ぼちぼち。

愛するわんこ達と過ごす笑ったり泣いたり怒ったりの日々を
私らしく『ぼちぼち。』と綴っていきたいと思っています。

じいちゃんの事。

2007-01-04 20:02:15 | きもち。
今日はみわんこ。の最愛のじいちゃんの月命日。
昨年10/4に天国へ旅立ったじいちゃん。
今日は実家で百ヶ日の法要を叔父(叔父はお寺の住職さんです)に執り行って貰ったそうだ。

じいちゃんの具合が思わしくないとみわんこ。母上からメールが来て
その週の週末に仕事を終わらせた後、
そのまま新宿から夜行バスに乗って大阪へ帰った。

6月にのんちゃんの件で実家に帰った際にお見舞いに行ったら
まだじいちゃんは比較的元気だった。
大好きなヨーグルトをみわんこ。が食べさせてあげた。
『じいちゃん、おいしい?』って聞いたら
『良かよ。』と返ってきた。
これがみわんこ。が最後に聞いたじいちゃんの言葉だった。

もうずっと入院して寝たきりだったけど
最期はばあちゃんと母上、妹、甥っ子
そしてみわんこ。の5人で看取る事が出来た。

色んな準備の為に先に病院を後にした母上と妹達。
ばあちゃんもいとこが家に送っていった。
じいちゃんが家に帰る車にはみわんこ。が一緒に乗った。

病院を出る時。
お医者さんや看護士さんにお礼を言わなきゃいけないのに
涙で喉が詰まって、頭を下げるだけで精一杯だった。
見送る人達が手を合わせるのを見て
『じいちゃんに手を合わせるなんてやめて、仏様にするようにしないで!』
と心の中で叫んでいた。

車の中でじいちゃんにすがって泣き続けた。

じいちゃん家に着くと少しずつじいちゃんの旅立ちの準備が進んでいった。
近所の人達が次々に弔問に来て下さった。
その中にみわんこ。が小さい頃、じいちゃん家の近所に住んでた頃に
遊んだ事のある女の子も居た。
来てくれたみんなが揃って口にした
『おじいさんはいつも色々面倒を見てくれて良くしてくれた。』
『働いていた頃は見かけると声をかけてくれて本当に優しいおじいちゃんだった。』と。
じいちゃんの優しさが沢山の人を呼んだ。

九州男児で自分の事を【おいどん】というじいちゃん。
孫には優しかったけれど母上達子供には怖い時もあったという。
頑固で、細かい部分もそりゃ、あった。
口数は少なかったけれどどんな時もみんなを守り、包んでくれた。

そんなじいちゃんの一番傍に居たばあちゃんは本当に本当に
悲しみの、寂しさのどん底に落ちてしまったようだった。
小さい体がもっともっと小さくなってしまったようだった。
そんな崩れそうなばあちゃんを、見ているしか出来なかった。

和歌山から叔父夫婦が来て、じいちゃんの為の読経が始まると
少し落ち着いていた気持ちがまたぶり返して涙が溢れてきた。
手を合わせて神様にじいちゃんを宜しくお願い致します、と
それだけを繰り返した。

母上は高齢のばあちゃんの代わりにいとこと一緒に沢山の準備をしていた。
泣く暇も無い程に。
みわんこ。に出来る事は寝ずにじいちゃんの傍に付いている事だけだった。

遺影用の写真を選ぶ際に、『このじいちゃんの顔、優しい顔やね。』と
母上が見せてきた写真。
いとこと花見に行った時のじいちゃん。
じいちゃんが座る時、お決まりの座り方があるのだが
まさにそのポーズで微笑んでいた。

結局他の写真が遺影に選ばれた為に、花見の写真はみわんこ。が
こっそり持ち帰った。

背が高くてゴツゴツした大きな手のじいちゃん。
大きな棺なのに窮屈そうだったね。

じいちゃんらしい物を入れてあげよう、と話した時
みんながほぼ一致したものが茶色のジャケット。
そしてループタイ。
じいちゃんといえばそのジャケットとループタイなのだ。
みわんこ。達がまだほんの2、3歳の頃の写真を見ると
そのジャケットを着たじいちゃんが映っている。
と、言う事はみわんこ。の知る限りでは少なくとも30年程は愛用していた事になる。

