虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

我が子の為に。

2009年07月31日 | Weblog
産まれた時、そこに美しい風景があるということ、それはもう生涯を決めるのだとあの人は言った。

何もわからぬ小さな目が、一等最初目にした景色。

そうかもしれぬ。

一等最初、目にした親、一等最初の陽の光。
一等最初の眩い緑。一等最初の風薫る出会い。
終章から始まった物語。


それが良いならば、美しい風景を与えよ。
それが良いなら、厳しく 優しく、強く、たおやかに生きよ。


昔、信州に行ったあのこにアルバムを贈った。
そうだ、私は今度もやっぱりアルバムを贈ろう。
紐解く歴史。
何気ない、けれど、かけがえのない愛の詰まったアルバムを皆がつくっていくのだ。


どおお?ちょっといい先生でしょ?




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山の生き物との共生

2009年07月27日 | 約束の地
山に住むものはおいしいものをよく知っている。
埋めても埋めてもすぐに掘り出されてしまうさつまいも。
葉っぱだけを摘んだように綺麗に食べるのは誰?
掘り返すのは?

残った蔓から 一句出来ました。

伸びた葉は わらびの傘で 昼寝かな

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時節到来せず!?

2009年07月22日 | Weblog
『神に愛でられし国』なんて題名で、国土創生が好きな私の国作り案を長々と打ち込んでいたのに、あんなにながいのを、折角書いたのに!
全部どこかに飛んでいってしまった!!

私ごときが考えたってしようがないんだけれども、なんか考えずにいられない頭をしている私の国作りの基本。歴史的視野でうまくまわる経済の話。

誰でもが食べられる話。人間らしい生をまっとうする話。
国とは何か、なぜ国なのかと。
もう一度打ち込むのはしんどいからまたいつか。

どうしてよりによってこういう時飛ぶのだろう?
時節到来せず!?


まー、大も小も、上も下も、善も悪も入れるならデンと構えよ!って、
結論はデンと構える政府かな?




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食すにあたっての基本的マナー

2009年07月22日 | 約束の地

夏は暑いに決まってる!

が・・・私の体温は異常に冷たいんである。暑さには向かないんであるからして・・・しかし、頑張ってますよ、休みたんびにひっくり返りながら。
タオルやシャツが絞れるくらい汗が出て、体力の限界感じたら木陰で寝て・・・。
なんでそんなに頑張ってんの?って思うけど、これがもう意地みたいなもんですね~。やりはじめたものはやりとげましょって感じで。

行かない間におばけみたいに胡瓜が大きくなって。
私は食べ物が沢山そこにあるとげんなりして食欲なくなる性質なので、採れたものはすぐに全部人にあげてしまうんですが、やっぱり自分で作ったものだから少しは食べないと!で、不揃いぶりを写真に撮っておこうと思ったものだけが我が家の食卓に毎日並ぶことになりました。


久しぶりに川の傍のログハウスで風に吹かれて珈琲いただきました。
卵が食べられないので昼食にカレーをたのんだのですがこれが多くて多くて!
おまけにサラダが皿から溢れるほどにいっぱいで。
はー、半分しか食べないうちにげっそりしてきてしまいました。
マスターは憮然としていましたが・・・こんなに食べられないですよ。
先に気がついて小盛りにしてもらえばよかったんですが、あれはあれで気分害されることもあるんです。

あるドライブインで先から他の人の半分にしてくれるように言うと、食器をバン!と投げつけるように置かれたとか。知人の喫茶店で露骨にいやな顔をされたとか、こちらは残すのがいやだから前もって言うんですが、お金をとる以上、あちらはあちらの想いがあるのでしょう、ああいう時、バイキング形式はいいです。

おほもとの食事はいいな~と思いました。自分の食べられるぶんだけしか皿に盛ってはいけないんです。残飯捨てるところはありません。
それが本当!
沢山食べても、少ししか食べなくても、そんなことはどっちでもいいんんです。
食べ物は有難く頂き、無闇に捨てず腐らせないこと肝要ですね。




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歴史はどこから?

