で、ロードショーでは、どうでしょう? 第137回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『川の底からこんにちは』
不幸は近寄れば、悲劇であり、遠くから見れば喜劇であるとはよく言われる。
だが、けっこう不幸を体験するとわかるが、当事者ほど、もう笑うしかないということはよくある。
悲しいほど喜劇という感じなのだ、
まさに、この映画はその当事者の笑うしかない追い込まれようがある。
だって、しょうがないんだもん。
覚悟するっきゃないんです。
なんつっても、石井裕也の人間への寄り添い方が頼もしい。
そして、彼らの物語を紡ぎ、飛び出すその言葉の肥え方がいい。
耳に心地よいのだ。
全キャストの存在感がいちいち素晴らしいのだ。
子役から、おばちゃん、一瞬出る脇役まで、見てはいけないところを見てはいけないものを見てしまったかのような、いや、あえてカメラを気づいて、さらけ出しているかのような抜き身の刀、いや、生の青魚のような生身の輝きが眩いのだ。
岩松了のすっとぼけた下品さが骨太い。
その兄で、さわ子の父が志賀廣太郎が、図抜けている。
さわ子と一緒に田舎に帰る恋人、遠藤雅が面映い。
その娘、相原綺羅が、しなやか。
幼馴染が図太い。
しじみパック詰め工場の従業員たち、特に稲川実代子が、面の顔が厚い。
もうね、これは、顔のエンターテインメント。
これは、おいらにとってはコーエン兄弟の作品を評する時に掲げる称号。
ファレリー兄弟のような貪欲さがあるのよ。
そして、その中心にいるのが、主演女優、満島ひかりだ。
満島ひかりは美人だ、元フォルダー5だから、歌えて踊れる。
なのに、自分の底にある、本当はダメかもしれないというオーラを、その容姿やスタイルから消している。
案外、美人ほど、強いコンプレックスを持ってるものだったりする。
メジャーリーガーの悩みみたいものだな。
もちろん、脚本の設定で彼女がそこまで鬱屈する理由が明かされていくのだが、そうでなくても、現代の日本は鬱屈している。
売れ残り時代を生きているだから。
実は、その不幸にあってこそ、人は魅力あふれることがある。
鉄を叩けば、熱をもち、紅く光るのだ。
彼女の顔がいい。
彼女の手がいい。
彼女の目がいい。
彼女の声がいいのだ。
(目下、満島ひかりはTVドラマ『月の恋人』に出演中。篠原涼子の部下だ。そうか、彼女も元東京フォーマンス・ドールだ。あと永作博美もribobon(りぼん)だ。そうか、この系譜に彼女も連なっているのだな)
ある意味、この辛気臭さ、泥臭さは、日本映画の畦道のようなジャンルとも言われかねない。
いやいや、日本は米の国ですぜ。
だから、たんぼの横の畦道こそ、日本の王道なのだ。
しかも、しじみのパック詰めが描かれる。
泥臭いは、ファンクと言うのだ。
そう、映画は映像による音楽でもある。
この26歳の新鋭、石井裕也の耳と目は、信頼できる。
この重機劇は重低音の重なのだ。
重喜劇は、今村作品が代表だが、人間の底力が基調だった。
だが、現代、母性はその存在さえ危うい。
自分の中の本能なんて、頼りにならないのだ。
では、何を頼りにここどん底から這い上がればいいのか?
そのヒントがこの映画にある。
欠点がないとは言わない。
無理やりに出てくるサブキャラクターは、物語への従属だけさせられ、使用済みコンドームのように捨てられてしまう。
コレだけの不孝を描いておいて、ご都合主義は、神の采配のよう訪れるのもやや片手落ちだろう。
とはいえ、それも、どっこい生きてると歌いたくなるような雑多なエネルギーが飲み込んでも行く。
簡単に言ってしまえば、観たら、歌いたくなるのだ。
叫びたくなるのだ。
圧倒的に元気になるのだ。
確かに、この元気は空元気かもしれないが、空で十分、中身を入れればいいのだ。
その便秘を腹から出して、空にすればよいのだ。
さぁ、腹は空になった。
何を食おう。
よし、炊き立ての白米としじみ汁を飲むぞ。
どん底コロコロ、ドンヅマリ! お家には待ったなくて、さぁ大変、どうしょうもなくてコンニチハ!な現代の重喜劇、必見の作とおいらは言い切りますぜ!








おっしゃるように、満島ひかりは、「顔がいい。手がいい。目がいい。声がいい」ですね!
それと、『君と歩こう』は、初日にユーロスペースに行ってきました。目黒真希さんが実に綺麗でした!
こちらこそです。
どうも、あたくし、手に惹かれるところがあるようで・・・。
とはいえ、見るべき女優を得られることは幸せです。
『君と歩こう』も見に行く予定です。
目黒さんは、拙作『はじめての家出』にも出演いただきましたが、良き茎をもたれた方です。