菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

罪を摘み、罰を抜く。   『戦場でワルツを』

2010年01月07日 00時02分43秒 | 映画(公開映画)
 
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第95回。



「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『戦場でワルツを』


 

これは、アニメーションによるドキュメンタリーという不思議な手法の映画。
 
そもそも、アニメでドキュメンタリーになるのか?
これ、アニメだからこそ扱える人の記憶を題材にしているのだ。
戦場で起こった非道な行いに触れた人々の記憶。
夢、事実、体験、時間、記憶喪失、罪悪感・・・。
様々な影響で記憶が変化するのを、無機物に魂を吹き込むアニメーションという技法によって、多面的にとらえようとする。
そして、その圧倒的な事実の恐ろしさは、アニメを通さねば、直視に耐えなかったかもしれない。
どうやら、制作の最初からアニメで作ることからスタートした企画だったそうだ。


この作品のアニメーションは独自の手法フラッシュ・カットバック・アニメーションという方法らしい。
かなり複雑な工程だそう。
いわゆる実写をなぞるロトスコープではなく、実写版を元にイラストを描き、それを音声にあわせて、フラッシュや3DCGなどを組み合わせて、アニメートしていくという方法だそう。


 
『おくりびと』と同時に米アカデミー賞の外国映画部門でノミネート。
アニメゆえ逃したとも言われる。
アニメで有名な日本だが、こういうアニメはなかなか生まれてこない。
近い感じでは、『おもひでぽろぽろ』かな。

  

原題は『ワルツ・ウィズ・バシール』。
だから、『バシールとワルツを』となる。
 
このバシールとは、カリスマ的指導者で、レバノン大統領に就任する予定だったバシール・ジュマイエルのこと。
彼の暗殺(犯人はいまだ不明)が事件の引き金となって起こった、ベイルートでの虐殺事件を映画が扱っているから。
1982年に起こったサブラ・シャティーラの虐殺のことだ。
イスラエル軍監視下にあったサブラとシャティーラの難民キャンプで起こった虐殺は、3日間に及び、3000人以上が殺されたといわれている。
イスラエル、レバノン、シリア、など種今日取れk氏が民族が複雑に絡み合っており、簡単には説明できるものではない。
そして、2008年からイスラエル軍はガザ攻撃を行う(2009年も継続)など、戦争は現在も続いている。


日常的に非日常として存在する戦争という圧倒的な状況と、女子供といった民間人まで徹底的に虐殺された事件。
それを体験し、それを抱えて生きていく人々、その記憶。


この作品で、この虐殺を19歳で体験した主人公で、監督のアリ・フォルマンは、過去を通過した現在から未来を見据えている。
目的の力強さ、重さに荒いため息が漏れる。
現実とここまで繋がったアニメーション作品はいままでなかった。
映画の新たな地平を拓いた作品。




体験は波のようで、動きながら、形を買え、砂浜にたどり着き砕けてしまう。
砂浜から見ていた者には繰り返される営みであり、美しささえ持つ動きかもしれない。
だが、その波に飲まれた者は、その圧倒的なエネルギーを語る。
そのエネルギーは命を奪うエネルギーだ。
 
数人の盲人が象に触れ、彼らが語る象は、鼻だけを示し、蛇のように細い、や、肌だけを指し、岩のようにごつごつしている、足だけを触れて丸太のように太い、と、おのおのが部分だけの情報を全体のように語るという寓話がある。

波も、見た場所で語る言葉は変わる。
押し流し、畏怖させ、喜ばせ、立ち止まらせ、どこかへと運ぶ。
繰り返し、繰り返し。
波は変わらずに浜へ押し寄せる。

映画もまた波だ。

そして、この作品の波の大きさは津波級だ。
二度と見たくないからこそ、目を背けてはならない。

なぜなら、これはその虐殺だけでなく、戦争というものと個人の関係を描いたありふれた巨大な暴力についての映画だからだ。
それは、遠い中東だけでなく、あなたの隣で今も起きていることなのだ。


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