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かぐや姫を追いかけて ~種子島、2007年晩夏~ 前編

2007-09-21 | 旅行
(表紙写真:種子島宇宙センター竹崎報道センター屋上から見る碧い海と白い雲)

三菱重工業株式会社および宇宙航空研究開発機構は、平成19年9月14日10時31分01秒(日本標準時)に、種子島宇宙センターから月周回衛星「かぐや」(SELENE)を搭載したH-IIAロケット13号機 (H-IIA・F13) を打ち上げました。 13号機は正常に飛行し、打上げ後約45分34秒後に「かぐや」を分離した事を確認しました。
(JAXAプレスリリース H-IIAロケット13号機による月周回衛星「かぐや」(SELENE)の打上げ結果について)

アポロ計画以来最大の月探査ミッションであるSELENE[SELenological and ENgineering Explorer]プロジェクト(JAXA)。
平安時代の日本で紡ぎ出された、謎と浪漫と雅に満ちた世界最古のSFラブロマンス「竹取物語」のヒロイン「なよ竹のかぐや姫」に因んで「かぐや」と名付けられた、縦・横: 2.1メートル/高さ: 4.2メートル/重量: 1.6トンの巨大衛星SELENE(セレーネ)は、日本が世界に誇る高性能液体燃料ロケットH-IIA-13号機によって打ち上げられ、無事に地球周回軌道に乗り、月へと旅立った。
「かぐや」には「月に願いを!キャンペーン」により公募された世界の約41万人の人たちの名前・メッセージを刻んだネームシートが搭載され、共に月へと旅をする事になっている。その41万人の中には僕と家族、僕の友人や大切な人のメッセージも含まれており、だから僕も皆と一緒に「かぐや」に乗って月へと旅立つような気分なのである。
そんな「かぐや」の旅立ちを見届けたい、僕と、僕の愛する大切な人たちの熱い想いを刻んだメッセージを携えた「かぐや」の旅立ちを祝福したい。そんな気持ちで、僕は種子島へと「かぐや」を追った。それは、夏の終りの狂おしい暑さの種子島に展開した滑稽な狂想曲となった。そんな「真夏の終りの夜の夢」の悲喜劇、徒然なるままに綴ってみたいと思う。

2007年9月14日
北上しつつある台風11号の影響で、時折突風が吹きつける鹿児島港南埠頭。
空にはどす黒い雨雲が流れ、桜島も雲に隠され裾野しか見えない。

僕は種子島行きのフェリー「プリンセスわかさ」にチェックインして愛車の13万キロ走破11年選手のヴィヴィオビストロをフェリーの船倉に押し込むべく、早朝のフェリーターミナルで搭乗手続き開始を待っていた。
当初、9月13日に予定されていた「かぐや」(SELENE)/H-IIAロケット13号機(H-IIA・F13)の打ち上げは、9月12日の時点で悪天候で1日延期されていた。
この延期の知らせを、勤め先で昼休みにネットをチェックして知った僕は秘かにほくそ笑んだ。
読みは当たった!…打ち上げは、延期された!
実は僕はヤマ勘で「打ち上げは雷と雨で“2日”延期される」と読んでいたのである。
9月13日の打ち上げが2日延期されると、15日土曜日の午前中に「かぐや」を載せたH-IIAロケット13号機は打ち上げられることになる。それなら、前日の14日金曜日に1日だけ有給休暇を取って種子島に渡ってしまえば、後は余裕で打ち上げの全容を種子島で見ることが出来ることになる。
「これで行きましょう!」
という訳で、既に9月14日の種子島行きフェリー「プリンセスわかさ」のチケットを取っていたのだ。

…ところが、途中まで当たったヤマ勘は後が続かなかった。
打ち上げ1日延期決定の後、いつまで待っても打ち上げ再延期の知らせは届かなかった。天気予報を見ると9月14日は種子島宇宙センターのH-IIAロケット射場のある南種子町の天候は「雨、雷」とあるが、JAXAの打ち上げチームはこの日に「かぐや」を何とか打ち上げてしまおうと肝を据えたらしく、結局前日の13日午後に「明日の打ち上げGO!」の決定が打ち上げ主任から下されてしまった。
「おいおい、そりゃないよ!」と泣き言を云ってみたところでどうなるものでもない。とうとうH-IIAロケット13号機に液体燃料の注入を開始することまで決定してしまった。

万事休す!

