虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

ただ生まれ、ただ生きて

2017年01月30日 | Weblog
芦生の森は素晴らしいといつも思っていたが、そこに住む二郎と名付けたツキノワグマを毎年追っている人の話があった。そこでツキノワグマが子殺しをする場面をカメラがとらえていた。
人間だけでない、どんな野生の動物でも赤ちゃんは愛らしい。愛くるしい。子供を二年も連続殺されて、力なくもう横たわるだけの母熊の絶望の姿が痛々しい。もっと穴に隠れていればいいものを、餌を求めて歩いたが故。いやいや、子孫を残すことを植え付けられた雄熊は、そうでなくても、そのうちその穴も見つけ出してしまうのだろう。去年二郎はもう現れなかった。どこかへ移動したのか。。。

昨日はアフリカのライオンの親子のことをやっていた。砂漠を一年間潤すほどの雨が一どきに降り続いた後の、水の中、ぬかるみに足をとられながら、獲物を求めて歩く空腹のライオンの親子。このまま何も食べられなければ赤ちゃんは一週間の命なんだそうで、もっとも難敵といわれる動物に挑んで失敗する親ライオン。動物の名は忘れた。鋭い大きな曲がった角を持つ動物だ。

私は動物は苦手だし、好んでそういう動物の話を見る者ではないが、天候の急変で何日も食べられない動物が、赤ちゃんを連れて必死の狩りをする姿を見ると、ついチャンネルの手が止まる。
いつだったかはテリトリー内の水がすっかり干上がって、水を求めてやむなく移動した動物の姿をカメラが追っていた。他動物のテリトリーに入って行った者は危険極まりない。そのうえ、動物の掟は厳しい。
まだ幼い子供であっても、母親が助けることは出来ない。
ある日、しんがりを歩く子供は、とうとう狩りの最中、敵に後ろ足か、尻尾のあたりかをやられてしまった。それでも子供は仲間の群れに必死でついて行こうとする。母親は心配そうに時折振り返りはするけれど助けには行かない。動物は自分で歩かねばならないのだ。
子供はだんだん群れから遅れていった。どんどん皆から遅れ、ついには姿が見えなくなった。それでも子供は必死に足を引きずって歩き、どんなにか綺麗な目で、どこか笑っているようにさえ見える顔をして、、、、、、やがて荒野で息絶えた。

その話を人にする時は、胸が締め付けられて、最後までうまく喋ることが出来ない。
動物はただ生きるために食べ物を探す。ただ食べるものがあり、ただ寝る所があり、子孫を残す為だけに生き、怪我をしても、病気をしても、この世に残すのは子孫だけで、何叫ぶだけでなく息耐えていく。
足ることを知る、生である。


昨夜も深夜に芦生のツキノワグマを撮り続ける熊カメラマンのことをやっていた。フィルムの使いまわしだけど。
じろうは正しくは次郎らしい。訂正。

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奨励政策

2017年01月16日 | 語りつぎ・・・六次元講義
農家が国に護られるという制度はどうなのか?という考えもあるが、
農地というより国土を護るという考え方にも一理あるかとは思える。

私は減反政策以前のことは知らなかったが、先生が仰っていたことは昔に返るようなことか?
今は農家だって多種多様の野菜作りに挑戦するほうが楽しかろうし、
補助金解除でも、無闇矢鱈米ばかりを作る農家は少なかろうし、
必要以上に高値で政府が買い上げるということもないだろうし、
無論配給制でもないから、農業をまもる為に、
矢張り何らかの政策が必要だというのなら、それはやっぱり奨励策のほうがいいのだろう。
作りもしないものに金がもらえるという制度よりは、だろう。



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猫と心臓

2017年01月07日 | Weblog
一昨昨日の夜だった。
閉じた瞼の向こうに、気がつくと急に青白い光が見え始めた。
そんな眩い光とは随分ご無沙汰だったから、
なぜなんだろうとしばし考えた。

光は観音様をかたどった。
なぜ観音様なのだろうと考えたが、考えている最中にも
光は観音像の周りをくるくる眩しく輝きながら回った。

猫を胸元から降ろしてうつ伏せになると、
光はごく普通の光にかわった。
私はもう一度先ほどの光を見たくて猫を胸に乗せた。
あれは胸の圧迫具合と関係がありそうだと思った。
心境がすすんだからではない。

息をする。しない。止める。
ああいうことは心の臓と大いに関係ありだと、
また思う。





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