癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

通院日 ギックリ腰 MRI

2017-04-21 17:03:36 | 癌のこと
今週の火曜日は通院日でした。
いつもどおり、といきたいところですが
その前の日曜日から、ギックリ腰になりました。

八百屋さんで働いていた頃は、店の組み立てやら解体やら
毎日10キロ、20キロという野菜や果物の箱を何度も抱えるので
一年に何回かは、ギックリ腰でフリーズしていましたが
最近はずい分回数が減っていました。

けれど運悪く、通院日直前に、ギックリ腰になって
診察室の椅子に座るのも「ううぅぅ」という状態ですから
これはもう、正直に言うしかありません。

すると先生は「骨転移かもしれませんね。MRIをとってみましょう」ということに。
ダンナも公休で、一緒に行ってくれていて「お願いします」
3年ぶりに、SF映画のセットのような機械に寝て
「ガシャン、ガシャン、ズコン、ズコン」みたいな
謎の大音量を1時間近く浴びました。
そのあと、画像診断の先生と主治医とで画像を見られ
「やはりギックリ腰のようですね」
先生、心なしか残念そう(笑)

今の主治医に変わって、ほぼ一年。
毎月お薬セットをもらうだけみたいな、メリハリのない患者なので
もうひとつ治療のしがいがないのかもしれません(笑)

毎回のんきなことを書いていますが
患部はずいぶん広がって「花咲」どころか
腐ったザクロをつぶした(グロくてすみません)みたいだし
出血は少ないですが、かなりの量の浸出液がでます。
それでも、3年ぶりにMRIを撮って
「取りあえず骨転移はなし」ということだったので、ほっとしています。

そして、封切りの時から観たかった「葛城事件」という映画を
やっとオンデマンドで観ました。
高圧的、支配的な父親と、それに盲従する母親
成長した長男は、仕事に挫折して自殺。次男は無差別殺人と
健康な人でも病気になりそうな映画の王者みたいな映画ですが
「自分が育った家庭にそっくりだった」という感想があって
胸をつかれました。

生きていると、どうしようもないことは山ほどあります。
病気にしてもそうですが、学校も、仕事も、家庭も
自分は特に悪いことをしていないのに
どうしようもない状況になることが、本当にたくさんあります。
その最たるものが地震や洪水などの自然災害だし
世界中で起きる金融経済の変動だし、戦争です。
私たちは誰も望んでないのに、人生も生活もめちゃめちゃになってしまいます。

けれど、同じことは、仕事とか、家庭とかの小さな単位の中でも起こります。
その、どうしようもないことにどう向き合うのか
闘うのか、逃げるのか、見ざる聞かざる言わざるに徹して無視するのか
そこで一番打つ手がないのが、案外家族という最小の単位だったりするわけです。
依存症者の家族が「共依存」なんていう病名をつけられるのも
結局、どうしようもないものを何とかしようと悪戦苦闘した結果です。

「葛城事件」でも、父親が家を建て、子どもたちが小さかった頃は
子どもたちも日々笑顔で過ごしていたし、
父親も「健康でさえいてくれれば」みたいなことを言ってました。
それがどうしてこうなったのか。
家族が崩壊した後の父親の言葉
「俺が一体何をした」
それはある意味事実でもあるのです。

私は、本でも映画でも、答えを出していないものが好きです。
ゆるぎない真実なんてものはありませんから
ご飯を食べて栄養を取るのと同じで
本や映画が見せてくれる世界を、頭でよく噛んで
「自分は、これについてこういう風に思う」と考えることが好きなのだと思います。
だから、まだその映画を観ていない人に
「これはこういう映画ですよ」と解説するのは、なんか違うなと思います。
ただ、私が観るような映画は、極鬱系が多いですから
決して人様にはお勧めはしません。
私は、そういう世界にいる時のほうが、気持ちが安らぐという
まあ、ある意味特異体質みたいなものですから。

今思えばギックリ腰は、この、極度に集中力のいる映画を
身じろぎもせずに見ていた後遺症かも。

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