一旦ロケットに液体燃料を注入してしまえば、あとは打ち上げるしかない。ひとたび液体燃料を充填してしまえば、今更ロケットの打ち上げを中止しようとすると燃料抜き取りの膨大なコスト(数千万円かかると言われる)と機体再メンテの手間がまあ1週間はかかる。だからロケットに液体燃料を注入開始するということは相当の確率でこのまま打つということなのだ。
結局、JAXAから発表があったとおり、「かぐや」は2007年9月14日(金)の10時31分01秒に打ち上げることがほぼ決定的となった。
しかし、今更フェリーの予約を取り消して自宅で打ち上げのネット中継を見るのも虚しい。
文字通り「乗りかかった船」だ、このまま種子島へ行ってしまえ!運が良ければ船上から雲の切れ間を飛翔する「かぐや」(SELENE)/H-IIAロケット13号機(H-IIA・F13)の雄姿を拝めるかもしれない。
という訳で、深夜の国道3号線を南下して9月14日の早朝、鹿児島港に到着したのである。

種子島・西之表港行きのフェリー「プリンセスわかさ」。
3年前に新造投入されたばかりのきれいな船。瀟洒な青い船体がまるで外洋航路のクルーズ客船のようで美しい。
船内への車輌積み込みの手続きを済ませて、午前8時40分の出航までまだ時間があったので、冷房の効いたフェリーターミナルの待合室で休憩。テレビのNHKニュースを見ていると「かぐや」打ち上げ間近の現地中継が入った。
「種子島、快晴じゃん。。。ダメだこりゃ。打ち上げ主任のGO判断は正しかった、お見事!(涙目)」
種子島宇宙センターでH-IIAロケット射場をバックにレポートするアナウンサーの背後には、見事に晴れ上がった青空が映し出されている。
「こりゃまた見事な“打ち上げ日和”だね、とほほ。。。」
「プリンセスわかさ」の種子島・西之表港到着予定時刻は正午過ぎ。その時間には、予定通り打ち上げられた「かぐや」(SELENE)/H-IIAロケット13号機(H-IIA・F13)は既にロケットからの衛星分離と地球周回軌道への投入も完了し、宇宙を飛んでいることだろう。かくして鹿児島出航前に「かぐや打ち上げを現地で見る」という目論みは完全に瓦解した。

まあ、今更がっかりしても仕方がない。昨夜、ロケットに液体燃料の注入が始まるという事が分かった時点でこうなる事は折込済みだった訳だし。こうなったら開き直って今から種子島の旅を楽しんでやろう。何だかんだ言って、僕はまだ1回しか種子島に行ったことがないし、それもH-IIAロケット12号機の打ち上げを見てとんぼ返りしただけなので(でも種子島を徒歩で縦走したりしてるんだけどw)、あちこち見て周って今後のロケット打ち上げ見物行脚の為の情報収集をして来よう。
かくして、気を取り直して、出港準備を整えた「プリンセスわかさ」に乗り込んだのだ。

船内のエントランスホールでは、いきなりこんなオブジェがお出迎え。
「プリンセスわかさ」は流石に新造船だけあって船内も小奇麗で、離島航路の連絡フェリーとは思えないほど垢抜けている。
スタンダード船室はカーペットの大部屋以外にもブリッヂ前面部にプロムナードと称する展望サロン風の部屋や、ビデオ上映サービスが行われるミニシアターもあってサービスが充実している。

鹿児島港での荷役に手間取った関係で定刻より10分遅れて出航した船は、波静かな錦江湾内を南下する。
右舷側の薩摩半島には、秀麗な薩摩富士(開聞岳)の山容が。

そうこうしているうちに、時刻は既に10時半近い。
船の最上層甲板「スカイデッキ」で、種子島のある方向の空を見るも、厚い雲が垂れ込め空は全く見えない。
「現地は快晴なのに、何で周囲はこんなに雲が多いんだ?」
残念ながら、これでは宇宙へと飛翔するH-IIAロケット13号機の雄姿は拝めそうにもない。

デッキにはロケット打ち上げを見ようという乗客が集まったが、みんな「ダメだこりゃ」と諦め顔。

結局、船上からは「かぐや」(SELENE)/H-IIAロケット13号機(H-IIA・F13)の旅立ちは全く見えなかった。
それでも僕は、秒単位で時刻を合わせた高校生時代から愛用している腕時計、SEIKOのSUCCESS ALBAムーンフェイスで「かぐや」の打ち上げ時刻10時31分01秒をカウントした。
「日本標準時10時30分51秒…56秒…5.4.3.2.1、H-IIA・F13リフトオフ!」

