こういうのをなんと言ったらいいんでしょう!
ついにというか、とうとうというか、三輪山に登って来ました。
私は子供の頃から三輪山に登りたいと思ったことなんか一度もなかったのです。
あそこは御神体は山だと言いますが、私の大大大苦手なものを奉る社で、だからお供えも毎日卵なんです。私は今や卵にもものすごいアレルギー反応おこし、で、卵でさえいやになってきていたのに、です。
三輪山の話が出ていたところに竹内睦泰のブログです。関係あるといえばあるけど、なんの関係もなさそうな話の続きに突然のように三輪山。
<狭井神社は入り口>と。
アッ!!
もうこれで行くことに決めていました。
なんなんでしょう!
昨日の昨日まで、てつさんが大神さんとのご縁を話してくれた時も、コンサルタント氏がすすめてくれた時も、富山のSさんが仰ってくださった時も、Oさんが誘ってくれた時も、全部全部やり過ごしたのに!
ああ、近頃見かけなくなったと思ったら、私の記憶違いで入り口は狭井神社だったなんてことを思い出し、ついでに夢に見た池のことも思い出し、即!
こういうのは一体なんなんでしょう?
ああ、それにしてもこの山頂はなんでしょう!
やっぱり!やっぱり!やっぱり!って思ってしまいます。
この世のものとも思えぬほど厳かなこの奥津磐座をなんと説明します?
今は樹木に覆われてますが、あの位山の巨岩郡だって、エジプトのピラミッドの石だって、えっさほいさ運んだって学校の先生は言われたけど、そんなのは嘘ですよ。そんな筈はありません。
この景色をなんといったらいいのでしょう!
私は雨降り後ということも忘れて座りこんでしまいました。
三輪山は撮影一切禁止なので、せめて地図でも。
奥津磐座手前にある摂社高宮神社の御祭神は日向御子です。
あまりにも単純明快なので神一行のものはほとんど読まないんですが、日向御子の話はこういうところから出たんでしょう。
私はアラカシを探します。橿原にアラカシが沢山あったのは判っていても、橿原にだけってことはないでしょう。この三輪山にだって橿原ほどではなくてもカシは沢山あった筈です。
ホラ!
と、ここはなんでも禁止の山なんです。
私は禁を犯すのもすご~くすご~く好きなんですが・・・
はて。。。
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昨日ばかりは白が一番好きな自分を嬉しいと思った。
雨上がりなのに、何気なく穿きかえようと思って穿いた白。手に取った上着の白。
私の一歩手前一歩手前を白装束の方が行き、すぐ目の前でよく修行された声で大祓詞が奏上された。私は後ろでただ手をあわせていればそれで良かった。
元伊勢でもそういうことがあった。とある日曜日のこと。
少し遅くなりすぎたと思いながら外宮の境内に佇むと、三人連れの大祓詞が始まった。その揃った声の見事さに私と主人は厳かな気持ちになってただ後ろに立っていた。奏上終えると一行はお神酒をあたりの樹木に注ぎかけ外宮を降りて行かれた。猿田彦に回るとそこでも。内宮に回るとそこでも同じことをやっていた。歌っているような踊っているようなその大祓詞はずっと耳に残り、あの人達はどこの宗教の人達なのか、聞かなかったことを少し後悔した、そういうことがあった。
昨日の大祓詞はまたそれとは全然違い、本当にどこでどう修行されたのだろうというような強い大祓詞だったが、下でも真ん中でも一番上でも、私の一歩手前でそれはなされていたのだから、滅多には神社詣でをしない罰当たりが詣でるなんぞ晴天の霹靂、いや、昨日は青空はなかったが・・・明日は兄の誕生日、皆既日食、何事や悪いことが起こってはいけないと、遊び半分祝詞の私に代わって敬虔なる修行者が現れる、まー、そういうおはからいになっているのだろうと思った。
祝詞法帖をザックに入れたまま忘れて登拝したのはかえって良かった。
それにしても、私はアラカシを探しに三輪山に登ったわけではなく、子供を産むという神土を探してみたいという気はあったけれども、それは天香具山でも畝傍山でもよく、やっぱり聞きたかったのは<鎮魂>の祝、禊祓い<鎮魂の歌>だった。しかし、これは流石に歌う人はいないだろうからいかに下手糞でも自分で歌う以外にはなかった。
天地にきゆらかす 神わかも 神ならば
きねきこう きゆらならば
天地おゝおゝおゝ
石の上 振の社の太刀もがも
願う其の児にその奉る
天地おゝおゝおゝ
さつをらが 振有木の真弓 奥山に
御狩すらしも 弓の弭見ゆ
天地おゝおゝおゝ
登ります豊日めが 御魂欲す
本は金矛 末は木矛
天地おゝおゝおゝ
三輪山に在りたるちかさを
今栄えでは いつか栄えん
天地おゝおゝおゝ
吾妹子が穴師の山の山のやまも
人も見るがに 深山つづらせよ
天地おゝおゝおゝ
魂筥に木綿とりしで たまちとらせよ
御魂上がり 御魂上がりましし神は 今ぞ来ませる
天地おゝおゝおゝ
御魂上がり 去坐し神は今ぞ来ませる
魂筥持ちて去りし 魂返しなすや
最初、天照様から天降りるように言われたのは押穂耳命だったが、押穂耳命は長子饒速日命を天降らせた。本当は押穂耳命が賜るはずだった十種の瑞宝を天照様から賜って饒速日命は天降りた。しかし、饒速日命は早世した。旧事紀は楽しいけれどもホツマのことも考えねば。
三輪山の主はニギハヤヒではないかとの説、山頂は厳かに神々しい。しかし、そこがいくら鮮烈な世界でも、今生の果てでも、?マークのそのことは、ストンと臓腑に落ちてはくれなかった。
(上記の詞を私は非常に気に入っておりますので勝手に祝詞とか言っておりますが、本当は宮中の鎮魂祭でのみ斉唱される歌のようです。神祇伯、琴師、笛師、御巫、神部、卜部、中臣諸氏が参集し、この詞に歌われているような舞いをしながら歌うようです。ウマシマジが始めたという説があるそうです。詳しくは勝井純『神武天皇御東遷聖蹟考』を。)