本当に大切に着ていたのがわかるような
綻びも虫食いも無い、樟脳の匂いのするジャケット。
物持ちの良い、いい意味でのケチだったじいちゃん。
その他にも入所していたホームでの日誌や鞄、色々入れられた。

みわんこ。は手紙を書く事にしました。
だから色々思い返してみました。

小さい頃から親から離れても平気でじいちゃんばあちゃんと良く旅行に行った。
近くに住んでいた頃はずっと一緒に居た。
じいちゃんと一緒に寝る時は冷え性のじいちゃんが
『寒いから足ば出したらいけんと。』って言ってたけど
子供のみわんこ。は途中で暑くなって横から足を出したりしたっけ・・・
家に遊びに行く時、仕事中のじいちゃんの所に立ち寄って声をかける。
『来たとか~。』と嬉しそうに笑ってくれる。
昼休みに帰って来てじいちゃんが食べるのはトースト&お味噌汁(笑)
夕方に帰るつもりが晩御飯まで、とどんどん遅くなる事もあった。
お腹一杯なのにもっと食べろ、もっと食べろと勧められ、苦しいくらい食べた。
みわんこ。の都合が合えば泊まったりもした。
車で30分ほどの道のりを自転車で遊びに来たりもしてみんなをヒヤヒヤさせた。
19歳の時には中国旅行にも連れて行って貰った。
じいちゃんの思い出の地、大連では住んでいた家まで辿り着けた。
21歳で上京する時には『おいどんが送ってやるけん。』と言って
誰もがせいぜい新大阪の駅までの見送りだろうと思っていたのが
一緒に東京にまで来たじいちゃん(苦笑)
一人暮らしのみわんこ。を心配して留守電に慣れないメッセージを残してくれたじいちゃん。
11年経った今でも、そのメッセージは残しているんだよ。

沢山ありすぎてどうしようもないから
『ありがとう』と『愛してる』とだけ書いた。
棺の端っこに置いたんだけど、じいちゃんは読んでくれたかな。。。

お通夜でも告別式でも、思いっきり泣いてじいちゃんにすがった。
この現実が信じられなかった。
だって、小さい頃からみわんこ。の中のじいちゃんは
『永遠に死なない人』のはずだったから。

子供の頃、じいちゃんに言った事がある。
『じいちゃんやばあちゃんが死んだら寂しいからじいちゃんが死ぬ前に死ぬねん。』
もちろん、『なんバカな事言いよっとか。』と注意された。

信じたくない、信じられない、この目の前にじいちゃんがいるのに
どうしてお別れをしなきゃいけないんだろうって駄々っ子のように泣いた。
母上に『じいちゃんにあんなに可愛がってもらったあんたが
最後にじいちゃんを困らせたらあかん。』と叱られた。

それでもどうしようもなかった。

でも。
煙と一緒に天に昇ったじいちゃん。
お骨上げの時に、その体の通りの大きなお骨を見ても
もうみわんこ。は涙が出なかった。
むしろ安心した。
もうじいちゃんはしんどい思いをする事が無くなったんや、って。
すごく穏やかな気持ちでじいちゃんのお骨を拾った。
真っ白できれいな、大きなお骨だった。

いつも子供や孫、ひ孫に囲まれていた、愛されていたじいちゃん。
いつも愛するばあちゃんが傍に居た。
最期まで独りじゃなかった。
じいちゃんは幸せ者だ。

とってもとっても可愛がって貰ったから
愛して貰ったから、やっぱり恋しくて寂しいね。

でもね。

貰った愛情はずっと消えずにみわんこ。の栄養になってる。
天国でじいちゃんが心配しないように
毎日を笑顔でみわんこ。らしく生きているのを見て貰いたい。

今日も笑ってるよ。
あれから一度も泣いてないよ。じいちゃんを想って笑ってるよ。
きっとじいちゃんが泣かせてくれないんだよね。
笑えと言ってるんだね。

みわんこ。は大丈夫だからばあちゃんを守って。
そして忙しくて余り泣けなかった母上を時々甘えさせてあげて。

母上はじいちゃんの手帳に書かれたとある日の一文を見つけた。
『今日からコーヒーはブラックで飲む。』
じいちゃんの決めた通り、母上は仏壇にコーヒーをブラックで供えてるよ。
いつもいい香りがするでしょう?

毎日お線香を焚きながら話をする。

ずっと見ててね、じいちゃん。
ずっと愛しててね、じいちゃん。

今日もみわんこ。は元気です。