21世紀の竹取物語、我らのかぐや姫セレーネは今まさに旅立った(筈だ)。
41万人の地球人のメッセージを携え、昇天していく「かぐや」。
どうか月まで良い旅を…

それからしばらく、雲間に眼を凝らしていたが、かぐやの痕跡は全く何も確認する事ができなかった。


船は九州最南端の佐多岬の断崖をかすめ、いよいよ外海へと出て行く。
種子島はもうすぐだ。
外海に出た途端、ローリングとピッチングが激しくなったが、それも束の間。定刻より若干遅れたものの、「プリンセスわかさ」は12:20に無事、種子島・西之表港に着岸した。

さて、半年振りの種子島上陸であるが、まずはフェリーの船倉から引っ張り出した愛車ビストロ君のハンドルを操って西之表市街を抜け、島内唯一の国道である58号線を一路南下。数時間前に「かぐや」とH-IIAロケット13号機が旅立ったばかりの、南種子町の種子島宇宙センターを目指す。
徒歩だと一晩かかる種子島縦断移動も、クルマだとほんの小一時間。途中、美しい海岸線沿いや妖怪“チョカメン”に追いかけられた峠道を走り抜ける快適なドライブだ。
「いや~やっぱりクルマがあると楽だわ!」まあ、大概の人は種子島の南北を歩いて移動しようなんて考えないかも知れんが…
南種子町に入り、そのまま「宇宙センター方面」の標識に従い一般道を進むと、道路脇に種子島宇宙センターを示すTNSCの看板が見えてきてそのまま宇宙基地の敷地内に入ってしまう。内之浦の宇宙空間観測所もそうだが、日本の宇宙基地は仰々しいゲートや検問所がある訳でもない、えらく開けっ広げなのだ。


種子島宇宙センターの敷地内に入るのは今回が初めてだ。
種子島南東部の広大な区画を占める、海と山に囲まれた「世界一風光明媚なロケット基地」については、本邦随一の「ロケット打ち上げ観望ガイドブック」である笹本祐一さんの「宇宙へのパスポート」シリーズを読み込んで頭に叩き込んできた筈だったのだが、実際には想像以上に広大なスペースと結構なアップダウン(山を切り削って造成した、文字通り『山中の秘密基地』然とした場所なのだ)のせいで全然土地勘が掴めない。それでもしばらく坂道と急カーブを走っていると、テレビのロケット発射中継で見慣れた砂浜に展開する射場風景が見えてきた。但し、流石に本番の打ち上げ直後とあって射場へと続く道は封鎖され関係者以外は近寄れなくなっているようだ(まあ当たり前だわな)。
そのまま道なりに走っていくと、「宇宙科学技術館」との表示があり、突如芝生の広がるスペースに出た。
宇宙センターの一般公開の拠点となる宇宙科学技術館近くには一見、リゾートホテルかゴルフコースのような手入れの行き届いた芝生が広がり、そこに鎮座というか横たわっていたのは…

実物大のH-IIロケット!
(そう言えば内之浦のM台地にもM‐Ⅴロケットのモックアップが寝っ転がってたなぁ。。。横たわるロケットは日本の宇宙基地には欠かせないオブジェなのかな?)



いやあ、でかい!こんな巨大なものが、ついさっきここから見えてるあの射場から炎と爆音を噴出し飛んでいったの?嗚呼~見たかった!!と、H-IIロケットの下の芝生に座り込んで悲しみを新たにしていると、友人Kから電話がかかってきた。
何でも今、秋葉原駅前のアジト兼仕事場(そんなレアな場所に潜伏するなよな~w)で自家用サーバーのメンテ中で、待ち時間が出来たので電話してくれたらしい。
「おおK、僕今どこにいると思う?フッフッフ、聞いて驚け。H-IIロケットのLE-7エンジンの下だっ!!」
「ふ~ん、まあ多分そうだろうと思った」
…さすが中学時代からの親友、僕の行動パターンを熟知している(笑)。
暫くその辺を散歩しながら、種子島―秋葉原で濃い話に花を咲かせる。

H-IIロケットの横たわる芝生広場から少し歩くと、太平洋の白波が打ち寄せる砂浜が広がる。海亀も産卵に訪れるという美しい砂浜の向こうには、つい数時間前にH-IIA13号機が打ち上げられたばかりの射点や組立棟VABが聳え立っているのが望める、素晴らしいロケーションである。
こんな気持ちの良い砂浜を歩きながら友人と何を話していたのかと云うと、
「予定通り来月の連休にはアキバに遊びに行くわ。もう0系こだまと500系のぞみの指定券も取ったし」
「おお待ってるぞ。行き付けのメイドカフェに連れてってやる」
「…お前さん、そんなマニアックな店に出入りしてるのか」
「いや、俺の仕事場から一番近い喫茶店がメイドカフェなんで仕方なくな」
「…さすが秋葉原。つうか、いいのかそれで!?」
「まあな、ここで暮らしてると、所謂『地元の話題』が全部アニメとかコンピュータとかの物凄いマニアックなネタばかりなんで、俺も戸惑ってるんよマジで」

