虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

すっかり秋

2013年09月29日 | 約束の地


「起きなさい」

カーテンを閉めない私は、今朝はこの明るさに目覚めた。
ああ、秋だ。
かぎろひの空も近い。
そう思った。


一昨日森を歩くと、陽の当たりにくい場所でも
小さな花が微笑んでいた。
私は花の名を調べない。
おおよそ名に興味を持たずに生きてきたせいだが。
名は人が勝手につけた名である。
それとも天の声か、天からのインスピレーションか?




家の柿の種から育った柿の木は、確か山の畑で五年目だ。
猪に折られたか、この間の強風で折られたか、
ますます背は低くなってしまっていた。




柿を見ると一人で生きていこうと思った
小四の秋を思い出す。

二十歳になる頃までは、秋が一番好きだった。
秋には詩のノートを持って、スケッチブックを脇にはさみ、
どこへともなく出かけた。
どこでもよかったのだ。
どこでもいい、ここではないどこかへ。
今は畑に出かけるだけ。

これが主人の今日の成果だとか。
どこが?なにがなんだか来週にならないとわからない。





水が少なく、風が強く、
大根は死んでいなかっただけましくらいで、
なぎ倒され、鹿に踏まれ、
土を盛ってはみたけれど、慰めだろうな~。
しかし少しは生き延びてくれるだろうと期待する。





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小さな小さな国創り

2013年09月27日 | Weblog
今日は朝から、山の端に小さな白い雲が少しかかっていただけで、
ほかは一面の青。蒼。
そういえば昔は『蒼空』をよく聞いた。
好きだったが、今日の空はそういう感じではなかった。
あの凛とした冬の、チベットのブルースカイでもない。
要するに秋なんだ。

なんの為に、天職を放棄したのかわからない今日この頃。
天職をもたされずうまれてきた者は、食べることの心配だ。
私はそれを咎めない。
それはそれだけの者でしかないからだ。

単純に言ってしまったら理解しただろうか?
基礎は四人。
そして一人で四十人。×と百六十人。
笹目秀和先生の著書にもある。
馬並だけど人間なんてそんなもん。

そこまでが楽しい。
そこだけやりたい。
あとは勝手にやっとくれ。
あたしゃとうに死んでるし。

この世の社会機構に入られなけりゃ病になりそうな者に、
分かるかな~
わかんなかっただろうな~。
孤独とうまく向き合えもしない者になにをか言わん。

あたしゃ、石を拾ってます。

ますますわからん?
だろうな~。
だからわかって貰おうとは露思っていなかった。
頭で理解したって、それは悟りとは言わない。




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きょうは『ホ・ジュン』です

2013年09月26日 | 愛す、女優。
見たかった『四人の息子』も『天国の怒り』も、
そしてスウェーデン時代の幻の映画、
『波浪』も『日なたで』も、DVDではないけれど、
ストーリー入りの大きな写真を何枚かずつ見られて
一応、満足の域。
『四人の仲間』はYoutubeにあった。
Youtubeでは『ヨーロッパ51』は全部見られる。もっとも字幕はない。

しょうもないことながら、写真集を見てみたかったのは、確かめたいことがあったのだ。
バーグマンは背が高いからハイヒールというのを履いたことがないんだそうで、
いつもペッタンコの靴を履いている。勿論映画でも。
ところがである、それなのに、普通の人がヒールを履いているくらいのドレス姿なのだ。
優作くんとまではいかなくても、ああいうスタイルなんですわね。

スウェーデン時代のものは、後年の『首飾り』が見られないが、
私は若い頃のものではコメディタッチの『ドル』のバーグマンが気に入っている。
マダ~ムの雰囲気だが、実はまだ21か22くらいでしょうに、
実に堂々としている。三十くらいの役どころかな?
若き日のバーグマンはそういう随分年上の役が多い。
落ち着いているし、やっぱり風格というのがある。
そういえばウンジュもそうだった。

