行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

老いたるはなお麗し

2012年08月31日 | 禅の心
あまりにもありきたりな例えですが、川の上流では、ごつごつした、角のある岩が多いのに対して、中流、下流の岩は角がとれて丸くなっていきます。
 人間もまた然りで、若い頃は血気盛んであったものが、年齢を重ねるうちに、穏やかになっていくものです。もちろん、逆の場合もあり、年をとるにつれて、頑固になっていく場合もあります。いずれにしても、年をとれば、体のいたる箇所が悪くなるわけで、若いときのように、エネルギーに満ちあふれた生き方ができなくなるのは確かです。
 五木寛之さんに『林住期』という著書があります。古代インドでは人生を
 「学生期」(がくしょうき:青春期) 0~24歳
 「家住期」(かじゅうき:朱夏期) 25~49歳
 「林住期」(りんじゅうき:白秋期) 50~74歳
 「遊行期」(ゆぎょうき:玄冬期) 75歳~

に分けてきました。なお、中国では、これを青春、朱夏、白秋、玄冬としてきました。
学生期で勉学に励んだり、アルバイトに精を出したりして、社会人になるための準備をします。家住期で、社会人としてバリバリ働いて家庭をもって子育てをします。しかし、家住期には、自分の時間がありません。現代日本社会では、家住期に重きを置いて、林住期には大きな価値がないと考えます。しかし、自分の本当にやりたいことがわかるのが、林住期ではないのかと思うのです。
 今日8月31日は、一応夏の終わり、49歳という歳も、昔の人は人生の夏の終わりと考えてきました。夏には夏の趣があるように、秋には秋の良さがあります。むしろ、自分をしっかりもって生きていくことができるのは、これからなのかもしれません。
年齢にふさわしい生き方をしていくことが大切だと思います。

米国の詩人ホイットマンの詩に

女ふたりあり

若きはうるわし

老いたるはなお麗し


があります。歳をとることを、決してマイナスにとらえるのではなく、意義あるものとして考えていきましょう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文物盛んなれば紀綱衰える

2012年08月28日 | 禅の心
文物盛んなれば紀綱衰える

幕末の儒者、林鶴梁の言葉です。

 物質的に豊かになれば、社会の秩序が乱れる、あるいは、人々の心が荒廃するということでしょうか。
 まさに今から200年前に、現代の人々の心の荒廃を予言していたかのようです。
 今、まさに人々の心が荒廃していっています。憎しみと怒りに満ち、その矛先を誰かに向けなければならない。そして、弱い者をいじめたり、いじめに荷担したりする。あるいは、企業や役所に的外れなクレームをつける。
 ものが豊かになるにつれ、思いやり、感謝、礼儀など、日本人が本来もっていた良いものが失われていくような気がします。本来、日本人は、攻撃的ではなく、穏やかな民族です。西洋的な物質中心主義も大事ですが、日本人の心が失われないようにしなければなりません。
 物質的に豊かになることは、決して悪いことではないと思います。しかし、それによって、心が荒廃してはなりません。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きている実感

2012年08月24日 | 道元・正法眼蔵・曹洞宗
暑い日に のどを鳴らして 水を飲む。
水を飲むという当たり前の行為ですが、生きているからこそできることなのです。水を飲むという行為は、すべての生物に共通の、しかも重要な行為なのです。種田山頭火の句にも、水を飲むことをうたったものが多くあります。水を飲むという、単純で当たり前の行為の中に、自分自身の仏性を見いだすことができます。
キリスト教でも、イスラム教でも、人間が神になることはありません。「人間は本来仏なのだ。」というのが仏の教えです。
人間の行為の一つ一つが、仏の行為であるというのが道元禅師の思想でした。だからこそ、一つ一つの所作が大切なのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「感謝の心」と言うのは簡単

2012年08月21日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
「感謝の心」と口で言うのは簡単です。
私たちは、動植物を食べていかなければ、生きていくことができません。
他の生命の犠牲の上に成り立っているのです。生きていること自体が罪なのです。「罪」と言えばキリスト教的ですが、親鸞聖人も、「罪」ということを強く考えられました。
私たちが生きていく上で、周りの方々に支えられて生きています。目に見えるおかげさま、目に見えないおかげさまがありますが、周りの方々のご苦労の上に、生きているのです。そのことが腹の底からわかって、はじめて「感謝の心」がわかるのです。「感謝の心」は単なる言葉の知識ではなく、生きる智慧なのです。感謝の心がわかれば、誰にも攻撃的にはなれません。穏やかに生きようと思えるのです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分はどうなのか

2012年08月17日 | 禅の心
韓国大統領の言動について、日本人の怒りが爆発しています。しかし、悪いのは大統領であって、多くの韓国人には罪はありません。韓国人みんなが悪いわけではありません。それを、韓国を蔑(さげす)んで、韓国人は死ねとか皆殺しだなどと言う人の方がよっぽど、たちが悪いと思うのです。
禅のテーマの一つは、「自己を見つめる」ということです。自分は他人を批判できるかということをつねに振り返ってみる必要があります。外に向いている目を自分の内面に向けようというのが、禅の目的の一つなのです。法然上人、親鸞聖人の「自分の中の悪を自覚しなさい」というのも同じです。
大津市の中学生が自殺した問題で、教育長が暴行を受けました。
いじめも悪いが、暴力も悪いし、殺人はもっと悪いです。悪を批判するのに悪をもってするのは妙なことです。人の悪いところはわかるけど、自分の悪いところがわからないのが人間というものです。しかし、自分の中の悪いところがわからない人は結局、いい人間関係を築くことができず、いい人生を送っていくことができません。自己を見つめることは幸せな人生を歩んでいくための第一歩なのです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする