行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

帰れるから旅は楽しい

2013年09月27日 | 禅の心
帰れるから
   旅は楽しいのであり
   旅の寂しさを楽しめるのも
   わが家にいつかは戻れるからである
   だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
   どこにもあるコケシの店をのぞいて
   おみやげを探したりする

   この旅は
   自然へ帰る旅である
   帰るところのある旅だから
   楽しくなくてはならないのだ
   もうじき土に戻れるのだ
   おみやげを買わなくていいか
   埴輪や明器のような副葬品を

   大地へ帰る死を悲しんではいけない
   肉体とともに精神も
   わが家へ帰れるのである
   ともすれば悲しみがちだった精神も
   おだやかに地下で眠れるのである
   ときにセミの幼虫に眠りを破られても
   地上のそのはかない生命を思えば許せるのである

   古人は人生をうたかたのごとしと言った
   川を行く舟がえがくみなわを
   人生と見た昔の歌人もいた
   はかなさを彼らは悲しみながら
   口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない
   私もこういう詩を書いて
   はかない旅を楽しみたいのである

            高見順 「死の淵より」より


これは詩人の高見順が死を前にして書いた詩です。旅は帰るところがあるから楽しいのです。どんな旅でも最終目的地は我が家なのです。
さて、大地を我が家と思うことができるでしょうか。

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中道をゆく

2013年09月24日 | 禅の心
○お彼岸は中道の象徴じゃ。

○お彼岸は、昼と夜の長さがほぼ同じで、お日様が真東から出て真西に沈むということからじゃ。

○中道はバランス感覚ちゅうこっちゃ。

○中道は偏らない心のことなんじゃ。

○極端なことを考えないちゅうことなんじゃ。

○野菜中心の食事は健康にいいが、菜食主義がいきすぎると、かえって体の調子が悪くなり、早死にのもとになるらしい。

○バランスのとれた食事がいいんじゃ。

○何事もほどほどが大事なんじゃ。

○思想もまたしかりじゃ。

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死ぬのが恐いのは当たり前

2013年09月20日 | 禅の心
余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも平気で生きていることであった。 正岡子規 明治35年6月2日「病床六尺」より

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

痰一斗糸瓜の水も間にあはず

をとといのへちまの水も取らざりき 正岡子規絶筆 明治35年


禅というのは「今を生きる」の一言に尽きると思います。正岡子規は死を目の前にして死ぬのが恐いし、苦しいのです。誰しも平気で死ねるなどということはありません。正岡子規の絶筆となった3つの句から、正岡子規が苦しみもがきながら死に臨んでいる様子がうかがえます。武士道といえば平気な顔をして死ぬことだと思われがちですが、そうではないのです。精一杯自分の人生を生きていくことなのです。
柴山全慶老師は
死ぬときまで結構な死に方を求めるような色気を出してはいけない。苦しんで死ぬのもまた風情だ。
と言われています。死ぬのが恐いのは当たり前です。とりあえずは残された時間を精一杯生きていくことが大事なのです。

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言葉は心の脈拍

2013年09月17日 | 禅の心
言葉は心の脈拍

○人間は、心が乱れていると言葉も乱れてくるんじゃ。

○言葉が乱れると心も乱れると言ってもいいぞ。

○体の健康状態が悪いと脈拍が乱れるように、心の健康状態が悪いと言葉が乱れるんじゃ。

○悪い言葉は自分自身にはねかえってくる。

○現代社会は、汚い言葉であふれかえっておる。

○いつも和顔愛語を心がけよう。

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人生はヤブの中を歩くようなもの

2013年09月13日 | 禅の心
荊棘林中一条路

藪こぎ登山をすると、イバラやトゲで衣服が破れたり、皮膚を傷つけたりします。荊棘林とは、このような藪こぎの道のことで、人間の煩悩を象徴しています。藪こぎの道を行くことは、悩みや苦悩を抱えた人生を歩んで行くことに似ています。
しかし、この藪こぎの道も、地図とコンパスやGPSを使って正しい方向に間違いなく歩んで行けば、山頂にたどり着くことができます。藪こぎの道でも一条の道なのです。どんなに困難な人生でも、正しく歩んで行けばいつか幸せな人生をえることができるのです。同じ山頂でも楽な道を歩いて山頂に着くのと、藪こぎの道を歩いて山頂に着くのとでは、気持ちが違います。

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