で、ロードショーでは、どうでしょう? 第97回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『パブリック・エネミーズ』
マイケル・マンは、熱を描く。
過剰なドラマによってではなく、ふりかかる状況において、とってしまう行動で。
デジタル・カメラならではの生々しさで、あえて1930年代の伊取りの男の状況をそのまま切り取っている。
狭い部屋も暗い画像もそのままに、かっこよさも間抜けさも。
デジタルを用いて、世界をいいように描くのではなく、世界の中へカメラを持っていく。
まるでヌーベル・バーグの頃のように、スタジオに鎮座したカメラを、子供の道具のように外へと連れ出して。
その自由さは、そのまま、ジョン・デリンジャーという男の生き様に、重なっている。
手法が物語と一致しているのだ。
これは映画のあり方の一つといえます。
もちろん、デジタルといえどもダンテ・スピノッティのカメラはその光の表現に生々しさだけでない輝きを加えていることも付け加えたい。
オープニング・シークエンスで脱獄するデリンジャー一派。
デリンジャーは、死にかけているウォルターの手を離すことが出来ない。
このくだりだけで、この物語にひきつけて離さない。
手を離せない男を演じきるジョニー・デップの内面の表現にこそ、彼の技が活きている。
クリスチャン・ベイルを『バットマン・ビギンズ』前の線の細いエリート役に起用しているのも、さすが。
マイケル・マンはスター俳優の持っているが隠れてしまう資質みたいな部分を役柄に反映させるのが上手い方。
チンピラ的殺し屋にトム・クルーズを、マジメな技術者にラッセル・クロウを起用したりする。
まさに、今回もキャスティングのずらしが現実感を醸し出している。
ギャング側、警察側、両方の登場人物たちを立たせるさりげなくも濃いキャスティングと演出と演技に引き込まれます。
『アバター』の大佐役のスティーブ・ラングはここでも強烈な印象を残してます。
マリオン・コティヤール、スティーブン・ドーフ、ビリー・クラダップ、ジョバンニ・リビシ、スティーブン・グレアムにぐっときます。
人気者で昔かたぎなギャングが時代とどのようにダンスしたのか?
寄りすぎず離れすぎない、その絶妙な距離感を感じさせる映画になっています。