きた年代はあまりはっきりしない。
ただ久しく忘れていた言葉を物語の中に聞いた。

 上善は水の如し

上善は水の如し だ。




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第73代武内宿禰の前方後円墳

2021年01月14日 | 約束の地
むっちゃん先生。
良いような悪いようななんとも形容のしようがない73代目の宿禰氏。

残された者たちの楽しい前方後円墳造り。
若くして死んだのに、皆が悲しむより楽しんでいるというのが面白い。
小さくて可愛い前方後円墳。
見に行きたい。
自分の墓には興味がないが、こういうのはありかな~と思ったりする。

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