虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

日本のどこかの村

2008年07月31日 | 約束の地
十年か十五年くらい前かに、ある本を読んだんです。
それは九州のどこかの小さな村の話でした。
今の日本で出来うる限りの小さな村落共同体の話でした。

そこの村にゴミ処理場はなしにしました。
村民が決められたところで自分達が焼くことにしました。
そこの村は大企業は誘致しないことに決めました。
川は綺麗なままで水泳にも使い、学校にはプールは造らないことにしました。
子供は親が育てるのが当たり前だから保育所はありません。
病気は3000円までなら自己負担とし、高額のものは村の負担と決めました。
他にも色々決めました。
そして、その意に沿わぬものは出て行く事と相成りましたとさ。
それは問題もありましょう。
しかし、共存共栄の精神、真に豊に生きるということに取り組んだ
そういう村の話です。

小さな豊な村・・・小さな豊な町つくりたかったです。
想いは続きます。












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食糧危機? 自由人か支配される者か

2008年07月27日 | Weblog
食糧危機はあるかないか?
あると言えばあるし、ないといえばない。
頭脳者達や技術者達や野心家達にとっては食料危機は一つのビジネスチャンスなのだから、しかも最高のビジネスチャンスなのだから、これに目をつけないわけがない。
そういう意味では予期せぬ戦争で焼け野原になったとか、あちらこちらで一気に天変地異が起きたとかいう以外は、物価が高くなることはあっても、食糧危機は今の日本にはない。
あるのは支配する側と支配される側。
支配する側は決して生命力を創造しない。創造するのは毒で、毒入り饅頭を作る。
今流行りのメタボはすでに食糧の奴隷となった者だといっても過言ではない。
麻薬を売る者が麻薬をやらないのは鉄則で、馬鹿はやる。
食糧も一緒。
今の日本人の太った者の体型はかつての日本人の太った者ではない。
ただ単に西洋風の食糧の影響ではない、死なない程度の・・
病気になって病院に行くように仕向けられた毒入り饅頭だからだ。
体の中に巣くうのは毒。血管を流れるのは毒いりの血。
食糧危機があるというのなら、それはもう随分前に始まっている。
私達庶民下層階級は本当に良い食糧を口にする事は生活が許さない、そういう都会。

知恵ある者は宇宙人を創ろうとし、一方の智慧ある者は昔に帰ろうとする。
人はどちらを選ぼうとも自由である。



昨日、足の神経が4本切れた。
おかげで痛みの感覚をあまり感じないでいる。
神経過敏症といわれた私にはちょうど良い感覚なのかもしれないが、
こんなふうに痛みを感じずになったらそれが危険だと昔倒れた先で言われたことを思い出す。
だんだん死の準備を体がしているということなのだろう。
そして、現実生活も死の準備をしているということなのだろう。


しかし、手をあわせた向こうから、風はまだ私にやってくる。。。














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岩が飛ぶ

2008年07月23日 | 私の古代史
街中から山を見ながら帰る日暮れ前・・・それがとても好きだ。
夕方近くになって、樹が揺れ鮮やかになっていく山、綿菓子のような雲、
その風景がとても好きだ。
どこまでもどこまでも続かないかと思う。
そうして、あの山のてっぺんにニギハヤヒは天から船に乗って来て降りたのだと、
ニギハヤヒという名を知らなかった子供の頃は本当にそう思った。
岩で出来た宇宙船なんだ。
小学校の頃、なんという先生だったか、岩が簡単に動くって教えてくれた。
だからエジプトのピラミッドも岩が浮いたから造れたんだって思った。
重力の問題。
今も、研究者達を横目に、そんな楽しい物語を手放さずに心の隅に置いて山を仰ぐ。
あれが『虚空見つヤマト』と言った山の頂。
だからその下の日の下。
そう思った。
むかしむかしの漠然とした、けれども楽しい頭の中の世界。。。


超能力者達の中には時折、大きな大きな『岩が飛ぶ』夢を見るのがいる。
天の岩戸なんだけどね、
その岩は宇宙船だから飛ぶんだ。

みんな同じような夢を見る。。。。













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懐かしき歌声

2008年07月22日 | 約束の地
♪ 黒潮騒ぐ 海越えて 風に傾く甲板の~

   めざすは遠い 夢の国

    ~~ ~~ ~~

   明日は オランダ カンボジア 

    ~~ ~~ ~~

   さ~ 出発 出発 出発!!



~~の部分はなぜか全然思い出さない。
小学校の頃でも、夢中でテレビを見たということはなかったから無理はないが、
それにしてはいつまでも思い出す、船上の姫と家来達。

なぜ剣士の恰好をしてまで荒れ狂う海の上、
遥か異国を目指していたのか?


私は古代船を復元した人の本を買って、一緒に海に乗り出した。
本人は日本を目前にして難破したが、私は日本に辿りついた。


ああ、楽しかりし古代。













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三年遅れで

2008年07月16日 | Weblog
ほら、今年、そんな年になったよ。オリンピックの年だ。
行くものはそれでも行く。
必ずしも金とか地位とか名誉とかではないけれど、
何かこの世のものの中の何かを捨てられないのが大勢いて、
大勢いる中の賢い馬鹿はね、行くんだ。
ターミネーターみたいな事かな?