バーグマン一件落着みたいな私は、
なぜか昨日からファン・スジョンが見たくて。。。
で、『ホ・ジュン』二巻目を借りてきた。
最初ご登場の砌、鍼を打つ姿が実に神々しかった、あのシーンが見たかった。
最初の頃は後からと違い、クール・ビューティそのものという感じだが、
チマ・チョゴリにキリッとわけた古典的髪型が似合いすぎるくらい似合って、
圧倒的美しさだった。

『ホ・ジュン』は30巻目と最終巻を持っている。
長いから、特に気に入っているところだけ。
30巻目は、一生心に秘めていこうとしていた想いの為に、イェジンが宮廷を去るところ。 
スジョンssiが 李商隠 という詩人の詩を諳んじる。

32巻目が最終巻。
ホ・ジュンは晴れて師の志を継ぎ、宮廷を後に山陰へ帰る。
そして死。
年老いたイェジンは、弟子なんだろう、一人の少女を連れて墓にまいる。

少女は聞く。
 誰の墓なんですか?
イェジンは言う。
 私が一生尊敬し、心に想う方よ。
少女は聞く。
 どんな方だったんですか?
イェジンは答える。
 その方は大地を潤す水のような方だった。
 陽の当たる場所で何かをなすこと、それはそんなに大変なことではない。
 その方は・・・・
 (えい、正しいせりふをわすれちまったぜい)

ともかく、韓国ドラマの中で、『ホ・ジュン』は最優秀作の一つだろう。
特に最終回の最終場面、
イェジンと少女が川の傍を歩きながら語る遠くからの映像と台詞、
おなじみのあの音楽とが微妙に相まって、余韻が残る。
残る。
物語の最終はこうあるべし、の見本中の見本。

私の鍼の大先生は去年逝ってしまった。
葉書に『ホ・ジュン』を認めて送ったのはその前の年。
もう会うこともなくなってしまった。



李 商隠

八歳の時 
こっそり鏡をのぞきみて
長く眉をひきました

十歳の時
蓮の花の刺繍の服を着て
山菜を採るのが好きでした

十二歳の時
玄琴を習いました
いつも琴爪をはなしませんでした

十四歳の時
なぜか男の人が恥ずかしくて
両親の後ろに隠れました

十五の時
わけもなく悲しくて
ぶらんこの紐を握ったまま
顔を背向けて泣きました










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ああ大和にあらましかば

2013年09月26日 | 残してしまった詩
風がやんだ。
空が高い。
こんな日は詩でしょう。

昔懐かしい『二十五弦』『白羊宮』
昔の詩集の装丁や宜し。
想いがこめられている。
想いのたけのたけ『月に吠える』も良いけれど、
きょうは泣菫。
秋だもの。


  ああ、大和にあらましかば、

  いま神無月、

  うわ葉散り透く神無備の森の小路を、

  あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ、

  斑鳩へ。平群のおお野、高草の

  黄金の海とゆらゆる日、

  塵居の窓のうわ白み、日ざしの淡に、

  いにし代の珍の御経の黄金文字、

  百済緒琴に、齋いべに、彩画の壁に、

  見ぞ恍くる桂がくれのたたずまい、

  常花かざす芸の宮、齋殿深に、

  焚きくゆる香ぞ、さながらの八塩折
 
  美酒の甕のまよわしに

  さこそは酔わめ。








 

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ザ・スターのコンスタント・ワイフ

2013年09月24日 | 愛す、女優。
1973年ロンドン。
アルベリー・シアターのバーグマン。
御歳五十八歳。

増淵氏は、バーグマンならブロードウェイだろうと、
それくらいのイメージじゃないかと、
バーグマンの人気の凋落を思いながら、アルベリーシアターに向かったのだとか。

以下、増淵健の文章。

幕があがり、十分ほどしてバーグマンが上手から登場した時のただならぬ雰囲気は、明らかに、そのこと(私だけでなく他の観客も、バーグマン一人に入れ込んでいた)を意味した。
ざわついていた客席がシンと静まりかえり、間髪をおかず声にならない声が彼女に向かって津波のように押し寄せていったのだ。
賛嘆とも驚きともつかぬあの物音を何にたとえたらいいのか?

