さすらうキャベツの見聞記

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奴隷(どれい) 

2011-03-04 07:37:52 | Sunday 写真&みことば
 イエス・キリストとユダヤ人が話していたとき、こんなやりとりがあった。


            **************


 彼ら(=ユダヤ人)はイエスに答えた。
 「私たちは アブラハムの子孫であって、
  決してだれの奴隷(どれい)になったこともありません。

  あなたはどうして、
  『あなたがたは自由になる。』
  と言われるのですか。」


       

 イエスは彼らに答えられた。

 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。

  罪(つみ)を行っている者はみな、

  罪の奴隷(どれい)です。



            (新約聖書・ヨハネの福音書 8章33-34節)



       


 聖書は、
 『もし、罪(つみ)はないというなら、私たちは自分を欺(あざむ)いている』
(ヨハネの手紙第一 1章8節)という。
  罪(つみ)を無視するのは、自分をごまかすことなのだと。


  では、罪とは一体何なのだろう。

  
  法にふれなければ、罪ではないのだろうか。
 いや、法律は、その時代、その場所で変わる。
 法をくぐり抜ける悪人もいるだろう。


  人の道に外れた行い…といっても、人により、集団により、善・悪の観念も違う。
 また、皆、自分こそ正しいと思うからこそ争うわけで。


 「なんで盗んだらいけないのか」
   -人のものをとったらいけないのさ。

 「なんで、人のものをとったらいけないのさ」
   -それで、困るひとがいるからさ。

 「困る人がいなければ、とってもいいかい?」
   -いや、やっぱりダメ。

  ・・・いつぞや「なんで、人を殺したらいけないのか」という問いが、人々に衝撃を与え、
 物議をかもしだし、いろんな答えや様々な考えが表明された。それと同様。説明しづらいが、
 それはいかん、と良心が訴える。


  さて、古代ギリシア語…新約聖書の原語…の、『罪』と訳されている「ハマルティア」ということばには、「的外(まとはず)れ」という意味がある。
  神様は、何らかの目的をもって、様々な造られたが、
  人は、盗んだり、殺したり・・・そんなことをするために造られたのではない。



              


  ちなみに、このやりとりの直前、イエス・キリストはこう宣(のたも)うた。

    「・・・真理は あなたがたを自由にします」(ヨハネ8:33)


  『奴隷』は、遠い話ではない。
    前にもあり、今もある。

    そして、確かに、人は、何かにつながれている。



              



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