行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝が愛について語る

2015年11月27日 | 禅の心
○「愛」という言葉は照れくさいのう

○「愛」はキリスト教的じゃのう

○「愛」ちゅうのんは神様が人間に注ぐもんじゃ。

○日本人ちゅうのんは、「愛してる」などとわざわざ言わなくても愛情が伝わるもんじゃなかろうか。

○三島由紀夫も言うておった。「愛国心」などと言わなくなくても「大和魂」でええんちゃうかと。



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仏教とキリスト教

2015年11月24日 | 禅の心
仏教とキリスト教は違う。キリスト教など一神教では、人間も自然も宇宙も神がつくったと説くが、仏教は「私」がいるから世界があり宇宙があると考える。自分が見たり聞いたりしている世界こそ意味があるのだ。
キリスト教では愛を説くが、仏教では愛は迷いであり苦しみの元であると説く。
キリスト教では希望や理想、夢を語るが、仏教では「今、ここ」が大事であり、現実を見よと説く。

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烏鷺滝が正義について語る

2015年11月20日 | 禅の心
いじめは悪いことじゃが、いじめるやつを処罰するのは、学校や警察のすることなのじゃ。

いじめるやつを、正義で処罰するのを私罰という。

私罰するやつは、自分の正義感に酔っているだけなのじゃ。

私罰するやつも、いじめるやつと心は一緒なのじゃということに気がつかにゃならん。

人間ちゅうもんは、他人の悪いところはよう見えるもんじゃが、自分の悪いところは見えんもんじゃ。

自分を見つめた上での正義でのうては、危険なんじゃ。

戦争は正義と正義のぶつかり合いの場合もあるんじゃ。

自己満足だけの正義はいけんよ。

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ロバになるな

2015年11月17日 | 禅の心
一休宗純の歌に

持戒は驢(ろば)となり 破戒は人となる

があります。

僧侶にとって戒律を守ることは大切ですが、何も考えずに、守らなければならないから守るというのでは、ただ人に使われるロバと同じだというわけです。

戒律を破ってよくはありませんが、何のための戒律かということを自分の頭で考えなければなりません。

他人が持っているものが欲しくなったり、他人がいいというものが良いと思い込むのは、人に使われるロバと同じです。

自分の頭で考えて世間に流されないようにしなければなりません。



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烏鷺滝が世間を語る

2015年11月13日 | 禅の心
○聖徳太子は世間は虚仮であると言われた。

○世間は真実ではないということじゃ。

○現代でもそうじゃ。

○みんな、マスコミやインターネットの情報に流されていっておる。

○自分の頭で考えるのではのうて、気分や場の雰囲気に流されておる。

○インターネットの情報なぞ、怪しいものが多いと思っておらにゃあいけんよ。

○結局は政治家や有力な人の思うつぼになっておるのじゃ。

○世間などあてにならぬものじゃと割り切ることが大事じゃ。

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