2009年07月21日 | 私の古代史
東吉野にあった韃靼蕎麦屋さん、東アジア・宇陀古代史研究所の荒田先生が紹介して下さったNさんと少しだけ電話で話をした。
Nさんは古代史をやっているというよりも三輪山信仰の方だった。そこでひとしきりニギハヤヒの話題。三輪というとどうしてもあそこの新興宗教のおばあさんや、西都原まで行って白蛇の写真をお守りにしていたビジネスコンサルタント氏や、此教崇神天皇のことを思う。

縁とは面白いものだ。
荒田先生は鹿児島の出身だとか。お説の前漢後漢の空白の時代のことがそもそも先生の口碑とは全然違うから高木の神のことなど今言ってもしようがないが、それに一般的には先生の説のほうがおかしいのだから置くとして、ニニギくしふる岳御降臨、神武鹿児島出立論。鹿児島と宮崎に地名が分かれたのは後世のことだというから、西都原のてっちゃん(http://www.roxyhill.org/index.html)を急に思い出した。
天皇の植樹祭にご一緒されるにあたって、なんでこれでいかんとや?植樹祭ちゅうたら作業ズボンに長靴ときまっちょろうが、みたいなてっちゃんらしい言葉を耳にしてからもう数年になる。
てっちゃん、てっちゃんと気軽に言っているけれど、妹さんを真似てそう言っているだけで、私は一度も会ったことはなく、行くと言っていた前日に、大阪では問題児の甥っ子さんが熱を出し、相変わらず大袈裟の家族はてんてこまいで、西都市行きの話はおあずけのまま数年たったというわけだ。旧知の仲のような気になっていた人だから、その時はお互いにおおいに喜んだけれども、癇の強いあの子がそんな時に限って熱を出すのは意味のあることで、早い話が、おおいに縁はあっても、実は縁なし、霊的には敵対関係かもしれないと思ったことだった。そのくらい、あの家族には大きな何か力が働いていて、私は時にあの家族の、その見事なまでの強さはなんだろうと考えた。正しいがゆえにひきおこす様々の事件。その正しさを真っ当な正しさにする為に、あの教務様でさえ手をやいた我(が)。
実際、あの人達とまともに対峙していると、ごっそり胃袋を持っていかれそうになる。
その家族の要ともいえる女の子が、今度は橿原神宮の神官の家の人と結婚し、子をなした。
そのこともまた友人である妹さんは、おおいにおおいに何かを思うらしかった。
彼女は若き日天理教を去り、今は此教だ。

その此教はあの頃口をすっぱくして、崇神、垂仁の時代を教えていた。



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大資源国ニッポン!

2009年07月17日 | Weblog
武部とか中川とか?一体何が言いたいのかと問われても、自民党が勝ちたいんだとしか答えようがないじゃーあ~りませんか!こういうフレーズが昔あったね。
マスコミも悪い!大体多くの国民にとって自民党が勝とうが負けようが、実はどうでも良い。自分達を豊かにしてくれるのであればどんな政府だっていい、そういうのが大方の庶民というものだ。選挙に勝つとか負けるとか、そんなことしか言えない政治屋はやめたがいいと思わないか?勝つためにマニフェストに何を盛り込み、頭を誰にしようかって話なの?こういうことをしたいから勝ちたい!んじゃないの?違ったかー。政治の話ほどくだらないものはない。政治イコール経済。
政界や財界や官僚や学者やは、それが一番に彼らの利益だからアメリカさんに追随するの、したの。庶民大衆の利益だからじゃない。規制緩和を声高に叫び、派遣社員制を何食わぬ顔で導入した頃でも、誰も小の声は聞こうとしなかったじゃーないか。で、各所でゲリラ戦法も出現した。
ある部分だけ見せ付けて、いつの世も諸外国に遅れをとらないための政策。
人間でいえば○チョンが外にある生き方だね。

日本には資源が無いから!
中心点が外にあるものはそういう言葉で、そういう庶民を洗脳してきた。それもいいのよ、皆が頑張れば豊かになれそうだった時代は。おかげでかなりのインフラ整備も出来た。はい、準備万端、出発進行!
真の発展終わった国はそれでいい筈なんだけど、そこが政界財界狂ってる。国民も狂ってる。気違いは自分で気違いとは思わない。それとも皆で行き着くところまで行くか?なら一緒に死のうとそういえばいいのに、やれ環境だなんだと人を騙す。

日本は超資源国だ。どこにこんなに気候がよくて、小さな体、こじんまりとまとまった国があるって言うんだ?清らかな水、豊かな森、海に囲まれ、草は青々と繁る。おまけに発展のおかげでインフラ整備も出来た。発展の行き着いた先がどうして諸外国に進出だろう?そういう所もあるってだけで、ここは回帰でしょ?
誰が考えても判る。第一次産業への回帰。そうでなくては子供も増えぬ。
人口はその国の繁栄に多いに寄与する。子供は社会に光明をもたらす。
誰だって二十一世紀はカントリーファーマーが一番かっこいい職業になるのではないかという予感がある。
かっこいいカントリーファーマーとは今の政府がすすめる即席の農業法人のことではない。考えれば誰だってわかる。

さて、ここが問題だ。都会に住む多くの者は、今を追及し、この自分がずっとこのまま続くような気になって、もっともっと都会的に進化してと思う。まー政界人や財界人が成功する所以は、こういう庶民が沢山いてくれるからなのだが、そういうのは何十年後には単なる幻想だ。そういう者もいるというだけの話で、主流の話ではない。今は変化の時。
問題は第一次産業への回帰はいいとしても、耕作地は?労力は?そういうことなんだ。多くの都会者は耕作地を持たないし、持てない。またまた地主と小作人みたいなことがおきる。格差が最初から生じる。そして、今のこの都会の若者を見てみたまい。あと十年二十年たって、果たして彼らが農業できるような体になっているか。で、きっと農業するようになっても機械にどんどん頼って、機械のローンで一生を終える。
そういうところをお偉方がなんとかしないといけないのだけれども。


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熱中症!

2009年07月14日 | 約束の地


私は暑いのが苦手だ。だのにこんな真夏日に馬鹿だ!
日射病ではない、熱中したせい。
あかん!頭痛、嘔吐。
木陰で寝る。
汗が吹き出て・・・ひんやりいい気持ち。
早い対処は早い回復を促す。

しかし・・・野菜の根元のこのばかでかい根っこは寒い日でもちょっと抜こうって気にはならないだろうな~。

野菜の下に大根っこ


胡瓜に茄子にししとうに胡麻の葉っぱ。
収穫は色々でも、一番の収穫は↓。
どうです?これがほとんど蔦の根っこなんです。
あっちもこっちも蔦がてんこもりの旧棚田です。


収穫物は蔦ばかり


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人間的素養

2009年07月12日 | 約束の地
人間には人間的素養というのがある。その素養というものは如いては一聞いて十を知るということとも関係が出てくる。

ここは未開の開墾地と同じだ。状態は違ったが、それはHさんの畑も同じことだった。未開地の開墾とは、やってもやっても少し経てばまた元の木阿弥。延々そういうことを繰り返す。歴史で習う所では蝦夷地とか、ブラジル移民の話とか、そうではなかったか。十津川村の話もそう、近年では八郎潟だったかへの農民誘致の話もそう。今日やった、上手くいった。良い米や野菜が出来た、自然がたっぷりだから、長年何も作らなかったから、とはならないのである。
一聞いて、そのことがわからない者は、真の人間の歴史を解さない者なのである。
勉強でもなんなく解けた問題は、概ねその人にとって価値はないのである。

耕す、敵も頑張る。負けじとまたやる。敵もまたやる。格闘?
違うね。歯ごたえのある奴というものさ。どうして皆すぐに手軽に手に入る成果を求め、それで満足なんだ?
違うね。友情なんかを例にあげればわかるか。歯ごたえないのが好き?


あそこはいいもの出来るよ。長年使ってないからね。
何も出来ないから放置していたくせに、そういうHさんの神経。なんの百姓だ?ばっかでぃと私は心で思う。
あそこは自然に戻ってるからいいもの出来ますよ、Yさんが言う。地主が言う。
この人達には遠い遠い先人の、また祖先の苦労というものがまるでわかっていない。わかったとしてもそれは頭の産物で、だから瞬時に物事の本質を解さない。
瞬時にどころか、多分、身をもってそれを体験するまで何一つ解さない。

体で覚えよ。
体で覚えたことは一生涯忘れない。
だから、私はそれをしなければといったのだ。
だが、人は安易なもののみ受け入れる。


傍らでわかったのが言う。昔の開墾はこんなやったろうな~。
そうだよ、一週間もすればまたすごい根っこにすごい虫。すごい雑草。
だから、同じ事、なんの進展もなさそうなことを延々とすることがいやになって皆それを放棄する。だから、その毎日毎日、なんの進展もなさそうなことを楽しみながら、負けじとまた向かってくる魂の生き物に、こっちもまた堂々ぶつかる。
相撲なら四つ相撲だな~、それを楽しめる人間。


うまく野菜が出来るのは、人間が食べる野菜に適した土になってるからなんだ。
自然の土地や、放置された土地は、そこに生きる者たちに適した土なんだ、人間が食べる野菜に適した土じゃない。だから、そのためには何年も何年もかかる。金も労力も。おびただしいほど。今出来る野菜は、動物達の土からあがる最低限度人間が食せるというようなもので正解の筈で、昔むかしの大昔から、自然の大地に人間に適した作物が多く採れるようになるまでにはどれほどの心血が注がれてきたことか。

ゆえの豊受御大神、御饌都神(みけつかみ)なのだ。ゆえの稲荷主神、大気都比売神なのだ。


一聞いて、一見て、先人の苦労、祖先の努力、そういうものの上に成り立った今、というものへ即思いをはせることが出来ない者は、人間的素養のない者だ。


私は作物を収穫する。それで満足。皆に渡す。それを料理しようとは全然思わない。私は作業に疲れて眠る。心地よい眠りを眠る。
もういつまでも眠る。


私はいつも料理好きの食べたがりの、即成果主義の者達といる。
私は一人が似合う者だが、どこにいても何をしても、人はリーダーだと思う。
私がもしたとえリーダーでも、それは即利益を上げる集団のリーダーではない。
私は終わりなき物語のリーダーで、だから、私はリーダーである必要すらなく、自分のやるべきことだけやれば、もう決して眼をあけない。

ものは 皆 消え行く。

そして、いつの世にも ただ 想いだけが存在する。





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偶然か必然か?

2009年07月10日 | 私の古代史
私は学者でもなければ神道家でもないから、なんの意味があるのかと思うとちょっとおかしい気もして笑ってしまうが、住吉大社の<埴使神事>は確かに面白い。
私は天香山や畝傍山にそのうち登るか否か。

馬鹿と煙は高い所に登るというが、私にとって近畿の山は山というようなものではない。勿論、葛城や金剛山や大峰などは私の好きな山ではあるが、その他の、ましてや意味シンの古代史の山ということになると・・・???

