飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
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万葉アルバム(関東):茨城県、石岡市 フラワーパーク

2013年05月27日 | 万葉アルバム(関東)


筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも
愛(かな)しけ妹ぞ 昼も愛しけ
   =巻20-4369 作者未詳=


 筑波山の小百合の花の夜床、そこでも愛しい妻は、昼でも愛しいよ。という意味。

防人として出発した男が後に残した妻を思慕する歌。夜の床のいとしい妻を思い出し、昼は昼でいとしいと感情を高ぶらせている。大らかな愛に溢れた歌で、その夜床を筑波山に咲く百合の花のようだと回想し妻のいとしい姿を重ねている。

万葉集には「かなし」という言葉が114語あり、悲哀、愛(かな)し=いとしい、懐古 、孤独、孤愁 と言った意味に使われているが、
この歌のように「愛(かな)し=いとしい」として用いられているのが一般的のようだ。

 この万葉歌碑は茨城県石岡市フラワーパーク内のふれあいの森の頂上に建っている。
高さ3.5mにおよぶ白みかげの自然石で、なんと現存する万葉歌碑の中で日本一大きいとされるものだ。


万葉歌碑碑文
碑の説明板に次のように記されている。
”常陸国那賀郡(なかのこほり)上丁(かみつよぼろ)、大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)の歌である。天平勝宝七年(755)常陸国の部領防人使(ことりさきもりのつかい)の手を経て、大伴家持の許に集められた防人たちの歌の中の一首である。・・・その妻を残して、遠く離れた地に連れて行かれた防人の、妻を恋い、故郷を思う飾り気のない歌である。
大舎人部千文はもう一首「霰降り鹿島の神を祈りつつ 皇御軍士にわれは来にしを」と詠んでいる。こちらは天皇の兵士として、雄々しく、高揚した気持ちを歌いあげており、同一人物の心の中に、公私両面の感動があったことを知ることができる。大伴家持は万葉集の編纂にあたり、この二首を並べて採り上げている。
大舎人部千文その人については、伝わっていない。 平成六年 八郷町、ふれあいの森”


 石岡市にある茨城県フラワーパークは、約30ヘクタールの広大な花と緑の公園。園内には、世界のバラ500品種30,000株、ボタン3,500株、大温室には熱帯花木3,000本が植栽されている。


 7月下旬からは、この万葉歌を彷彿とさせるヤマユリが12,000株開花するというが、今回は見ることができず、その代りふれあいの森の散策路に連なる日本最大級のみごとなシャガの群落を見ることができた。


ふれあいの森の頂上にある展望台から眺めた筑波山(2013/5/10)
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