菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

ローカル・ジャンルの些細な差異

2010年01月08日 00時03分18秒 | 映画のあれこれ
久々に『レオン完全版』を観ての考えたこと。

国によって文化が違うわけで、そこには物語のジャンルにも反映される。

で、たぶん、フランスには“大人の童話”というようなジャンルがあるのだろう。
『地下鉄のザジ』や『アメリ』なんかもその類だ。

北欧には、“不幸コメディ”がある。
『マッチ売り工場の少女』などのカウリマスキや『トト・ザ・ヒーロー』など。
外に出ただけで死にかねない極寒の大地ならではの死が身近においた笑いらしい。

南米の“マジック・リアリズム”なんかもその一つだろうね。

アメリカの西部劇やアメリカン・コミック・ヒーローもその一つかもね。


日本はナンだろう?
狂言、歌舞伎、落語、それに漫画ってのが、そうなるのかしらね。


そうそう、笑いにも種類がある。
ウィット、ユーモア、エスプリ、シニカル、シュール、ドタバタ、アメリカン・ジョーク、ツッコミ、ハード、スプラッタ・・・。

その文化ごとの倫理・道徳や宗教観にもかなり影響されるだろうしね。
 

で、その地方それぞれのローカルなジャンルは、別の文化においては拒否も引き起こすことがあるのだろう。
差異が分かりやすい場合はいいけど、微妙な差異で組み立てられている場合、案外に強い拒否を引き起こすんじゃないか。


聞いた話では、フランスのラブ・ストーリーの考え方には、愛は受難ンで成立するものがあるらしいし。


アメリカのラブ・ストーリーは少しだけ現実離れしている傾向があるらしい。
ハーレクイン・ロマンス的な方向というかね。
玉の輿に乗る話が意外と多い。
でも愛が重要なので、恋に落ちたときは知らなかったけど、真の姿はお金持ちとか貴族とかそういうキャラ設定が多い。で、それが障害にもなる。

日本だと金持ちよりも貧乏人が選ばれるということが多い傾向がある。
現実的にそちらが好まれるわけだ。



全く違えば、それは違うものだと関わり方を変えられるが、少し似ていて違うものだと関わり方が分からなくなりがちだ。

想像して欲しい。
豆腐だと思って食べたら、スポンジケーキだったら?
豆腐だと思って食べたら、高野豆腐だったら?


少し飛躍するが、家族関係には、そういう作用が起こっている気がする。
環境が似ているが、ゆえに。
でも、個人個人は違う人間だ。


同じ人間だから、と思い、相手の違いに寛容になれる場合もある。
違う人間だから、と思い、同じ部分の発見に共感できる場合もある。


 
 
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