しかし、天香山や畝傍のあの土は・・・本当に竜野の天照神社のそばのものと一緒なんだろうか、あれは神土だ。陶器ばかりでない、不治の病さえの治るという土だ。それで器を作っての神事。新嘗祭に限ったことではなかったろう、古代。
伊勢神宮は何年だったか?もうじき遷都年を迎えるが、お鏡を奉斎してある御正殿の中心の御床下の『心の御柱』に使われる御柱の材木はどこから調達されるのか、しかし、その祭祀の秋の初穂をお供えする器、何も盛らないでお供えするその器が、実は『あまのひらか』と呼ばれるもので、あの土で作られたものなのだ。
おおもとにも書いてあったが、皆、あそこの土を採りに行っていた。
しかし、どこまでわかっていたか、天平瓦(あめのひらか)なのだ。
※いらかの波ではなくひらかなんだな~、多分。

冨山の県境の資料館で見たあの土の器は少し大きいようにも思うけれど、祭祀用というから・・・ちょっとゾッとする。なぜこうもつながる?
そして、その神ごとの夢を見たのはあの高倉山なのだ。はっは!!
当たらずとも遠からずの神事。橿原からは3000年の昔の橿のおびただしいあとがみつかっている。出土品も多々ある。三千年前だ。先生の所は5000年前の遺蹟。

はっは、私は神武東征の蓮の入り江近くにいて、ニギハヤヒ山に好んで登り、今、おおかし、えうかしの地に出向く。


天香山、畝傍、耳成、二上。
暇があれば行きたいね。



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登拝・拝聴

2009年07月06日 | 私の古代史
こういうのをなんと言ったらいいんでしょう!
ついにというか、とうとうというか、三輪山に登って来ました。

私は子供の頃から三輪山に登りたいと思ったことなんか一度もなかったのです。
あそこは御神体は山だと言いますが、私の大大大苦手なものを奉る社で、だからお供えも毎日卵なんです。私は今や卵にもものすごいアレルギー反応おこし、で、卵でさえいやになってきていたのに、です。

三輪山の話が出ていたところに竹内睦泰のブログです。関係あるといえばあるけど、なんの関係もなさそうな話の続きに突然のように三輪山。
<狭井神社は入り口>と。

アッ!!

もうこれで行くことに決めていました。
なんなんでしょう!

昨日の昨日まで、てつさんが大神さんとのご縁を話してくれた時も、コンサルタント氏がすすめてくれた時も、富山のSさんが仰ってくださった時も、Oさんが誘ってくれた時も、全部全部やり過ごしたのに!
ああ、近頃見かけなくなったと思ったら、私の記憶違いで入り口は狭井神社だったなんてことを思い出し、ついでに夢に見た池のことも思い出し、即!
こういうのは一体なんなんでしょう?



ああ、それにしてもこの山頂はなんでしょう!
やっぱり!やっぱり!やっぱり!って思ってしまいます。
この世のものとも思えぬほど厳かなこの奥津磐座をなんと説明します?
今は樹木に覆われてますが、あの位山の巨岩郡だって、エジプトのピラミッドの石だって、えっさほいさ運んだって学校の先生は言われたけど、そんなのは嘘ですよ。そんな筈はありません。


この景色をなんといったらいいのでしょう!
私は雨降り後ということも忘れて座りこんでしまいました。
三輪山は撮影一切禁止なので、せめて地図でも。

奥津河内磐座へ 三輪山登拝地図


奥津磐座手前にある摂社高宮神社の御祭神は日向御子です。
あまりにも単純明快なので神一行のものはほとんど読まないんですが、日向御子の話はこういうところから出たんでしょう。

私はアラカシを探します。橿原にアラカシが沢山あったのは判っていても、橿原にだけってことはないでしょう。この三輪山にだって橿原ほどではなくてもカシは沢山あった筈です。
ホラ!
と、ここはなんでも禁止の山なんです。
私は禁を犯すのもすご~くすご~く好きなんですが・・・
はて。。。



