菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

実物大人形世界へようこそ。   『コララインとボタンの魔女』

2010年03月08日 00時00分29秒 | 映画(公開映画)
 
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第111回。



「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『コララインとボタンの魔女』
 

  




現代ストップモーション・アニメの巨匠ヘンリー・セリックの新作。
 
ティム・バートンと組んだ『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の印象が強いが、その独特ダークさは、バートンと重なるところはあります。
違いは、その普遍的な主人公の造詣と、わくわくのギミックの入れ方でしょう。
なにより、シンプルな子供時代の気分が投入されていること。
バートンはそこに怖さが入ってしまうけど、セリックには子供時代のような掛け値なしワクワクがはいるのよ。


おいらは字幕版で見たけれど、吹替版もそんなに悪くないとのことです。
 

そして、この『コララインとボタンの魔女』は、3Dで観るのをお勧めします。
たぶんこの3Dの楽しさは、『アバター』をある種、超えています。
なぜなら、このミニチュアの世界に連れて行かれたような幻惑があるのです。
ドラえもんの道具で自分が小さくなったような気分になります。
もともと映画というものが3Dであり、いままで、なんらかの事情で2Dなってしまったのが、ようやく元に戻ったような、そんな気さえしてきます。
なにしろ人形ですから、もともと3Dなんですもの。
 

なにがすごいって、ずっとこの映像を見ていたいという映画の喜びがつまりまくっていること。
ねずみのサーカス、ミュージカル、幻想的な庭、描かれるすべてが愛しい。
その動きの楽しさだけでなく、ギミックがとにかく楽しい。
なにより、主人公、コララインを見ているだけでも楽しいってのが素晴らしい。
これ、たぶん2Dでもあるんですが、3Dで何倍にもなっているのよね。
なんつっても、3DCGでまだ出し切れない、触感があるのよ。
『アバター』と公開がかぶったせいで、3D劇場が少なくて、浸透していないのが残念。


好みは、カマキリマシンよね。
そして、なにより、コララインの名前についての悩み。
自分の存在は、自分自身でしか作れないことを意識させてくれる。



なんよりも、特筆したいのは、ちゃんと怖いこと。
かわいいだけデなあく、ちゃんと怖い。
コレ大事。
この怖さがないと、童話の力が弱くなりますもの。
宮崎駿作品の良さはその怖さです。
襲ってくるものや出てくる相手が怖いこと。
そうでないと、物語の伝える力がやっぱり弱くなるのよ。

『コララインのボタンの魔女』は原作のニール・ゲイマンは、宮崎駿ファンを公言していて、その影響は明らか。
3Dの最高峰の『アバター』、『コラライン』の2本共に宮崎駿の影響が濃いことも面白い事実だ。
逆に3D化という映像の力が強まるときに、物語の強度というか物語の根源的なものを必要としたのだともいえるのではなかろうか。

しかも、クライマックスで物語構成を一回リセットすることで、物語構成を一つ増やして、驚きを提供することで、現代の童話となっているのは注目して欲しい。



子供の欲望への欲求を抑えて、ちゃんと世界を向き合わなければならないことが描かれている。
自分と世界の関わりがきちんと存在している。
子供向けだと侮るなかれ、大人の子供化が言われる現代、子供の問題をちゃんと描くことは、大人にも通じる現代性が現れてきますからね。


物語の根源性と現代の技術の融合、映像の喜びが溢れまくっていますぜ。

 
 

 
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