そぶえ元希 通信 

 日本共産党 足立地区副委員長・准中央委員 ★ 日々の活動や思いをつづります

一家そろって風邪でダウン…

2014年04月30日 | 日記

我が家に風邪が蔓延しています…

はじめは8ヶ月の娘の様子がおかしくなりました。熱も平常で、元気にはしていたものの、鼻から鼻水がずるずると出始めます。

かかりつけの耳鼻科に行っても「咽喉は赤くなっていないし、大丈夫でしょう」とのことで、様子を見ていましたが、鼻が詰まって苦しそう…。

鼻が詰まって苦しいのか、夜も何度も泣いて起きます。

娘は自分で鼻をかむことができないので、そのたびに、こんな「鼻水吸い取り器」(?)で吸って出してあげました。

はじめは吸われるのを嫌がっていた娘も、詰まっていたものが出てすっきりするのがわかったのか、おとなしくズルズルと吸われています。

 

そんなことを繰り返しているうちに、

徐々に白かった鼻水が黄色のどろどろしたに変化していきます。

目からも同じように黄色のどろどろとした目やにが大量にでるようになり、

これは明らかにおかしい!」と小児科を受診したところ、初めての「風邪」でした。

 

薬をもらい、飲ませると、すっと黄色い目やには出なくなり、鼻水も白色に戻りました。

ほっと一安心したのもつかの間、今度は鼻水を吸うので、風邪菌を吸い込んだのか、

私と妻が風邪にかかってしまいました。

家族が増えると、こういうケースもあるものなのですね。


「理論活動教室」第1回目に参加してきました。

2014年04月18日 | 活動報告

4月から毎月1回のペースで開催される「理論活動教室」(8日)に参加してきました。

日本共産党の理論的な到達点を継承するために始まった教室です。

党本部や首都圏の党機関で活動する専従者など約450人が集まり、不破哲三社会科学研究所所長の講義を受けました。

4月の講義は、はじめに、「『理論教室』のはじめにあたって」、と「第1講 日本共産党の理論活動史」の前半部分(60年代の理論活動)が行われました。

講師の不破さんが体験してきた論争や時代の特徴を交えてお話しし、党の理論がソ連や中国の党からの攻撃や内外情勢の問題に直面する中で、路線を確立し、発展してきたその歴史をつかむことができます。

なるほど」と、うならせられながら、必死にノートにペンを走らせました

会場の党本部大会議室のロビーには、講義で紹介された文献などが資料で展示されています。

 

不破さんが今回の教室を計画した動機の一つに、ソ連共産党との公開論争を始めてちょうど50年目にあたることをあげていました。

講義でも紹介されたソ連とのアメリカ帝国主義論争は圧巻です。

 

●1964年の4月18日、ソ連共産党が日本共産党を攻撃する書簡を送りました。

背景には、1961年のキューバ危機後、ソ連が米ソ協調路線に踏み出します。

そして核兵器廃絶に背を向けて地下核実験を認める「部分的核実験停止条約」が米・ソ・英の間で1963年7月に調印されます。この条約の本質は、条約で認められた地下核実験を自由に行うものでしたが、この条約をめぐり、日本の原水爆禁止運動やソ連との間に論争がうまれました。

わが党は1963年の10月に「7中総」を行い、アメリカの戦略を解明します。それが「各個撃破政策」です。

アメリカはソ連などの大国との対決を避けて協調政策をとる一方、小さな社会主義国や民族解放運動に狙い撃ちをして攻撃する基本戦略をもっていることを明らかにします。「『各個撃破政策』の矛先が、どこに向くか。ベトナムか、朝鮮半島か、キューバか、それはわからないが、これがアメリカの基本戦略である」との分析力には驚きます。

歴史はその後、1964年の8月4日にアメリカがトンキン湾事件をでっち上げ、ベトナム侵略戦争を開始し、情勢は党が論駁したとおりに進んでいきます。

ソ連を名指しでは批判はしていませんが、その政策を批判する論文が1964年3月10日の「ケネディとアメリカ帝国主義」。

それに対してソ連が日本共産党を攻撃する書簡を送ったのが1964年の4月18日だったのです。

それから、50年が経ちました。

 