白地に細かい花柄のワンピースを着たバーグマンは、遠目に三十代前半にしか見えず、彼女の留守中訪ねて来た設定の二人の友人に比べ、極端に顔が小さく見える。 

明らかに映画女優のプロポーションで、他の俳優とアンバランスだが、スラリとした長身と美しい脚がすずやかである。
これが、スターと呼ばれる人なのだと、つくづく思う。

彼女が舞台に登場した時、聞こえてきた”声なき声”は、バーグマンが、隠れもない現役のスターである事実をみせつけた。




1973年のロンドン。 
憧れのチャーリング・クロス街の近く。 
見たかったな~。

『コンスタント・ワイフ』は邦訳では『貞淑な妻』 
サマセット・モームの作品だ。
モームは、悪人の悪は許せるが、善人の悪は許せない、
あれが好きだった。二十歳の頃の対訳書。
それはどうでもいいか・・・

増淵氏の文章を読んでいて、私はまた思ったことだ。
この世には主役しかやれない人がいる、と。
うっかり脇役でもやらせようもんなら、主役が食われてしまう。
それが『ザ・スター』。



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赤とんぼの畑

2013年09月22日 | 約束の地



赤とんぼがいっぱい飛んでいたんだけれども、
流石に林からでは全然写らない。

久しぶりに寝坊したとかで、遅すぎた出発が災いして暑かった。
しかし秋の風はさわやか。
空気はからっとしていて、汗はあまり出なかった。

畑は相変わらず水が足らない。
地面はカラカラで、これは大根の間引きには全然宜しくない。
猪か鹿かにかなり踏まれてもいる。
ワケギは元気。
こういう土地では自然な結果。

帰り道、頭上からあけびが落ちてきた。
あれは美味しいものではないがなんとなく郷愁感を誘う。
私はなんとなく桑の実を思い出した。
あれは何月のものだっけ?

秋はしかし実りの秋なんだとしみじみ思う。
わが畑にも名は知らないがこんな実が出来ている。






これも名を知らないが、田舎の方では米と一緒に炊くそうだ。
見た目赤飯みたいな感じとか。いつだったか、プラトンが言っていた。
そういう自然のものを食べて生きていくのが一等いい。

帰るとなると逃げ回って手をやかせるので、
茶目は今日も一日の一番最後にはつながれてしまった。





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忘れられない月

2013年09月18日 | 語りつぎ・・・六次元講義
私が一日の大半を過ごす部屋は、ほぼ百八十度の展望で、カーテンを閉めない部屋は、毎夜のように、厳かで美しい夜空が眺められる。月はいつもそこにあり、この季節はひんやり冷たい風と小さな虫の音色が心地よい眠りを誘う。

忘れらない月というのがある。
1995年9月15日だったと思うが、虹がかかったあの月だ。
ヘルメットを手に、ガレージで、時の経つのを忘れたように見ていた。

子供の頃の私の月は、暗い夜、満月に照らされた山の上を、
少年が一っとびするかのように走るシルエットのような月だ。
絵を描いたことがあるのだが、その絵は今年捨ててしまっていたようで、
探していたら、森の月夜に瞼を閉じた少年の絵が出て来た。
まるで描いた記憶のない絵だ。
もうじきそれも捨てるだろうが、今しばしはおいて置く。


中秋の名月にはススキだと思ったが、
ススキは今や私の自慢のお気に入りの紫のバラを脅かすので、
庭の片隅ですっかりじゃまっけな存在になってしまっている。



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ザ・スター

2013年09月18日 | 愛す、女優。
ようやく願い叶って『ザ・スター』を見ることが出来た。
派手な出で立ちのバーグマンも宜しいね。
それでやっぱりシャルル・ボワイエ。
少し年いった声だけど、やっぱり渋い声なのね。



ところで、この映画もやっぱり昔見ていた。
忘れているからいいんだけれども、ライザ・ミネリね、
この人のせいで忘れていたんだって思える。
ライザ・ミネリは『キャバレー』を見た。
見たということだけ覚えていて、誰と、どこで、なぜ見たのか、
ちっとも思い出せない。多分主幹と。
私がライザ・ミネリをあまり覚えていないのは主幹のせいなのだ、きっと。

