水の丘交通公園

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東京地下鉄 6000系電車

2009-05-13 12:19:45 | 電車図鑑・地下鉄
営団(→東京メトロ)が千代田線(綾瀬~代々木上原間)開業用に開発した車両である。
昭和43年~平成2年までに36編成353両(10連35本+3連1本)が登場し、
「21世紀の電車」の設計コンセプトもそのままに活躍を続けている。

当時最新鋭のチョッパ制御を採用した関係で、その開発にあたり、2次に渡って
試作車を製造し、昭和46年から量産化されている。
なお、試作車のうち第1次試作車は現在の北綾瀬支線用の6000-1編成(通称「ハイフン」
編成)つして、第2次試作車は6101編成として、それぞれ営業に就いている。

車体はアルミ製でラインカラーであるグリーンの帯を巻いている。
正面の非常脱出用の貫通扉は進行方向右側に寄せて設置され、運転席からの
視界の拡大を図っている。
この貫通扉は、裏側が階段になっており、倒すように展開させると、そのまま
非常脱出用の階段になるものである。
このスタイルは有楽町線用の7000系電車、半蔵門線用の8000系に踏襲された。

座席はロングシートでドア部分の仕切りに切れ込みの入った板状のものを
採用した。
初期の車両は冷房の搭載はしていなかったが、昭和56年製造の6122編成から
準備対応を、昭和63年製造の6133編成から新製時より冷房を搭載している。
第1次試作車(現在の北綾瀬線のハイフン編成)から昭和52年までに
製造されたグループでは、一部の車両を除いて車体断面いっぱいの広さに
くり抜かれた車内通路が特徴であった。
これは車内の見通しを良くし、通気性も良くするためであったが、
如何せん、通気性が良すぎたため、車内を吹き抜ける風や北陸トンネル事故を受けて
防火上の点からも問題となり、徐々に間仕切りが増やされて、昭和56年製造の
第22編成から全車が仕切られて、通常型の狭い幅の扉付き貫通路になった。
また、この編成から、8000系の設計を採りいれて側面窓が一段下降窓になった
(それ以前は2段窓)。
吊革はおむすび形の持ち手のものを日本で初めて採用している。

主制御装置はサイリスタチョッパ制御で、回生ブレーキ付のものとしては
世界で初めての採用であった。
台車はダイレクトマウント式空気バネ台車である。
運転台はツーハンドル式であるが、第1次試作車ではワンハンドル式も試用された
ことがある。

昭和63年から車体の更新改造が行われるようになり、非冷房車への冷房の搭載、
チョッパ制御器の更新などを行った。
平成7年からは初期車を中心に、全体の更新が行われるようになり、制御装置の
VVVF制御化、行き先表示のLED化、2段窓車の1段下降化、車椅子スペースの設置、
車内貫通路の狭幅化と貫通扉設置、ドア上へのLEDスクロール式旅客案内装置と
ドアチャイムの設置、自動放送装置取り付けなどを行っている。
平成16年からは後期型(第22編成以降)でも車体更新が行われるようになり、
客用ドアの窓拡大、主制御装置のVVVF化、車椅子スペースの設置、
行き先表示のLED化、ドア上へのLEDスクロール式旅客案内装置とドアチャイム取り付けなどを行っている。

以下に製造ロットごとの違いを紹介する。
第1次試作車(6000-1編成)
3両編成で当初は6001+6002+6003と付番されていた。正面デザインは、この時点で
ほぼ確立したが、帯が前まで回り込まずライトのところで途切れていた。
また、床下全周に防音スカートを取り付けていた。
全車が電動車で6001と6003にそれぞれ違うメーカーのチョッパ制御器を搭載し、
6002に抵抗制御を設置して、性能比較のほか、チョッパの故障に備えた。
車内はロングシートで量産車のものよりも大きく尖った形状の袖仕切りが特徴と
なっている。
このロングシートには日中はゆったり座ってもらおうと座席が前にせり出す
リクライニング機構を備えていた。
また、ふりかけ冷房(扇風機に冷風の送り口を取り付けて冷気を攪拌する冷房)や
照明広告などを試験的に採用していた。側面窓は2段窓である。
東西線での試験運行後、綾瀬工場の完成に伴い、移動。その後は有楽町線用の
チョッパ制御やVVVFインバータ制御の試験を行って、昭和54年より北綾瀬支線用に
抵抗制御・発電ブレーキ付きに改造され、旅客営業車になった。
この時点で各特殊な機構は外されて、一般的な仕様に直されている。
平成6年に冷房化と車内更新を実施している。平成12年よりワンマン化が実施され
関連機器の搭載を行っている。

