菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

演出には少なからず吃驚が必要だ。

2010年04月19日 00時00分02秒 | 映画のあれこれ
演出とは、何か?と言われても、答えるのは非常に難しいものなんです。


たとえ話になりますが、荒野に対峙する農民がいるとしましょう。

その農民が、どう荒野を耕すか、考えること、その方法を実行すること。
実際に耕す人もいれば、そこは人にやらせることも。

上手く行けば、その土地に植物を植えたり、平らな道を作ることが出来る。

それが演出ではないかと思っています。




あと、演出の要素として重要なことを一つ。


演出には少なからず吃驚(びっくり)が必要だと思うのです。

先ほどのたとえ話につなげれば、驚かすことは、荒野に水をかけること。

雨降って、地固まるとも言いますが、雨が降らくても井戸を掘って、水を引く。
洪水を起こして、土が流れることも。
しかいs、洪水は時として、肥沃な大地を作る。
ナイルの反乱がエジプトを育てたというヤツです。


耕した荒野に水をまかないとね。
耕しても種を撒いて、水をまかないとね。

感情は水のようなもの。
感情は、乾いた心を潤す。




驚きっていっても、ショックだけではないのよ。
サプライズってのかしらね。
ドキッとするとか。
ハッとする。
気づき。

見えづらいちょっとしたことを見つけさせること。


そして、裏の真理として、見つけさせることが出来るから、隠すことが出来る。


いうなれば、イリュージョンで、水が出たり、虎が出たしたりするのに近い。
ほら、水(サンズイ)や寅を出すと書いて、演出ですもの。
虎に水かけたら、驚くでしょ。
バシャッ、ガォーって感じです。

そもそも、映画を観る目的は、アッと驚くためでもあるだろうしね。


確かに時代は、驚きが多すぎてそこにサ慣れっこになりつつあるのかもしれない。
『ノー・サプライゼス』、驚きはいらないとレディオヘッドが歌ったように。
もしかしたら、邦画がいま受け入れられているのは、その驚きへの拒否なのかもしれない。
でもね、ざるソバのツユに、ワサビやネギを入れるように、その塩梅があるだけだと思う。
ネギやワサビが薬味というように。

ほら、しゃくりを止めるのに、ワッと驚かすように、ね。












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