『人の砂漠』を観て、考えたこと。
『人の砂漠』は、東京藝術大学の映画学科生によって制作されたオムニバス映画。
前の仕事でスタッフにインターンで東京藝大の子らがいた。
彼らにはノルマがあるのだそう。
一緒に仕事した縁(実際、なかなかの仕事ぶりだった)もあり、前売り券を購入。
それで鑑賞したのね。
『人の砂漠』は沢木耕太郎著作のノンフィクション短編小説集を映画化したもので、
その中から、
『屑の世界』
『鏡の調書』
『おばあさんが死んだ』
『棄てられた女たちのユートピア』
の4本がフィクション化され、描かれている。
『屑の世界』は、廃品や屑回収の仕事への言及の甘さが気になる。
それがなければ周囲への拒否反応の意味が失われる。
だが、そのコミュニティの擬似家族形成などの眼差しには温かみがある。
『鏡の調書』は、異質な者が持つ異化効果がまったく現れていない。
コメディ化することでそれを受け入れる土壌を作ることには成功しかけている。
『おばあさんが死んだ』は、コミュニケーションの不全や拒否が安易に狂気に結び付けられている。
恐怖はある。
が、中途半端なエピソード選択、シーンの尻切れ具合など、有機的に繋がって醸し出す物語がない。
『棄てられた女たちのユートピア』は、題材への意気込みは買う。
だが、そこが浅はかに鳴れば、それさえ単なる刺激化娯楽化へ安易な選択になりかねない。
消化不良だが、今後を見守りたい。
個人的には、『屑の世界』と『おばあさんが死んだ』が好み。
学生の作品だと考慮すれば、そこそこレベルは高い。
キャストなど、商業的な考慮もなされている。
おいらが学生の時よりも映像化する技術はあると認められる。
といって、じゃあ映画になりえているかというと、はなはだ疑問。
映画としての力が足りない。
彼らは映画を学んでいるのではないのか?
たまたまかもしれないが全作が中途半端な商業作品になっている点も非常に気になった。
デジタルカメラやコンピュータでのポストプロダクションなど、恵まれた制作技術獲得があるにも関わらず、このレベルに納まってるのだろうか?
映像化技術は未熟でも、映画としての力をもつ作品は自主映画にいくらでもある。
このオムニバスに、あまりにも、映画技術的言及がないことが気になるのよ。
なぜなら、これは、日本で唯一の国立大学に映画学科を持つ東京藝大の制作だから。
だって、世界の映画学科は非常にレベルが高いのだもの。
隣国韓国がいい例だ。
ポン・ジュノの学生時代の作品を集めた『ポン・ジュノ アーリーワークス』などを観て欲しい。
例えば、タルコフスキーの『ローラーとバイオリン』なども、学生時代の制作だ。
そこには、映画の学徒としての映画への憧憬と挑戦がある。
ポン・ジュノの初期作品など、映像技術的に優れているほどでもない。
だが、そこには映画としての技術が溢れている。
大学がいいとは限らない。
映画に特化した専門学科の方がいいのかもしれない。
これを劇場で公開していることは、いい実践だと思う。
やはり映画は観られてナンボで、大学生の実習作といえど、映画なんだから、その出口が劇場公開というのは、理想的だ。
だが、1200円で見せることに少し疑問があるのよ。
たとえば、500円にし、教育的意義を付加する。
助成金で、ノルマなどの負担を減らす。
学ぶために作る、しかし、映画への追求の手を緩めさせない。
技術など、どうしても足りない部分は出てきてしまい、興行作品としての不足は否めないわけだから、観客へも学生映画であることを理解してもらい、見てもらう。
最初から、学生の作品だといろんな面でアピール出来ていれば、見る側の心構えだって変わる。
逆にいえば、ちゃんとした映画なら、正規の料金を取るべきだ。
他にも、アンケートを入れるなどして、彼らの次につながる何かをするなど、やれるべきことはいくつもある。
作る側を育てることはもちろんだが、同時に観客とその意識を共用しないことは、映画の楽しみのひとつであるコミュニケーションを削ぐことになる。
映画は面白い作品が面白いのではなく、その付随する要素によって面白さを付与し、体験を伴う媒体なのだ。
映画館で体験する意味はそこに強くある。
そういうことを教えていなければ、文化が育たないし、そこを教えるべきだろう。
ただかけるだけなら、金を出せばいいのだ。
商業的なことを教えることまではいけているのだろうが、彼らは国立大学の学生である。
文化への意識まで教えずしてどないするのか?
彼らがそれを持って、映画業界に入ってくれば、どれだけ影響していくことか。
それは、制作体制において、彼らと同じレベルのもしくはそれ以下の商業作品があることを考慮しても、そこには高い意識があるべきだと苦言を呈す。
現代日本は、ますます人の砂漠化が進みんでいるのは否めない。
だからこそ、物語の役割は強まると思うのよ。
よろしく頼む。
日記で「卒業制作」と書かれていますが、これって彼らの「卒制」じゃないですよ~。
彼らが大学院に入学した年の冬に取りかかった作品で、卒業制作は全く別のモノを作っています。
彼らの「卒業制作」はつい最近芸大で上映していましたよ!
ですから、「卒業制作」としてコメントなさっている部分は、ちょっと彼らが可愛そうかも…。
だって、このオムニバス作品で学んで経験を積んでから作った卒業制作は、毎年「お!スゲー」と思わせるものが出ていますから。
それに、絶賛なさっているポン・ジュノの母校、韓国映画アカデミーとも彼らは映画を撮っています。お互いが良い刺激を得られたら素敵だろうなーと思いました。
今回の「人の砂漠」というオムニバス作品は、芸大ではカリキュラムに組まれている一つであって、彼らにとっては通過地点。
集大成じゃないってところが、ミソかなと。
彼らの今後に期待しています。
はじめまして。
ようこそ。
卒業制作じゃなかったんですね。
修正しました。
とすれば、ココで指摘した料金やアピールについては、より言及せねばなりませんね。