あの頃、私を好きだと言っていた才媛と狂気の話をしたことがある。
今はそんな話などしたくもないが、気が狂うというのは幸せなことかとも思える。
往年の人気女優の最期に傍にいた尼さんは、娘のイザベラ・ロッセリーニだった。
共演してるとは知っていた。
どこにご登場か分かるかな~と思っていたが、すぐ分かった。
私が知ってるかぎりたいして似ているとはおもえなかったが、
この映画ではそっくり。まるで聖メリーだ。

『ザ・スター』はおそらくライザ・ミネリでなかったら、
そこそこの映画。こらした趣向が良いか悪いかは評論家の仕事だ。
しかし、あの交通事故はお粗末すぎない?

いやいや、人は病気や怪我で死ぬのではない。
人は寿命で死ぬ 
とは聖者達のお言葉。
とすると、あんな交通事故でも死ぬ時は死ぬわいな~てことだ。

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紫水晶

2013年09月17日 | 石ころ拾い
各地に大被害をもたらした台風が近畿を去ったの昨日午後。
一番大きな白薔薇が強風でやられまくり、それの始末をしようとしても、
風だけはまだ相当吹いて、庭の手入れはままならず。
思い立って、庭に転がしたままになっている大きな石を割ってみた。
風が吹いてるから汗が出なくていい加減の午後だった。

私は大体が石は割らない。ましてや大きいものは。
鉱物好きというよりは、自然の造型、石それ自体が好きだからだ。
しかしまー今回は割った。
胡麻粒より小さく感じる水晶だらけのもの。
それはそれで気に入っていたが、
割ったら紫水晶のかけらでも出てくるかと期待して。

ふむ。
ここの石英は私の好きな深みのあるやや黒っぽい赤で、
何がお気に入りって、そこで採集したものでは、その石英が一番のお気に入りだが、
大きい小さいにかかわらず、
晶洞はきっと皆こんな感じじゃないんだろうか。。。




割ったら出てきた一番大きいもの。
二センチもないから、
紫水晶の範疇には入り申さぬ、と鉱物ファンからは言われそうだが、
表面採集の私は結構満足。











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夜心萬萬

2013年09月16日 | 愛す、女優。



テレビではこの台風での各地での被害状況を繰り返し伝える。
私はこの連休、本当は石ころ拾いに出かけるつもりでいた。
北ならあそこ。南ならあそこ。
随分地図上をためしに走ってみていた。

ところがである。そこもあそこも、
以前崩れた箇所がまた崩落し、通行止めだと思われるような報道である。
いや、こんな日こそ鉱物拾いに適しているのだー、出かけたいのだー、
と私はのたまう。
若くて体力あって無茶苦茶やってた頃なら、予定通りでかけたことであろう。
テレビは避難を呼びかけるのに、台風直撃受けた人々への配慮もなく、
おお、なんて不遜な奴なんだろう。
年とっていて良かった。

少し晴れてきたが、こんな日はDVDである。
一回見たきりの韓国バラエティ『夜心萬萬』を見る。
なぜ、こんなものを買ったかと言うと、勿論ウンジュが出ているからである。
死ぬ少し前のものだ。
心ここにあらずみたいな所もあるのに、何とかいう人が話すと、
結構心底から面白がって笑っている。
手が届くほどそこにいそうなのに、
もうどこにもいない不思議。

私は韓国バラエティ界なんて知らないが、この夜心萬萬を見るかぎり、
ドラマだけでなく、バラエティも韓国物の方が勝れている。
私の時折出くわす日本のバラエティ番組は、司会者も出演者も、
ただただうるさいだけで、暴露話には品性のかけらもない。
夜心萬萬は他のものも少し知っているが、
ゲスト達の告白話にもそれなりに美しいところがあり、
司会者の締めくくりには、ちょっとしたいい言葉にも出会える。

韓国の中でも、この夜心萬萬はいい方なのかもしれないが、
日本のバラエティの品度も、せめてこのくらいであって欲しいと思うのだった。








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