MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2560 それでも派閥が無くならないワケ

2024年03月22日 | 国際・政治

 3月4日の日本経済新聞は、自民党が2024年の運動方針原案に「これまでの『派閥』から脱却し、二度と復活させない」という文言を盛り込むことを決めたと伝えています。

 昨今の党派閥にかかる政治資金問題を受け、党の運営方針を定めた運動方針に派閥の完全解消に併せ、党機能やガバナンスの強化、政治資金規正法の改正なども盛り込むということです。

 2022年11月の「しんぶん赤旗日曜版」のスクープに端を発するこの問題。自民党安倍派(清和政策研究会)や二階派(志帥会)が政治資金パーティー収入の一部を政治資金収支報告書に記載しなかった疑いがあるとして、政治資金規正法違反容疑で現職国会議員が逮捕される事態を招いています。

 安倍派・二階派の両派閥では、パーティー券の販売ノルマを超えた部分を所属議員に(いわゆる「裏金」として)還流してきたとされ、安倍派における派閥・議員側双方の収支報告書に記載されていない「裏金」は、2018〜22年分だけでも6億円近くに上るとされます。

 「派閥」と言えば、ボスを親に見立てた、一蓮托生のいわば「家族」のようなもの。一つの会派の中に生まれたボスをトップとする権力集団の中で、子分は忠誠をつくし、親分は子分の面倒見るという(「親分・子分」の)擬制血縁関係は、古の時代から日本の社会システムに組み込まれた(言わば)執拗低音の一つと言っても過言ではないかもしれません。

 いじめっ子グループから半グレ組織、右翼・暴力団の反社勢力に至るまで、何かといえば(性懲りもなく)「グループ」を作りたがる日本の男たち。今回の件で言えば、「政党」という一つの枠組みがありながらさらに細かく派閥を作りたがるのは、それだけ「お山の大将」になりたい人が多いということでしょうか。

 いつの世も、権力闘争には(こうした)「派閥争い」がつきものだということなのか? 2月19日の「週刊プレイボーイ」誌に、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が『いつまでたっても「親分子分」の政治の国』と題する一文を寄せていたので、参考までに小欄に概要を残しておきたいと思います。

 自民党の裏金事件を受けて岸田首相が名門派閥・宏池会の解散を決め、これに残る5派閥のうち3派閥が追随する事態に及んだ。例え所属議員が逮捕されたり、会計責任者が略式起訴されたとしても、あまりにあっさりした派閥解散の決断に驚いた人も多いだろうと、橘氏はこのコラムに記しています。

 なぜ、同じ理想の下に集ったはずの個々人の中に「派閥」が生まれるのか。その背景を理解するには、そもそも近代的な政党政治では、派閥の存在を正当化できないことを押さえておかなくてはならないと氏は言います。

 議員内閣制は、首相を目指す政治家は同じ志の仲間を集め政党を結成し、選挙で多数派を獲得することを目指すもの。政党が大きくなれば、党内で複数の有力政治家が覇を競うということも起きると橘氏はここで説明しています。

 ヒトは徹底的に社会的な動物で、ごく自然にグループをつくって協力し合うので、こうした意味での「派閥」は世界中のどの政党でも見られる。しかし、日本の政治の何が特殊かといえば、派閥が独自の組織をもち、資金を管理し、大臣登用などの人事に大きな影響力をもつことだというのが氏の指摘するところです。 

 戦後日本では、(「55年体制」などと言われるように)長く自民・社会の二大政党制(ただし政権交代がない)が続いてきた。どちらも党内に有力派閥を抱えていたが、政党政治の原理の下、独立した組織をつくるのなら党を割って新たな政党を結成しなくてはならないと氏はしています。

 (その理由は)そうでなければ、有権者の投票とは無関係に、党内の権力争いで政権が決まることになってしまうから。そうなれば建前上も選挙や議院内閣制の意味が失われてしまうので、民主主義国家を(おおっつぴらに)名乗ることもできなくなるということです。

 因みに、そうして生まれた派閥には入会と脱会の「儀式」があり、複数の派閥に所属することは許されないこと、誰がどの派閥のメンバーであるかが明示されることなどの一定のルールがあると氏は話しています。

 「党の中に党がある」というこの矛盾は、実は早くから意識されていたこと。自民党の歴史は、1963年に党組織調査会が「派閥解消」を答申して以来、88~89年のリクルート事件や、2009年に政権の座から陥落したときなど、何度も派閥解消が叫ばれては復活する…の繰り返しだというのが氏の認識です。

 一方、政党政治では、政党が資金を集め、それを所属政治家に分配するのは当たり前のこと。ところが(非公式なグループである)派閥が同じことをすると、法的な根拠が曖昧なってしまうと氏はしています。

 結果、(派閥として)集めた中で浮いた資金を裏金で処理しても構わない(見つからない)だろうということになった。それは、もともと派閥が「オワコン」で、持続不可能なことはみんなわかっていたからだということです。

 派閥は「親分子分」の関係で、子分は忠誠をつくし、親分は子分の面倒を見ることが当然とされてきた。日本社会でこれにもっとも近い組織は「山口組」などの広域暴力団で、どちらも組=派閥の連合体。互いに競い合いながら、もっとも大きな影響力をもつ組織が権力を握ったり、傀儡をトップに立てたりするところも共通すると氏は指摘しています。

 そうした中、氏によれば1994年に与野党の合意のもとに中選挙区制から小選挙区制への政治改革が行なわれたのは、派閥政治からの脱却が不可避という認識が共有されていたからだったとのこと。それでも派閥を解消できなかったのは、これが日本の土着社会に根づいた支配原理だったからだろうというのが氏の見解です。

 しかし終戦後80年近くたって、政治がいまだにヤクザ映画のような手法をとっているのは(それ自体)あまりに異常なことだと氏は言います。

 氏によれば、自分はこれまで繰り返し「日本は近代のふりをした身分制社会」だと述べてきたが、今回の事件で改めてそれが証明されたとのこと。これでは、その辺の半グレ集団とそんなに変わりはないでしょう。

 大の大人が、いつまでこんな幼稚な事をやっているつもりなのか。日本の社会は今、この事件を奇貨として「親分子分」の政治から決別できるかどうかが問われていると話す橘氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。



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