碧巌録の公案です。
道吾和尚が弟子の漸源と一緒に、知人のお悔やみに行きました。
漸源は、故人の棺をたたきながら、道吾に聞きました。
「この棺の中の人は、生きとるんじゃろうか。死んどるんじゃろうか。」
道吾和尚は、
「生きているともいえん。死んでいるともいえん。」
漸源
「なして、教えて下さらんのんですか」
道吾
「言わんぞ、言わんぞ」
漸源
「言うて下さらんのなら、殴りますぞ」
道吾
「言わん、言わん」
といって、漸源は道吾を殴ってしまいました。
道吾和尚が亡くなったあと、漸源は石霜禅師にこの話をしました。
しかし、石霜禅師の答えも同じでした。
常識的に考えれば、お悔やみに来ているのですから、棺の中の人は死んでいると、道吾も漸源も思っているはずです。
この、「生きているか、死んでいるか」というのを、
「死後の世界はあるか、ないか」
「幽霊はいるか、いないか」ということに置き換えてみるとわかりやすいと思います。
死後の世界は、あるのかないのかわからない。あるとも、ないとも言える。
幽霊はいるのかいないのかわからない。
答えを出すことのできないものに、何か一つの答えを出そうとすることは、愚かです。
現代人は、西洋の影響で、二元論で考えようとします。
そして、答えを求めます。
しかし、答えのない問題もあることは知るべきなのです。
道吾和尚が弟子の漸源と一緒に、知人のお悔やみに行きました。
漸源は、故人の棺をたたきながら、道吾に聞きました。
「この棺の中の人は、生きとるんじゃろうか。死んどるんじゃろうか。」
道吾和尚は、
「生きているともいえん。死んでいるともいえん。」
漸源
「なして、教えて下さらんのんですか」
道吾
「言わんぞ、言わんぞ」
漸源
「言うて下さらんのなら、殴りますぞ」
道吾
「言わん、言わん」
といって、漸源は道吾を殴ってしまいました。
道吾和尚が亡くなったあと、漸源は石霜禅師にこの話をしました。
しかし、石霜禅師の答えも同じでした。
常識的に考えれば、お悔やみに来ているのですから、棺の中の人は死んでいると、道吾も漸源も思っているはずです。
この、「生きているか、死んでいるか」というのを、
「死後の世界はあるか、ないか」
「幽霊はいるか、いないか」ということに置き換えてみるとわかりやすいと思います。
死後の世界は、あるのかないのかわからない。あるとも、ないとも言える。
幽霊はいるのかいないのかわからない。
答えを出すことのできないものに、何か一つの答えを出そうとすることは、愚かです。
現代人は、西洋の影響で、二元論で考えようとします。
そして、答えを求めます。
しかし、答えのない問題もあることは知るべきなのです。