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狭井神社遠景



昨日ばかりは白が一番好きな自分を嬉しいと思った。
雨上がりなのに、何気なく穿きかえようと思って穿いた白。手に取った上着の白。
私の一歩手前一歩手前を白装束の方が行き、すぐ目の前でよく修行された声で大祓詞が奏上された。私は後ろでただ手をあわせていればそれで良かった。


元伊勢でもそういうことがあった。とある日曜日のこと。
少し遅くなりすぎたと思いながら外宮の境内に佇むと、三人連れの大祓詞が始まった。その揃った声の見事さに私と主人は厳かな気持ちになってただ後ろに立っていた。奏上終えると一行はお神酒をあたりの樹木に注ぎかけ外宮を降りて行かれた。猿田彦に回るとそこでも。内宮に回るとそこでも同じことをやっていた。歌っているような踊っているようなその大祓詞はずっと耳に残り、あの人達はどこの宗教の人達なのか、聞かなかったことを少し後悔した、そういうことがあった。


昨日の大祓詞はまたそれとは全然違い、本当にどこでどう修行されたのだろうというような強い大祓詞だったが、下でも真ん中でも一番上でも、私の一歩手前でそれはなされていたのだから、滅多には神社詣でをしない罰当たりが詣でるなんぞ晴天の霹靂、いや、昨日は青空はなかったが・・・明日は兄の誕生日、皆既日食、何事や悪いことが起こってはいけないと、遊び半分祝詞の私に代わって敬虔なる修行者が現れる、まー、そういうおはからいになっているのだろうと思った。
祝詞法帖をザックに入れたまま忘れて登拝したのはかえって良かった。

それにしても、私はアラカシを探しに三輪山に登ったわけではなく、子供を産むという神土を探してみたいという気はあったけれども、それは天香具山でも畝傍山でもよく、やっぱり聞きたかったのは<鎮魂>の祝、禊祓い<鎮魂の歌>だった。しかし、これは流石に歌う人はいないだろうからいかに下手糞でも自分で歌う以外にはなかった。



天地にきゆらかす 神わかも 神ならば

きねきこう きゆらならば

天地おゝおゝおゝ

石の上 振の社の太刀もがも

願う其の児にその奉る

天地おゝおゝおゝ

さつをらが 振有木の真弓 奥山に

御狩すらしも 弓の弭見ゆ

天地おゝおゝおゝ

登ります豊日めが 御魂欲す

本は金矛 末は木矛

天地おゝおゝおゝ

三輪山に在りたるちかさを

今栄えでは いつか栄えん

天地おゝおゝおゝ

吾妹子が穴師の山の山のやまも

人も見るがに 深山つづらせよ

天地おゝおゝおゝ

魂筥に木綿とりしで たまちとらせよ

御魂上がり 御魂上がりましし神は 今ぞ来ませる

天地おゝおゝおゝ

御魂上がり 去坐し神は今ぞ来ませる

魂筥持ちて去りし 魂返しなすや





最初、天照様から天降りるように言われたのは押穂耳命だったが、押穂耳命は長子饒速日命を天降らせた。本当は押穂耳命が賜るはずだった十種の瑞宝を天照様から賜って饒速日命は天降りた。しかし、饒速日命は早世した。旧事紀は楽しいけれどもホツマのことも考えねば。
三輪山の主はニギハヤヒではないかとの説、山頂は厳かに神々しい。しかし、そこがいくら鮮烈な世界でも、今生の果てでも、?マークのそのことは、ストンと臓腑に落ちてはくれなかった。


(上記の詞を私は非常に気に入っておりますので勝手に祝詞とか言っておりますが、本当は宮中の鎮魂祭でのみ斉唱される歌のようです。神祇伯、琴師、笛師、御巫、神部、卜部、中臣諸氏が参集し、この詞に歌われているような舞いをしながら歌うようです。ウマシマジが始めたという説があるそうです。詳しくは勝井純『神武天皇御東遷聖蹟考』を。)







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