…よく晴れた日の昼下がり、ロケットの見える海で野郎同士で何話してるんだか全く。

Kは仕事に戻るとの事だったので電話を切り上げ、その辺を歩き回ってみる。
「宇宙科学技術館」を覗いてみると、今日はH-IIAロケット打ち上げの当日という事で臨時閉館。
種子島宇宙センターの見学サービスの目玉「施設案内バスツアー」も休止の張り紙が出ていたが、宇宙センターの広報課に電話してみると「明日はツアー実施しますよ」とのことだったのでその場で午後の便を予約。これで明日の日程が決まった。1日中宇宙科学技術館に入り浸って、午後にはバスで社会科見学ツアーだ。

せっかくクルマで来ているので、広大な宇宙センター内を少し走ってみる。
さっき、「宇宙科学技術館」に来る途中で通った展望所らしき場所が気になっていたので引き返してみると、「おお、やはり!ここがロケットの丘展望所かぁ」

ロケット組立棟VABから射点まで、H-IIAロケットを立てたまま移動する「射点移動」を見る「お立ち台(ロケットでもこの呼び方するのかなぁ。。。?)」として有名な場所だった。クルマを寄せて降りてみると、先客の青年2人組から「あ、どうも」と挨拶される。こちらも会釈しながら「ロケット好きな人は気さくな人が多いね…でも、あなた方はきっと数時間前にH-IIAロケット13号機のリフトオフを堪能されたんでしょうなあ。。。うう、羨ましい。。。」と心中で煩悶しながら、これまた見事な景色を眺める。そして「この次の、冬の打ち上げの時は、何が何でもここから射点移動を見るぞ…勿論、打ち上げもだ!」と心に誓うのであった。



種子島宇宙センターから南側の集落である茎永へと向かう道を降りていこうとすると、道端にあった神社。
「ロケットエンジンか何かが御神体の『ロケット神社』かな?」と思い近付いて見るが、神社の縁起を示すものがないので由来はよく分からない。

神社の脇にあった碑文。
種子島宇宙センターを建設する際に移転に協力した集落を顕彰するものみたい。
九州新幹線の新八代駅にもこういう碑文があったなぁ。

すっかり傾いた陽に向かって島を南下。種子島の南端にある門倉岬を目指す。

断崖に太平洋の荒波が打ち寄せる門倉岬。
ここが名高い鉄砲伝来の地である。
天文12年8月25日(1543年9月23日)、この浦に漂着した南蛮船に乗っていたポルトガル人によってもたらされた火縄銃によって日本の歴史が変わったとされる、まさに歴史の現場。
しかし、こんな険しい場所に漂着してしまった船から重い銃器を担いで地上に上陸するのは大変だったろうなあ…
しかも実際には「友好的な日ポのファーストコンタクト」という訳にはいかず、連中船上から地上を銃撃したりしたらしいし…ここで繰り広げられた歴史の重さの上に、波の音だけがいつまでも重なってゆく。

岬は小さな公園になっていて、鉄砲伝来とポルトガルとの交流を記念する石碑などが並んでいる。茂みの中に小さな神社もあり、ロケット打ち上げの前にはJAXAやメーカーの関係者が参拝に訪れるとのこと。僕も二礼ニ拍手一礼して、次回のH-IIAロケット打ち上げを見に来れます様に、とお参り。

夕暮れの中、南種子の町へと戻る道を走っているとこんな石碑が。

明治27(1894)年に漂着したイギリスのドラムエルタン号の乗組員を地元住民が親切に世話したお礼に贈られた英国種の鶏が、現在の種子島特産「インギー鶏」のルーツだそうな。
物騒な鉄砲伝来と比べてなんとも長閑で心温まるいい話だ…って、種子島はそんなに難破漂流船が多いのか?

宇宙センター近くの「河内温泉センター」で一風呂浴びて、今夜は公園の駐車場に停めたヴィヴィオビストロ君の目一杯リクライニングを倒した助手席で車中泊。

(→かぐや姫を追いかけて ~種子島、2007年晩夏~ その2に続きます)


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