五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高が産声を上げた地・古城(ふるしろ)

2009-09-08 04:01:16 | 熊本城を散策する
熊本城の西南に突出した一出丸を古城(ふるしろ)という。この地域には所謂古城百年史が展開されていることはもとより明治時代には医学校、洋学校など設置されていた。その後は熊本県庁なども設置され由緒ある史跡地である。古城の真ん中を東西に載る空濠があり、この空濠から北半分の一郭は師団長とか参謀長とかの官舎であり、その南半分で明治二十年十月一日第五高等中学校は産声を挙げたのである
洗馬橋を西へ渡って北へ古城へ乗込むところに橋があって其の橋を渉りきった所がこの古城の大手門であった。この門を通り抜けて真直ぐに通る路の左が校舎の所在地であり、此処から道を隔てた向こうの空き地が体操場であった。高さ四五間の石垣の下の水濠には明治二十三年以前までは一杯蓮が植えられていて夏の朝などは紅白の花が美しく咲き匂っていた。その後埋められたが、重要な史跡として約半分は原状のままで保存され、校舎の敷地だった付近の樹木や、石垣は昔の儘残されて、五十年前龍南の神代時代に活躍した先人達の面影を無言の中に物語っている。
                昭和十二年五高開校五十年祭記録から転載