MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯498 日本人は強いリーダーが嫌い?

2016年03月25日 | 国際・政治


 安倍晋三首相は3月2日の参議院予算委員会において、憲法改正に関する民主党の大塚耕平氏の質問に対し「私の在任中に成し遂げたい」と答弁し、改めて自民党総裁任期である2018年9月までに憲法の改正を目指す考えを示したということです。

 首相はこの答弁において、夏の参院選で自民、公明両党に一部野党も加えた勢力で改憲発議に必要な3分の2以上の議席を確保することに強い意欲を表明。今後、衆参同日(ダブル)選挙の実施も視野に入れ、国会での改憲勢力の拡大を目指す可能性が高いと報じられています。

 消費税率の引き上げが2017年の4月に予定される中、憲法改正が新たな争点となれば、公明党との連立も含め7月の参議院議員選挙に向けた政局はさらに複雑化し、混乱していくことも予想されます。

 安倍政権の支持率は、直近の世論調査でも40%から50%台を維持しており、近年の内閣の中では無論高い方だと言えるでしょう。

 しかし一方で、アベノミクスの経済効果にも依然不安感が付きまとい、格差の拡大や貧困問題などの課題も浮き彫りになる中で、その支持基盤が「盤石」だとはなかなか言い切れないのも事実です。

 それでも安倍首相は、自らの強いリーダーシップのもとで憲法を改正し、緊急事態条項や国防のための軍事力をもった(いわゆる)「普通の国」への政策転換に意欲的です。

 野党各党の足並みがそろわない中、憲法改正に向け一気呵成に中央突破を試みる安倍首相の姿勢を、国民はどのような感覚で受け止めているのでしょうか。

 憲法改正問題についてのみ言えば、昨年の憲法記念日に際して大手新聞各社が相次いで世論調査を実施しています。

 朝日新聞の調査では「改憲が必要」との回答が43%で「不要」との回答が48%、読売新聞の調査では「改正する方がよい」が51%で「改正しない方がよい」が46%、産経新聞では「憲法改正賛成」が40.8%で「反対」が47.8%、NHKでは「改正する必要があると思う」は28%で「改正する必要はないと思う」は25%と、国民の賛否はそれぞれほぼ拮抗していて、必ずしも改憲反対論が趨勢というわけではないことが判ります。

 それにもかかわらず、「安倍首相」という強いキャラクターのもとで進められようとしている今回の憲法改正に向けた政府与党の具体的な動きに対しては、世論やマスコミの論調に(ことさら)感情的な印象を受けるのは一体何故なのでしょうか。

 作家の橘玲(たちばな・あきら)氏は、自著の「不愉快なことには理由がある」(集英社)において、「『強いリーダー』はなぜいらないのか?」と題する興味深い論評を行っています。

 冷戦後の国際社会や経済が大きく揺れ動く中、日本に「強いリーダーが出てこない」と嘆く声には以前から大きいものがあると氏は言います。この問題は普通「政治家がだらしないからだ」と一蹴されてしまうのですが、実はそんな簡単な問題ではないと橘氏はこの論評で述べています。

 氏は、世界80カ国以上の人々を対象に大規模に行われている「世界価値観調査」において、日本人が他の国の人々と比べて際立って異なっている項目があるとしています。それは、「近い将来『権威や権力がより尊重される社会』が訪れたとすると、あなたの意見はそれを『良いこと』『悪いこと』『気にしない』のどれですか?」という項目だということです。

 結果(2005年)を先進国で比較すると、フランス人の84.5%、イギリス人の76.1%、アメリカ人の59.2%、さらには中国人の43.4%が、権威や権力を尊重されるべきもの(社会の発展や安定に必要なもの)と回答しているということです。

 一方、(驚くべきことに)日本人のうち「権威や権力を尊重するのは良いこと」と答えたのはわずかに3.2%に過ぎず、逆に回答者の大半(80.3%)が「悪いこと」と回答したと橘氏は説明しています。

 こうした結果を見る限り、日本人は世界でも断トツに権威や権力が嫌いな国民なのではないかと橘氏はしています。

 日本人がこのような特異な価値観を持つようになった背景に、第二次世界大戦の経験が影響しているのは間違いないでしょう。

 しかし、氏によれば敗戦によって同じような惨状を経験したドイツでも、国民の約半数(49.8%)が「権威や権力は尊重すべき」と答えていることからもわかるように、理由はそれだけではないだろうということです。

 日本の歴史を振り返っても、実際「独裁者」と呼べるような支配者は織田信長くらいしか見当たらず、徳川家康を筆頭に、そのほとんどが調整型のリーダーばかりだった。だとすれば、日本人は太古の昔から権威や権力を嫌ってきたのかもしれないと橘氏はこの論評で指摘しています。

 これらについていろいろな解釈があるのは当然としても、一つだけはっきり言えるのは、日本に「強いリーダー」が生まれないのは、実は日本人の「誰もそれを望んでいないから」だというのが、この問題に対する橘氏の見解です。

 突出したリーダーを求める空気がある一方で、実際のリーダーの存在には不信感を抱き、その影響力を強く警戒する気持ちは、もしかしたら日本人の心の奥底に深く刻み込まれたミーム(meme=遺伝的な文化伝播)のようなものなのかもしれません。

 これまで1000年以上にわたって(日本人は)そうだった。なので、「これからもたぶんずっとそうなのかもしれない」とするこの論評における橘氏の結論を、私も不思議な共感とともに読んだところです。



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