名古屋と
鹿児島で立て続けに祭と重なり、妙な引きの強さを発揮している昨今ですが、今回も似たような展開になるとは予想していませんでした。もちろん「魚仙」でのことです。
開店とほぼ同時に暖簾をくぐったこれまでに対し、今回は呑み屋が次第に混み出す七時前です。多少の混雑を覚悟の上で玄関をくぐると、意外なことに先客の姿は一切ありません。やや拍子抜けしつつもカウンターの角に陣取ると、宴会客の料理に手一杯で、かなり待たせるとの案内が。要は暗に断られたわけなのですが、今回旅に出た目的とは、少なからずこの店で呑むことにある以上、あっさり引き下がるわけにも行きません。多少の時間なら待つと伝えて食い下がります。
すると今度は女将が登場しました。聞けば常連客を集め、飲み放題食べ放題の宴会を催すそうで、どうしてもというならそちらに加わってはどうかと勧められます。ここでようやく事情が飲み込めました。そうです、教祖の著作でも紹介されている「酔法師の会」と称する集まりに、全くの偶然で重なってしまったのです。
独酌を宗とする立場からすると、どんなに豪勢な酒と肴が出ようとも、大人数の宴会は性に合いません。加えて、一万円という高額な会費にも躊躇させられます。しかし、かねてから噂に聞く年に一度の催しに図らずも重なった以上、これも何かの縁と思い至り、結局飛び入りでの参加と相成りました。
店舗を出て外階段を二階へ上がり、さらに室内へ入って三階に上がると、床の間を備えた大広間があり、そこに五つばかりのテーブルが並んでいました。飛び入りだけに、一番人数の少ない奥手のテーブルへ。人数にすればざっと三十人といったところでしょうか。これでも今年は少ない方で、多いときには立食になるというのですから、さすが36年続いてきた会だけのことはあります。
片隅のテーブルには、数える気も起きないほどおびただしい数の一升瓶が並び、これらが全て飲み放題ということのようです。まず二本選んでよいとはいうものの、あまりに数が多すぎて、どれを選べばよいのか見当もつきません。見た目だけを頼りに、都会にはまず出回らないであろう古めかしいラベルの酒を選ぶも、あまりの素人ぶりを見かねたか、店主が自ら登場。何を呑んでも構わないというのに、安酒など選んでいる場合かと一笑しつつ、代わりに差し出されたのは「金鶴」なる聞き慣れない佐渡の地酒と、「越乃雪月花」のひやおろしでした。気高い香りはまさに大吟醸で、なるほど飲み放題ならこれから先に選ぶべきところでしょう。郷に入りては郷に従えの諺通り、あとは先達に見繕ってもらいます。
景虎のどぶろくに〆張鶴の大吟醸など、有名どころの希少品が次々と繰り出され、その他の蔵に関しても見慣れない品が次々登場するところは、鹿児島の地焼酎を彷彿とさせるものがあります。新潟の酒といえば大きな蔵の量産品ばかりを連想しがちなところ、やはり地元には数え切れないほどの酒があるようです。
肴は鰤を中心にした豪勢な刺し盛りがテーブルごとに行き渡り、あとは両手に余るほどの大皿から各自好きに盛り合わせるというバイキング形式です。鮭の焼漬などが新潟らしく、なおかつ冷めてもおいしい品を揃えてくるところが宴会ならではといった感があります。ある程度箸が進んだところで焼きたての油揚げが登場し、のっぺ汁に粕汁など温かいものが時折差し出されるところもよく考えられています。どんなに飲み食いしても後から後から出てくる酒と肴は、まさに酒池肉林と形容するにふさわしく、一万円の会費はあながち高くはないと得心しました。
酒飲みにとっては、まさに天国というべきこの催しですが、唯一にして最大の問題は、独酌を宗とする自分の性分にはどうしても合わないということです。遠方からの参加者も交えて賑々しく宴が執り行われる中、自分だけがなかなか波に乗り切れず、必然的に気疲れしてきます。同じテーブルの御仁が早めに切り上げると、テーブルに残ったのは自分一人となりました。既に限界を超えたといっていいほど存分に呑み食いもしており、これ以上盃を重ねる余力もないため、残った酒を飲み干したところで打ち止めとし、女将に挨拶して立ち去ります。自分にはカウンターで静かに呑むのが合っているという、当たり前の事実を再確認する結果となりました。
もっとも、実りの季節に新潟の酒を浴びるほど呑めたという点ではよい経験でした。次回はいつものカウンターで、店主夫妻とそのときの後日談に興じたいものです。
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魚仙
長岡市殿町1-3-4
0258-34-6126
1700PM-2300PM(日曜定休)