で、ロードショーでは、どうでしょう? 第99回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『(500)日のサマー』
よくある21世紀の『××(名作の題名)』なんてのは、たいてい無理くりつけた宣伝のための文句に過ぎない。
もしくは、少し似たところを拡大させたかだ。
ところが、こいつは、驚きの21世紀の『アニー・ホール』の看板に偽りなしな名品が誕生した。
そう、21世紀の『××』と呼ばれるには、マズその元の作品と同じくらいのオリジナリティがなければならないのだ。
脚本家チームの、「『メメント』とロマンティック・コメディを合わせた」という言葉にうなづく。
時間軸を記憶にあわせて、ずらすのは、ウディ・アレンお得意の話法の一つだしね。
(時間軸話法の名手クエンティン・タランティーノもウディ・アレンのファンだ)
しかも、この作品には、ウディ・アレンが影響されているイングマール・ベルイマン映画のパロディも出てくる。
今後、<これは新しい『(500)日のサマー』だ>と宣伝される作品がいくつも出てくるのが想像つく。
二人のキャストが最高。
トム役のジョセフ・ゴードン・レヴィットの顔芸の素晴らしさよ。それは感情のジェットコースターだ。落ちては上がり、回っては時にレールから飛び出してしまう。
そのトムの主観で描かれる運命の女性役という何役を、ズイー・デシャネルが輝くような微笑と、奈落に落とす氷の仏頂面で演じている。
なによりそれを飾る音楽が的確。
スタイルに溺れずに、一人の恋に理想を持つ青年と運命を信じない現実的な女性の500日を描き出したマーク・ウェブには、目を見張らざるえない。
(次の『スパイダーマン』の監督に起用されたので、それも楽しみ)
このさまざまなスタイルと時間軸の交差は、男の主観で描かれる女性像とファンタジーと男の惨めさ。
恋の痛みと喜び。
それでいて、それでも前に進むエネルギーを持つ。
夏が来たワクワクとウダって動きたくなくなる熱さと海にたどりついたような開放感がある。
なにしろ、オープニングのナレーションがよい。
「これは、ボーイ・ミーツ・ガールの物語だ。だが、ラブ・ストーリーじゃない」
「この映画に出てくる登場人物は、実在の人物を基にしていない。特にジェシーは。あのビッチは」
運命を信じる男と現実的な女が出会って、恋して、離れていく。
といつ、世界中、そこらじゅうに溢れた題材を生まれ変わらせたスコット・ノイスタッターとマイケル・H・ウェバーに拍手。
『ジュノ』に続いて現実をファンタジーの魔法のフィルターを通して見せてくれたエリク・スティールバーグの画もいい。
何より、ブルー。そして、ブルーだ。
切なくて、さわやかなブルーだ。
あのブルーを、映画館のスクリーンで見ないなんて、もったいない。
『アニー・ホール』に捧げたチャップリンの賛辞、「これは涙のコメディだ」と同じように賛辞を捧げるなら、『(500)日のサマー』は、ブルーなコメディであり、薔薇色のトラジディなのだ。
すべての17~70歳の男の子と、彼らとわずかでもつきあったことのある女性にオススメしたいボーイ・ミーツ・ガール(ノット・ラブ・ストーリー)・ムービーの傑作。