不破社研所長は、

世界の資本主義は矛盾と危機が深刻なのに、ほとんどの国で科学的社会主義の党の姿が見えていないのは、多くの党の理論がソ連からの借り物だった。…日本共産党は、ソ連や中国・毛沢東派の干渉主義と実際にたたかっただけでなく、スターリン以来の「マルクス・レーニン主義」とはまったく違う科学的社会主義の本来の姿を取り戻した」と、

 

マルクス・エンゲルスの本流に立つ日本共産党の理論活動が世界的な意義を持っていることを述べています。

 

世界の資本主義国の中でも、戦前、戦後と反共主義の強いこの日本で、党が攻撃をはね返して「第三の躍進」を切り開こうとしている、そこには「理論の力」がある

 

50年以上にわたる苦闘の探求の積み重ね、その中身をしっかり学び、今後も予想される内外の様々な問題に、しっかりと国民の立場に立って判断し、方針を打ち出すことができる力を身につけるために、がんばりたいと思います。

 

 

 

 


娘の「ならし保育」が始まりました。

2014年04月13日 | 日記

娘も、もうすぐ8ヶ月。ハイハイもできるようになり、下の歯も2本生えてきました。

家の中もずんずんすすみ、何でも口の中に物を入れるようになりました。

そして4月1日から「ならし保育」が始まりました。

5月半ばの妻の職場復帰までには、朝から夜までの保育園生活になりますが、最初の週は1時間、そして今週は午前中の3時間の「ならし保育」で親子とも、その準備をしている真っ最中です。

先週、私のお休みの日にはじめて保育園の送り・迎えを体験しました。

様子は妻から聞いていたものの、預ける際には「行かないで!」と悲しそうな目で見ながら泣く声に、迎えに行くときには「何で早く来てくれないの!」という顔で泣く声に胸が痛みます。

お迎えに行った後、家族3人で近所をお散歩しました。

色鮮やかな花が咲き、新緑も気持ちがいい天気でした。

花びらが舞い落ちる桜吹雪の中、しだれ桜が最後の見ごろで咲いていました。

 

娘が入園した0歳児クラスには10人のお友達がいます。ベテランから新任の保育士さんたちが、責任を持ってしっかり見てくれているので安心ですが、どんな生活を送っているのか、さびしい思いをしていないか、気になってしまいます。

保育園と家の交換日誌には、はじめは残していた離乳食も全部食べることができるようになったり、園内でお昼寝したり、遊んだりする様子が書かれています。徐々に保育園生活に慣れてきている様子も伺えますが、1日9~10時間の保育園生活になったらどうなるか…と考えると不安は尽きません

自分の幼少の記憶をたどっても、0歳~2歳ごろの記憶など、ほとんどないので、大きくなれば忘れているのでしょうが、泣かれてしまうとやはり胸が痛みます。

人見知りも緩和されてきた娘にとっても、”お母さんがいない”事態は最大事件です。

妻が職場復帰すると、娘の朝の身支度や保育園への送りは私一人の役目です。

朝起きたら”お母さんがいない”と泣きじゃくるのは必至でしょう…

親も子も、この新しい生活を乗り切るために、これからが、がんばり時です。 


3月の教訓を生かして、4月活動も前進を!

2014年04月08日 | 活動報告

3月月末の支部の活動では猛奮闘が広がりました。

党員拡大では20歳の学生を含む8人の方が3月に入党していただきました。

二十歳の方の入党の場には私も立会い、足立地区でも学生支部建設に大きく踏み出せた一歩となりました

 

機関紙では、残念ながら日刊紙では後退をしてしまいましたが、日曜版については予想を上回る減紙を乗りこえて前進を勝ち取ることができました

 

来年の足立区議選に向けて、前回時回復まではまだ距離がありますが、3月は2月の1.9倍の機関紙拡大ができました。

「何としても前進を」との支部の頑張りには励まされ、確信になりました。

 

消費税8%増税が強行され、集団的自衛権行使容認などひたすら暴走を続ける安倍政権を追いつめるたたかいが必要です。

学生新歓作戦に取り組んだり、支部に入って討議をすすめ、行動を具体化していく毎日です。

4月はこの奮闘をさらに広げて、宣伝・対話でも、党勢拡大でも飛躍を作り、26回党大会で示された「党勢倍加」と「世代的継承」に向けて頑張りたいと思います。