五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

文化講演会(新体制運動に於ける科学と政治の相関性)

2009-09-13 03:46:19 | 五高の歴史
新体制とは何か、新体制運動の歴史的生命は如何と言う問いが幾せられる。次に新体制と科学との関係が考慮されているか、科学の政治化の反面に、政治の科学性が活かされているか。正しい政治の真の科学の樹立に必要欠くべからざる条件は、政治を科学との相関性の問題である。かかる意味の下にこのような講演会がなされたのである。
先ず、新体制を広義を解して欧羅巴近世に於ける文芸復興のうちにその歴史的生命を見出せむするこの運動に身を投じて犠牲となった宗教家や科学者には教権の圧迫をうけながら已むに已まれぬ崇高な真理愛に終始し最後の勝利を得た。そうして宗教改革の背後には科学の力が相俟っていた。そこには真理なるが故に如何なる迫害にもひるまず開花結実した尊い生命があった。実に近代科学は真理の子である。
しかし科学が唯物思想の如く誤解されたのは一体何故であるか。それは、歴史的に接近しているのと世人の年定見から由来していると思う。それには、その責を科学者や技術家自分も負はななければならぬのがある。しかし近世の科学者の多くは熱心な基督教信者であったし、life and wardは真面目なものであったことを追想しなければならない。科学の故に赤だと言う風評をつくり出す唯物思想にも雷同する危険性がある。唯物は一種崎型児である。例えば、ロシア、思想は政治によって歪曲された科学から産まれた迫害の子である.既に悪化された科学は真の科学ではない。真の科学が唯物思想でない証左として最近物理学が挙げられる現代物理学に於ける宇宙観はメカニズムではなくして寧ろ宇宙思想にみられている。
以上の説述から新制体は新体制でなければ成らず旧殻を脱して真理を探究する人類の意欲であるといえよう。しかしこの人類の意欲が正しいものであることも附加されなければならない。
然らば次に我国の現状には果たして真理を是とする科学的合理性及び之が適用の技術が宜しきを得ているだろうか新体制が滑らかに動かないのは科学的技術の欠如せる為ではないかわけても産業経済の領域に於いて科学的技術の必要が痛感される。物資欠乏と経済的凍結状態にある昨今政治家にとって必要欠くべからざるものは技術尊重の政治である。もし科学と政治とが適当に媒介し合わなければ高度な防空家の建設は覚束ない。科学は政治によってその力を後押し政治は科学にとって無駄を省き適当なる物の運用を計ることが出来る。
等しい二つのコイルを連結すればそれらは相互に作用し合ってコイル一つのときの四倍の力がでる。同様に政治と科学が媒介されて協力体制を実現するならば偉大なる力を生じ国家社会の進展は期して待つべきものであろう。