第2次試作車(6101編成)

昭和44年に第1次試作車の試験結果を基に製造。6両編成で全車が電動車であった。
本試作車では複数のチョッパ制御器を使用することによる誘導障害や回生ブレーキ
使用時の問題点の研究を行った。
当初の車番は6011~6016。
外観ではスカートがなくなったが、車体の裾の部分が、やや下の方まで伸びている。
この関係で小田急電鉄への乗り入れが現在も出来ない。
正面の傾斜角はやや大きくなり、帯については1次試作車と同じくライトの
ところで途切れていた。
車内は袖仕切りの形状がやや緩やかになった以外は、ほぼ1次試作車と同じであった。
昭和45年より量産車に合わせた改造と量産車4両を組み込んで10連化された。
車番も6101~6901・6001に直された。
平成6年に冷房化改造を実施したほか平成11年にVVVF制御化と大掛かりな車体改修を
行っている。
この際、制御器が干渉する部分の車体の裾が削られて、個性的な姿にアクセントを
加えることになった。

第1次~第3次量産車(6102編成~6121編成)

千代田線初の新形式車両として昭和46年の霞ヶ関~大手町間開業に合わせて登場。
試作車の結果を踏まえながら、車体の構造を見直し、4.1tの軽量化を計った。
袖仕切りの形状は緩やかな曲線を描くものとなった。
編成は当初より10連で、第2編成なら6102・・・6902+6002という番号の付け方になった。
第3次車より、車内貫通路に扉が多く設置されるようになったほか、小田急電鉄向けの
保安装置や通過標識灯を当初より装備していた(現在は撤去)。
冷房は搭載されていなかったが、平成6年までに全車で取り付けが完了。
以降、リニューアルが行われ、車椅子スペースの設置、内装の張り替え、
LEDスクロール式旅客案内装置及びドアチャイム取り付け、
行き先表示のLED化、主制御装置のVVVF化などを実施している。
また特徴だったきのこ型貫通路の狭幅化、2段窓の1段下降化も実施している。

側面窓の1段化を実施した編成。

第4次~6次車(6122~6134)

昭和56年~62年にかけて登場。千代田線に最後まで残っていた5000系を東西線に
転属させた。半蔵門線用8000系電車の設計をとりこみ、側面窓が当初より
1段下降で窓枠も大きくなった。
また、冷房設置準備車で、天井の送風機がラインデリアになり、後に冷房化されている。
また、6次車の6133編成と34編成は当初より冷房付きである。
一部編成でリニューアルが行われ、1次車~3次車の内容に加え、ドア窓の拡大、
冷房装置交換などを実施している。

リニューアル実施編成。

車内。

第7次車(6135編成)

7000系7133・34編成や8000系8110編成と同じく0シリーズの設計を採り入れた車両。
車体側面に車外スピーカーを装備したほか、ドア上へのLEDスクロール式旅客案内装置
及びドアチャイム設置、方向幕が当初よりローマ字併記のものであるなど
各種変更点が多い。

登場以来、量産車は千代田線と小田急線、及びJR常磐線各駅停車への直通列車で
運行されている。
第1試作車は北綾瀬支線で第2次試作車は小田急線に乗り入れない運用で、運行され
ている。
同世代の車両が引退していく中で、今尚全車が運用されているが、平成22年度より
副都心線の10000系をベースにした新車の導入が検討されているため、
今後の去就が注目される。


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