変わるんだ。はからずも私が言った自動車が減るって現象。
あの人のガソリン1000円説もまんざらでもなかったかな?
私は1000円なんて10年前には言ったことはなかったけど、
給料増えない、むしろ減り続けるのに、インフレ、出費増。
遠からぬ未来、そんなのは国家財政見れば分かったことなのに、
誰もその時は私の言うことを眉唾で聞いていた。
目先しか見ないものはそんなもんだ。
目先追いかけて、誰も協力しようとはしなかった。
しようがなかんべ。今の人間って皆そんなもの。
自分は血も涙もあると思っているが、それは自分に火の粉がかからない時だけ。


私達は何か話すとえんえんその話をしているけれど、
あなたはぱっと違う所から、違う角度で、違う話のように、その話をするでしょ、
頭がいいのよね、宇宙が広い!

宇宙が広い?
ああ、よくそう言われるけど、私の宇宙って広いのかな?
私はそもそも宇宙ってどんなのか、子供の頃も宇宙が分からないな~って、
結構悩んだ。
宇宙って私わかんないよ。
私に分かるのは、変わらなければ日本に住む多くの者が立ち行かないってことだけ。
もう三年遅れになっちゃったけどね。















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愛しき日々よ 愛しい者よ

2008年07月11日 | 約束の地
いつも私は「行こう」と、言った。
皆、目を輝かし、嬉々として歩いた。

どこかに着いて、やったーと皆は言ったが、
私は少しだけの休息で、また「行こう」と、言った。
皆はしようがなくだらだらと歩いた。

歩いているとまたどこかに辿り着いて、皆は安堵し腰をおろしたが、
そこでも私は少しの休息だけで、また「行こう」と、言った。
皆の足は重く、もうここでいいよ、もうここにいたいと言った。

ならばここにいるさ、私は行くと言った。
もう帰りたいという者には、ならば帰るさ、私は行くと言った。
私はただ一人歩きはじめた。

道はどこまでもあるように見え、
道はどこにもないように見えた。
ふと振り返ると、足をひきずるようにしてついて来るのがいた。
私は少し歩みを遅くした。
その者に私の後姿がわずかにでも見える程度に、
けれど歩みは止めずに歩いた。


右か左か、多いに迷うそういう所に来て、
私は角を曲がり、何メートルか向こうの蔭に足だけが見えるように腰をおろした。
分岐点まで来た者はびっくりして右に左に首を振り、
私の小さな靴を見つけて半泣きで走って来た。
私はその二人を抱きしめて言った。
「行こうか」と。


私達は三人で歩きはじめた。
笑いながら、時に足をひきづりながら・・・。
そうして小高い丘に出た。

「おいで!見てごらん!」
振り返って私が叫んだ。
二人は重い足をひきづって走って来た。
「わぁー、海だー!!」
凄いね、海だ!
一人は心の中だけで言った。
目を見れば、私にそれが分かった。



私はその海辺に小屋をつくって、波の音を聞きながらただ寝る。
私はもはや何もしない。
ただ、波の音を聞きながら眠る。
砂浜で二人は遊び戯れ、何かを拾い、喜んで走ってくる。
幸せそうに走るその足音が・・・波の音とともに私に聞こえる。
けれど、私は目をあけない。


           
              (小さかった弟と妹との思い出に・・・・)





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ある運命

2008年07月09日 | 約束の地
大恐慌の時の野村証券の社長が宝塔神社にお篭りして祈願した文にあるように、
野崎さんはあの頃もまだ渡し舟の乗降場で飯盛山生駒山の麓はかなり近代になるまで湿地帯だった事が分かる。遥か昔は河内湖だったことは想像に難くない。
学園の道場のある場所からは貝塚が見つかっており、
中垣内は中世、がいとなのであり、その下の方の話。
古事記に日下王の話しがあり、日下の入江の蓮の歌がある。
原始蓮のあるあそこらあたりが入江。
その下は河内湖。
で、私はその河内湖の上を行く。
勿論石切さんが今の場所にあった筈はなく、山に行かなくても分かる通り石切場はもっと上。だから上の方から勧請してきたという方がおそらく正しいだろう。

ところで石切に園遊会でも開いたら似合いそうな歯医者がある。
なにやらの市の役をやっていた先代があって、その関係もあり、
そこは考古学資料館とは大袈裟だが、あるものを市に代わって保管管理していると、伝記に書いてあった。

石切さんにおまいりしていたおばあさんが、歯医者に行くのにわざわざ野崎まで行って、そこから放出に出るのを慮って願かけて、
そうしたら、子供が歯医者になったという歯医者。
そこの庭から出てきたのが紀元5世紀頃か6世紀頃かと鑑定された義歯。
そこの歯医者は今で三代目らしいが、歯医者になる運命だったのだろうと、
マカ不思議がった。


さてさて、私はなぜこの地にいるのであろうか?
偶然か運命か?
























