さすらうキャベツの見聞記

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教育と洗脳 (2)

2016-01-21 03:14:56 | Sunday 集会・生活
「わたしはな、世代の差というものはどうしようもないと思うと同時に、

環境というものは、教育というものは、

実に恐ろしいものだと思った。

どんな思想の人間も環境と教育次第でつくれるんだ。


―かつての特殊軍兵士達が 国のために死んでいったようにな」』

(ジャスミン・クーア,「スカーレット・ウィザード」)




(続き)

(許可取得済み)




 ― 洗脳と教育の違い、かぁ。


「なかなか、イイ質問だね」

 ちょっと失礼するよ、と、珈琲を淹れに行きつつ、私は、おもしろい質問だが、さて、どういうべきか、と思い巡らした。


(教育学畑の人がいたら、食いつくだろうなぁ・・・)

(絶対、そんな中途半端な、とか、十分に言えていない、と突っ込まれそうだが…)

(この前、貸した本も消化できてないんじゃないか、と言われそうだが・・・)

      -これまた、たたき台の一つということでご容赦していただければ-




 振り向いて、キャベツはゆっくりと言った。

「教育や洗脳というのを、どう定義するかにもよるだろうけど」

 こたつに戻りながら、続けた。

「そもそも、教育それ自体が、洗脳、とも言える」




「うん、そうだね」

 思いがけず、同居人から同意を得た。

「でも、そう思われないのは、周囲も同じ環境を経てきたり、同じような考え方だから」

 これにも、違和感がないようだ。


「もちろん、教育の第一の目的はそれではないとしても、

 また、今でこそ、個性を伸ばす、その人の能力を高めるということがよく言われるけれど、

 何らかの価値観に乗っ取って、社会に適応できるようにする、

 右ならえ、というような、

 型にはめる、という役割もあるだろ?」


「加えて、日本は『出る杭は打たれる』よね」

と、同居人は言った。


「海外から見たら、日本の教育がおかしい、ということもあるだろうし、

 逆に、日本から海外を見たら、それまた変じゃないかということもあるし。

 どこから(どこを基準として)みるか、で、けっこう異なる。」





(続く)


 (このとき、言わなかったことだが、戦前の日本の教育、たとえば、
 
  「天皇は現人神(あらひとがみ)であらせられる」とか、

  ポル・ポト政権が行った教育は、

  教育というべきか。それとも、洗脳と言うべきだろうか。)


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