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虚空見つヤマト

2008年07月07日 | 私の古代史
今日はまったくその事は知らずに出かけたのだった。
南の方にそういうところがある事は知っていたが、
今日はただただ、いにしえ、薫れる草のそこかしこにありて、
そこに留まらずにいられなかった人達の心偲びたいと・・・・。

「あそこが葛城山ですよ」と、運転手は目の前の山を指差した。
そこは・・・鳥越氏達によって高天原に比定された地のように見えたが、
方向音痴気味の私には、
その高天原がこちらからはそこに見えるのが正しいかどうかの確信がなかった。
ただ葛城は葛城だった。
さすれば、ここでも古代、人は葛城に向って瞑目したというわけだ。
堂山と同じ。


タクシーを降りると同時に、小僧?さんが草刈から帰って来て、
山門前で唯一の訪問者の私に頭を下げた。
山門を過ぎると馨しいなにやらの香りが漂い、私はあたりを見まわした。
香華の寺にふさわしいお出迎えだと思い目をとじると、
そのほのかな香りは小僧さんが入っていった方の建物からで、
それは白檀の香りだった。。。。


弁財天、不動明王と拝んでいると、三人連れの老婆達がやってきた。

しだれ櫻


挨拶をし、しばし話し・・・と、その中の一人の方が上に宮さんがあると言われた。
指差された方の道に紫陽花が見事に咲いていたので上がっていったけれど、
そんなに近いはずはない、もっとたくさん歩くと。

弁財天裏道


私は老婆達と別れ、タクシーを降りた方まで戻りつつ別道を歩いてみた。
すると・・・《磐船神社》と、朽ちそうな道標があった。
実に迂闊なことだったけれど、
それでようやくもう一方の《虚空見つヤマト》はここだったのかと知った。
香りの寺に心惹かれて来てみれば、
ここもまた、饒速日命と豊受大神だったというわけだ。

平石磐船神社


昔来た時には宮さんがあったと教えてくれた老婆達はどこに行ったのか、
この狭い山寺でもう道を降りてもどこでも出会わなかった。
まるで、道案内人のように現われたは、またまた元伊勢外宮と同じではないか。
だって、きょうは帰りのバスだってまったくの貸切で、
人と出会うなんてよほどの巡り会わせだったのだ・・・
しかも夕刻。













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空はつながる

2008年07月03日 | Weblog
禅寺


空はどこへでもつながっていると、そういう話しをして、幾度か乾杯しました。
その頃は祝詞奏上のあと、よく禅寺に行きました。
のうぜんかずらが美しい午後がありました。



私はあなたがとても好きで、
あなたを知った時はくうらくさんを知った時のように心洗われました。


今朝は瞑目の間中、隣の家の風鈴がなりつづけていました。
今もなっています。
少し強い風。


くうらくさんは私と同じようなものですから容易に風を運んでくれました。
彼は孔雀王の化身でもありますから、時に、龍の背中にも、雲にも乗り、
時空を超えて逢いに来てくれました。
そんなに前のことではないのに、あの日々を懐かしく思います。
くうらくさんの名のいわれを偶然にも読んだのはたったの数人程度でしょう。
千載一遇というくらいのその巡り会い。
私の夢に入り込んできた南無大師遍照金剛の青年のとある日の夢。
しかし、そこがまた運命の分かれ道でもありました。
それは一体なんでしたでしょう。
私は身を引きます。
私は常にそのように生きますが、人にはそのようには見えますまい。

また風がしきりと風鈴を鳴らします。
今もまだ私といると風が吹くという人がいますが、
この風は私の今朝の心でもあるのでしょうか。


私はたしかにあなたがとても好きです。
私は何年か前にも人をみつけました。
孤独だという農業青年と出会い、一緒に彼の畑に立った日、
ただひたすら打ち込んできた私の生涯の仕事をやめようと思いました。
その時いたもう一人の青年との三人の邂逅は運命のようにも思えたものです。

いよいよ風が強く吹いています。
あなたには少しだけあの青年達と同じ匂いがします。
それは恵まれた時代を幼少期に持った、同じ年代のもの特有の匂いなのかもしれませんし、
ただ個々人のことなのかもしれませんが、きっとくうらくさんではないのです。
或いはまたくうらくさん以上に、幼ない時から悟られた人というべきでしょうか。
最初からその道に入るものはそのような人であると聞いたことがあります。
そうですね、きっとそうなのでしょう。


風がやんできました。
昨日は無手の大石順敬さんを読んでいました。
こころを自分への戒めと慈悲心でいっぱいにしたいと思いました。
しばらくは筆を持って、心経でも祝詞でも、大好きな詩の一節でも、
午後には机にむかって墨をすりましょう。
長尾先生のように、本当はこういうこともしてみたかったのでした。



遠い空の下にいる人へ。
あなたが何宗かは知りません。
ただ歩く事。
南無大師遍照金剛!南無大師遍照金剛!!
ただ歩く事。それが人間の根源たる行為だと・・・・くうらくさんと話したあの日のように、
空が晴れてきました。

あなたの上の空がきょうも輝き、あなたに後光がさし、
あたたが歩く事で多くの人が救われていく日々でありますように。。。。





















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